北海道 タウシュベツ川橋梁、ナイタイ高原牧場、かんの温泉、旧愛国駅、旧幸福駅 2020/8/28--29

五日目:2020/8/28金曜日 タウシュベツ川橋梁、ナイタイ高原牧場、かんの温泉

ぬかびら。
朝食を食べて、
糠平湖に架かるコンクリートアーチ橋『タウシュベツ川橋梁』(通称めがね橋)を見に行くツアーに参加しました。
林道のゲートの鍵を持っている認められた人のツアーでないと、橋の近くまで行けません。
湖底を流れる川を渡るので、長靴が必要でした。貸してくれました。

この橋は旧国鉄士幌線の橋のうち最も大きく、長さ130m、11個のアーチが連なっています。
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しかしながら風化が進み、アーチが繋がった状態で見られるのもあとわずかではないかと言われております。
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林道を歩いて湖にでました。
湖は、発電のため水位が上下します。春から秋まで、湖に沈まず見えるそうです。
とはいえ、この夏は、湖の水が少なすぎます。雨量少なさよりも、北海道地震以後、水力発電のために、水を使っているそうです。
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本来ならば、写真右の流木のところまで水がきます。
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湖底は緑のじゅうたん。
流木が、茶柱が立つように、水が引いていったときに立った、この冬に水が上がってくると、どこかに流れていくだろうと説明を受けました。
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あ、鹿がいました。
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ヒグマの足跡。ひとつ大きい足跡で、前足、後ろ足一緒だそうです。
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湖底から見える、この二つの山は、形、谷間が綺麗。
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綺麗なメガネ橋です。
重機のない昭和十年代によく造ったと思います。
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絵になる橋です。
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この橋は、中が石。周りが鉄筋コンクリートでした。
台風の水害で、崩れていっているそうです。
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これが、タウシュベツ川。
ぬかびら湖底を流れていました。川筋は、年によって右に行ったり左にいったりするそうです。
湖の水位が上がると、この川は、ここでは湖に沈みます。
(追記)タウシュベツの意味を調べてみました。
タウシュベツは、タッタ・二・ペッ(tat-ni-pet=樺皮の・採れる木・川)に由来。
アイヌ語で川はナイ(nay)も使われますが、ベツ(pet)は氾濫するような暴れ川に用いられる言葉です。
→周りに、シラカバ、ダテカンバの樹々の森がありました。妙に納得しています。
→タウシュベツ川の流れが変わるから、橋を11連のアーチにして、川がどこを流れても水が川下に行くようにしたのかな、と想像しました。
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縦方向からみた橋梁。
ここを蒸気機関車牽引の汽車が通っていたのです。驚きです。
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橋から森に入る線路のルートです。
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そろそろ帰ります。
この林道は、橋から十勝三股に行く線路が通っていたところです。
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看板の地面から170cmのところを、ヒグマが、がりっとした跡だそうです。
ヒグマは、自分のことが書かれているので抗議したのですね。(笑顔)
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ユースホステルに戻って、解散。
荷物を整理して、出発。ナイタイ高原牧場に行ってみました。
途中、第三音更川橋梁のところで停車。
鉄筋コンクリートアーチ橋としては、北海道一の大きさを誇る32mの美しい橋です。
鉄橋ではなくコンクリート製橋梁。ここの完成を見て、日本に広まっていったそうです。
休憩中の修復作業の土木関係者に道から声をかけました。「お疲れ様です。」
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ナイタイ高原牧場。
十勝平野を一望。少し曇り。
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放牧の牛。
牛は群れる動物というの認識しました。
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しかしながら、一頭だけ、我が道を行く牛もいました。
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牛乳。
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西側に位置するナイタイ山の反対側10kmのところにある、かんの温泉鹿の湯に行ってみました。
今朝、タウシュベツ川橋梁ツアー参加者の方から勧められました。
山を回って行くので、道は50km先でした。然別湖の西側です。

宿一軒ありました。
ここでなく、川に降りて、キャンプ場に。キャンプ場の先、250mのところに、露天風呂がありました。
外気は熱い。あと100mだ。
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自然湧出源泉です。
大自然の中の温泉、こういうの良いです。熊、鹿が出そうなほどの大自然でした。
でも、女性は無理と思います。着替えるところは、川原の石の上ですから。
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一人ゆっくり入りました。
来る人は稀と思いました。
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この小さな窪みの湯の温度はものすごく熱かったです。油分も混ざっている。
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もう午後遅いです。
南下して、帯広市に行きました。
夕食は豚丼。
十勝では、牛は牛乳、馬は馬力、豚が食材、の歴史があると教わりました。
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宿泊は、APAホテル帯広駅前。Go to Travelの登録宿泊施設です。
部屋から、根室本線の普通列車が見えました。
オレンジ色の気動車も良いです。
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TVで、安倍晋三首相の辞任のニュースが流れています。
いろいろな意見、感想で出ていました。ふむふむ。
今晩も、早めに眠ります。

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六日目:2020/8/29土曜日 旧愛国駅、旧幸福駅

おはようございます。
根室本線、朝一番の列車を撮影しました。キハ40でした。
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帰宅します。朝食を食べて、寄り道しながら、帯広空港に向かいました。
帯広から広尾まで走っていた旧広尾線。
旧愛国駅にやってきました。
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蒸気機関車が展示されていました。
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旧幸福駅(幸福鉄道公園)に到着しました。
大きめの「愛国から幸福行き切符」がびしっと貼られていました。
昔、大人気だったです。
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キハ22が展示されていました。
青空と緑の樹々の中、十勝の大地を走っていたと想像すると、乗ってみたかったです。
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レンタカーを返却して、空港に送ってもらいました。
予定の飛行機より5時間早い帯広空港10:15発のJALに乗ることができました。
お昼の飛行機は、コロナ禍の影響で欠航でした。
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十勝の大地の中に、帯広空港が見えました。飛行機は一機も見えませんでした。
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羽田から京急で横浜に出て、帰宅しました。
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北海道。

広い大地で、農業、酪農が盛ん。海は、漁業。山は、林業。
我々の食事を支えてくれる、新鮮な食材を提供してくれています。
幹線道路で、農畜産物、海産物を運ぶトラックを多く見ました。
ありがたいです。
昔は、鉄道がその役目を担っていたと思います。
鉄道は、まだ一部の人の移動に欠かせない生活基盤です。
線路、駅が残っていって欲しいです。

北海道を効率良く旅するのは、車、バイクを利用するのは間違いありません。
バイクに乗って風を感じながら、まっすぐな道を行く。これもいいなと思いました。
なにせ、バスも一日3本しかないところもありますし、バスも通っていないところがたくさんあります。

江戸時代幕末の蝦夷地防衛は、選ばれた各藩が装備不十分の中、行っていた。
明治時代に入り、一般人が入植し、厳しい自然のなかで最適な生活を創ってきた。
それぞれの街や村で、開拓100周年の碑を車の中から見ることができました。
先人の努力、継続が、今の北海道だと思いました。

ところで、北海道を旅していて、そして時刻表を見ていて、一つ気づいたことがありました。
「幌」という地名が多い。
羽幌、幌延、幌加内、幌糠、幌別、もちろん札幌。
「幌」は、調べてみると、「アイヌ語の「poro」(大きい、という意味)に当て字をしたものです。」ということです。
「幌」がつく場所は、広い平らな土地があると理解できます。
地名、山の名前からアイヌの人たちが思ったこと、大切なものがわかるかもしれないと思いました。

今回、宿泊させていただいた各宿のコロナ対策、配慮に感動、感謝です。ありがとうございました。

北海道 大雪 森のガーデン、層雲峡、ぬかびら 2020/8/27

四日目:2020/8/27木曜日 大雪 森のガーデン、層雲峡、ぬかびら

塩狩峠。
おはようございます。
網戸で、風を入れて、薄い布団をかけ寝ました。良く眠れました。

静かな朝です。
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塩狩駅。上り0645発旭川行きの一分前に、女子高生を送ってきた自家用車が到着。
お母さん、ご苦労さまです。
今日も、女子高生は旭川行き列車に間に合いました。
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下り0645発稚内行き。昨日、稚内駅に正午頃到着した列車になります。稚内駅到着時は、1両になっています。
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元塩狩温泉の跡地に行ってみました。。
町で活用計画が練られているそうです。
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北海道の地震・大停電の時、大雪山旭岳の麓にいました。避難先として、塩狩ヒュッテの合田さんが宿泊を受け入れてくれました。
到着すると、移動することができないで留まっていたお客さんが、この線路わきの清水(ここが峠の分水嶺)をくみ上げて五右衛門風呂を沸かしてくれたところです。
大停電で、電気がない夜に入浴できたの、本当にありがたかったです。あとで、東京で贅沢と言われました。(笑顔)
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朝食を食べて早めの出発。
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石北線の東雲(とううん)駅に行きました。
無人駅。
大きな農家の敷地の前に、小さなホーム一つ。
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上り旭川行き快速(上川駅0830発)を撮影しました。(これは、通過後です。)
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移動すると、鉄橋がありました。
上り列車撮影には、ものすごく良いポイントでした。次回トライします。
大きな鷲が左側の田んぼから飛び立ちました。運転していてびっくりしました。

大雪 森のガーデンに向かいました。
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手入れされた花のガーデン。
洗練されたおしゃれな感覚を味わいました。
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可愛い花。
(追記)旅の先輩の河原映子様からFacebookで花の名前を教えていただきました。「レンゲショウマ」。
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層雲峡に到着。柱状節理です。     
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層雲峡公共駐車場に車を止めました。観光客は少ない感じ。
大雪山層雲峡黒岳ロープウェイで、黒岳5合目。眺め良し。
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リフトで黒岳7合目。
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ここから山頂を目指して登って行く人達がいました。今は、山のトイレ使えず、携帯トイレを購入して登ってください。と案内されていました!
滝が見えるところまで、登山道とは別の道を15分ほど歩いてみました。
遠くに滝が見えました。
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下山。
流星の滝、銀河の滝を見に行きました。
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糠平に移動。
大雪ダム 大雪湖。
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三国峠展望台に到着。
ぬかびら温泉からみると、層雲峡、旭川へと続く国道273号線の峠です。標高1,139mは、北海道の国道としては一番の高さだそうです。
樹海と東大雪の山並みが見えました。
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白樺並木の道。
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十勝三股に到着。
昔、帯広からここまで来ていた士幌線の終着駅があったところです。
かつては林業で栄え、鉱物も掘り出され、1,000人以上が暮らしていたそうです。
今は2軒のみ。
一軒は喫茶店「三股山荘」。
お昼ご飯を食べに寄りました。
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すてきに歳を重ねた女将さんが、
「今日のプレートランチの最後の一食、新ジャガよ!」と出してくれました。
美味しい!
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北海道地震のお話しをしました。
「大変だった。水は井戸、電気は自家発電で、しのいだ。基本的なところの準備が大切ね。」と教えてくれました。

十勝三股駅を鉄道模型Nゲージで再現されていました。けっこう大きな駅。
士幌線は、帯広駅で根室本線から分岐し、十勝平野を北上して上士幌町の十勝三股駅までを結んでいた路線でした。
国鉄民営化直前の1987年3月23日に全線が廃止されました。
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山荘の裏庭が平坦な場所。たぶん、ここに駅があったと推測しました。
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タウシュベツ展望台に行く道を入ると、国道に沿って道がありました。
ここは、線路があったところと思いました。
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ヒグマに人がいるよと知らせながら、鈴を鳴らして歩きました。
タウシュベツ川橋梁(めがね橋)が湖の向こう岸に見えました。
水は少ない。橋は朽ちかけていました。
タウシュベツ川橋梁(めがね橋)は、旧線の橋と判断しました。
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三の沢橋梁。こちら岸にあったので新線の橋。
上から、ぬかびら湖が見えました。

ぬかびら温泉街に入ってきました。
鉄道資料館に行ってみました。
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士幌線の糠平駅跡です。
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ぬかびら湖畔に行ってみました。
水が少なすぎと感じました。
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宿泊は、ぬかびらユースホステル。
ユースホステルに源泉の温泉がありました。気持ち良いお風呂でした。
夕食。
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夜の温泉ツアー。幌加温泉 湯元鹿の谷。
ご高齢のおばさんが、湯守を成されていました。
古い建物。コンクリート打ちの湯舟が三つ。ナトリウム泉、鉄鉱泉、カルシウム泉。
露天風呂が一つ、これは泉質は暗くてわかりませんでした。どうも四つ目の泉質らしい。驚きでした。
ここは、混浴。
帰り、玄関前にキツネ。一緒に行った方が教えてくれました。
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良いお風呂でした。

おやすみなさい。網戸開けて寝ます。

北海道 宗谷本線の駅、塩狩峠 2020/8/26

三日目:2020/8/26水曜日 宗谷本線の駅、塩狩

抜海。
おはようございます。
風強し、雨は降り続いています。
今朝も、沖合は見えません。

朝食をいただいて出発。
塩狩峠を目指して、宗谷本線沿いに南下しました。

途中、駅を見学。
兜沼駅です。
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兜沼の脇にありました。兜沼への道がホームからありました。行ってみました。
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熊が出そうな大自然。誰もいません。
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駅前の集落。
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下沼駅。
湿原が見えるかと思いましたが、周りは木々。見えませんでした。
駅舎は、貨物列車の最後尾に連絡されていた車掌車。
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この付近も、牧畜が盛んです。
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糠南駅。
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駅舎が物置でした!物置を開けると、ちゃんと時刻表が掲げられていました。
訪問者が書くノートが置かれていました。この駅を訪ねる旅人がいます!
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一日3本です。
あと25分で、稚内行き普通列車がありました。
問寒別川(といかんべつがわ)に架かる鉄橋で撮影しました。
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音威子府(おといねっぷ)駅。
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昔、稚内まで、オホーツク海周りで、天北線が行ってました。
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列車の案内表示が、木札!これ良いです。
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駅そばはやっておらず、隣の道の駅で、音威子府そばを食べました。お話しを聞いてた通り、そばは黒。つゆも黒。
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そばの畑です。花は白。
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天塩川温泉駅。
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近くの音威子府住民保養センター 天塩川温泉に行ってみました。
温度が9℃の鉱泉でした。加熱して適温入浴。
露天風呂から天塩川が見えました。
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下士別駅。
2021年3月に廃止予定の駅です。
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剣淵の道の駅に、映画のロケ地であったことを表すパネルがありました。
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和寒に到着。
以前、塩狩ヒュッテの合田さんに教わった八百屋を探そうと思って、右折。
その合田さんが運転する車に偶然出会いました。
八百屋さんの位置を教えてもらいました。
まず、和寒駅へ。
稚内行きの特急が10分前に出発していました。
駅に、鉄道の塗り絵が飾ってありました。子供たちが、鉄道を好きになってくれると嬉しいです
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八百屋さんで、かぼちゃと茹でとうきびを購入。
茹でとうきびは、自然の甘さ。美味しかったです。
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塩狩峠に到着。
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三浦綾子記念館。
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シラカバの木々。
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静寂の中、虫の音、鳥のさえずりが聞こえました。トンボ。塩狩は蒸し暑いですが夏の終わりを感じました。
季節は秋に入って行きます。
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ヒュッテが開くまで、鉄道写真撮影しました。
塩狩駅停車の下り普通列車。国鉄時代に製造されたキハ40。動き出すときのエンジン音、ぐっときます。
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塩狩峠の記念碑の横を通過する上り快速列車。静かに通過していきました。
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今日の宿泊は、塩狩ヒュッテユースホステルです。
Go to Travelの登録宿泊施設です。
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消毒、換気の対応、大変と思います。大型空気清浄機を導入してくれました。
宿泊客への配慮、ありがたいです。
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シャワー浴びて、洗濯。
ひと息つきました。

夕食。美味しい!
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お片づけ、食器洗いは、次男のしん君の仕事。
働いて、お母さんから決められた労働収入を得る。子供の時から働くのは良いことです。
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これからの旅、宿のこと、お話をしました。
宗谷本線で廃止が検討されている駅の記事を読ませていただきました。
塩狩駅の一日の乗降客は、0.8人。次回は、鉄道で来ようと思いました。
存続応援募金しました。仲間の星野さんにも募金のご協力いただきました。
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その中、3/14ダイヤ改正で、行き違い交換のために運転停車していた上り快速列車がドアを開けて乗降客扱いになった嬉しい記事がありました。
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来秋、カボチャの収穫の手伝いに参加できそうです。
計画、旅の資金作り、がんばります!

夜の列車。
生活の足です。
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静かな夜。
おやすみなさい。

北海道 サロベツ原野、宗谷岬、ノシャップ岬、抜海 2020/8/25

2020/8/25 火曜日
羽幌。
おはようございます。
ユースホステルの二段ベッドのマットが硬くて、腰が痛いです。歳ですね。
温かいご飯の朝食をいただき、出発。
焼尻島に行く予定を止めました。
戻ってくると、12:30になってしまい、稚内まで余裕がなくなると判断しました。

北上。
途中、鉄道の橋と思われるものが、ちらっと見えました。
留萌と羽幌を結んでいた旧羽幌線が通っていたところと思いました。

トイレ休憩のため寄った道の駅で、昨日、お風呂で会ったおじさんライダー3人も休んでいました。
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少し走ると、沖に、船を発見。
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遠くにうっすら、利尻島が見えました。大きいです。
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日本最北端の水田の表示がありました。
ということは、稚内を除いて、日本では稲作が行われていると理解しました。
お茶の樹の北端は、新潟市の北の村上市。
北緯45度線。昨日、おじさんライダーに教わりました。
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風力発電の風車が数多くありました。
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サロベツ湿原センターに到着。
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サロベツ原生花園の木道を散策しました。木道は外周1km内周0.8kmがあります。外周コースを歩きました。
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湿原の向こうに、利尻島。
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(説明)
「利尻礼文サロベツ国立公園」の一部であるサロベツ湿原は日本一の高層湿原としても知られ、ラムサール条約にも登録されています。
湿原センター竣工同年12月、吉永小百合さん主演の映画「北のカナリアたち」のロケ地として、この木道が使われたそう。

花はもう終わり。
北海道は、6月、7月が花のシーズンと思います。
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宗谷本線の豊富駅に行きました。
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上下普通列車が11時16分に行き違いがあると、時刻表で確認しました。
それでも、油分がある温泉に入ってみたいと思いました。
豊富町ふれあいセンター(豊富温泉)に向かいました。
今日は休館日でした。コロナの影響で営業自粛のようです。残念。
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それではと、豊富駅方向に戻って、豊富駅の南側で、宗谷本線普通列車上下を写真撮影。
バックは利尻島。でも雲がかかり見えませんでした。冬に綺麗に利尻島が見える日があるかもです。
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さらに、北上。稚内駅を目指しました。
稚内駅到着。北の終着駅です。
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近代的な駅です。でも、ホーム一つ。線路一本。の小さな駅。びっくりしました。
待合室の床に線路。
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列車到着のアナウンスです。
豊富駅で撮影した列車が入ってきました。この普通列車は、旭川06:03始発、塩狩06:45発の稚内行きです。日本一長い距離を走る普通列車かも。
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観光協会の人に、お薦めのお店を紹介してもらいました。
行ってみたら、宗谷本線の高架線路が見えました。あと10分で、札幌からの特急「宗谷」が到着します。待ちました。
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海鮮丼。
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(説明)
稚内市は約3.5万人が住む北海道で21番目に大きな水産都市。アイヌ語の冷たい水の川を意味するヤムワッカナイから名付けられました。

最北端の宗谷岬に行きました。
サハリンは見えませんでした。
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一度、稚内まで戻って、ノシャップ岬へ。
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沖をフェリーが西行き航行していました。
利尻島、礼文島に行くフェリーと思います。いつか行ってみたいです。
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日本で二番目に高い稚内灯台。
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自衛隊の駐屯地。
レーダーが数多く見受けられました。
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ノシャップ岬から日本海側を南下。
最北端の温泉に入りました。
塩分を感じるアルカリ性の湯でした。
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このあたりの地層は、崩れやすいものでできていると感じました。
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稚内から二つ目の抜海駅に行きました。無人駅。
(あとで、聞きました。抜海駅も廃止候補の駅でした。)
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北に向かう稚内行きが一日3本、南の幌延方面行が一日4本。上り下りで本数が異なることもあることを知りました。
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17:10に、下り稚内行き特急「サロベツ1」が通過しました。
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今夜の宿泊は、抜海駅から遠くない抜海漁港に近い「バッカス」。
オーナーは、旅のことを良く知っていました。観光客の動き、土地毎の事情、お薦め、宿主などなど。
抜海駅の存続活動をなされているようでした。
美味しい夕食をいただきました。地元の魚介類、海産物。
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夜9時からお茶会。
赤ワインをいただきました。
外は、強い風、雨。
冬、吹雪になると、真っ暗闇の中で、白か灰色の世界と思いました。
旅の二日目、終了。
おやすみなさい。

北海道 神居古潭、増毛、羽幌 2020/8/24

北海道:2020/8/24-29 増毛、羽幌、宗谷、塩狩、糠平

テーマは、「北海道の歴史」、「鉄道の歴史」です。
人がいるところでは、マスクをして旅しました。
写真は、帯広と十勝三股を結んでいた旧士幌線の「タウシュベツ川橋梁」です。
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一日目:2020/8/24 月曜日
おはようございます。
昨夜は暑いこともあり、なかなか寝付けませんでした。
地元から一番早く出るバス、白山高校0532発鴨居駅行きに乗りました。
羽田07:50発JAL551旭川空港行きに乗りました。
どこの湖だろう?大きい。田沢湖ですかねぇ。
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津軽湾の手前。これは岩木山。
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洞爺湖。湖の真ん中に島がありました。
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苫小牧港。大洗からのフェリーが着くフェリーターミナルがあります。
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旭川の畑。夏模様。
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旭川空港で、オリックスレンタカーを借りました。
出発。神居古潭に向かいました。
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(説明)
石狩川が上川盆地から石狩平野に流れる境に位置するこの峡谷は、アイヌ語で「カムイ(神)コタン(集落)」と呼ばれ、
古くよりアイヌの人々の聖地とされてきました。
峡谷を形成する緑泥片岩は1億年以上という気の遠くなるような長い年月をかけて石狩川の流れによって浸食され、
アイヌの人々の伝説に登場する奇岩やおう穴群(天然記念物)を形成しました。
川を移動するのが唯一の交通手段だったアイヌの人々。
ここ神威古潭で、急激に川幅が狭くなるため流れが激しく、深く、かつては行き交う舟がよく転覆し、
アイヌの人々は峡谷に住む魔神の仕業と恐れていたようです。
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石狩川です。
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橋を渡ると、旧国鉄の神威古潭駅跡がありました。
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明治43年の建設当時の姿をそのまま残しているホーム。
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地図を見ると、現在の函館本線が旭川に近づく手前のトンネル群の東側に神威古潭は位置しています。
蒸気機関車3両が残っていました。
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深川、留萌を経由して、増毛へ向かいました。
今から260年ほど前、増毛に漁場が開かれて以来、増毛は道北で一番古い歴史を誇り、漁業を中心に栄えてきたそうです。ニシンの漁港。

江戸初期、「もめん」が日本に広がった。
「ニシンは、食用としただけでなく、「もめん」の原料となる綿花の栽培の肥料として重宝された。
北前船で近畿から西日本に運ばれた。
ニシンをとることが、日本中の老若男女にもめんを着せるということにつながっていた。」
司馬遼太郎の本に書かれています。

(説明)
ニシン漁。昭和30年ごろまで、おびただしい人と金が渦巻いた港町。
3月になると、ニシンが群れをなしてやってきた。
海が、ニシンの雄の精液で、乳白色に染まったという。

その後、ニシンはどこに行ったのか?今は、北原ミレイ「石狩挽歌」の世界です。

留萌本線旧増毛駅(大正10年(1921年)開設)に到着しました。
2016年(平成28年)12月5日:留萌駅 - 増毛駅間の廃止に伴い、廃駅となりました。
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線路がはここまでありました。
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駅前のお寿司屋さんに入りました。
ご主人のお話しでは、増毛で一番古い寿司屋ということでした。
ご主人は、40年目の二代目。
海鮮丼をいただきました。
甘エビの味噌汁もおいしかったです。
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ここ増毛は、高倉健主演映画「新網走番外地」シリーズ13作「さいはての流れ者」の撮影地です。
旧富田屋旅館。修復作業中でした。
昭和8年(1933年)建築。木造3階建て。ガラス張りの縁側。
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元多田商店。風待食堂。
現在観光案内所として活用されています。
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旅館 増毛館。
増毛館は、ライダーなどが集う現役の旅館と、案内書に書かれていました。人の気配はありませんでした。
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旧商家丸一本間家。  
佐渡出身天塩国随一の豪商「本間泰蔵」氏旧宅。敷地内に5棟あります。
呉服店から始めて、漁業、海運業、酒造業まで手がけました。
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呉服店。
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住居。3階までありました。
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高倉健主演映画「駅 STATION」の撮影で使われた部屋です。
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こんな素敵なガラス戸を見ることができました。
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本間家の中に、酒蔵がありました。
現在は、国稀酒造が伝統を受けついでいます。
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國稀千石蔵。
ニシンの船を展示してありました。
全長30mはありました。
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志満川食堂。
明治25年の建物。
ここは、江戸時代、徳川幕府から蝦夷警備を命ぜられた津軽藩の越冬陣屋があったところでした。宗谷岬まで出向いていったが、厳しい自然の中、多くの藩士が亡くなり、幕府の許可を得て増毛まで退いたと書かれていました。
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国稀酒造。 
國稀酒造は、蔵を開放し、試飲も 出来る日本最北の酒蔵です。
最北の酒「国稀」を購入しました。
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暑寒別岳を源とする清らかで豊かな伏流水を使用しています。
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旧増毛灯台。
冬の雪の中でも分かるように赤く塗られていました。
秋田藩第一台場跡でもありました。
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旧増毛小学校。木造の大きな建物でした。北海道遺産。
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ここは、塩狩より南でしたが、天塩国でした。
(説明)
天塩国(てしおのくに、古い文書では「天鹽國」)は、大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つである。別称は天州。
五畿八道のうち北海道に含まれた。
道北に位置し、現在の留萌振興局管内の全域と、上川総合振興局管内の塩狩峠以北(幌加内町は含まない)および宗谷総合振興局管内の豊富町と幌延町、さらに稚内市の最南端の一部にあたる。

街を見たので、少し南下。
暑寒別川を渡ってすぐ右側。
陣屋展望台がありました。
秋田藩第二台場跡。
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にしん街道碑(増毛町別苅)。
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羽幌に向かって北上。
道の駅 おびら鰊番屋に、旧花田家番屋がありました。大きい!
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海岸沿いに、三船遭難慰霊之碑。
1945年 ( 昭和20年 ) 8月15日終戦後の 8月22日 に 、北海道 留萌 沖 で 樺太 からの引揚船3隻が 国 籍不明の 潜水艦 によって攻撃されました。P1017629.JPG
松浦武四郎の銅像(小平町)。江戸時代幕末から明治にかけての探検家で、蝦夷地を探査し、北加伊道という名前を考案しました。
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日本海。
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羽幌町に到着しました。
宿泊する羽幌遊歩ユースホステルにチェックイン。
ありがたいことに、羽幌町での宿泊者限定クーポン:3千円分のクーポンを千円で購入できました。使わせていただきました。
宿泊する人は地域関係なく誰でも購入できるそうです。
羽幌遊歩ユースホステルは、ドミトリーの扱いは無し。一人または1グループ一部屋でした。
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羽幌港に行ってみました。
焼尻島、天売島に行くフェリーが繋留されていました。
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夕陽の中、漁船が港から出て行きました。
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ユースの夕食です。
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宿泊者同士の会話は少なめです。
一日目が終わりました。
早めの就寝します。
おやすみなさい。

岩手県 花巻 2020/8/1

岩手県花巻。宮沢賢治の世界。
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〇2020/8/1  土曜日
おはようございます。
宮城県仙台。朝食を取って出発。
岩手県花巻を目指しました。
東北道を使って2時間20分位。
最初、熊谷家を探しました。
旧家を移築したと思われます。
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宮沢賢治記念館に行きました。
駐車場の係員の方に、今日走る蒸気機関車の話をすると、撮影場所や、通過時刻、さらに、車で行けると教えてくれました。
ありがたいです。歩いたら山道のちょっとしたハイキングになっていました。
その胡四王神社。
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北上川橋梁を渡る釜石線「SL銀河」を上、真正面から撮影できる場所でした。
SL銀河は、花巻 10:37発。
汽笛が聞こえました。
煙が見えました。
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鉄橋を渡りました。
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再び、汽笛が聞こえました。
ジーンときました。

宮沢賢治記念館。
敷地すぐに、石の彫刻。よだかの星彫刻碑。
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アルコール消毒。検温。電話番号記入。のあと、4館共通入館料を購入してて中へ。
「雨にも負けず、風にも負けず」の宮沢賢治の、宗教、農業、宇宙感、科学、芸術を知ることができました。
宗教は妙法蓮華経。

宮沢賢治童話村に行きました。
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賢治の学校。
中は、タイムトンネルになっていました。あまり感心しませんでした。
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賢治の教室も入場しました。
花巻周辺の動物、鳥、花を解説していました。
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宮沢賢治が知人に送ったバラの子孫です。
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花巻市博物館。
花巻の地理的位置。歴史。が学べました。
南部藩と仙台藩の境界地が花巻にありました。
この時代から、境には、非武装地帯が築かれていました。
絵図の左側に境目と書かれています。
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花巻は、土の人形が盛ん。
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宮沢賢治イーハトーブ館。
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冊子をいただきました。
帰ってから読んでみようと思いました。
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切り絵。釜石線の前身、岩手軽便鉄道。
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東北本線(D51蒸気機関車が見えます。)と花巻電鉄が交差している切り絵。
花巻電鉄が、東北本線を跨いで、花巻駅の東と西を結ぶ工事が大変だったようです。
実際を見てみたかったです。
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イギリス海岸の切り絵。
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新渡戸記念館。
「武士道」で有名な新渡戸稲造の父祖が花巻の武士。新田開発など地域に貢献。
新渡戸稲造は、子供の時から、英語を学ばせられたり、自ら世界観をもって勉強していたことがわかりました。
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離れた場所にある同心家屋(屋敷)に行きました。迷いながら到着。
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道を間違えました。こんな風景をみました。田圃に舟。
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「雨ニモマケズ」詩碑。
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賢治自耕の地(下ノ畑)。
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イギリス海岸 詩の森公園。
今日の北上川は水量豊富。
川床が水の下でした。見ることができませんでした。
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花巻駅の西側の花巻市 市民の家に移動。
古くて休館中でした。
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花巻電鉄の電車が静態保存されていました。馬面(うまづら)電車と呼ばれたそうです。
温泉に通じる道路と並行して走るため、幅を抑えたということです。
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この道は、線路があった所と思われます。
P1017421.JPG花巻温泉に温泉を提供している台温泉に行ってみました。
花巻温泉の奥。
もう廃れた温泉場でした。
精華の湯。
泉質:含硫黄-ナトリウム-硫酸塩・硫化物泉。ph8.5の弱アルカリ性温泉でした。
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これで予定終了。
仙台に戻りました。

追記:花巻は、岩手県の名物である「わんこそば」発祥の地でもあるそうです。

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〇2020/8/2  日曜日
未明、大きな音が聞こえるので、目が覚めてしまいました。
ビジネスホテルの窓から外を見てみると、新幹線の保守作業車両が到着していました。
新幹線の安全のための深夜の保線、お疲れ様です。
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仙台から、自宅の横浜まで400km。
結構遠いです。
気合を入れて、帰路につきました。

今回、歴史上の人物の雰囲気を味わえたこと、有意義でした。
宮沢賢治の世界、もう少し、理解をしてみます。

宮城県 白石城、吉岡宿 2020/7/31

宮城県・吉岡宿の家屋。
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〇2020/7/31 金曜日
おはようございます。
福島県。雨続き。
ユースゲストハウスATOMA。美味しい朝食をいただきました。
一人分用意してもらうの、ありがたいです。
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出発。
桃の畑を覗いてみました。雨の影響で、確かに色づきが白っぽい。
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近くの川の流れは急でした。
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高湯温泉共同浴場あったか湯にやってきました。
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硫黄の匂い。
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福島応援クーポンを入手できました。
クーポンを使って入浴させていただきました。良い湯でした。
お湯の色は、少し濁のエメラルドグリーン。ブルーも混じっていました。
ph2.5の硫黄泉。体が硫黄の匂い。(笑)

JAに立ち寄って、福島の桃を箱で購入。品種は、「あかつき」。朝10時前。地元の人が大勢、桃の箱を選んでいました。
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白石に向かうべき東北道にのるところを間違って山形に行く道にのってしまいました。分岐点で、片方が東京、青森と書いてありました。
東京ではないと思い、別の方に行ってしまいました。気づくと米沢に行く道でした。高速道路仕様でしたが無料区間でした。
米沢まで戻るICはなく、霧の濃い山岳地帯を走りました。

やっと、元のICまで戻ってきました。
宮城県に入ってきました。
白石城跡。仙台藩の城は、青葉城と白石城の二つと教わりました。
城門。
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天守閣。
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武家屋敷。
片倉家中旧小関家。
この堀の橋に、吉永小百合さんが立たれました。ポスターになっていました。
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中級武士の家屋。三間の質素な造りでした。
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でも、堀に囲まれて、庭が立派でした。
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縁側でゆっくりできただろうな。
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白石から仙台を越して、仙台の北、約20kmの大和町に向かいました。
仙台藩吉岡宿跡。
映画「殿 利息でござる」の実在の場所です。
フィギュアスケート羽生結弦選手が、殿様役で出演されています。
江戸と東北諸藩を結ぶ奥州街道と出羽街道の宿場町でした。

(説明)
「わたしたちの大和町」改訂版(平成24年3月大和町教育委員会発行)より引用させていただきます。

今から250年ほど前のことです。宿場町だった吉岡(現宮城県黒川郡大和町吉岡)では、長い間続いた凶作などのため、
月に6回開かれる市へ来る人の数も減り、生活に困る人が多くなってきました。
また、吉岡を出て行く人が増えて、空き家が目立ってきました。
 当時、吉岡の人々は伝馬役といって、街道(奥州街道)を通る大名行列(参勤交代で、仙台藩領内の奥州街道を通過する大名は、伊達藩のほかに盛岡の南部藩、弘前藩、松前藩などがありました。)
のために馬をひいたり、荷物運びの仕事をしたりしなければなりませんでしたが、その仕事もたいへんだったのです。(町役として伝馬役を負担していたのです。)
また、吉岡宿は奥州街道の宿駅だけでなく、中新田、岩出山を経て出羽国(秋田県・山形県)に至る街道の宿駅でもありました。
両街道が合流するため、吉岡宿は、仙台藩では大きい方の宿場町になり、それだけ宿駅の負担も大きくなりました。
 そんな中、「このままでは町の将来が心配だ。何とかしてこの町の人々を苦しい生活から救い、宿場町を建て直したい」と考えた人々がいました。
菅原屋(菅原)篤平治(すがわらやとくへいじ)、穀田屋(高平)十三郎(こくだやじゅうざぶろう)、穀田屋(高平)十兵衛(こくだやじゅうべい)、浅野屋(遠藤)周右衛門(あさのやしゅうえもん)、
早坂屋(早坂)新四郎(はやさかやしんしろう)、穀田屋(高平)善八(こくだやぜんぱち)、遠藤寿内(えんどうじゅない)、
千坂仲内(ちさかちゅうない)、遠藤幾右衛門(えんどういくうえもん)の9人です。
 菅原屋(菅原)篤平治は、お金を仙台藩に出資すれば、利息分がもらえるので町の人々にお金を分けることができると考えました。
そして、穀田屋(高平)十兵衛とともに仲間と協力を呼びかけました。9人はお金を出し合い、足りない分は自分たちの財産を売り払い、命がけで借金をし、
家族全員で働きにでることも覚悟して、千両もの大金を用意することにしました。9人は方々から借金をし、6年もの年月をかけてやっと千両を用意しました。
 それから、利息分がもらえるよう仙台藩に何度も何度もお願いし、その約束を取り付けてから千両を仙台藩に納めました。
そして利息分のお金をもらうとそのお金を町の人々に分けました。
仙台藩では9人の行いに対し、特別にほうびのお金をあたえましたが、9人はそれもまた自分のことには使わないで町の人々に分けました。
 町の人々はたいへん感謝しました。そして、9人に対する感謝の気持ちをいつまでも忘れないために、「国恩記」という記録が残されました。
吉岡の龍泉院で住職をしていた栄洲瑞芝(えいしゅうずいし)というお坊さんが書きました。
この吉岡の救済事業は純粋に吉岡の人々から出た運動で、仙台藩も初め反対しましたが吉岡の人々の熱意に動かされ藩も認め曲折などもありましたが幕末まで続いたのであります。
 平成15年3月には、9人の行いを人間の美しい心の記録として、また郷土のほこるべき出来事として後の世に長く伝えていこうと九品寺(吉岡)に顕彰碑が建てられました。

吉岡宿本陣案内所に駐車させていただきました。ここが本陣跡。
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昼食は、甘味噌とんかつ。案内所のおじさんに薦められました。仙台の味噌は辛いはずなのに、甘いのが好まれたのは不思議でした。
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お店の壁に、軽便鉄道の写真。
ご主人から、北仙台から古川に軍人を運んだ。逆に、北仙台に、亜炭を運んだ。と説明してくれました。
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浅野屋跡。吉岡宿で一番の金持ちで造り酒屋と金貸し業を営んでいた。
少し東側に酒屋さん。このお家の二階の看板、浅野と読めませんか?
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菅原屋跡。お茶屋さん。
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穀田屋。酒屋さんは健在でした。
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高札場跡。
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早坂屋跡のそばの家です。奥が深い。
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街道分岐点。
奥州街道(右手)と出羽街道(左手)の分かれた所。
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吉岡館跡。
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吉岡城跡。
伊達政宗の三男の居城。1616年完成。
でも三男は京都生まれ。結婚せず34歳で亡くなってしまいました。
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龍泉院。
ここの住職が国恩記を表しました。
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九品寺。
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国恩記顕彰碑。
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当時、菅原屋が、京都の左大臣・九条尚実に献上した御礼が、和歌に読まれ、看板となっていました。
「春風の 香ほりもここに 千世かけて 花の浪こす 末の松山」
「春風」購入しました。(茶葉は静岡。製造は塩釜。でした。)
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ご説明、ありがとうございました。
お世話になりました。

仙台に戻ってきました。
やはり、大都会。
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「はやぶさ」と「こまち」が東京に向かって出発していきました。
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仙台駅に常磐線特急「ひたち13号」が到着しました。品川、上野から仙台まで、直通の特急が一日3本が運行されています。よかったです!
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福島県 五色沼、二本松 2020/7/30

五色沼、吉岡宿、花巻 2020/7/30-8/2

夏の旅。小さな車で、福島県、宮城県、岩手県を訪ねました。
なるべく人に会わないよう行動しました。

今回、歴史の人たちに出会うことができました。雰囲気だけですが。
福島県:古関 裕而
宮城県:映画「殿 利息でござる」のモデル、吉岡宿の菅原屋篤平治(すがわらやとくへいじ)、穀田屋十三郎(こくだやじゅうざぶろう)
岩手県:「雨にも負けず」の宮沢賢治、「武士道」の新渡戸稲造

宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」のモデルとなった岩手軽便鉄道。
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〇2020/7/30 木曜日
午前03:05、起床。
おはようございます。
車に荷物を積み込んで、出発。
一度、東名を海老名ジャンクションまで南下。そのあと、圏央道を北上して東北道へ。
平日の未明、トラックが多かったです。
日本の物流を支えてくれています。
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猪苗代湖方面に行きます。
磐越道に入ることはせず、東北道の郡山ICで降りて、一般道で猪苗代湖へ出ました。
(あとでわかりました。30分後、郡山の街で爆発事故が起きました。)
猪苗代湖。大きいです。
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磐越西線・猪苗代湖畔駅に行ってみました。
時刻表では臨時駅です。
すでに、廃墟です。
ロープが張ってあり、ホームに入ることはできませんでした。
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川桁(かわげた)駅に行きました。ここから北の沼尻まで軽便鉄道の線路が敷かれていました。
安達太良山の西側に位置する沼尻鉱山で掘り出された硫黄を運ぶのが使命の軽便鉄道でした。
駅前に沼尻鉄道の碑。
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川桁駅周辺の家。
昔は繁栄していたと思われます。
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磐越西線上り・郡山行き 快速電車です。
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野口英世記念館に寄ってみました。
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猪苗代・緑の村。
沼尻鉄道の機関車がありました。
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3軸ロッド式ディーゼル機関車。
軌間762㎜。路線距離15.6㎞。
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この沼尻鉄道が、古関裕而作曲、岡本敦郎が歌う『汽車の窓からハンケチ振れば』の「高原列車は行く」の舞台であることがわかりました。
硫黄運ぶ貨物路線と思っていました。硫黄を運ぶ役目が終わったあと、スキー客や避暑旅行者を運ぶ役割をしたそうです。
現地に来ると、意外というか、思わぬ事実を知ることができました。
その客車です。
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(説明)
古関裕而。朝ドラやっているので、説明不要ですね。
早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」(「若き血」とは別です。)の作曲もされています。

裏磐梯ビジターセンターに移動。
五色沼を歩きます。
先にバスに乗って、反対側に行きます。そうすると、歩く間、帰りのバスの時刻を気にする必要がありません。
五色沼入口バス停1016の裏磐梯高原駅(バス停)行きに間に合いました。逃すと、1時間以上あきます。
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五色沼自然探勝路を歩き始めました。
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ありがたいことに、青空が見えました。
柳沼。
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青沼。
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弁天沼。
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清流。気持ちよくなります。
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赤沼。
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毘沙門沼。
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秋の雰囲気も見れました。
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1時間30分の歩き、終了。
毘沙門沼には、まだ紫陽花も咲いていました。
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汗を流すために、岳温泉に行きました。
途中、沼尻鉄道の駅跡を探してみました。
ありました。
酸川野駅(すかわのえき)。正式には酸川野停留場であったようです。
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右の県道側が、線路が敷かれていた所。
左の道が集落への道。
ここに踏切と停車場があったようです。
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安達太良山の西側に位置する沼尻鉱山は、道路の右手のスキー場の向こうと思いました。
(説明)
沼尻鉱山(ぬまじりこうざん)は、福島県猪苗代町にかつて存在した硫黄鉱山である。
安達太良山の西側斜面を鉱区としており、江戸時代には会津藩と二本松藩が権利を争った。
明治時代に入り、民間による開発が進むと開発は盛んになり、噴火による被害を乗り越え、一時は年間一万トンを超える硫黄を産出する規模となった。
1900年の噴火では鉱山に火砕流が到達し、多くの死者を出している。
採掘された硫黄の搬出のために磐梯急行電鉄が敷設され、その終点である沼尻駅へは、
鉱山から索道(荷物を運ぶロープウェイと思います。)で硫黄が輸送されていた。

安達太良山の北に位置する長いトンネルを東側に抜けると、濃霧。
山を境に、天気は変わりますね。
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岳温泉に到着。
「岳の湯」。
造りは、昔の旅館。古いです。今は、日帰り温泉施設。誰でも入浴できます。
お湯は、湯船に惜しみなく注がれていました。驚いたのは、色が透明感あるエメラルドグリーン。湯は熱い!
硫黄分があるのでしょう、窓が開けられていて、紫陽花を見ながら入浴。
上がって温泉成分をみると、ph2.5の単純酸性泉。温泉に入り、殺菌できたと思いました。
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二本松城を訪ねました。
戊辰戦争の中でも、多くの武士が命を落とした戦が行われた所です。

会津の白虎隊と同じく、少年兵が官軍と戦いました。二本松少年隊の碑。
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石垣は見ごたえありました。
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修復した門、立派です。
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本丸跡を目指し、山を上ります。
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井戸。説明では、今でも水を蓄えているそうです。
確かにこの城は、至る所に水の流れがありました。
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本丸跡。
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本丸跡からの景色です。
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山を降りました。
見事な赤松。
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蓮の花。
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城全体、街の雰囲気に、智を感じました。和菓子屋さんが多い。

二本松から宿泊先の福島に移動しました。
JAに寄ってみました。
安い価格の桃を3個購入。
品種は「あかつき」。
初めて食べました。買ったのは、固い果肉でした。
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奥羽本線・庭坂駅。
普通列車は、一日上下各々10本もないのではないかと思います。
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近くのカーブで、山形新幹線を撮影。
昨日は、大雨の影響で運休。
今日は、運転されていました。
山形新幹線の汽笛(ホイッスル)も、なかなかよかったです。
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梨畑がありました。福島は、桃が終わると、梨の季節を迎えます。
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宿泊は、ユースゲストハウスATOMA。
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何度か宿泊しています。
今回、コロナ対策ができているとして、キャンペーン登録宿泊事業者になっています。
オーナーご家族の努力に頭が下がります。安心して宿泊できます。
お風呂は、檜、青森ヒバを使った木の浴槽。いまだに、良い木の香り。

今日の宿泊者は、私一人のようです。
テーブルに一人分の食事が用意されました。
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ホヤを出してくれました。
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福島の漬物用麹の漬物。
ミニトマトは浅漬けでした。
福島の漬物用麹は、塩麹とも違う福島独特のものということでした。

デザートは桃。ブルーベリーとアイスクリームと一緒に。
今年の桃は今一とおっしゃっていましたが、桃の香りは良いです。ごちそうさまでした。
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雨の音だけ聞こえる静かな夜。
ゆっくり眠りました。

山梨県 桃 2020/7/11,12

新型コロナ新規感染者数が増加してきている中ですが、
山梨県の桃を見に、購入しに行ってきました。
初夏の果物を楽しみました。
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〇2020/7/11 土曜日
昨日、東京の新規感染者数が200超ということで、感染が拡大していると理解しました。
地域は明確になっていませんが、都心部と予測し、山梨県は危険が低いと判断しました。

おはようございます。
早朝、車を出しました。
中央高速の初狩PA。
いつもここで富士山を仰ぎます。
今朝は、雲に覆われていました。水蒸気量が多いと見ました。
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中央本線の普通電車を撮影することができました。
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勝沼ICで高速を降りて、笛吹市一宮に向かいました。
JAふえふき一宮西地区統合共選所に到着。
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まだ、時間が早いので、共選所の仕事を見て回りました。
中に入るのは危険であり禁止。外から見させていただきました。
桃農家が軽トラックで収穫した桃を運び入れてきます。
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桃の品種、等級が多い。初めて知ることばかりでした。
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選菓作業。大きい桃を取り扱っていました。
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出荷作業の準備です。
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直売所オープンは、09:00。並びました。雨。
08:30頃、直売所の職員が、名前を書く用紙を回してくれました。
記入し、車の中で待機。
一度に入れるのは10人ということでした。
「はね出し」という、贈答、お店の販売にならない桃を購入できます。
みなさん、これを購入しに、来ていると思います。
(説明)
はね出し桃(アウトレット桃)とは・・・
多少の傷があったり、形が悪かったり、完熟していたりして、出荷できない桃のことです。
自宅で食べたり、加工したりするにはちょうどいい桃となります。

「はね出し桃」の量は、毎日、変化します。その日の桃農家が持ち込む桃の質、量に依るということです。
幸い、購入することができました。品種は、「白鳳」。良い香りです。
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近くの桃畑に行ってみました。
今年は、雨多し、日照少なし、の天候です。
心配しました。
大きな桃が実っていました。色付きは今一歩なのかと思いました。
農家の方々のご苦労を察します。
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西に位置する甲府市国母の温泉「桜湯」に行きました。建て替えられ、近代的な施設になっていました。
以前、身延線に乗って来たことがあります。
10:00オープンの前に到着しました。すでに10人ぐらい並んでいました。
透明の茶緑色の湯でした。
さっぱりしました。
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身延線の国母駅が近いです。
上り特急「ワイドビューふじがわ6号」。
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下り普通。駅構内の踏切を渡ってホームに行って電車に乗る。こういう風景嬉しいです。
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北東に移動。山梨市のJAフルーツ山梨フルーツ直売所八幡店に野菜を購入しに行きました。
きゅうり、トマトを購入。
もちろん地場の桃を箱で売っていました。

東の塩山市に移動。
昼食を、魚屋さん「きたいさん」に行ってみました。
予約なしでしたが、中に入ることができました。
向かい合わないような席が設けられていました。
海鮮丼の具です。海の無い山梨で美味しい魚。いつも不思議です。
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近くの「パン工房モンマーロ」に寄りました。
米粉パン、メープルシロップがはいった丸いパンを購入しました。

甲州市の桃の無人販売場所に行ってみました。
1パック6個入り500円。この価格は最安値です。形が不ぞろい、色づきにムラがあるんですかね。
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雨多し、日照少なし、の天候。
ぶどうは、順調に育っていました。これは、甲州ワイン用の甲州種と思います。
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勝沼駅に行ってみました。
昔、スイッチバックがあったホームが残っています。
旧ホームから、今のホームを通過する特急「かいじ」を撮影。復元された駅名表示版には、現在の「甲斐大和」が、「はじかの」になっていました。樹々は甚六桜です。
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駅の上のほうに移動。
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甲府方面へ電車が出ていきました。
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勝沼ぶどう郷ユースホステルにチェックイン。
変化点は、雨どいに集まる水を貯えるタンク二本を設置した、これで畑の水をまかなうと説明してくれました。
ブドウ「アジロン」は、しっかり実っていました。
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ヒマワリは、2m以上の背丈でした。
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まだ、お客様数は少ないようです。
3ベッドの一部屋を一人で使用させていただきました。
厳しい状況です。
観光バスに頼っている苺農家は、ほとんどお客様が来なかったようです。
毎年10月第一土曜日に開催される「勝沼ぶどう祭り」は、神事を除いて中止が決定していました。
これからは、ブドウ狩り観光農園は大変と思います。
無人販売の桃を食べてみました。みずみずしい桃。そうですよね、今朝収穫した桃ですから。

夕食前に、ぶどうの岡の「天空の湯」に。今日、二度目の温泉。
消毒、体温検査、連絡先記入を終えて、入浴券を購入する窓口にたどり着きました。わずか5mもないですが。
一度に入浴できる人数を制限していました。ロッカーも指定されたところを使うように、窓口でキーを渡されました。

夕食は、勝沼ぶどう郷駅前の食堂「銀月」へ。
おばさん、お元気でした。町の情報は、すべて集まっていると言われています。(笑)
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夜の写真撮影です。
勝沼ぶどう郷駅を通過する下り特急電車。
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勝沼ぶどう郷駅に停車する上り普通電車。
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三光寺の樹木。
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勝沼ぶどう郷ユースホステル。
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雨がしっかり降ってきました。屋内に戻りました。

夜は大雨。
ビールを飲んで就寝しました。

夜中、中央自動車が不通との情報がスマホに表示されました。一瞬、ドキッとしました。
目をこすりながら見ると、長野から名古屋に向かうところと認識し、ひとまず安心して、眠りました。

〇2020/7/12 日曜日
朝食をとらずに出発。帰宅しました。
水蒸気量が多い、甲府盆地でした。
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今回は、天候不順の中でも、果樹を上手に栽培している農家のご苦労を察しながら、美味しい桃をいただきました。感謝です。
8月になると、桃に加え、ブドウがでてきます。9月はブドウの最盛期。普通の年ならば、大いに楽しめます。










北海道 留萌、塩狩 2020/6/28-29

○2020/6/28日曜日
おはようございます。
外に出てみたら、今朝も雨。
朝一番の列車を撮影しました。
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朝食食べて歯磨きトイレ。
塩狩0735旭川行き普通列車に乗車できました。
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途中、牛が草を食んでいました。
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旭川。深川方面の普通列車は10時34分までありません。
旭川 にいてもしょうがないので、奮発して特急電車に乗りました。
深川で途中下車してみようと。
旭川0900発札幌行きライラック14号に乗車。
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深川 。屯田兵の街かも。
雨。街は静か。歩いている人は少ないです。
線路脇に稲荷神社がありました。
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留萌行き普通列車が出るまでに、あと1時間以上あります。
駅構内に気動車が2両。あとでわかりました。後ろの気動車が留萌行き。
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特急列車の計画運休がありました。
それでも函館本線を走る上り下り1本ずつ撮影できました。
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留萌本線の気動車に乗りました。
深川 1110発。
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気になる駅がいくつかありました。昔は栄えただろうと推測できるところがありました。
製材所がありました。
留萌川が近くなり、留萌 1207着。
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つい4年前までは、留萌より先、増毛まで運転されていました。2016年(平成28年)12月5日、留萌駅 - 増毛駅間が廃止されました。
もう線路はここまでです。
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雨が止みました。でも気温は低い。
歩き始めました。
増毛まで線路があった時の鉄橋がありました。赤さびていました。
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線路跡です。
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留萌港。天塩地方随一の良港として栄えた留萌港です。石炭や木材、海産物等の輸送のために、留萌本線ができた歴史があります。
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石造り倉庫。日本通運の倉庫でした。
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赤い灯台ですかね?
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歩いて、黄金岬を目指しました。
日本海です。
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道路標識に従い歩いたら大廻りになってしまいました。汗。
道路標識は車のためのですものね。冷や汗。
海に出ました!
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やっと黄金岬。
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さあ、丘を登って、留萌駅まで戻ります。
増毛までつながっていた線路。草が線路を覆っていました。廃線跡ですね。
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石造り倉庫が途中にありました。
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使われなくなった鉄橋に、かもめが止まったり飛んだり。
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留萌 1330発深川 行きに間に合いました。汗びっしょりです。
鉄道乗車の時間の制約で、有名な留萌の海鮮丼を食べることはできませんでした。
留萌から乗ったのは4人。
気になった駅です。
大和田駅。車掌車両を使った駅舎。
たぶん乗降客はほとんどいないと推測。
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恵比島駅。木造駅舎。
昔、あしもい(明日萌)駅だったと思います。
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深川1429着。
留萌本線応援のポスター。ここも存続危機に直面していると推測します。
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函館本線、深川 1514発旭川 行き普通電車に乗りました。深川と旭川の間は、トンネルが多いです。昔、普通列車しか乗れない切符で、横浜から根室を目指した時、ここのトンネル群で事故があり、札幌で開通なるのを待った記憶が蘇りました。
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旭川で、宗谷本線の塩狩駅に停まる列車まで約1時間ありました。北海道を鉄道で移動しようとすると、乗り換えに時間がかかります。
計画と忍耐が必要です。
駅構内にあるセブンイレブンのコーヒーを飲んで、ほっと一息。
名寄行き普通列車が入線しました。
車内から行き先表示板を変える作業員の仕事に、若い女性たちが注目。写真を撮っていました。
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塩狩1727着。
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雨が強くなってきました。
塩狩ヒュッテまで早足。
その前に、長野正雄氏殉職の碑にお参り。
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やっと戻って来ました。
シャワーを浴びて、落ち着きました。
夕食は、合田さんが作ってくれる美味しい料理。野菜がたくさん。
かぼちゃコロッケと思います。美味しくいただきました。
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夜7時のNHKニュースで、東京での新規感染者数が60と知りました。
手洗い、うがいをする。アルコール消毒する。きちんとやっていくしかないです。
この先、他府県への移動が自粛にならないように祈ります。

〇2020/6/29  月曜日
おはようございます。
今日も曇り。霧が発生しています。

起きれたので、一番列車撮影。
旭川行 。女子高校生が列車に乗って行きました。
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06:44発塩狩JR宗谷本線・稚内行
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朝食をいただき、ゆったり。
テレビ番組で、新型コロナ新規感染者数の増加を報道していました。
岩手県はまだゼロ。発生しないように、東京からの帰省をやめておくなど、苦労をしているのを知りました。

帰宅します。ヒュッテ出発。
塩狩駅付近で水位計設置の工事が進んでいました。
塩狩駅舎の南側が分水嶺と思います。
駅舎南側のせせらぎは、石狩国(旭川方面)の方に流れています。石狩川になると勝手に思っています。
駅舎の北側のせせらぎは反対方向、天塩国の方(名寄方面)に流れています。天塩川になると想像します。
北海道地震の時、ここのせせらぎの水で、お風呂を作ってくれた塩狩ヒュッテのお客様がおられました。感謝しかなかったです。
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塩狩駅08:39発JR快速なよろ2号で、旭川へ。
2020/3/14ダイヤ改正で、塩狩駅に停車することになった快速列車に初乗車。記念日になりました。気動車キハ40。
合田さんが見送ってくれました。
感染症対策バッチリ。食事美味しくいただきました。
お世話になりました!
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永山駅で、下り特急列車宗谷の待ち合わせがありました。
いつか、特急列車に乗って稚内まで行ってみたいです。宗谷岬、利尻島、礼文島があります。
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旭川から東京行きは、一日二便です。
JAL 13:15発とAIRDO13:25発の一便ずつ。
 6/30訂正:AIRDOは、19:30発の一便がありました。一日三便です。
羽田からの飛行機が到着しました。
これに乗って帰ります。
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雨ばかりの4日間。
この時期の北海道にとっては珍しいのではと思っています。
でも、緑豊かな、静かな空気に包まれていました。

ディーゼルエンジンの音を鳴り響きさせながら通過していく気動車。
エンジンの出力を上げるゴオーという音、また、駅に停車するために減速するときの音。なかなか良いです。
窓を開けて、風に吹かれる。心地好いです。
国鉄時代から走っている気動車キハ40はもうそろそろ引退の時期と推測します。キハ40、大好きです。
新たに投入される気動車は、ハイブリッド車と思います。
時代は進みます。

北海道 塩狩、比布 2020/6/26-27

北海道 塩狩、蘭留、留萌

先月5月に桜を見に行く予定をした塩狩峠に、出かけました。
塩狩ヒュッテユースホステルに三泊。
ここを拠点に、宗谷本線、函館本線、留萌本線の列車に乗ったり、2021年3月に廃止される無人駅を訪ねました。
季節は、「夏」ですが、寒かったです。雨続きでした。
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○2020/6/26 金曜日
おはようございます。
横浜。梅雨空の曇り。蒸し暑いです。
マスクして出発。
3月下旬以来、久しぶりに、横浜駅に出るバス、電車に乗りました。
横浜駅から京急。
仲木戸駅が京急東神奈川駅、羽田空港国際線ターミナル駅が第三ターミナル駅に名称変更されていました。

羽田空港。まだ欠航便が多いです。
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出発階に行くところ、間違って到着階に行くエスカレーターに乗ってしまいました。
エスカレーターを降りたら、行列が見えました。
何だろうと見ていると、ユニクロのマスク購入の列でした。お店が開くのがあと5分後の9時ということなので、私も列に並びました。検温を受けました。購入は1枚。Lサイズを購入できました。 6/30追加:一袋を購入できました。3枚入りでした。
出発階。がらんとしていました。
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JALのラウンジは、人との距離を取ることで、座席は飛び飛びで用意されていました。新聞は置いてありませんでした。

東京(羽田)JAL 553 10:35発、旭川12:15着。
JALは、一日一便ですが、まだ、搭乗客は少なめでした。
旭川到着。曇り。涼しい。
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続いて、AIR DO機が飛んできました。
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12:40旭川空港発連絡バスで、旭川駅13:20着。

イオンで昼食を購入し、旭川駅ホームに。
キハ40。上川行き。
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昭和54年製造です。富士重工・宇都宮工場で製造されています。頑張っています。
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乗車する13:59発、JR宗谷本線・音威子府行 が入線しました。
この春、臨時急行はなたびに使用しようとしたキハ40紫水号です。
阿房列車 内田百聞集成Ⅰという本に、
「汽車が近づいて来るのを見る位うれしい事はない。」という文章があります。同じ感覚です。
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車内は木を多く使っていました。
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途中駅は、
旭川四条駅。
新旭川駅。
駅ではありませんが、運転所。
乗務員交代や運転所に戻る人をおろすために、停車することがあります。
ラッセル車の先頭が行儀良く並んでいました。
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永山駅。
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北永山駅。
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南比布駅。2021/3廃止予定。
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比布駅。
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北比布。2021/3廃止予定。
蘭留駅。
列車は、塩狩峠を、ディーゼルエンジン音を上げて、地下強く登っていきました。
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塩狩14:44着。
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雨。塩狩駅から歩いて2分以内の塩狩ヒュッテに向かいました。
三浦綾子記念館。
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花。
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チェックイン。
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ウイルス対策のため、二人部屋の個室泊り。
アルコール液。ハンドソープ。ペーパータオル。紙コップ。
いろいろな人が集う、わいわいがやがやのユースホステル。でも、コロナ対策が必須。
ヒュッテユースホステルの合田さんのご配慮が嬉しかったです。
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荷物を置いて、線路脇に出てみました。あいにく、雨が降り続いています。
北海道は、梅雨がないと言われています。しかし、天気予報では雨が続くとなっています。寒い。最高気温が20℃を超えない。米や他の農作物の成長が気になりました。

塩狩1527通過 上り快速なよろ8。
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塩狩1540通過  下り快速なよろ3。 
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1623通過 上り 特急サロベツ4号を雨の中、待ちましたが来ません。後で気付きました。コロナ禍影響による運休対象列車でした。
塩狩停車上り1709。
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塩狩駅待合室に寄ってみました。
合田さんが、網戸がついた、入れ替えた展示写真のこれは高校生作品と説明してくれました。写真、上手です!
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保育園園児の塗り絵が飾ってありました。春の臨時急行はなたびのお客様にお渡しする予定でしたとお聞きしました。
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塩狩停車中の下り1726発。
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塩狩停車上り1810。
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夕食。ジンギスカン鍋。
和寒町へのふるさと納税返礼品も、同じジンギスカンを頼みました。好きです。
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日の入りは、19時過ぎ。
シャワー浴びてさっぱり。肌寒い。
合田さんが、薪ストーブに火を入れてくれました。
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新型コロナ禍対応、旅の仕方、農業等、お話しできました。
塩狩駅維持を応援します!
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線路は続くよ、どこまでも。
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明日は、留萌行きを一日遅らせて、お誘いいただいた苺狩りに行きます!
おやすみなさい。


○2020/6/27 土曜日
日の出が4時前です。
眼が覚めました。
おはようございます。
列車撮影に出かけました。
下り稚内行き。0645発。
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上り旭川行き。0645発。
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駆け込む高校生。
間にあってよかったです。
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朝食をいただきました。
ご飯おかわりしてしまいました。
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合田さんに誘われて、比布町の苺狩りに連れて行ってもらいました。
合田さんご家族と一緒。
晴れれば、大雪山が見える圃場。
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西本農園。多くの人が来場されていました。
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代表取締役社長。
農家の後継者がいるって良いです。
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路地栽培。品種は、「けんたろう」、「ゆきララ」。
太陽のエネルギーをもらった、路地栽培苺を食べるの本当に久しぶりです。
美味しかったです。
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苺は人を笑顔にさせてくれますね。合田さんのご子息。
ご子息次男さんは、テレビ局の取材を受けました。テレビに出たかな。
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合田さんが撮影され、Facebookに掲載された写真を拝借させていただきます。
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農園のお母さんとお話ししました。
苺は病期が怖い。とおっしゃっていました。

一度、塩狩ヒュッテに戻り落ち着いてから、塩狩10:56発旭川行き快速に乗りました。
旗を持っている作業員は、塩狩駅付近のせせらぎ小川への水位計設置工事の監視員です。
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苺狩りに行った比布で下車。
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駅舎カフェで、珈琲とあんぱん。
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カフェから見えるプラットフォーム。列車を見ながら珈琲が飲めるって良かったです。
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改装した時、樹木希林さんがお祝いに来てくださったと紹介されていました。
ピップエレキバンの広告のつながりと想像しました。こういう応援、つながり、いいですね!
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一駅戻る形になります。
北比布駅まで、歩きました。途中、下り列車に出会いました。
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比布は、稲作も盛ん。水が豊富です。鷺の仲間と思います。田圃で羽を休めていました。餌のカエルなどが豊富と思います。
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北比布駅。一日4本しか止まらない過疎駅です。秘境駅ではないです、道が近くにありました。
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北比布12:17発旭川行き普通列車に間に合いました。
私の他に一人乗客がいました。珍しいと思いました。この人も鉄道好きな方だな。
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永山で降りました。
待合室で荷物を整理していると、永山駅長さんに偶然出会いました。
「今日は非番の日でしたが出て来ました。」とのこと。
私から、
「春来れなかった。
塩狩駅を利用している。
明日は留萌を訪ねる。」
と、お話しすると、「永山駅の前は留萌駅勤務だった。」とお話ししてくれました。
永山での昼食お勧めをお聞きし、何軒か紹介いただきました。
ありがとうございます。
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永山は屯田兵の街。
前回、この交差点から向こうの駅(写真中央、小さい)まで200m以上、明治時代は行列をなして旭川行き列車に人が乗ったと聞きました。
鉄道が唯一の移動手段だったと思います。
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「よしの」という味噌ラーメンが美味しいお店に行きました。行列ができていました。
並んでから30分経って食べることができました。
濃い味噌でした。美味しかったです。
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お家の前庭に黄色の花が咲いていました。
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永山駅に戻ってくると、下り特急サロベツ1号が行き違い停車していました。
出発して行きました。
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音威子府行き普通列車に乗ろうと改札口を抜けると、駅事務室からお出でになったと思います永山駅長が声をかけてくれました。
「明日、留萌に行かれるとお聞きし資料を用意しました。」
永山駅の封筒に、留萌の街案内、昼食処の資料が入っていました。
ありがとうございます!
列車に乗り込みました。
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蘭留で下車。
北に位置する蘭留跨線橋まで歩き、待つこと40分近く。
塩狩峠を下ってきた快速なよろ8号です。
1両編成でした。
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蘭留で行き違い交換の下り快速なよろ3号が蘭留駅を出発しました。
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ディーゼルエンジンの音をあげて、
塩狩峠を登って行きました。
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撮影終了しました。

雨が少し強く降ってきました。
近くのバス停、北11線で一日7便の普通バス名寄行きを40分ぐらい待ちました。
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やっと来ました。バスには、お客様は誰もいませんでした。
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塩狩で下車。
和寒方面から、雨の中、自転車旅をしている人達がおられました。
挨拶すると、私より年配の方がたと思われました。雨なので、塩狩ヒュッテに今日午前に宿泊予約を入れたとお話しされました。雨のあたらないシートの下を自転車置き場所にされたらと案内しました。あとで聞きました。皆さん3人で、合計200歳以上ということでした。お元気!
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熱いシャワーがうれしい!
さっぱりしました。
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二日間の衣類を洗濯機に入れて、スイッチオン。
部屋から、列車撮影しました。
線路脇に塩狩ヒュッテがあります。

夕食をいただいた後、駅に行ってみました。
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夜汽車と塩狩駅。
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夜汽車と塩狩ヒュッテ。
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明日は、留萌行き。
雨だと思いますが、がんばります。
おやすみなさい。

千葉県の鉄道 2020/6/20

世界中でコロナ禍が流行し、感染治療、感染予防に多くの方々が尽力、努力をなされてきました。
ありがとうございます。
私は、3月下旬から在宅勤務。家にいました。
日本では、まだまだ終息までいきませんが、落ち着いてきたことから、昨日2020/6/19金曜日より、他県の移動がOKとなりました。
約三か月ぶりに、小さな旅をしました。
千葉県の鉄道を訪ねました。
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○2020/6/20 土曜日
04:30。おはようございます。
明日が夏至ということで、すでに明るいです。
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車で出かけました。
最近、家の近くの港北インターから、首都高速横羽線、湾岸線につながりました。
初めて通ってみました。
そして、この歳になって初めて東京湾アクアラインを通りました。
記念なので、海ほたるに寄ってみました。
早朝にもかかわらず、駐車場は半分くらい止まっていました。
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東京湾を行く貨物船。
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羽田空港に着陸するANA機。まだ、午前5時30分過ぎ。飛行機の回送ってあるんですかね。
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木更津金田ICを通過し、東京湾対岸である千葉県・木更津に初上陸!しました。
徳川四天王のひとり、幼い頃から徳川家康に仕えた本多忠勝を初代城主とする大多喜城に、最初向かいました。
関ヶ原において西軍が敗戦した際、それに与した真田昌幸・真田信繁(幸村)親子の助命を娘婿の真田信之と共に嘆願したことは有名。
大河ドラマでもこのシーンがあったと思います。
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道路に大手門。びっくり。
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隣に、旧国鉄の特定地方交通線の一つだった木原線を引き継いだ、いすみ鉄道の大多喜駅に出会いました。
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一両の気動車が止まっていました。
テールランプがついているので、大多喜始発0703の大原行きと思いました。
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運転士が出発前の点検をしていました。
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車庫に、二両の気動車。一両は、旧国鉄時代のキハ52でした。
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道を間違えて、高校の敷地に入ってしまいました。千葉県立大多喜高校。
ここに、城の大井戸がありました。
直径3mはある大きな井戸。当時は、16本のつるべで水を汲んでいたと書かれていました。
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見上げると、城がありました。
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城の反対側にあった、町の駐車場に駐車。
大多喜城祉。坂を登っていきました。
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ここにも、水関係の遺構。明治二年の工事。
掘ったんですね、この細い水道。水道の奥に明るいのが見えました。貫通していました。
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紫陽花が綺麗。
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空堀。急斜面にしてあります。登ってきた敵方は落ちると、下は石や樹なので大けがをする。空堀の方が水掘より危険だったと書かれていました。
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天守閣。三層。現在は、県立中央博物館大多喜城分館です。
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間違えて入ってしまった高校は、天守閣の下。それも平たい。武士たちの住居があったのかな、と想像しました。
二の丸は、反対側にありました。

降りてきて、ある程度大きな川がありました。養老渓谷につながっている川と思っていたら、向こうの川は養老川。
この夷隅川は、太平洋に注いでいました。
江戸時代、この川では、民が魚を取ることを禁止。江戸城参勤交代の折、桧の桶にこの川の鯉を入れて、持参したそうです。
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反対方向、川の向こうに鉄橋が見えました。
いすみ鉄道の鉄橋です。
大多喜発0727の上総中野行きが一両で鉄橋を渡っていきました。
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小湊鉄道の月崎(つきざき)駅に行ってみました。
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養老川流域田淵の地磁気逆転地層(千葉セクション)の最寄駅です。
鉄道好きではなさそうな、装備完備の人がいました。
結構歩くこと、長靴が必要のようなので、行くことはしませんでした。
この駅舎は、国登録有形文化財です。
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月崎駅08:06発上総中野行き列車、撮影。
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飯給(いたぶ)駅。トタン小屋の待合室。
小湊鉄道の説明:日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国の蝦夷を鎮圧するため同地を通ったとき、住民から飯を献上されたところから名付けられたと伝えられています。
桜の季節は
綺麗と思いました。
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世界一大きい?トイレがありました。女性用。
当然入れません。
キャンピングカーで来ていたお父さんが説明してくれました。娘さんが入る時、中を見たようで、中にポツンとトイレが置かれているとのことでした。
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里見駅付近で、野を行く感じの里見駅08:58発五井行きを撮影しました。
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レールは細い。どこかカクッと曲がって見えませんか?
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東に移動して、JR久留里線の久留里駅に到着。
北に向かうと木更津に出ます。
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一両、新型の気動車が止まっていました。
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隣の敷地に、水汲み場がありました。久留里の名水。
地元の方々が、ものすごい数のペットボトルや水タンクを持ってきて水を汲んでいました。
冷たい。
呑んでみると、少し匂いがある。富士山系とか谷川岳系の水とは違う。
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久留里駅10:03着の下り列車。
二本のレールの間は、草で覆われていました。
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久留里駅10:06発の上り列車。乗客はわずかでした。
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今日は、無理をせず、これで終了にします。
JA直売所に寄って、野菜を購入して、帰宅しました。

日本の地方の鉄道、存続してほしいです。
次回は、乗りにきます。

甘楽、水上 2020/03/20-21

群馬県甘楽郡甘楽町、利根郡みなかみ町を訪ねました。
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〇2020/3/20金曜日
久しぶりに、小さな旅をします。
今日は、群馬県を訪ねます。
上越線で、蒸気機関車SLも走ります。

朝5時。
水にさしている葡萄の枝の様子をみて、出発。
葡萄は芽が出て、葉が開き始めています。

軽井沢に向かう碓氷峠の手前、富岡で高速道路を降りて、甘楽へ。
道の駅に、車を停めました。

この町は、織田信長の次男・信雄(のぶかつ)が、徳川家康から、大阪夏の陣の後で5万石を与えられたうちの2万石が小幡藩になったところです。
今日まで、全く知らずにいました。JR東日本の大人の休日俱楽部の雑誌を見て、行くことに決めました。
(説明文)小幡は元和元年(1615年)に織田氏の所領となり、以来約150年にわたって治められました。
写真は、町の地図。右が北。下が東。です。
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道の駅から、東に坂道を上り、昔からある道にでました。
小幡の信号機のところを左に曲がり、北に歩きました。
当時、このあたりは、町人区画。
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雄川堰(おがわせき)です。
道路の脇を流れています。きれいな水です。道の駅付近を流れている雄川の水を、町に引き込んでいます。
(説明文)甘楽町を南北に流れる雄川堰は、古くから住民の生活・農業用水、精米などの多目的に利用されてきた用水路で、日本名水100選にも選ばれています。
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桜の開花標本木がありました。
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織田家の守護神である小幡八幡宮を参拝。
小さな神社です。
(説明文)3代目信昌の時代に創建された神社で、例大祭には、屋台や神楽が町内を練り歩きます。
この屋台、京都や飛騨高山のような華麗さはありませんが、素朴な味わいがあると評判です。
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養蚕農家群の町並みです。
明治時代、創業した富岡製糸場も近いです。養蚕が盛んだったと思います。結構、豪邸です。
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引き返して、南に歩きました。
中間地点に、大手門の礎石。
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ここから、南側は武家区画。
右手に、甘楽町歴史民俗資料館のところに、「かかあ天下」の碑がありました。
意味は、「夫を従える強い妻」ではなく、妻が朝から晩までよく働くので、夫が『かかあ天下一』とほめたのが由来だそうです。
納得しました!
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左に折れて、畑の中を流れる雄川堰(おがわせき)に行ってみました。
ここから、南に歩いていきました。堰の水を汲む石段に対し、渡るのは一枚の板の小橋。絵になります。
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三番口取水口。写真では、右横に流れていくところが取水口。
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水は大事です。「水をかえないこと」の標識。「流れを変えないこと」の意味です。
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畑は、春。
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二番口取水口。
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一番口取水口。
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雄川堰(おがわせき)が幹とすると、水が枝のように横に分かれて、町の各区に流れて行ってました。
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飲んではいないと思いますが、奥さんがバケツで水を汲んでいる光景をみかけました。
この先に、大口といって、雄川から雄川堰に引き込むところがあります。遠いので、後で、車で行ってみます。
戻りました。

中小路。
藩主が通った道。道幅が14mと広い。織田宗家の格を表すようです。
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高橋家。
江戸時代の武家屋敷。
勘定奉行を務めた家。
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勤めの心構えを形に表した池:心字池の庭園。樹。がありました。
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現在も子孫の方がおられ、敷地内で事業を営んでいました。
高橋家のムクロジと御殿桜。
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織田家が7代続いたあとは松平家。
その大奥。
(説明文)大奥といっても2万石の小幡では、奥方と何人かの腰元だけでした。庭園は江戸後期に造られ、静の庭(流れのない池)と言われる大奥にふさわしい落ち着いた感じの庭園です。
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旧陣屋の石垣。当時のもののようです。
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その石垣の角が、「喰い違い郭(くるわ)」。
クランクです。二人がすれ違い出来るぐらいの大きさ。お城にあるような大きいものではありません。
(説明文)旧陣屋の中小路に面して造られた。戦の時の防衛上のために造られたとか。また、下級武士が上級武士に出会うのを避けるため隠れたともいわれています。
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道なりに進むと、大名庭園 名勝 楽山園にたどり着きました。
(説明文)織田信長の次男信雄がここに城下町を築く際に造られた庭園です。7年と数万両を投じて造られたという池泉回遊式の庭園は、当時の格調の高さが偲ばれます。
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九間長屋の復元があり、当時の長屋の感じを味わうことができました。
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ここに、織田信雄が、「羽柴秀吉には注意しなさい。」と書いた手紙がありました。
徳川・織田信雄は、羽柴秀吉と小牧・長久手の戦いをしています。
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雄川に出ました。
来てみてわかりました。雄川のほうが、町よりずっと低いのです。従い、町の付近では、町に雄川の水を引き込むことはできません。
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川沿いを道の駅まで歩きました。
桜。
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道の駅に戻り、休憩。下仁田ネギを購入しました。

道の駅に、江戸時代、山形で名主を務めた松井家を移築復元したものがありました。
(説明文)建築年代は江戸中期(18~19世紀初頭)とされ、この地方の代表的な農家造りの住宅として当時の生活の様子がうかがえます。
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車で、町の周辺に行ってみました。
松浦氏屋敷。小幡藩武家屋敷。池には、水が引き込まれていました。
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長厳寺(ちょうごんじ)。毘沙門を祭っている。
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崇福寺。
織田信長の系譜 織田宗家七代(初代信雄から七代信富まで)の墓がある寺です。
位牌堂。
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墓は、一列に並んでいました。修復中。
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最後、大口に行ってみました。
このあたりは、雄川は、まだ土地より低いのですが、樋のような構造物をつくり、雄川の水を引き込んでいました。ここが雄川堰の出発点。
写真では、下のほう、横に石造りのところ。上が雄川。
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これで小幡藩の甘楽の町歩きは終了。
歴史を感じ取りました。

沼田に移動。苺「やよいひめ」を購入。
後閑駅裏の山の中にある、みなかみ町営「三峰の湯」に行きました。
工事現場のような建物。これがいいんですね。源泉も少し熱め。内湯と露天風呂はガラス窓一枚の隔たりのみ。冬の林の景色を見ての入浴は気持ちよかったです。
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上越線の電車を撮影しました。
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蒸気機関車SLを撮影します。
小さな神社の前で待っている間に、マメ柴犬を連れたご年配にお会いしました。
親戚のお家の飼い犬に連れられて散歩していると。いいですね。
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この春、最初のSLです。機関車は、C61。
汽笛がグッときました。
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今晩の宿は、谷川岳ラズベリー ユースホステル。
ここより南は晴れ。北は曇りか雪。
谷川岳は凍っていますね。
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久しぶりの谷川岳が見える水上。記念撮影してもらいました。
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夕食。
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お風呂は、「湯テルメ」で温泉。
露天風呂にはいりながら、夜空を眺めるのって、良い気分でした。
戻って、お茶会。大人のお茶会。
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宿泊客のみなさまと談笑。
眠くなってきました。
おやすみなさい。

3/21土曜日の朝。おはようございます。
谷川岳が綺麗。
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ラズベリー ユースホステル。お世話になりました。朝食をいただいて、まっすぐ帰宅しました。
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塩狩 2020/2/27-29

塩狩 (北海道上川郡和寒町字塩狩)を訪ねました。
2/28金の「しおかりキャンドルナイト」に参加しました。
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○2020/2/27 木曜日
おはようございます。
旭川の北、塩狩を訪ねます。
午前6時。外が明るくなってきました。
家のゴミ出しをして出発。
横浜から京急で羽田空港に向かいました。空港直通の特急。
京急蒲田駅で進行方向が変わります。
運賃が少し安くなりました。
娘と待ち合わせです。
時間があるので、改札を出た先のたまごかけごはんの食堂で、たまごかけごはんを初めて食べました。
ごはん2杯。たまご2個。
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羽田空港。富士山が見えました。
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東京(羽田)10:30、旭川12:15行き、赤い翼に搭乗。
前に離陸する飛行機です。どこのだろう?
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東京の街。
昼間見ても大都会です。
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旭川空港到着。
気温は、マイナス8℃。
陽射しがあるのがありがたいです。
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旭川駅。お雛様すぐですね。
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旭川駅13:59発の音威子府行きに、昼食を買って乗車。
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塩狩駅に到着。
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塩狩ヒュッテユースホステルに荷物を置いてすぐ外へ。
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15:05、下りラッセル車が峠を登ってきました。
駅に入るとき、ほとんどない雪をかき分けてくれました。
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塩狩駅2番線に停車。
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参考:ラッセル下り
旭川14:10頃発→比布14:45頃発→塩狩15:10頃着/15:45頃発→和寒16:05頃着/16:20頃発→名寄17:30頃着→南稚内5:20頃着

1525 上り旭川行き快速列車なよろ8。塩狩駅通過。
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下り名寄行き快速列車なよろ3。塩狩駅通過。
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15:45、ラッセル車が塩狩駅を出ていきました。
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上り特急列車。もちろん塩狩駅通過。
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お風呂に入りました。
再度、外へ。
もう、マイナス10℃以下。
奈々子のために、キャンドルナイト用の氷ランタンに、キャンドル灯りをつけてくれました。点灯は、合田さんの息子さん、しん君。
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薪ストーブが嬉しい。
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夕食。
ご飯が美味しい。
合田さんが作った料理、美味しい。写真に加え、越冬キャベツのスープ。
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愛媛県北宇和郡の赤松さんに頼んだ苺(3月から資生堂パーラーで使われます。)が届いていました。あまおとめ、レッドパール。あかまつ農園は、レッドパールの栽培では一番歴史があります。
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しん君と、和寒町から大阪まで、鉄道で行くスケジュールを検討しました。
ウクレレを弾いてくれました。
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明日の和寒町の最低気温は、マイナス21℃か。
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おやすみなさい。

○2020/2/28 金曜日
おはようございます。
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気温は、マイナス13℃。
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駅待合室のガラスには、雪の結晶。
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東六線駅に行ってきます。
06:44[dep]塩狩
JR宗谷本線・稚内行 に乗車。
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06:58着、東六線駅。
高校生が2人、短いホームに立っていました。
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一日4本しか列車が止まらない駅です。
廃止候補に挙げられている駅です。ホームは、一両の半部の長さしかありません。
二両目の車両は、踏切の上です。
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木の枝は、凍り付いていました。
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07:11発、東六線、旭川行 で塩狩に戻りました。
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07:34塩狩。列車から見た塩狩ヒュッテユースホステル。
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ヒュッテの温かい朝食。美味しいです。
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上り0838に出ていく旭川行きの列車を撮影。
現在は、行き違いのために、ドアが開かない運転停車。
なんと3/14ダイヤ改正から、ドアが開きます。和寒町の熱意がかないました。
(時刻表3月号を買わなきゃ。)
朝食を食べて、歯磨き、トイレ。
それでも余裕を持って出発できます。
便利になります。
今は、旭川に出るには、07:35発に乗ります。その次は、10:56発まで待ちます。
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0839発下り。
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0922通過 下り特急列車の宗谷を撮影。
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塩狩10:56発旭川行きに乗りました。
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永山駅で降りました。
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永山駅長さんを訪ねました。
ホームで、ホームの雪かき、屋根の凍った雪落としをされていた方が駅長さんでした。作業服を着て、自ら作業。すばらしいです。
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3/14ダイヤ改正のお話をしたり、春の臨時急行列車の案内をいただきました。
急行は、今、定期では存在しません。急行の響きが懐かしいです。
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待合室には、幼稚園児の絵。
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明治時代のお話をしました。開業110年になります。
「北海道開拓村で、当時の駅前旅館の玄関の出口の上に時刻表が貼ってあり、それが永山駅だとわかった。」とお話すると、
駅長さんも、「昔、交通手段が鉄道しかない時代、駅前のまっすぐの道を指して、向こう200mまで列車に乗る人並んだということを教えてもらいました。」とお話してくれました。
永山は、屯田兵が開拓した場所です。
永山12:00発の列車で旭川に向かいました。
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永山駅長さん、駅長服で見送ってくれました。


旭川駅に、新型車両が試運転表示で止まっていました。写真右側。
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旭川で昼食。
イオンモールは、高校生で混雑していました。

羽田に戻る娘(お疲れさまでした。)と別れて、旭川13:59発の列車に乗りました。
比布14:26着。
比布駅北の一つ目の踏み切りと二つ目の踏み切りの間まで歩き、10分後に通過するだろう下りラッセル車を写真撮影しました。比布14:45頃通過と予想。
14:50に来ました。
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比布町役場前のバス停まで駆け足しました。比布14:55なのであと5分。
停留所の位置を探しながら必死。
14:56に到着。バスはまだ来ていない。
一本道の遠く向こうから、名寄行きバスがやって来ました。乗れました。
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今度は、峠を越して下りになっても、表示は蘭留。
おかしいと思っていると、塩狩バス停直前で、塩狩の案内。降りることができました。
塩狩ヒュッテまで、凍った国道を歩きました。
駅に、先ほど撮影したラッセル車が止まっていました。
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今日、2/28は、しおかりキャンドルナイト。
明治時代の鉄道事故で殉職された長野信夫(三浦綾子著小説「塩狩峠」では、永野信夫)さんのご冥福をお祈りします。
キャンドルを灯す氷ランタンを運ぶ、並べるお手伝いをしました。
キャンドルに点灯。
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和寒町役場から2人来られて、手伝いされていました。
準備終わったあと、お茶を入れて、お話しました。
和寒町の名産。かぼちゃ、トマト、キャベツ。雪の中で保存された越冬キャベツは甘い。
金八先生に出演された俳優さんも寄られました。
ご年配の方から、「昔、兄が国鉄に勤務し、手で車両の連結をつないでいく業務を担当していた。事故の時に連結が外れたときと同じ連結。事故が痛々しい。」というお話をお聞きすることができました。
牧師さんが来られて、お祈りが行われました。
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寒い!
月が綺麗。
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お風呂に入り温まりました。
夕食は、ジンギスカン。ジンギスカン鍋をともにした、紋別の方に、「今度、泊りにきなさい。シーツ持ってきてくれれば500円でいいよ。」と誘われました。オホーツク海、魅力大です。
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19時のNHKニュースで、北海道緊急事態宣言を知りました。
学校は休校。外出は控える。
明日、静かに横浜に戻ります。

何本かの通過した列車の運転手が汽笛を鳴らして通過していったとお聞きしました。
寒くて外に出れませんでした。

○2020/2/29 土曜日
まだ、5時前。
おはようございます。
上りラッセル車を撮影できます。
05:04通過していきました。
部屋から撮影しました。
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参考:上りラッセル車
南稚内8:00頃発→音威子府12:20頃発→名寄13:40頃着/4:30頃発→旭川6:30頃着

テレビを見ると、05:50の和寒町の気温はマイナス23℃。。
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06:20、駅に向かいました。
気温は、マイナス17.5℃。
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待合室に飾ってある写真を撮影。
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06:44発旭川行は、向こうのホームからです。駅内踏切を渡ってホームに。
後ろの桜は、氷結していました。
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列車が来ました。
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運転所で、運転士交代で、運転停車しました。駅でないところで停車するの珍しいです。
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石狩川も凍っていました。
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旭川駅は、朝早い、土曜日ということもあって、閑散していました。
旭川空港。折り返し便、赤い翼が到着しました。
北海道は、冬の季節、風が強いと、飛行機が降りられないことがあります。
その中で旭川空港は最も着陸率が良いです。
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今日は、乗客数はものすごく少ない。
北海道緊急事態宣言の影響かもしれません。

雪景色の大雪山。
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離陸。北海道の大地は広い。
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北海道を離れました。
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北海道、がんばろう!

北海道含めて、新型コロナウイルス対策が進むことを願って帰宅しました。
2020は、静かな激動の年です。
その時、その場で、的確な判断していきたいです。






皇居一般参観

東京駅から、皇居に向かって歩きました。
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正門石橋。
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正門。
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坂下門。
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桔梗門のところにたどり着きました。
案内の方が、外国人に「こちらの列に並ぶよう。」にと英語で説明しているので、お聞きすると、「皇居の中を歩く参観です。」と日本語でお答えくださいました。
「日本人もOKですか?」と問いに、「もちろんです。」。
列に並びました。
すぐに、ナンバーがついたストラップを渡され、桔梗門から中に入りました。

集合場所手前で、荷物検査があり、中に入ると大勢の人がいました。
団体客と思われる方々がいました。バスで来ている。事前にどこかの会社が予約をしている。というのが、話す内容でわかりました。
宮内庁のガイドは、英語、中国語、フランス語、日本語の4人の方がおられました。
日本語のガイドの方に、ついて回りました。

皇居は元江戸城。徳川幕府が各大名に築城を分担させました。
石垣に、薩摩島津家の家紋。丸十字。
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ここはどこの大名かな。
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富士見櫓。江戸城で残っているものとしては最も古いと説明がありました。三重櫓。
石垣の高さ15m。櫓の高さは16m。ここから殿様は富士を見ていた、と。
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宮内庁庁舎。
三階建て。
終戦後、三階は仮宮殿として使用しましたと説明がありました。
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宮殿東庭。
新年一般参賀のとき、日の丸を振って、お祝いする場所です。
2万人並ぶことができるそうです。
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宮殿。
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新年一般参賀のとき、天皇陛下、皇后陛下がお立ちになるところです。
地面からの高さは、3mぐらい。結構、目線は低いです。
一般参賀のとき、最前列に並ぶと、皇族の方々が目の前です。
テレビで見ていると、もっと高い位置に天皇陛下はお立ちになっていると思いました。現場に行くと事実がわかります。
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どこかで見た玄関。トランプ大統領を、天皇陛下、皇后陛下がお迎えした玄関でした。
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灯籠は有田焼。
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庭の山は、20種類以上の樹々で構成されていて、常に緑色になるようにしてあると説明がありました。
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英語グループです。
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正門鉄橋。二重橋です。
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ここを渡っていくと、外から見える正門、正門石橋が見えました。
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伏見櫓。京都・伏見城から移築されたと聞きました。
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山下通り。
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桜。
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椿。
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多くの鳥がいました。烏もいました。
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偶然でした。良い機会をいただきました。
お濠を見ながら、東京駅に向かいました。
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桂離宮 京都

桂離宮
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高校生時代から行きたいと思っていた桂離宮を見学できる機会を得ました。

見学をWEBから事前申し込んだところ、許可の返信がありました。
少し早く行きましたら、当日分空きがあり、早い時間帯の見学をさせていただきました。
一回に、見学者は20名までです。

入場まで時間があります。
前庭。見事な松の庭です。
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桂川を渡る阪急電車を撮影しました。
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桂離宮は、宮家の別荘として創建されたものです。
徳川幕府が開かれた時代とほぼ同じ時代(西暦1615年)に造営がおこなわれています。
日本を代表する茶室、庭園を今でもそのまま保全されていると聞いています。
世界の建築家からも非常に高い評価を得ています。
楽しみです。

宮内庁のガイドの方に従って見学をします。

離宮に入る引き戸。現代の、現実の世界と優美な世界を分ける扉です。
ここから中にはいりました。
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池が見えました。
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苔の緑の中に樹々が植わっています。
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写真の奥の門が表門です。天皇や上皇をお迎えする門です。
こちらに向かって御幸門まで50mの道でした。
中に入るにつれて広くなっている。遠近法。
表門をくぐった瞬間、視界が開けている、早く庭を見たい、という感覚になると説明がありました。
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御幸門。
茅葺のシンプルな門。ここから繊細で優美な世界です。
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御幸道。石を土に埋め込んでいるだけ。でも歩きやすい。
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造園業の方が、石を一つずつはめ込む道の端を修理されていました。写真を撮らさせていただきました。
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御幸道では、まだ池が見えないように樹を植えてある、お客様の期待を膨らませるためと説明がありました。
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外腰掛け。
御幸道の中ほどから左に曲がったところにある最初の建物です。
到着されたお客様が使うトイレがついています。
いつの世も、トイレは大事です。こういう配慮、配置、素晴らしいです。
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手水鉢が置かれていました。
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ここに座ってみると、御幸道から曲がって短い距離ですが、奥に行くにつれ大きな敷石が置かれていることに気づきました。
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腰掛の前は、薩摩島津家から贈られた蘇鉄。島津家から宮家に嫁いでおられる縁です。冬なので、寒さ除け。
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小さな石三つ。水はけの仕掛けだそうです。
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灯籠。
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松琴亭(しょうきんてい)が見えてきました。
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州浜。
岬と灯台に見立てていると説明がありました。
橋は天の橋立を見立てていると説明がありました。
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京の庭で、海を表現。
構想力が大事と思いました。
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一枚の石の橋。昔の皇族の方々も渡った橋。ここを渡りました。
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松琴亭(しょうきんてい)。
桂離宮で最も格式の高い茶室。
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市松模様の最初。現代に通じる模様です。インタビューのバックは、この模様が使われているのが多くなりましたね。
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竈。茶のあとに、食事をだされた。配慮ですね。
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これは、下が囲炉裏。上に食事を置いて冷めないようにした、と説明がありました。
もてなす人の暖をとる火鉢でもあったと思われます。
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眺め。
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賞花亭。
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歩くと椿。
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園林堂(おんりんどう)。
持仏堂です。以前は、位牌などが安置されていたそうです。
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土橋を渡ります。
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笑意軒。
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桂離宮の中を歩いたり、舟に乗ったりして移動していたことが想像できました。舟着き場からは石の階段がありました。
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庭の眺め。
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庭園の反対側は、農の風景。
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山の花。
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新御殿、楽器の間、中書院、古書院。
高床式。
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古書院の前に突き出した月見台。
桂は、月見で有名な地。
ここで、池に映る月も眺めたと説明がありました。
(宮内庁の方はここで実際に見られ確かめておられると推測しました。)
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月波楼(げっぱろう)。
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御幸道に戻ってきました。橋は、敢えてまっすぐにしていない、と説明がありました。
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最初に中に入ってきた木戸です。見学終了。素敵なものを見せていただきました。
ありがとうございました。
洗練された心づかいが表にでないで造られていた素敵な離宮でした。
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奥会津 只見線 2020/1/11土曜日

○2020/1/11 土曜日
夜、雨が降りました。
おはようございます。
よく眠りました。
日の出06;54、日の入り16:37です。

第一橋梁へ、下り 0723 上り0739の列車を撮影に出かけました。
山の中腹まで登ります。疲れました。
霧でなにも見えませんでした。
この霧の中を汽笛を鳴らして列車は通過していきました。
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宿に戻って朝食をいただきました。
宿の近く、会津宮下駅の近く、三島神社を訪ねました。
参道は、踏切のない只見線の線路を渡ります。
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落ち着く神社でした。
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帰り道、地元のお年寄りから声をかけられました。横浜ナンバーの車だよね。と。昨日から私の存在が分かっていたようです。
会津宮下の子供たちは、関東では横浜に住んでいるところから話しが始まり、
人口が宮下ダム建設時の7500人が今は1500人、
雪がないので猪が増えている、
原発事故で会津の山は荒れ、今年は雪がない、春は水不足になる、農作物の生育が心配、
今日昼に手打ちそばが観光交流館からんころんで食べられる、若いものが蕎麦を打つ、
屋根先の看板は屋号、姓より屋号でお互い呼んでた。
30分ぐらい話しました。
ありがとうございました。

屋号。
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道の駅 尾瀬街道みしま宿の下に位置する歳時記橋で、第二橋梁を通る列車を撮影しました。
会津宮下駅下り 0905の列車。
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上り0917の列車。
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なかなか良いです。

【温泉】早戸温泉 つるの湯に向かいました。
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只見川はゆったり流れていました。緑色。
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ここの湯は飲めます。
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湯量豊富な温泉。
温まりました。

当初予定の撮影地である奥会津シンフォニーロード エンド めがね橋、
かねやまふれあい広場を確認し、会津宮下に戻りました。
いろいろな場所で、只見線撮影の人がいました。
これが宮下ダムです。
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只見川に面した集落です。
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観光交流館からんころんに行きました。
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入った瞬間、横浜の方ですよね。と言われました。
朝、お話したお年寄りが午前中コーヒーを飲みに来て、私のことを言って帰えていったとのことでした。
このお年寄りは、地元の中心、長老でした。
今朝打った手打ちそば、美味しい!豆腐も。
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今日は、出汁を取った鰹節を佃煮にしてお土産として渡す日だそうで、私もいただきました。ありがとうございました。

会津宮下の三島神社境内から、上り列車を撮影しました。会津宮下駅上り1242。
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第一橋梁、再トライです。
車を置いた道の駅では、第一橋梁方面をバックに記念撮影をされていたカップルがいました。
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会津宮下駅下り 1431 を撮影します。
台湾の人達かな、外国人に人気です。
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晴れ。列車は第一橋梁にさしかかると速度を落とし、汽笛を鳴らしていました。
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西方の集落を通過し、第二橋梁を渡っていきました。
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【温泉】老人ホーム ひだまり館で、温泉に入りました。
半透明の黄土色。
なにも加熱していない生の温泉。熱い。ひ孫がいる地元のおじいさんが、水を入れていいよ。と言ってくれました。
湯船の中で、気候変動、生活、資本主義、政治のことを話してくれました。
先は短いとおっしゃるが、おじいさんはひ孫の代になったらどうなるか先を見ておられました。ありがとうございました。
政治家とか官僚とかの政策を考える方々に聞いてもらいたかったです。

アーチ橋兄(橋)弟で、会津宮下駅上り1554 を撮影しました。
日本でここだけらしいです。アーチ橋が3つ一緒に見れるところは。
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多くの人が集まっていました。大型ワゴンで訪れた人たちでした。

観光交流館からんころんで、甘酒をいただきました。200円で飲ませていただきました。
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宿泊は、奥会津のんびり館で連泊です。
雨が降ってきました。

○2020/1/12日曜日
おはようございます。
昨夜も雨が降りました。
今朝も霧が発生しています。

第二橋梁に向かい、朝の撮影をしました。
会津西方駅。下り0725列車。
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第二橋梁を渡る、会津西方上り0737列車。
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宿に戻りました。
宿の前の家は、三島町移住体験住宅でした。
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朝食のとき、宿のお母さんが、移住者がでてきていますよ。とお話をしてくれました。
また、高校生のときは、只見線の列車で会津坂下まで通学していた。霧が出ると運休の時があり、学校は欠席扱いならず休めました。と、只見線のお話を聞かせてくれました。

帰宅。途中、列車に出会いました。
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会津磐梯山を見ることができました。
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只見線完全復旧後は、各市町村が運営費を負担しながら、列車の運行を支えるとのことです。
地元の方々の熱意が、鉄道を支えています。

奥会津 只見線 2020/1/10 金曜日

奥会津 只見線

冬の奥会津を訪ねました。
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私は、JR東日本・只見線の応援団メンバー(福島県生活交通課)になっています。
只見線は、福島県会津若松から新潟県・小出を結んでいます。
現在、会津川口と只見の間が線路が、台風の被害で途切れています。代行バスが走っています。
その只見線を見に行ってきました。
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○2020/1/10  金曜日
03:00起床。
湯を持って、03:30出発しました。
圏央道、東北道のルートです。
圏央道が事故渋滞。トレーラー2台の追突事故。
1時間ほどロスしました。

途中道なので、白河に寄ってみました。白河小峰城跡に到着。
戊辰戦争 白河口の戦い。
激戦が何度か行われ、少数の官軍が勝って地域を確保したところです。
(説明)
白河口の戦い(しらかわぐちのたたかい)は、戊辰戦争における戦いの1つ。戊辰戦争の戦局に大きな影響を与えた。
仙台藩・米沢藩などを主力とした列藩同盟軍は、会津藩・庄内藩と提携し新政府と敵対する軍事同盟成立に際して白河城を攻撃し、新政府軍から白河城を奪い取った。
ここに戊辰戦争の東北地域での戦闘(東北戦争)が勃発した。
しかし新政府軍は約700名程度で、列藩同盟側約2500名の駐屯していた白河城を奪還した。
同盟軍は白河を経由した関東への進軍を意図して約4500名まで増援を行い、7回にわたって攻撃したが、新政府軍は劣勢な兵数で白河城を守りきった。
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脇本陣柳屋。
旧奥州街道。宿場町でもありました。明治天皇が来られたことが残っていました。
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カギ型の道。城下町の道がそのまま現代の道として使われています。
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白河から大内宿に出ました。
途中から、雪の道となりましたが、量は少ない。山も雪が少ない。
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大内宿周辺も雪が少なかったです。
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昔、冬になると通行止めになった道が、今年は通れると聞きました。
ダム湖。
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会津盆地を通って、柳津町に入ってきました。
道路に雪がありませんでした。
びっくりしました。
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柳津は、縄文時代の村があったと展示館で見ることができました。
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会津柳津駅。昔、ここも蒸気機関車が走っていました。
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昼食は、高遠そば。写真の真ん中下の白い、辛み大根おろしに付けて食べます。醤油とか鰹節とかの出汁はありません。水そばの文化がある地域です。美味しくいただきました。
漬物の大根も美味しい。
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小池菓子舗に行きました。
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デザートは、粟(あわ)まんじゅうと栗(くり)まんじゅう。そして、大根の漬物。
蒸かしたてのまんじゅう。良いです。
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会津柳津駅から会津川口寄り。
線路脇の小さな稲荷神社。
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会津柳津駅上り1307列車。
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第二橋梁。会津西方駅下り1425。
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【温泉】宮下温泉 栄光館に行ってみました。
お風呂の前は、只見川に流れる支流。
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少し離れて只見川が見えました。
湧き出る熱い湯が気持ちよかったです。(誰も入浴していなかったので撮影しました。)
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第二橋梁の近くで。
夕方の只見川。
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会津西方駅上り1557列車です。
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宿泊する奥会津のんびり館に到着。
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夕方散歩。役場の前に赤城清水。
この清水の前のお家の奥様から、「美味しいですよ。飲んでください。」
ペットボトルに汲んで飲んでみました。美味しい!
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家の屋根先に屋号らしき表示板。
明日、撮影します。

会津宮下駅下り1821 で会津川口まで列車に乗ります。上り1936到着の最終列車で戻ってきます。
切符を買いました。
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駅のホーム。月が出ていました。
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列車がきました。
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車内に乗客は少しでした。
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車両は、キハ40。製造から40年経っています。新型車両に置き換える話がでていました。
会津川口駅到着。
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駅前には、只見駅までの代行バスが乗客を待っていました。
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さあ、戻ります。
女子高生が列車に乗ります。
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車内は高校生が10人ぐらい乗っていました。
会津宮下駅到着。
雨。街はひっそり。
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帰ってから、夕食をいただきました。
食事会している地元の方から、鳥もつ煮の差し入れをいただきました。
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檜の風呂に入りました。
久しぶりでした。
温まりました。

歯磨きして、布団に直行。
おやすみなさい。

東北 鉄道旅 続きの続き  2019/12/08

2019/12/8日曜日

おはようございます。
昨夜、一時、雨がものすごく降りました。
今朝は曇りのようです。
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津軽五所川原08:10発 津軽鉄道・津軽中里行に乗ります。
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切符は硬券でした。
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気動車。
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五能校前駅。情緒ありました。
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津軽平野を北に走ります。
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金木08:31着。
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ホームにタブレットがありました。
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上り列車がきました。行き違い交換。棒のようなものがやり取りされていました。
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金木駅。
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人通りのない静かな町です。
冷たい風がこたえました。

「太宰治記念館・斜陽館」
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解説文です。
「太宰治記念館・斜陽館」は1907年(明治40年)に津島家六代の源右衛門が当時、経営中の金融業の店舗を兼ねた住宅として日本三大美林のヒバ(檜葉)を用いて建設された入母屋造りの建物です。
一階に11室、二階に8室といった構造で、延床面積は約1300平方メートル(約394坪)。さらに付属する建物や庭園なども含めると約2248平方メートル(約680坪)にもなります。
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金庫。
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長い廊下。
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洋間もありました。
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金の襖がありました。
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見事な襖絵。
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太宰治の母親の部屋は豪華。
父親の部屋は質実剛健の感じを受けました。
太宰治の母親の部屋は主人の部屋よりきらびやかでした。
“大豪邸”でした。

気になったのは、津島修治(太宰治の本名)を育てた叔母の言葉です。
「器量が悪いので、愛想よくしないといけない。病弱なので、明るくしないといけない。」
こういうふうに諭してくれる人が周囲にいることって大事と思いました。
少し、太宰治のこと調べてみようと思いました。

「津軽三味線会館」
時間の関係で生演奏を聴くことはできませんでした。ビデオで聴きました。
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昭和の歌手、三橋美智也が、三味線の系統に書かれていました。民謡の方と思っていました。
生前のコートとかゴルフバッグが陳列されていましたが、何を意味するのかわかりませんでした。
三味線の展示品はなぜか撮影禁止。

「太宰治疎開の家・旧津島家新座敷」。
中には入りませんでした。
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近くのお寺では、集まりがあるようでした。
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金木 11:06発の列車に乗ります。
ストーブが付いた客車を牽引する「ストーブ列車」です。
Viewの団体客で狭い改札口はいっぱいです。
前回ストーブ列車には乗っているので、連結されている普通の気動車に乗りました。
先頭はディーゼル機関車です。
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下りの気動車と行き違いです。
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五所川原に到着。先頭のディーゼル機関車。
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JR駅で、リゾートしらかみの指定席を聞きましたが、満席でした。
冬の季節でも人気です。

ストーブ列車が発車する時刻が近いです。
駅に近い所で、鉄道撮影。
出発の汽笛が響きました。
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立ねぶたの館に行きました。
ねぶたのイメージが変わりました。
ここ五所川原のねぶたは、ビルの高さにして4階の高さがありました。
毎年一つずつ作っていくそうです。
五所川原の人の意気を感じました。
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下から。
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上から。
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青森県では、各地にねぶた祭りがあることを知りました。
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吉幾三コレクションミュージアムがありました。
値段が高いので、入りませんでした。
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昼食は、路地を入った小さな蕎麦屋さんで。正解でした。地元常連客が食べに来ていました。
かけそばの上に、揚げ出し豆腐を勧められました。
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中まで赤いリンゴの木がある所へ行ってみました。
正確な場所がわからず、家から出てきたおばあちゃんにお聞きしました。
表通りに植わっている木々がリンゴの木と教えてくれました。
おばあちゃんの解説です。
「コンクリート道路の脇に植えられているので、根が張らない。木が大きくならない。心配。」
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近くに大きな商家がありました。
婿養子に入り、分家独立して、財をなした商家と理解しました。
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駅までの帰り道、あまり見かけなくなったスズメが元気よく動いていました。
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JR五能線の改札で、陸橋を渡ると、津軽鉄道のストーブ列車が入ってきました。
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機関車の付け替えです。
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14:32発 五所川原 JR五能線・弘前行
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川部に15:07着。五能線から青森方向に行く乗客はここで、弘前方面からの電車を待ちます。
奥羽本線上りを四季島が通過して行きました。
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待ち合わせ時間があるので、駅舎に行ってみました。
気温は、3℃。
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弘前行きの気動車が出ていきました。出ていったあと、保線員が線路に降りました。
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15:38発 川部JR奥羽本線・青森行
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新青森に16:11着。
16:38発 JR新幹線はやぶさ32号。
近代的感覚です。
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18:29[arr] 仙台。
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仙台が暖かく感じました。
そして大都会です。
もうすぐクリスマスですね。
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2019/12/9月曜日
早く眼が覚めました。
おはようございます。
出勤、通学に混ざって、仙台駅に向かいました。
予定より早い新幹線で東京に向かいました。
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まだまだ知らない土地がたくさんあります。地理、歴史。
得になるということはないと思いますが、豊かな気持ちになります。
またどこか訪ねてみます。

東北 鉄道旅 続き  2019/12/07

2019/12/7 土曜日

おはようございます。
午前5時起床。
まだ真っ暗。
凍り付いた道を歩き、青森駅に向かいました。
駅前では雪かきが行われていました。
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スーツケースをコインロッカーに入れて、ホームへ。
青森駅は還暦。現在の駅舎のことと思います。
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青い森鉄道の電車が朝早い青森駅に入線。
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青森06:15[dep]JR津軽線・蟹田行に乗車。
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北上。津軽線は北海道からの貨物列車が通る大事なルートであることがわかりました。貨物列車とすれ違いました。
明るくなってきました。
右手に陸奥湾が見えました。
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蟹田 (かにた)06:58着。
07:07発 JR津軽線・三厩(みんまや)行  キハ48に乗り換えました。乗客は私一人。
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在来線の貨物列車が、北海道新幹線の線路から分岐するところ。
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漁港が見えました。
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07:46[arr]三厩。
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1日に5本しか列車の来ない、津軽半島の最果ての駅。辺り一面には原っぱが広がっていました。
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竜飛崎まですぐそこまでという所まで来たようです。
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12月7日は二十四節気の大雪、七十二候で12月7日~10日は閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)というのだそうです。
冬が本格的に訪れるころと理解しました。
08:16[dep]三厩 JR津軽線・蟹田行。
青森に行く人が乗ってきました。
青森方向に海が見えました。
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陽が差した陸奥湾。
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ここが、貨物線が北海道新幹線に入るところ。再度撮影。
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蟹田08:56着
09:13発 蟹田JR津軽線・青森行 左側の電車に乗り換えました。
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向こうは、下北半島と思います。
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09:50 青森着。
駅内陸橋から、昔の青函連絡船が見えました。
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国指定特別史跡 三内丸山遺跡に行きます。
10:00 バス ≪青森市営バス≫ と思っていましたら、土曜日日曜日は09:56発。冷や汗。

国指定特別史跡 三内丸山遺跡。
解説文です。
三内丸山遺跡は、江戸時代から知られている有名な遺跡です。
平成4年(1992年)から始まった発掘調査では、縄文時代前期~中期(紀元前約3,900~2,200年 現在から約5,900~4,200年前)の大規模な集落跡が見つかり、たくさんの竪穴建物跡や掘立柱建物跡、盛土、大人や子供の墓などのほか、多量の土器や石器、貴重な木製品、骨角製品などが出土しました。
平成9年(1997年)3月には国史跡に指定され、さらに平成12年(2000年)11月には特別史跡に、平成15年(2003年)5月には出土品1958点が重要文化財に指定されました。
青森県では縄文時代の「ムラ」を体験できる場所として、三内丸山遺跡の保存・整備・活用をこれからも進めていきます。


後記:本を読んでいてわかったことです。
この遺跡のすごさは、人々が狩猟、採集をしながら移動していたと思われていた縄文時代のイメージを覆したことにあるようです。
こんな大きな集落が、約5500年前から4000年前まで存在し、定住していたということです。
森は、食料や水が豊かであったと推測できます。

展示室の案内役のお嬢様から展示品を説明いただきました。
山内丸山遺跡は、紀元前BC3500-2000。
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栗の大木で作られた柱。
水に浸かっていたのが腐食から木を守ってくれたそうです。
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現代の人が輪切りにしてみたそうです。
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縦紐と横紐で編んだ袋。現在の袋でもこういう作り方があります。
後記:調べました。
「縄文ポシェット」と呼ばれています。
針葉樹の樹皮を編んで作られているとのことです。
森が広がっていたと推測します。
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土器。
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こんなのはグラタン皿と思ってしまいました。
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鏃。
黒曜石は、北海道から渡ってきたと、説明がありました。
交易が行なわれていたのかと思います。
翡翠は糸魚川産だし。
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水晶の矢じり。祭祀用と説明がありました。
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針。
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土偶。全て女性だそうです。
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翡翠。緑色のものは貴重だったと説明がありました。
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外には、集落の復元。
櫓。
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大きな建物。集会所ですね。
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高床式住居。
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土を盛ったあと。
ゴミを捨てていた場所と説明文にありました。
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私は、石の見極め、加工、壺作り、家を建てることなど、縄文時代の人がやったことを何一つやった経験がありません。
4000年前の縄文時代の生活が進んでいたことに驚きと感心です。
ムラ全体です。
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11:30の観光用循環バスで青森駅へ。
途中、函館行きフェリー乗り場を通過しました。これに乗ると北海道に渡れる!
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昼食を買って、青森12:42[dep]JR特急つがる4号・秋田行 . に乗車。  
隣駅の新青森までは特急券不要です。
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右手に岩木山が綺麗に見えました。
進行方向左側に座ったので、写真は望遠で。
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こちらは、八甲田山の方向です。
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13:29[arr]大鰐温泉に到着。
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足湯が設けられていました。
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開湯800年の温泉。
ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉。源泉温度60度から80度。
地図からは、町には公共浴場が三つあります。
道の駅の湯に入りました。駅から近い。
源泉温度が50℃以上。気持ち良い温泉でした。
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入浴後、休憩室でゆっくりしていると、外国語が聞こえてきました。
後ろを振り返ると地元のおばあちゃん達の会話でした。外国語のイントネーション。言葉はほとんどわかりませんでした。雰囲気はわかりました。
こんな本あるんですね。
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16:00[dep]大鰐温泉JR奥羽本線・弘前行 .
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16:12[arr]弘前。温泉で気持ちよくなったせいか電車に乗ったら、ぼーっとしたのでしょう。リュックサックを網棚に忘れてエスカレーターに乗ってしまいました。
戻って、確保。焦りました。
弘前駅に、洋館の模型がありました。海外とのつながりが深いです。
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弘前16:30発 JR五能線・深浦行 .
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途中行き違い。雨。
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17:20[arr]五所川原。
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真っ暗。道は氷が溶けたのでしょう。びしょびしょ。

ホテル内に温泉がありました。
温まりました!
夕食はホテル内レストランで、津軽御膳を食べました。
カニの身を擦ったのを煮て玉子とじにする鍋でした。
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朝早かったので、今日も早めの就寝です。ブラタモリ「花巻編」を見ながら。宮沢賢治、楽しいです。鉄道マニア。花巻に狭い幅の電車が走っていた!
おやすみなさい。