鉄道旅 三陸鉄道 2021/4/18日曜日

〇三日目   2021/4/18 日曜日 三陸鉄道。
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おはようございます。
大雨です。
今日は、三陸鉄道に乗ります。

八戸06:05発、本八戸0613発のJR八戸線・久慈行に乗りました。
久慈線23駅。
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途中、八戸行き列車と交換。
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海に突き出た丘の上に立派な建物。風強いだろうな。
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造園業の庭か、元の屋敷跡か。池があり、桜。雨でよく見えませんでした。
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海は荒れています。
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松の木は、潮風に強いのでしょう。若木が育っていました。
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「塩うに」と屋根に書かれたお店がありました。
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久慈に近づくに連れ、空が明るくなってきました。
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列車は駅を出ると、次の駅名が車内アナウンスされます。
聞きとれるのですが、漢字が浮かんできませんでした。
おおじゃ   「大者」かな。 「大蛇」でした。
はしかみ   「橋上」か。  「階上」でした。
ひらない   「平無(い)」か。「平内」でした。
しゅくのへ  これは、この地域だから「x戸」。「宿戸」でした。
うげ     もう何も浮かんできませんでした。「有家」でした。
逆に、駅の表示板の漢字を見て、読み方がわからない駅名ばかりの路線でした。(笑)

久慈07:56着。
三陸鉄道・北リアス線に乗り換えます。盛行きの気動車が前照灯を点けて動き始めました。
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「北の玄関口」である久慈は「琥珀とやきものと海女の町」だそうです。
そば店(リアス亭)で、「うに弁当」を購入しました。
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久慈08:05発 三陸鉄道リアス線・盛行に乗りました。
40駅乗ります。(結果は、途中で断念しました。)

予習していきましたが、結果は、ぼーっと通り過ごしていました。
・1駅目 陸中宇部駅(りくちゅううべ)
 (説明)
 陸中宇部駅の周りでは縄文の遺跡が多く発見されています。秒速30万キロ(光の速さ)でいえば、ジュラ紀から少し現代に近づいた頃、紀元前5千年ごろの縄文人たちが暮らしていました。
 まだ駅の近くまで海があったと思われ、大きめの古代魚を取ったり、森のもののけ達と格闘して生活していたと思われます。
 →わかりませんでした。桃の花か、濃いピンクの花が見えました。
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・2駅目 陸中野田駅(りくちゅうのだ)
 (説明)
 野田村はその昔、天然塩をつくり、盛岡や鹿角方面に塩を運んで供給する 重要な場所でした。
 その運ぶ道を後世の人々は"塩の道"と呼び、これがソルトロードの由来です。
 →列車の中からは、塩の雰囲気がわかりませんでした。

・3駅目 十府ヶ浦海岸駅(とふがうらかいがん)
(説明)●愛称:はまなす香る砂浜
 三陸復興国立公園の景勝地であり、三陸ジオパークのジオサイトである十府ヶ浦海岸のすぐ近くです。
 切り立った断崖の続く三陸海岸には珍しい砂浜で、紫色の小豆砂が見られます。
 →海岸が見えませんでした。

・4駅目 野田玉川駅(のだたまがわ)
(説明)●愛称:西行の庵 (いおり)
 駅のホームからは太平洋から登る日の出を拝むことができます。近隣には烏帽子の形をしたえぼし岩などの奇岩怪岩が続く玉川海岸があります。
 西行法師は玉川海岸の景色の美しさにひかれ、しばし草庵を結んだと伝えられている。
 →林の向こうに、海が見えました。
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・6駅目 白井海岸駅(しらいかいがん)
(説明)周囲に人家はなく集落から離れた無人駅。秘境駅。
 →雰囲気を感じました。

・13駅目 田老駅(たろう)駅
1972年2月27日に国鉄宮古線の駅として開業。
1984年4月1日に国鉄から三陸鉄道に移管され三陸鉄道北リアス線の駅となっています。

おばあちゃんが、孫でしょう、お子さんを運転席横のところで、前方を見せていました。
将来、三陸鉄道の運転士。
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巨大な津波防潮堤がありました。海が見えませんでした。
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列車は、交換する久慈行きの列車が遅れている関係で、待ち合わせ時間が長くなりました。
朝食代わりに、「うに弁当」を食べました。さすが、「(塩)うに」ばかりでした。今日の一品です。
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有名な鉄橋の上で停車。
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下を流れている川の上流(国道側)は、鍾乳洞ということでした。
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・17駅目 宮古駅  ●愛称:リアスの港
全国的に有名な「浄土ヶ浜」の最寄り駅であり「三陸観光の玄関口」です。
たくさんのお客さんが乗車してきました。
ほとんどが私より年配のご夫婦。私と同じ、大人の休日倶楽部の切符を持っているようでした。
こういう方々の席取りは活発ですね。
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・津軽石駅 ●愛称:鮭の町
(説明)鼻曲がりの鮭が遡上する津軽石川が近くにあります。
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津軽石駅で、交換する列車が遅れ、20分程度停車しました。
遅れは、昨夜の大雨の影響でしょう。

防波堤が高い。
海が見えない高さです。
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サーフィンにもってこいの浜とアナウンスがありました。
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まだ整備できていない土地も見受けられました。
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「命を守れ」と書かれた碑が、列車から見えました。
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・31駅目 釜石駅(かまいし) ●愛称:鉄と魚とラグビーの町
(説明)
釜石市は、日本で初めて洋式高炉が稼動したまち。釜石の桜の名所として知られる薬師公園は、4月中旬から約180本の桜がいっせいに見ごろを迎えます。

釜石に近づいてきました。今、左側の線路を走っています。右の線路は、花巻に通じるJR釜石線の線路。昔は、どちらも国鉄。
三陸鉄道の盛から北上してくる列車の遅れにより、私が乗った南行き列車も遅れが積み重なってきました。
これから向かう盛でのバス接続に間に合わない遅れです。
判断。東北新幹線に通じるJR釜石線がある釜石で降りました。
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JR釜石線の盛岡行き快速列車は、遅れていた三陸鉄道のお客さんの乗り換えを待ってくれました。
乗ることができました。
降りた三陸鉄道の列車には、釜石から多くのお客さんが乗っていました。
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遠野を通るルートです。
田圃に、トラクターが出ていました。田興しなどの農作業開始の時期なんですね。
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川沿いの桜。
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山沿いの桜。
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どこかの小さな駅。学生でしょう。写真のポーズをとってくれました。
若者は元気です。
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牛が外で休んでいました。
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快速列車は、釜石出発が遅れたため、終着盛岡で4分での東京行きはやぶさ24号の接続となりそうです。
これは、無理と判断。
新花巻駅で下車。
やまびこ58号に乗り、仙台で、あとから来るはやぶさ24号に乗ることにしました。
新花巻駅の新幹線ホームから見えた、屋敷の周りを樹で囲んだ大きな家。昔のお家はこういう形態が多かったのではと思いました。
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東北新幹線やまびこ58号に乗車しました。
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仙台駅で、はやぶさ24号に乗り換えました。
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地域の鉄道は、乗客数が少ないと思いました。食事のできる列車を走らせたり、イベントを開催したり、努力されていました。
乗ることしかできませんが、応援していきます。




鉄道旅 黒石、弘前、八戸 2021/4/17土曜日

〇二日目  2021/4/17 土曜日 弘南鉄道。黒石。弘前。
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おはようございます。
弘前の朝です。
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今日は、弘南鉄道・弘南線:弘前~黒石に乗ります。
朝食を取って出発。JR弘前駅に桜のイメージキャラクター。
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弘前駅の2階通路からピアノの音色。朝のピアノ。良いです。少し、聞いていました。
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反対側の弘南鉄道の改札へ。
駅前は、桜の樹が植わっていました。
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駅員は、全員が女性と思われます。女性活躍職場です。
弘前0738発。
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一日乗車券を購入しました。
弘南鉄道弘南線企画切符『わのパス Wano Pass』。
成美園の入園券、鳴海醸造でおちょこの引換券がついている切符です。
ワンマン運転の後方の写真です。岩木山を見ながら運転する運転士の気分です。
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桜の苗木を育てている畑がありました。桜の寿命は100年と聞いたことがあります。世代をつないでいく努力に感謝です。
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田んぼアート駅付近も、雪が解けて土の状態。
あとで降りる予定でしたが止めます。

黒石0813着。
駅員は、ここも年配の女性。良いです。
降りた瞬間、寂しい空気感。
曇りの空模様。
道を聞いて歩き始めました。
振り返ると岩木山が見えました。
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ここは、黒石藩があったところです。
(説明)
弘前藩の支藩に、陸奥国津軽郡黒石(現在の青森県黒石市)に政庁が置かれた「黒石藩」がある。

中町こみせ通り。
ここは街道と推測します。
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立派な赤松。
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高橋家住宅。
米屋さん。藩御用達。
コロナ感染の影響でしょう、休んでいました。
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雁木です。
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この町の雁木には、灯りがあったようです。近代的です。電気線は裸でした。
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大きい造り酒屋。
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優等清酒と書かれています。電話番号は二桁の15番。
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鳴海醸造店。
(説明)
〒036-0377 青森県黒石市大字中町1-1
創業文化3年の(株)鳴海醸造店は、古いたたずまいが今も残るこみせ通りにあります。
八甲田山と岩木山に囲まれ、雪どけ水の井戸水でお酒を仕込んでいます。
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蔵。
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中に入ってみました。私が、朝一番のお客さんのようでした。
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銘酒「菊乃井」の銘柄。え、電話番号が1番。街の筆頭店はここなんだ、と驚いてしまいました。
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お姉さんが、街、日本酒、のことを教えてくれました。
黒石は、裕福な町だったようです。
美味しいお米がたくさん獲れた。津軽平野は土壌が良いのではないか。
お店の前の道はやはり街道でした。
また、土曜日は休んでいたそうですが、今日からお店を開けたと。運がよかったです。

座敷に上がらせてくれて、中庭を見せてくれました。
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座敷には、棟方志功の版画と、米俵の模型。
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作業場に入れてもらいました。
昔から伝わる釜で湯を湧かすところでした。
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試飲させてくれました。
生。次に、火の入った原酒。
美味しい!
荷物になるので、小さめの瓶、原酒を買いました。
引換券で、おちょこをいただきました。中が、二重の輪。
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こちらの日本酒は、寿司米を使っているそうです。珍しいそうです。
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お話をお聞かせいただき、ありがとうございました。

街の公園に盆踊りの像を見つけました。「恋よされ」。
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(説明)
男女の恋の掛け合い唄から始まった黒石よされ。
その頃の名残は、流し踊り・廻り踊りの曲の一つである「黒石よされ」の歌詞に見ることが出来ます。
(中略)
このような男女の唄の掛け合いは、盆踊りが男女の出会いの場であったという歴史を背景にしています。
親類縁者が里帰りをして一堂に会するお盆休み。
その時に踊られた黒石よされが、かつて一年の大きな楽しみであったことは想像に難くありません。
期待に胸を高鳴らせて踊りに行ったお盆の夕暮れ。
目が合って微笑みを交わし恋に落ちた夜。
黒石の短い夏は、恋の炎と踊りの熱気で華やかに燃え上がっていたのでした。
しかし、黒石よされの恋と熱気は、決して過ぎ去った遠い昔の話ではありません。

黒石発0940の電車に乗りました。
津軽尾上0952着。高校が近くに2つありますね。
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津軽尾上駅から徒歩10分の盛美園に向かいました。
リンゴの樹。芽が出始めていました。
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家の裏に、立派なリンゴの樹があるリンゴ畑所有のお家を見かけました。
納屋で作業している奥様(おばあちゃん)に、お話しを聞くことができました。
品種はフジ。袋掛けはしない。今年の冬は雪が多かったが、3月になって一気に雪が解けた。
樹は老木の域だが、美味しいリンゴが実る。
お話し聞けて、ありがとうございました。
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庭の桜の樹。細かい花びらでした。
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成美園入り口に到着。〒036-0242 青森県平川市猿賀石林1
清藤氏書院庭園【国指定名勝】は、休館中でした。屋根の修理をしていました。
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成美館。
屋敷は外観が洋風。
1階は日本間。
2階は洋間。
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(説明)
明治維新に際し、士族授産のため田地十町歩(10ヘクタール)を残して没収された。
24代盛美は、農業(地主)を本業にしていたが、他方で政治的にも経済的にも活動していた。
戸長や村長を勤める傍ら青森商業銀行・尾上銀行創立に参画し、やがて尾上銀行頭取になった。
その一方では「盛美園」を造営した。明治三35年武学流の小幡亭樹宗匠を招き、9年の歳月を費やして明治44年に完成した。
清藤家 25代辨吉は、庭園は3600坪で、その一隅に鹿鳴館時代を彷彿させる和洋折衷様式の「盛美館」を建てた。

成美園。
武学流の真髄を示した名園。
築山庭造伝や造庭秘伝書の形式を忠実に再現したもの。
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蓬莱の松。写真の右上。
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ケヤキの大木がありました。樹齢400年。
樹齢600年の樹があったそうです。戦争のために切られたとのことでした。
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(説明)
明治時代の作庭の中でも、京都の無隣庵、青風荘と共に日本の三名園のひとつに数えられている。
「借りぐらしのアリエッティ」に登場する屋敷や庭園のモデルとなったといわれています。

受付の女性が、宝物館を案内してくれました。
金をふんだんに使用した仏間がありました。大日如来立像。徳川二代将軍秀忠の廟所を模した仏壇。
彫刻、絵画、息を飲みました。
撮影禁止でした。

受付の女性に、「(失礼ながら)こんな田舎に、これだけのものがあるのに驚いた。
鉄道が敷かれていることも。」と伝えたら、田舎というのに笑いながら、「お米が採れた。裕福。」、「川部まで国鉄が走っていた。お米を運ぶため。」と説明してくれました。
ありがとうございました。

津軽尾上10:52発弘前行きに乗れました。
弘前で、弘前城の桜を見に行きました。
100円バス、土手町循環バスに並んでいると、雨が降ってきました。後ろの人が、地面の案内シールに沿って並びはじめました。ご年輩のご夫婦がおられました。ご主人は杖をついておられました。「皆さん、屋根のある方に並びましょう。」と声をおかけしました。
奥様から、「今、弘前城の桜は綺麗ですよ♪降りるのは市役所前。」と教えてくれました。ご夫婦は、途中の大学病院で下車されました。
弘前城の堀。
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追手門。
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城内の桜。
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本丸からの桜。
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頂きを雲に覆われていますが、岩木山をバックにした桜。
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石垣の修理が進んでいました。
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植物園に入りました。
弘南鉄道に乗って、乗車証明書をもらってきましたら、本丸、植物園の入園引換券を無料でくれました。今日からの弘前市のサービスでした。

昼食を食べて、駅のカフェでコーヒーとアップルパイ。
弘前のスイーツでした。今日の一品です。
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弘前から新青森に出て、東京行きはやぶさ32号に乗車。これは16時過ぎには東京に到着します。
新青森駅で、ねぶたのミニチュア。そういえば、黒石でも、ねぶた祭があると言っていました。
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私は、八戸で降りました。
久慈線に乗り換えます。
八戸は一度、新幹線改札を出ます。
都合よく、鮫行きの列車がありました。鮫という駅名は、海岸線の土地に近づいている気分になります。

本八戸。今日はここを宿泊地にしています。
駅のラーメン店で営業時間を聞くと、ラストオーダーが、15:30。あと5分。
皆さん、奥様方のようでした。

ホテルにチェックイン後、雨の中、八戸城を探しに出かけました。
ここ本八戸は、八戸の元中心地です。

昔の城の門と思われる所にいた高校生に、城の位置を尋ねました。が、スマートフォンで検索していました。
親切に教えてくれました。最初は間違った方向。二度目、訂正して正しい方向。
ここは、県重宝指定の八戸城角御殿表門でした。
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八戸藩は、盛岡藩の支藩です。
本丸跡です。
今は、桜の公園となっていました。
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初代藩主・南部直房の座像。
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(説明)
盛岡南部氏が領有していたのを、1664年(寛文4)盛岡宗家(そうけ)から2万石を南部直房(なおふさ)が分封されて、八戸藩主となった。

夕食は、和風グリル飛鳥で食べました。今日の一品です。
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奥様は、85歳。八戸生まれの故郷大好き。お店は、昭和45年創業。35歳からご主人と始めた。もう50年。
ご主人がお店に出てこられました。注文すると、コック帽をかぶり、調理してくれました。ご飯は、青森県産つがるロマン。
ご主人が、もう少しご飯いるでしょうと、お代わりを出してくれました。
みんな、おいしかった!
「本八戸は、昔は八戸の中心であった。住んでいる人も年寄りばかりで、人数も少ない。夜は真っ暗よ。」と教えてくれました。
明日、三陸鉄道に乗ると伝えると、「現地見ることは良いことです。」と、エールくれました。
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ところで、八戸、七戸、二戸という地名を見ました。
どういう意味があるのだろう?調べてみよう。
(Goo説明)
鎌倉時代に、当時の糠部 (ぬかのぶ) 郡を一戸 (いちのへ) から九戸 (くのへ) までに分けて統括したことからの名。
(由来辞典)
青森県には「八戸」という市があるよね。でも東北には、一戸から九戸まで、「戸」がつく地名が他にもあるのを知ってるかな?
岩手県から青森県にかけては、江戸時代に「糠部(ぬかのぶ)」と呼ばれた地域で、当時日本最大の郡だったんだ。
この地域は馬が名産で、代々の朝廷や幕府へも税として馬を納めていたんだって。
「戸」というのは、この馬の管理のための行政区域と考えられているんだ。
岩手から青森にかけての広い牧場を、一括で管理するのはとても大変だった。そこで、この地域を一戸、二戸…と分けて管理していたといわけなんだね。

少し、歴史を理解しました。

鉄道旅 角館  2021/4/16金曜日

鉄道旅 角館、弘前、三陸 2021/4/16-18

「大人の休日俱楽部パス 東日本」を使って、東北へ行って来ました。
テーマは、「地域の鉄道に乗る。」です。
ひたすら、列車に乗りました。(笑)
たまたま、桜の開花時期でした。綺麗でした!
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〇一日目 2021/4/16 金曜日  秋田内陸縦貫鉄道。角館。

おはようございます。いつもの起床時刻06:00に起きて、朝食を食べて出発。
今日、秋田内陸縦貫鉄道に乗ります。

東京08:40発JR新幹線こまち9号・秋田行に乗車しました。
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はやぶさ号10両編成と連結して走る、こまち号は7両編成です。気づいたことです。
一編成にパンタグラフが2個ありますが、1個降ろしていました。昔では考えられない、電気活用効率高いと推測しました。
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大宮から多くの方が乗って来ました。
私の隣席のビジネスマンが、ブラインドを降ろしてお仕事。外が見えませんでした。
パソコン、スマートフォン2台で作業していました。真似できません。

秋田新幹線は、単線区間があります。新幹線で、信号場か小さな駅で、下り上りの行き違い交換がありました。
これって、すごく不思議なんです。新幹線と在来線が混在している複雑な鉄道システムと思えます。
また、田沢湖駅だったと思います。駅の発車合図が駅員のホイッスル。久しぶりでした。

角館11:41着 。
降りる人多いです。
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駅前の桜の樹。
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コインロッカーに荷物をいれようと行ってみました。大混雑。空きを見つけて財布をみたら、100円玉が1個足りません。
売店で野菜ジュースを買って、お釣りをもらって帰ると、なんと、私の荷物が外に出されていました。
私が入れたコインロッカーで番取りしていた?おじさん曰く、「どこかのおばさんが引っ張り出していたよ。」と。
私はいつもの一人旅。番取りはできません。

荷物を持って、歩いて、武家屋敷に向かいました。
駅前の桜も綺麗に咲いています。
30年前になりますか、オーストラリアのお客様をご案内したのが、最初の角館訪問。
以後何度か来ていますが、桜の時期に巡り会えたのは、初めてです。
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(説明)
角館。
元和元年(1620)角館地方を領していた芦名義勝によって造られました。
その後は佐竹北家に受け継がれ、町割り400年を迎えます。
武家屋敷が立ち並ぶ通りは、「内町(うちまち)」と呼ばれ、現在も江戸時代末期時の屋敷割や、母屋・門・蔵の屋敷構え、枡形など武家町の特性をよく残しています。

駅からまっすぐの道を歩きます。5分ぐらいで郵便局。右に折れると、武家屋敷通り入り口です。
火除け地があり、北側(写真の奥に向かって)が武家町(内町と言うそうです。)。南側が町人町(外町)です。
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角館のシダレザクラ。
見事です。
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この樹が一番古いようです。
桜の寿命は100年と聞いたことがあります。長命なこと良いです。あやかりたいです。
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小田野家 (市指定史跡)。
(説明)
小田野家は、今宮弾正組家で後、佐竹北家に支えました。
建築物は、明治33年(1900年)の大火により全て焼失しましたが、屋敷割は、旧藩時代のままです。
また樅、紅葉等の樹木に菖蒲、小笹等の植物を配した前庭は、京都庭園作法の伝統植栽法を取り入れ、幕末期武家屋敷の一様式を伝えます。
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青柳家(県指定史跡)
(説明)
青柳家は芦名氏普代の侍でしたが、芦名氏断絶後佐竹北家の組下となりました。
道路に面して「のぞき窓」のついた黒塗りのささら子塀がめぐり、万延元年(1860年)大工棟梁柴田岩太郎銘の矢板にある薬医門があります。
門から入って北側に井戸屋形、米蔵等があり、それに近く正玄関、その北側に脇玄関があり客の格式・身分によりその使用を分けました。
武家屋敷の建築様式を今につたえるこの家屋は寄棟萱葺屋根の母屋、薬医門、蔵、塀など全体として非常によくまとまっています。
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石黒家 (市指定史跡)
武家屋敷通りの北端に位置する石黒家は、上級武士の格式高い屋敷で、江戸時代そのままの姿で主屋、門、塀、土蔵などが保存されています。道路面にはのぞき窓を付けた黒板塀がめぐり、現存する武家住宅の中でも最も古いものです。
薬医門には文化六年(1809)4月27日銘の矢板があり、その古さと重厚さをしのばせています。門を入ると正玄関と脇玄関があり、二つの玄関を持つことは身分の高い武士の証でした。主屋は萱葺きで、庭には水に見立てた苔が簡素な佇まいのなかに武家の格式を漂わせています。
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桧木内川堤公園。
川沿いに桜。
圧巻です。
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土手堤を歩きました。
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武家屋敷通りの真ん中あたりに戻って来ました。
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通りの入り口に、行列ができているお店がありました。「あきたプリン亭」。
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駅に戻って来ました。
秋田内陸縦貫鉄道に乗ります。トトロの木彫りが迎えてくれました。
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こんなポスターが貼ってありました。田沢湖で撮影されたのですね。
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JR駅から、東京行きこまち号が出て行きました。
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角館13:58発鷹巣(たかのす)行きに乗車。1両編成の気動車です。
終点まで28駅 94.2kmを、通しで乗ります。
この路線は、国鉄の角館線、阿仁合線、両線を結ぶことで、角館ー鷹巣が通しとなった第三セクターの鉄道です。
この沿線に、鉱山がありました。
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車内には、秋田犬の写真。
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車窓に桜。
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雪を残す山。
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トンネル。
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上桧木内駅1436着。
角館行きと交換。
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雪が残っていました。
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阿仁マタギ駅。
マタギは、日本の東北地方・北海道から北関東、甲信越地方にかけての山岳地帯で、古い方法を用いて集団で狩猟を行う者を指すそうです。
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笑内(おかしない)駅。
読めませんでした。
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線路は続く。
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有名な鉄橋とアナウンスがありました鉄橋に差し掛かりました。列車はスピードを落としました。
ここを通過する列車を撮影するのいいだろうなと思いました。
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阿仁合駅1520着。
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角館行き急行と交換。一両編成。
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木材集積場と思いましたら、板を乾燥させている工場でした。YAMAHAの文字が見えました。ピアノ、ボートに、秋田の樹が使われていると推測しました。
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沿線。おばあさんが犬の散歩。動物に詳しくありません。何の種類だろう?秋田犬かな。
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北上するに連れ、川幅が広がってきました。
田圃。米どころです。もちろん、秋田こまちと思います。古い知識ですね、たぶん。
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鷹巣16:20着。
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たくさんの学生さんが乗車待ちの列を作っていました。
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ここからJR奥羽本線に乗ります。
鷹巣駅前のポスト。太鼓がのっています。
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ホームには、世界一の大太鼓のモニュメントがありました。直径3.71m。
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16:47発弘前行に乗車。
こちらもたくさんの学生さんが乗車しました。学生服が同じ。同じ高校ですね。
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夕陽です。
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奥羽本線沿いのリンゴ園。
今年も美味しいリンゴがなりますように。
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弘南鉄道大鰐線の電車がJR奥羽本線を跨いで走っていきました。
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岩木山が見えてきました。
弘前17:48着。
やっと、今日の宿泊地に着きました。
リンゴのモニュメント。
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岩木山がシルエット。
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ビジネスホテルの大浴場で汗を流しました。
岩木山に夕陽が沈んでいき、綺麗でした。

城端、相倉合掌集落 2021/3/27、28

〇二日目  2021/3/27 土曜日  
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おはようございます。
朝食を食べて出発。
富山07:34発新幹線つるぎ705号・金沢行に乗車。
新高岡まで一駅乗りました。
新横浜から品川まで乗る感覚です。
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新高岡駅に、前田家の兜の模型。頭の飾りが異様に高い。
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城端(じょうはな)線。
上り高岡行きの列車を見送りました。
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下り高岡からの新高岡08:05発JR城端線・城端行に乗りました。
車内は学生で混雑していました。学生服を着ています。
皆さん高校生。
部活動で学生服着用が義務付けられているとのこと。学生服の内に体操着を着ている学生さんもおられました。
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田んぼ、畑が広がっていました。
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駅には、チューリップのプランター。花はまだです。
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城端に08:57着。
駅名表示版は、国鉄時代の懐かしいもの。
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線路はここまで。線路止めの先は、なんとすぐ民家でした。
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歩き始めました。
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坂の無いルートと教えてもらった道を歩き、山田川を渡ります。
この先が、善徳寺です。
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お寺の土台の石積みです。
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この町は、善徳寺を中心に発展した町。寺町です。
真宗大谷派 城端別院 善徳寺。浄土真宗。
540年前に開基しているお寺。親鸞聖人御真筆『唯信鈔』がここにあるそうです。
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二代目の糸桜。
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今町通りです。
豪商野村家の風情ある土蔵4棟が立ち並んでいました。
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坡場の坂(はばのさか)
かつての、造り醤油屋です。「醤油」と書いた木の看板。
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赤レンガの倉庫。
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歩いていると、小さなお寺で、冬の囲いを支えていた柱を取り除く作業がおこなわれていました。もう春です。
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背の高い倉庫がありました。曳山が保管されている建物でした。東上町の鶴舞山。
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川島地区。
京都西陣の老舗「旧川島織物」を創業した川島甚兵衛の出身地でした。
かつての機織り工場です。往年の”絹のまち城端”の名残です。
(説明)
今から約450年前、富山県南砺市城端では、福光地区・五箇山地区でつくられた絹糸を使い、絹織物業が始まりました。
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城端曳山会館。
曳山を展示してありました。
立派です。
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曳山の車輪を回してみました。重いです。ギー、ギー言いながら回っていきます。
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曳山に載せている七福神の着物。これは、恵比須さん。豪華です。
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(説明)
300年の歴史を誇る城端曳山祭。
平成28年12月にユネスコ無形文化遺産に登録されました。毎年5月4日・5日に開催されます。
獅子舞、剱鉾、傘鉾、神輿、庵屋台、曳山が町中を巡行する粋で優雅な祭です。
庵屋台では、紋付袴の若連中が歩きながらお囃子を奏で、所望宿で江戸端唄の流れをくむ庵唄を唄い、城端塗と木彫刻や金箔で飾られた絢爛豪華な曳山が特徴です。
曳山会館では、祭に使用される実際の庵屋台や曳山が常時展示されています。

不思議に思ったことを館長に尋ねました。

質問:何故、こんな豪華な曳山が城端に存在するのか?
答え:(地図を開いて)城端を含む砺波一帯は、加賀百万石を支える米処。半分はこの地方。
   山間の土地で作られた絹で、絹織物をここ城端で製作。
   山間の土地で作られた、戦に必要な塩硝が集まる。
   金沢のお城に、きちんと税を納めた。財力と信用。
   造り手がいた。
      →加賀百万石を支えた田んぼはどこかと思っていましたが納得。
      →工業、商いも重要。

質問:金箔は許されたのか?
答え:江戸時代は、金箔の使用は認められなかった。当然、身分制度が生きていた。
   明治時代になってから許された。

質問:もしかして、ここの文化は、金沢圏ですか?
答え:はい。金沢まで車で30分と地理的にも近い。富山より金沢のほうが近い。

曳山会館の館長が、バス停まで案内してくれました。バス本数が少ないです。
城端曳山会館10:32発のバスに乗りました。
曳山会館の受付の美女がわざわざ玄関を出て、バスを見送ってくれました。
バスの中から手を振ると、気づいてくれて手を振って見送ってくれました!

バスは峠に向かって上ります。山に雪。
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五箇山トンネルを出ると下り坂となりました。
道の脇は、雪。
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相倉口(あいのくらち)10:53着。
400m歩いて、相倉合掌集落に到着しました。
「人が住まう世界遺産」です。現在、21戸80人の村です。
まだ雪が残っています。

丘の上に行ってみました。
村を眺望できる場所。
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神社前の廿日石(はつかいし)。雪の中から、この石が現れると20日で村の雪が消えると目安になっているそうです。
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合掌造り。
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合掌造りの原型である原始合掌小屋。
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(説明)
「合掌造り」の名称は、屋根を構成する主要部材名を合掌と呼び、形式を合掌組みということから一般化したのであろう。
いまそれが越中五箇山と飛騨白川郷に発達した民家の代名詞となってひろく紹介され、誰の口にも言い慣らされてきている。
この地方では、小屋造り住居を「ナムアミダブツ建て」といっていた。両手を合わせて合掌礼拝する形からであろうが、熱心な真宗信仰地帯らしい命名である。
屋根部の木材は落葉樹自然木を、丸太のまま、または縦に割り裂いたのを用いる。
一定の様式どおりに組みたて結び合わせた構造は、一見して張子の骨組みのようで弱そう見えるが、風や雪に耐える力学的構造にかなうといわれており、
これがすべて農民の手によって発達進歩した経過を考慮すると、全く地域に根ざし地域の特徴を生かした構造物とみることができる。
相倉集落の合掌造りも例外ではなく、屋根部の構成は五箇山一般に共通する。
(説明)
農業生産としての稲作は少なく、僅かな畑地と焼き畑で稗・粟やそばなどが栽培され、これに炭や薪、漆などの山林生産が加わる程度であった。
当時の当地域の主要産品は和紙、塩硝、養蚕である。和紙は冬季を利用して生産された重要な換金生業であった。
火薬の原料である塩硝は加賀藩の庇護と統制により、江戸時代を通じて合掌造り建物の床下等で、雑草などを原料として生産された。
(補足:人の尿が原料です。別棟を設けたのが、白川郷で見ることができます。)
養蚕は16世紀前期には始められていた記録があり、安定した収入源となったばかりか、前二者とは異なり、近年まで継続した。

ここ相倉合掌造り集落では、合掌造りの家で民宿しています。珍しいです。
生活しているから民宿できるんだと思いました。
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相倉口12:30発のバスが遅れてやってきました。
城端駅前で下車。
城端駅。二本のレール内に、たんぽぽ。陽当たりがいいんですね。
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列車で高岡に戻りました。
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途中、カラフルな気動車に出会いました。観光のアイデア「楽しい列車」を実現しています。
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新聞を読んでいると、ここ城端線で、LRTの構想があるようです。路面電車です。
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畑に鷺。
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高岡駅に戻ってきました。昨日見た青いキハ40が入線してきました。
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高岡駅から歩いて、瑞龍寺(ずいりゅうじ)に行きました。
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壮大なお寺です。ここ国宝でした。
(説明)
曹洞宗高岡山瑞龍寺は、加賀藩2代藩主前田利長公の菩提をとむらうため三代藩主利常によって建立された寺である。
利長は高岡に築城し、この地で亡くなった。
加賀百万石を譲られた義弟利常は深くその恩を感じ、時の名匠山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備し、広山恕陽禅師をもって開山とされた。

総門、山門、仏殿、法堂、と奥に続いていました。
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周囲を回廊が巡っていました。中庭は、工事中でした。
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高岡古城公園(高岡城跡)に行きます。
駅まで歩いて戻りました。
駅の列車案内板を見ると、一時間に一本あるかないかの氷見線の列車がありました。
歩くの疲れたので、越中中川まで一駅乗りました。
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高岡古城公園(高岡城跡)は、高岡の桜の名所ですね。
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(説明)
高岡市街地のほぼ中心に位置するこの公園は、加賀前田家2代当主前田利長が築いた高岡城の城跡を、明治以来公園として開放したものです。
1615年の一国一城令により廃城となりましたが、美しい水堀や土塁は残され、約21万平方メートルの広大な城跡公園となり、四季それぞれに鮮やかな自然美を見せてくれます。

本丸を通って、急な坂道を降り、反対側の堀に出てきました。
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位置的には、少し先に大通りがあり、路面電車の万葉線が走っていると予測しました。
当たっていました。電車が見えました。車が流れています。切れた所でダッシュ。運転士に向かって手を上げると、待ってくれました。乗れました。ありがとうございます。
車内のアナウンスは、落語家の立川志の輔の声。それも、町の案内付き。楽しいです。また、今日は、乗車料金100円の日でした。感謝です。
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高岡駅で富山方面行き観光列車に出会いました。事前予約のみの乗車ですたので、私は乗れませんでした。お客様は2組のみ。食事、ワインを楽しまれていました。
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普通列車で、富山に戻りました。
富山駅居酒屋の前で、魚を売っていました。
小さな富山湾紅ズワイガニは、一尾(一杯)480円。食べるところはほとんどないかも。
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のどくろ。一本2800円。
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富山電鉄の駅を探して、ホテルに戻りました。
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今日の一品:天然の生け簀と言われる富山湾の魚のお寿司。白えび。ほたるイカ。ぶり。のどくろ。
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〇三日目   2021/3/28 日曜日
おはようございます。
窓の外を見ると厚い雲。
天気予報は、雨。
風が強い雨の中を歩くのは、苦手です。
雨晴海岸に行くのを中止。
横浜に戻ります。

東京行き「かがやき」は、全車指定席。
緑の窓口に並んで、指定席をもらわなければいけまん。
JR東日本ならば、「えきねっと」があります。
もしかして、「えきねっと」で予約し、券売機で受け取れたかもしれませんが、焦っていて、どのIDだったかでてきませんでした。
みどりの窓口で、07:16に発券してもらい、07:20の東京行き「かがやき」に乗れました。

黒部の方向の山が見えました。
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停車駅は、長野、大宮、上野。
上野を出たと思ったら、急停車、灯り、空調が消えました。停電。
地震の影響と放送があり、東北、上越、北陸の新幹線が止まっているとのことでした。
トイレの水も流れないと説明がありました。
20分ぐらい、暗い車内でじっとしていました。
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電車が、動き出しました。電気が止まると、やはり大変です。
東京駅に到着。ほっとしました。

旅は、いろいろなことが起きます。
自然の影響、交通システムが必ずしもダイヤ通り運行できない、運休するといった影響を受けます。
まあ、こんなものと、大きく構える心、余裕の気持ちが求められます。
私自身への言い聞かせです。

今回、富山に行きながら富山を見ずに、高岡周辺を巡りました。
金沢と富山に挟まれた高岡。
城端、相倉合掌造り集落。
歴史、産業を見させていただきました。


富山、高岡 鉄道旅 2021/3/26

富山、高岡

大人の休日倶楽部の北陸フリー切符を利用して、富山県を訪ねました。
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〇一日目 2021/3/26金曜日
おはようございます。
朝食食べて、ゴミ出して、出発。暖かくなってきているので、荷物は少なめです。
東京駅09:20発新幹線かがやき507号・金沢行に乗車。
気づきました。パンタグラフの数が少ない。1編成で、2か3です。
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北陸新幹線は、結構トンネルが多いです。眠っていきました。
長野は晴れていましたが、日本海に出ると曇り。富山の手前で雨が降ってきました。桜が咲いています。
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富山11:34着。
突風、雨、雷が鳴る天気です。
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ホテルに、荷物を預けました。フロントの女性が、大きめの傘を貸してくれました。
昼食。

富山12:50発あいの風とやま鉄道高岡行きに乗りました。
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新幹線が通る前は、北陸本線でした。北に向かう貨物列車とすれ違いました。
最初の目的地、高岡に到着しました。
(説明)
高岡市(たかおかし)
富山県北西部の市である。県庁所在地である富山市に次ぐ富山県第2の都市で、県西の中心都市である。
「高岡」の地名は『詩経』の一節「鳳凰鳴矣于彼高岡(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」に由来し、
前田家二代目の前田利長が築城と開町に際して名づけた瑞祥地名である。

ホームから、濃いオレンジ色に塗られた(鉄道撮影家からは、たらこ色と呼んでいます。)キハ47が見えました。
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改札出て、立山連峰が見える窓。
今日は曇り。見えません。
見えない日の今日は、案内板でフォローしてもらいました。
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ドラえもんポスト
高岡市出身の藤子・F・不二雄先生の生誕 80 周年を記念してつくられたそうです。
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万葉線に乗りました。単線の路面電車です。これ良いです。
坂下町で降りました。
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大仏まで歩いていけます。
行ってみました。
途中、お店の中に駄菓子屋さんを設けている五月人形のお店を見つけました。確かにどちらも子供たちがお客様です。
子供たちは駄菓子に夢中でした。
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高岡大仏。大きいです。
(説明)日本三大仏に数えられる高岡大仏は、地元の銅器製造技術の粋を集め、1907年より26年の歳月をかけて完成したものです。
はじまりはおよそ800年前、承久の乱をさけて越中に入道した源義勝が木造大仏を造営したことだといわれています。
その後何度も荒廃や焼失といった危機にあいましたが、人々の願いにより再建を繰り返し今の形となっています。
出来栄えが素晴らしいことから、日本一の美男とも呼ばれ銅器日本一の高岡の象徴的存在で愛され続けています。
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戻って、山町筋(やまちょうすじ)に入りました。
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高岡市・土蔵造りのまち資料館に寄りました。
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今日初めての訪問者のようです。
館員の女性が、丁寧に町のこと、商家のことを説明してくれました。
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昔、北前船が通っていた時代、綿花、綿織物の商いをしていた商家でした。
1900年の町の火事の後、町中の商家で2年で土蔵造りの建物を建てていったそうです。
貯えがあったそうです。
梁の樹、天井板。素晴らしい木材です。
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庭。表の道路沿いからは想像できない緑豊かな内庭でした。
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伊藤博文の掛け軸がありました。博文の署名が見えます。
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二階は、住居。おばあちゃんが髪を結った部屋、お子さんが勉強していた部屋など、生活感あふれた家でした。
後ほど訪問する御車山(みくるまやま)ミニチュアが飾ってありました。
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受付の女性が、「金町の大寺さんに立ち寄ってください。奥に進んで珈琲も飲めますよ。」と勧めてくれました。
(説明)市街地に600m続く山町筋は、商家の土蔵造りの家が建ち並ぶ歴史あるまちです。
山町筋は、加賀藩二代目前田利長が高岡を発展させようと近隣の城下町から町人を招いて住まわせた町であり、現在もその伝統が息づく町として知られています。
御馬出町、守山町、木舟町、小馬出町と続くかつての北陸道に残る土蔵造りの家は、1900年の大火後の明治から昭和初期にかけて建造された優れた防火建築です。
重厚かつ繊細な意匠をもつ土蔵造りの町家を中心に、洋風建築等の伝統的建造物が建ち並び、
「伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの」と評価され、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

菅野家住宅。
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高い屋根の上に、しゃちほこが見えました。
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旧北陸銀行。レンガ造りの立派な建物です。
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高岡御車山(みくるまやま)会館。
御車山は7基。豪華です。
そのうちの1基です。
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(説明)
高岡御車山は、1588(天正16)年、豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎え奉るときに使用した御所車を、加賀藩祖前田利家が拝領し、
高岡開町の祖・二代前田利長が1609(慶長14)年、高岡城を築くにあたり町民に与えられたのが始まりとされています。

毎年5月1日の高岡御車山祭では、これらのまち並みを背景に山車が練り歩くそうです。
今、降りた路面電車の道で、山車を反転させるんですね。
ユネスコ無形文化財です。
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歩いていたら道脇にお地蔵さん。
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チューリップが咲き始めていました。
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千保川を渡ります。
鳳鳴橋。金色の鳳凰が橋の両側に一基ずつありました。
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伝統的建造物群・高岡市金屋町伝統的建造物群保存地区に入ってきました。
千本格子の家並みです。
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鋳物の像が家の前に置かれています。
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(説明)
高岡でも最も古い町で、1609年、加賀藩主前田利長が開町まもない城下町高岡の繁栄策として、鋳物造りを奨励したことから、
高岡鋳物発祥の地である金屋町は大いに栄えました。
およそ500mにわたって続く石畳の道と格子造りの古い家並みが見事に調和し、一帯は明治・大正時代を彷彿させ、今でも美しいたたずまいを見せています。
2012年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

高岡市鋳物資料館。
ニシンを煮た釜。ニシンの肥料を作るためです。
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勧められた大寺(おおでら)幸八郎商店。
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女将さんと思います。
丁寧に説明してくれました。
この金山町は山町筋と違い、1900年の火事に会っていません。第二次世界大戦の空襲に遭っていません。
このお店は、江戸時代末の家と理解しました。
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(説明)1860年に初代幸八郎が鋳物工場を始めて以来、高岡銅器に携わってきました。
開町400年の歴史を持つ高岡は戦禍を免れ、金屋町は今なお江戸時代の風情を残しています。

釜の文字の家。
何だろうと覗いてみたら、茶の湯の釜を造るお家でした。
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金町バス停留所1526のバスで駅に戻りました。
平日でよかったです。土日は、この時間帯、バスはありません。
高岡駅で、水色に塗られたキハ40が出発していきました。城端(じょうはな)線ですね。明日、乗車します。
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あいの風とやま鉄道・富山行で富山に戻りました。
少し早めの夕食を取りました。ここのお寿司屋さんのガリは、昆布締め。北前船交易による蝦夷地の昆布が富山に届いていた食文化ですね。
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富山地方鉄道・市内電車。路面電車です。
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道路に素晴らしい円弧の線路が敷かれていました。
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富山1714発、高山本線特急 ひだ20号に乗車。
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JR西日本、東海の境界駅である猪谷で降りました。
ここまで、北陸フリー切符で行けます。
降りたのは、地元のおじいさんと私の二人だけ。
ひっそりとした山間の駅。無人駅です。
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特急列車は、JR西日本の乗務員からJR東海の乗務員へ交代していました。このために、特急が停車しているようにも思えます。
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昔は、交通の要所と思いました。
使われなくなった五階建てのコンクリート建物。国鉄時代の官舎と想像しました。横浜にもこういうのありました。
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猪谷の背斜・向斜(いのたにのはいしゃこうしゃ)を見に行きました。
やはり、ここは昔から交通の境界点ということがわかりました。越中と飛騨の境。
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この辺りと思います。写真左に、お椀型の地層。右に、お椀を伏せた地層が見えました。
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(説明)富山県と岐阜県の県境近く、富山市猪谷地内の神通寺川左岸に位置する、見事な褶曲(地層の曲がり)の露頭。褶曲の高まったところを「背斜」、
低くなったところを「向斜」と呼び、対岸からよく観察することができる。
約1億3000年前の中生代白亜紀前半に堆積した手取統の猪谷互層といわれる厚さ1mほどの砂岩と、30cmほどの頁岩が重なった地層が褶曲したもので、
河岸段丘の崖にある見事な露頭は、学術上貴重な資料である。

駅に戻りました。駅前の通りの各家の玄関前に仏像が置いてありました。
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猪谷1816発の特急ひだ13号で富山に戻りました。
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夕暮れ。これで、今日の行動は終了です。
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今日の一品。
白えび、ほたるイカ、ぶり、の天丼。
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「北海道・塩狩」2021/3/12-14

「北海道・塩狩」2021/3/12-14

JRダイヤ改正が、今年2021年は3/13です。
3/12で、
・北海道では、無人駅18駅が廃止されます。宗谷本線は、そのうちの12の無人駅が廃止されます。
・国鉄時代からの車両が、徐々に消えていきます。
娘の奈々子を誘い、塩狩に出かけてみました。
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〇第一日目 2021/3/12 金曜日
おはようございます。
今回は、早起きせず、ゆったりと出かけました。

JAL553、10:15 東京(羽田) → 11:55 旭川行きに乗りました。
北海道に入ってきました。
雲に沿って、渡島半島が見えました。
写真左下が函館です。写真中央下に恵山。写真右中央に北海道駒ヶ岳。この二つで確定しました。
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北海道駒ヶ岳です。函館、大沼公園の北に位置します。列車から見ても綺麗な山です。
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支笏湖です。
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ウトナイ湖です。ラムサール条約の登録湿地です。白鳥が飛来します。凍っていますね。
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新千歳空港です。
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美瑛の街が見えました。
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空港からバスで旭川駅へ移動。
イオンモールでお土産を購入。
昼食は、鯖寿司と駅の幌加内そば。
音威子府の駅そばがなくなりました。店主のご主人が亡くなられたとのことです。ご冥福をお祈り申し上げます。
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ダイヤ改正前日。
もうすぐ引退時期が間近い気動車「キハ40」が停まっていました。
石北本線・上川行き普通列車での運行でした。
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乗車する宗谷本線・音威子府行き普通列車は、「キハ54」でした。
車内は、混んでいませんでした。
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旭川運転所に、明日から登場する気動車「H1100」が停まっていました。
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今日で廃止される「南比布(みなみぴっぷ)駅」に停車しました。
短いホームに、小旗を持った方々が出迎えてくれました。
比布町のゆるキャラである「いちごちゃん」だろうと思われるゆるキャラも出迎えをしてくれました。
普段は人影がない無人駅。3/12は最後の日ということで、町民の方々が駅との別れ、鉄道へのお礼を述べに来られていたと思います。
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3/13朝日新聞朝刊・北海道版に、掲載されました。
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次の比布駅でも多くの方がホームにおられました。
この方々は、旭川に出かける人たちと思います。
列車が来ないので、日向ぼっこしていたんだろうと推測しました。
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「北比布駅」。ここも今日限りです。
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昨年、比布駅から北比布駅まで歩きました。これが、北比布駅の全容です。
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さあ、塩狩峠に差し掛かってきました。ディーゼルエンジンが出力を上げます。
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塩狩駅に到着しました。
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今日の宿、「塩狩ヒュッテユースホステル」です。塩狩駅から徒歩2分ぐらい。鉄道旅でもokです。
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三浦綾子記念館は、雪の中です。
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「塩狩ヒュッテ」に荷物を置いて、列車撮影しました。
今日は、ラッセル車は来ませんでした。
上り快速列車。「キハ40」。このデザイン好きです。
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2番線のレールは、痛んできています。
この傷は、ラッセル車が停車し、出発するとき、重いラッセル車の車輪がレールを圧して進行するのではと、
勝手に想像しました。
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「塩狩駅」を通過する下り快速列車です。「キハ40」。
塩狩駅は、4/1から自治体が管理する駅になります。
塩狩駅の周囲に、民家は2軒、人口は3人。
通学の高校生、旅人が利用する塩狩駅。存続を応援していきます。
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塩狩駅を通過した列車は、「塩狩ヒュッテユースホステル」の脇を走っていきます。
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塩狩ヒュッテユースホステルの窓から、上り特急「サロベツ」を撮影しました。
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廃止される「東六線駅」に出かけてみました。
2/28キャンドルナイトで使った氷のランタンが残っていました。
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下り列車が峠を登ってきました。
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「東六線駅」で下車。
多くの鉄道ファンが下車しました。
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「東六線駅」です。
長さ20mの車両が一両がやっと木が張られたホームにかかる、小さな駅です。
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上り列車がやってきました。
これに乗り遅れると塩狩に戻るのが大変なことになります。
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夕焼けです。
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二つ先の塩狩駅に戻ってきたときは、陽が完全に暮れていました。
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「塩狩ヒュッテユースホステル」に戻り、夕食です。
薪ストーブに火が入った食堂で、温かい夕食。ありがたいです。
大好きなかぼちゃコロッケを出してくれました。かぼちゃのお餅(米粉と片栗粉と聞いたような)、初めてでした。
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トマトスープ味の魚料理。
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シャワーを浴びて、さっぱりしました。

「塩狩ヒュッテユースホステル」のベッドは手造り。そもそも建物自体が、合田夫妻の手造り。
この二段ベッドから、窓越しに、宗谷本線を走る列車を見ることができます。
寝ていても、近づいてくる気動車のディーゼルエンジンの音を聞くことができます。
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ダイヤ改正前日も終了。駅が消えていきました。
おやすみなさい。

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〇二日目 2021/3/13 土曜日
おはようございます。
しっかり眠りました。

新しい車両「H100系」が走っていきました。
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宿泊客の方が旭川に出て帰路につきます。
塩狩駅で、見送りしました。
車両は、「キハ54」でした。
たまたまです。塩狩駅を管轄している永山駅長が、来られていました。
ご挨拶して、少しお話させていただきました。
永山駅長、塩狩ヒュッテユースホステルの女将さん・合田康代さん、私の3人で、見送りました。
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塩狩ヒュッテユースホステルのご主人・合田俊之さんが、夫婦岩までスノーシューツアーをやってくれるというので、
奈々子と一緒に参加しました。
スノーシューを筆頭に、手袋、防水ズボン、ヤッケ、そしてサングラスまで、全部貸してもらいました。

初めての夫婦岩までの歩きなので、どこを歩いているのかはだいたいの把握です。
合田さんが、道々、解説してくれました。
「こちらが石狩国、反対側は天塩国。
昔の人が通った道は、ここ。
テレビの電波中継塔は、あの山の上。」とか、詳しく説明してくれました。
雪道をひたすら歩きました。
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途中、大雪山山系、十勝岳山系が見えました。石狩国側です。
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天塩国側。和寒町。
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夫婦岩。なんでこんなところにあるんだろうと思いました。
説明では、「人類より先にここにあった。」と書いてありました。人類の先輩です。
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記念撮影。
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帰りは、尾根道を歩きました。行きは、ぐっと右回りして登ってきたことに気づきました。
行きの道に戻ってきました。
9時に出発し12時に、塩狩ヒュッテユースホステルに戻ってきました。
厚着をしないで良かったです。汗をかいていました。
スノーシュー企画、ありがとうございました。

昼食を食べに、和寒町の市街地に行きます。
合田康代さんに和寒駅前まで送ってもらいました。
昔、駅弁をだしていたと聞いた食堂に入りました。
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野菜入り味噌ラーメンと稲荷ずしを注文しました。
和寒のキャベツが入っていました。
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会計の時、女将さんに、「こちらは駅弁を出されていた食堂ですね。」とお聞きしたところ、
「そうです。昔ね。」とお答えしてくれました。
ごちそうさまでした。

町歩き。倉庫は古い立派なもの。
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町の交流館「ひだまり」に行ってみました。
私は二度目。前回、ここで、和寒は、かぼちゃ、キャベツだけでなく、トマトの栽培も盛んというのを知りました。
奈々子は、かぼちゃの種をペーストしたアイスクリームを食べていました。

帰りのバスの時刻を確認しに、セイコーマートの隣にあるバス待合室に行きました。
道北バス。旭川ー名寄間。一時間に1本ぐらいの運行です。
和寒町図書館に行ってみました。
受付の職員に、「和寒町の史料はありますか?」とお聞きしたところ、
資料室に連れて行ってくれました。史料を出してくれました。
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そこにいた、おばあちゃんが声をかけてくれました。
「町の史料を見せてくれ。」という声を聞いた時、わくわくしました。と。
このおばあちゃんは、和寒高校時代に、郷土資料の部活動に参画していた。
指導してくれた先生が書かれた本を紹介してくれました。
いろいろ解説してくれました。
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ご自身でも冊子を書かれていました。鷲見(すみ)紀子さんというお名前が書かれていました。
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理解したこと。
・和寒の呼び名「ワッサム」は、アイヌ語。「楡の樹のそば」という意味。
 アイヌの人々は、木の皮で糸をつくり、衣服を織っていた。
・和寒町は、鉄道が通る前に造られたが、鉄道が開通して、人々が移り住んできた。
 1900年ごろ。
・除虫菊の栽培地であった。

再度、和寒町図書館を訪問し、ゆっくり読んでみようと思いました。
ありがとうございました。

バス待合室まで戻り、旭川行きバスに乗りました。
バス停・塩狩で降りて、塩狩ヒュッテユースホステルに戻りました。
昔、汽車の座席についていた瓶の栓抜きの復刻版を、ヒュッテで売っています。
確か、愛知県の方が限定100個を生産してくれたと聞いています。
これをわざわざ買いに来られた人がいました。
合田さんに電話で確認し、販売させていただきました。
お釣りは、塩狩駅存続の寄付金にしてくれました。優しい人でした。

夕食は、ジンギスカン鍋。
瓶ビールを注文し、常設・テーブル固定の栓抜きで、合田さんの次男しんくん(小学3年生)が、栓を開けてくれました。
美味しい夕食になりました。
米「ゆめぴりか」は、和寒町どこでも栽培できるものではない。「ゆめぴりか」と呼べる基準がある。
塩狩付近では、和寒町の南部から、南側に位置する比布町で栽培されている。
というのを教わりました。農家さんに行ってみたいです。
デザートに、宇和島の赤松さんに注文した苺、六花亭のホワイトデー限定ロールケーキを差し入れ、
みんなでいただきました。
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学校の先生だった、日本史専門、というシニア女性がおられ、いろいろお話を伺うことができました。
なにしろお元気。自転車を借りて、峠道を数十キロ走ったり、山登りをされたり、カヌーをしたり。
こういう旅もあるんだと、教えられました。鉄道オタクだけではいけないことを。(笑)

私は早く寝ました。
女性同士で楽しい会話があったかも。

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〇三日目 2021/3/14 日曜日
まっすぐ横浜に帰ります。
というか、帰るのに、一日かかります。
旭川から羽田行きのJALは一日一便。
その飛行機に乗るためには、塩狩駅08:45快速に乗らないと間に合いません。
行き違いのためこの快速列車が運転停車していたのを、ドア扱いしてもらい、乗り降りできるようになった一年前。
すごいタイミングでした。
昨日からは、ここ塩狩駅で行き違いをしていません。隣の和寒駅で行き違いになっています。
もしドア扱いが実現していなかったら、今日、塩狩駅07:35の旭川行きに乗らなければなりませんでした。
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廃止された駅は、すでに、駅表示板は撤去されていました。
永山駅で、札幌からの下り特急「宗谷」と入れ違いをしていました。
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旭川空港で新聞を購入すると、JR貨物のディーゼル機関車「DD51」の引退の記事が載っていました。
「DD51」は、大型のディーゼル機関車です。
北海道では、客車を牽引するのにも活躍しました。寝台特急「北斗星」、「カシオペア」では、二両の機関車が客車を牽引しました。
東日本大震災では、仙台にガソリンを運ぶために、新潟から、電化されていない山道(急こう配、急カーブ)の磐越西線を走り、
会津若松に抜け、さらに郡山、そして仙台へと、ガソリンタンクの重い貨物車を牽引しました。
すごい貢献をしたディーゼル機関車でした。これを運転するのに、定年間近なディーゼル機関車運転一筋のベテランが選ばれた、
運転は多くの苦労があったと、書かれていました。機関車も運転士もお疲れ様でした。

羽田行きのJALは、一度、駐機場を離れましたが、後方のトイレのドアが壊れているのが見つかり、駐機場に引き返しました。
約一時間遅れで、旭川を出発しました。

鉄道の歴史の小さな変化点でしたが、現場で体験できたこと、嬉しく思っています。
旅は、いろいろなことに出くわします。
落ち着いて、時にはワクワクして、行動していきます。





只見線。湯治。 2021/2/20-23

「只見線。湯治。」

今までの、わいわいする旅は当分できない。もっと言うと、できないかもしれない。
2021年2月。新しい旅の形を模索しました。「静旅」。
【基本3事項】
・一人で旅をする。(これは、いつものことでした!)
・知っている人には極力会わない。
・静かにする。会話はなるべくしない。

今回、只見線が走る奥会津を訪ねました。
(説明)
JR只見線は、福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ全長約135kmの路線です。
昭和48年に只見線と並行する国道252号が開通しましたが、沿線周辺は国内有数の豪雪地帯。
冬期間は、福島・新潟県境(六十里越)が通行止めとなるため、只見線は地域にとって大切な交通機関として、その役割を担ってきました。

私は、福島県生活交通課が推進している「只見線応援団員」になっています。
会津坂下から先の会津川口までは、一日上下6本ずつの運行です。
私なりに、只見線の今を見ることができました。
今回は、「撮り鉄」中心、「乗り鉄」少しとなりました。


「早戸温泉つるの湯」の宿泊棟に宿泊しました。昔の湯治スタイルで、自炊です。
温泉に入り、食事、また温泉に入る、という生活ができるところです。
一人でも宿泊させていただけるということで、ここに決めました。

〇2021/2/20 土曜日
おはようございます。
朝05:30に車を出しました。
今回は自炊なので、夕食3食分、昼食1食分、朝食3食分の食材を持ちました。
食材は、レトルト中心です。
宿泊施設の炊事場がどうなっているかわかっていないので、紙皿や紙コップなども積みました。

東名、首都高、東北道と通って、郡山で磐越道に入りました。トンネルを抜けると、霧。
それも前を確認するのがやっとの霧。雪が舞い上がるスノーアウトではないので、前方の車のテールランプは見えました。

会津坂下ICで磐越道を降りて、早戸に向かいました。
運がいいのか、霧が晴れてきました。天気は、晴れのようです。そんなに寒くないです。
会津坂本駅を過ぎました。時刻は、09:30過ぎ。ちょうど、上り会津若松行きがくる時刻です。
二両編成の気動車がやってきました。「キハE120」。只見線にとっては、新しい車両です。
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会津柳津駅に寄ってみました。
駅舎です。昔は、有人駅でした。
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昨年春まで走っていた気動車「キハ40」と、交代した新型気動車「キハE120」のボードがホームにありました。
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昔、只見線を走っていた蒸気機関車C11が展示してあります。
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粟まんじゅうで有名な小池菓子舗に寄って、粟(あわ)まんじゅうと栗(くり)まんじゅうを買いました。
お店の中で、昔のようにストーブにあたりながら、まんじゅうを食べることは叶いませんでした。
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福満虚空蔵尊 円蔵寺です。
赤べこの発祥地です。
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(説明)
日本三所の虚空蔵(こくぞう)菩薩の一つに数えられる福満虚空藏菩薩。
今から凡そ千二百有余年の昔、大同2年(807年)名僧徳一大師によって開創され、
本尊の福満虚空藏菩薩は弘法大使により刻まれたと伝えられています。

調べると、日本三所の虚空藏菩薩は次の3つです。
能満虚空藏菩薩 千光山 清澄寺 (千葉県鴨川市清澄)
大満虚空藏菩薩 村松山 日髙寺 (茨城県那珂郡東海村)
福満虚空藏菩薩 霊巌山 圓藏寺 (福島県河沼郡柳津町)

小さな祠がありました。こちらは、大日如来を祀っていました。
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只見川です。流れはほとんどないように見えました。
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宿泊地の早戸を過ぎて、会津中川駅に寄りました。駅内のホームへの踏切から見たホームは、除雪され、除雪された雪が高く積まれていました。無人駅、乗客が少ないといえど、「駅」です。
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少し早いですが、道の駅で昼食。高遠そば。辛い大根おろしが乗っていました。
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食堂の前の、昔の家は雪の中。
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お腹もいっぱいになったので、会津川口駅まで行く気になりました。
途中、2名の方が三脚を立てていました。
マスクをして一言聞きました。「撮影ですか?」返答は、「はい。」
近寄ってみると、有名な撮影ポイントでした。
距離を置いて、撮影させていただきました。
只見川、大志部落、只見線。只見線は、上り会津川口12:32発会津若松行き。
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大志部落。
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会津西方駅へ移動。第二橋梁。先ほどの列車を再度見ることができました。会津西方駅13:03発会津若松行き。
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天気は良好。
第一橋梁に行ってみました。
この鉄塔までプチ登山です。
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私より前に鉄塔の下まで来ていた私ぐらいの歳の方に挨拶しました。すると、話しかけてきました。
仲間は1時間30分まえの列車が通過した後下山した、どうも、ここに1時間以上一人でいたらしい、ということがわかりました。
話し相手が欲しかったんだと思いました。わかります。
私に、地元の方でないとわからない奥会津、南会津でのコロナ感染の状況や雪のことを話してくれました。
鉄塔の真下から、第一橋梁を通過する、下り会津西方駅14:27発会津川口行きを撮影することができました。
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西方の集落を通過するのも撮影できました。林が切れる白い雪の上を列車は走っています。
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「早戸温泉つるの湯」に移動。
湯治棟に、チェックインしました。
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昔の湯治場のイメージではなく、シェアハウスという感じ。
部屋は、6畳の和室。洗面台、トイレが部屋についている。ありがたい。
キッチンはオール電化。綺麗。やかん、鍋、包丁、食器が充実。部屋専用の電気釜までありました。
冷蔵庫、冷凍庫も完備。
部屋からの眺めです。
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早速、大きな浴室のある日帰り温泉棟に行きました。
内風呂、只見川が目の前を流れる露天風呂に入りました。
毎分120Lの豊富な湯。湯舟に、勢いよく湯が注がれていました。嬉しいです。
温泉
◇ 泉質
 ナトリウム塩化物温泉
◇ 温度
 53.5度   浴槽には、少し熱めの適温まで、温度を下げてあります。
◇ 効能
 特に外傷,術後の回復に大きな効果があります。
 慢性皮膚病、やけど、慢性婦人病、神経痛、
 慢性消化器病、疲労回復
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露天風呂からの景色のイメージです。写真は、入浴後、離れたところから。
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夕食のレトルト食品を温めて、部屋で食べました。
宿泊している方々は、ビールやワインを大量に持ち込まれておられ、料理も手が込んでいました。
フライパンあるので、肉を焼いたり、パスタも作れる。次回、考えます。
湯治棟浴室は、午前5時より午後10時まで入浴できます。
寝る前に、こちらに入りました。2~3名という大きさの浴室でした。湯は日帰り温泉棟と同じ。
一日お疲れ様でした。
おやすみなさい。

〇2021/2/21 日曜日
05:30。おはようございます。
外は暗い。日の出は06:20前後です。
湯治棟浴室に行きました。
すでに、おじいさんがお一人入浴されていました。
さすが、湯治場の朝です。

朝食(パン食)を準備して、テレビの天気予報をみながら朝食を食べました。
近くの第三橋梁が見ることができる撮影ポイントに向かいました。スノーシェッドの中。
上り早戸07:23発会津若松行きが来ました。
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雲が流れてきました。霧発生。
下り会津宮下07:34発会津川口行きが来ました。
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一度、宿に戻って、温泉。温まりました。

早戸駅の南側に行ってみました。
上り会津水沼08:50発会津若松行きが、細越橋梁(通称:眼鏡橋、コンクリート製)を通過しました。近代土木遺産に登録する活動がなされています。
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下り早戸09:20発会津川口行きが来ました。
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宿に戻って、湯治棟浴室へ。
温泉、好きです。
早めの昼食は、乾麺「富倉蕎麦」を茹でて、ざるそばを作りました。

会津宮下の町に行ってみました。
町役場の脇に、湧き水があります。冷たくて美味しい。
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第二橋梁の側に行きました。鉄橋を渡る列車を撮影します。
新潟から軽自動車で来られたご夫婦とご一緒に撮影しました。
「新潟県より、福島県に来て只見線を撮影するのが好き。」とご主人がおっしゃっていました。
「家にずっといるより、人のいないところならばOKと思い、運動がてら来ました。」と奥様。
上り会津宮下12:59発会津若松行き。
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第三橋梁が見れる場所へ移動。
第三橋梁から会津若松に少し寄ったところを走る下り列車、会津宮下14:31発会津川口行き。
只見川に山が迫るほんのわずかな空間に、橋梁がかけられ線路が敷かれています。感動します!
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上り早戸15:44発会津若松行き。
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宿に戻って、大きな浴室のある日帰り温泉棟へ。
温まる!
夕食食べて、再度出発しました。
只見線に乗ります。
早戸駅に車を駐車。
外は真っ暗。日の入りは、17:33です。
早戸駅18:30発会津川口行きが来ました。夜汽車です。
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乗客は、私を入れてわずか2名。車掌さんから、会津川口往復切符を購入しました。
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新しい車両。よくできています。トイレも大きくて綺麗。
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会津川口に18:48着。ラッセル車がいるかと思いましたがいませんでした。
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今は、この先、線路が途切れています。
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2022年度の復旧と聞いております。
川口から只見方面の鉄路がふたたびつながるのを期待しています。応援します。
新潟方面からの人の移動が滑らかになります。
駅前には、只見方面の代行バス19:00発が待っていました。でも、お客さんはいませんでした。
(説明)
2011年3月11日、東日本大震災とそれに伴う原発事故により、福島県はこれまで経験したことのない甚大な被害を被りました。
こうした中で、さらに追い打ちをかけるように2011年7月に新潟・福島豪雨が発生し、只見線は鉄橋の流出や土砂崩れによる線路の崩壊など、甚大な被害を受けました。特に会津川口・只見駅間は被害が大きく、只見川に架かる第5、第6、第7の橋りょうが流出したほか、第8只見川橋りょう付近でも盛土の崩壊などが起きました。災害後、JR東日本の懸命な復旧作業により、只見線の大部分で運行が再開されましたが、被害が特に大きかった会津川口・只見駅間は現在でも不通となっており、バスによる代行輸送が続いています。

乗って来た列車が、折り返し上り19:09発会津若松行き最終列車になります。
乗客は私一人。貸し切り。少々寂しい感じがしました。
車掌さんは、先ほどの車掌さんでした。
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早戸駅で下車。最終列車は、トンネルの中に入っていきました。
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車で戻りました。
寝る前に、湯治棟浴室で入浴。
好きな時刻に温泉に入れるのって、ものすごくありがたいです。
布団のなかで、KIZANメルローを飲みながら、文藝春秋3月号「コロナ第三波 失敗の本質」を読みながら、眠りました。

〇2021/2/23 月曜日
おはようございます。朝06:00。
まず、朝風呂。

今日は、山都駅、喜多方駅のある磐越西線に行ってみます。
新潟-新津-会津若松を結んでいる路線です。

朝食を食べて、出発しました。
昨日も来た、只見線の第三橋梁から会津若松に少し寄ったところ。上り早戸07:23発会津若松行に撮影できました。
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会津宮下の町で、踏切を通過した、下り会津宮下07:34発会津川口行きに間に合いました。
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只見川。この付近は、渡し船があったところと聞いています。
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会津坂本付近で、雪景色の田圃の脇を、下り会津坂本08:40発会津川口行きが通過していきました。三両編成。
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奥会津から喜多方地方へ出てきました。
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山都駅。
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有名な一ノ戸川橋梁に到着。
丘は雪で覆われ、近づけませんでした。
橋梁の下に移動しました。
川の流れは速い。時折、雪の塊が流れていきました。
上り快速「あがの」新潟発会津若松行き。山都駅10:19発。
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喜多方の街に行ってみました。
喜多方ラーメンのパンフレットを駅でもらい、駐車場のある「一平」に行ってみました。
このお店の名物、豚背脂のはいったラーメンを注文しました。
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餃子も頼み、美味しかったです。
お店を出ると、たくさんのお客さんが来ていました。11:30。昼食時でした。

会津大仏のあるお寺に行ってみました。
駐車場に、灰色の鷺。じっとしていました。餌をねっらていたのか。
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お寺。大仏さんは、高さ5mぐらいの大きさ。金色。
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ふたたび、一ノ戸川橋梁に行ってみました。
下り野沢行き普通列車。山都駅13:16発。
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上り会津若松行き普通列車。山都駅13:16発。晴れてよかったです。そして、暖かい。
一ノ戸川橋梁を下から見ると、谷合いを挟む丘陵どうしを結ぶため、こんな高い橋梁をかける土木の力を感じました。
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宿に戻ります。
喜多方から奥会津への峠の途中で見れた景色です。米どころです。
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途中、会津宮下の町にあるアーチ橋三兄弟(上から、国道、鉄道(大谷川橋梁)、町の道)で、下り列車(会津宮下14:31発)を見ることができました。
三つのアーチ橋を見れるところは、ここだけだそうです。
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宮下駅に行ってみると、降りてきたのは、女子高校性一人。
只見線は、こんな山の中を走っています。
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宿に戻り、休憩。昼寝。
陽が沈んでから、日帰り温泉棟の浴室へ。
露天風呂で、対岸の数軒の集落の灯り、只見川に映る灯りを見ながら、ゆっくりと湯に浸かりました。

遅めの夕食を作り、テレビを観ながら食事。
そして、寝る前の温泉。
おやすみなさい。

〇2021/2/23 火曜日
おはようございます。
今日、家に戻ります。
最後の温泉入浴。朝風呂って、考えてみると、贅沢です。
07:00出発。
外に出てみると、雪が舞っていました。
磐越道では、ずっと雪が舞っていました。
東北道に入ると、晴れてきました。
首都高速、東名が渋滞。
12:30に家に着きました。

奥会津に来て、理解した福島県の今。
-(テレビ)この前の地震で壊れた家は、今時点で3347軒。新地町が被害の中心。まだ全容がわかっていない。
-(テレビ)福島県沖合いの魚に、2年ぶりに基準値を超える放射線を検出。
-(南会津の人)新型コロナ感染。会津でも感染者が出ている。南会津では変異株の感染があった。
-(テレビ)復興五輪が忘れられている。
-(奥会津の人)今年、雪多い。水が森や林に溜まる。稲作に期待。
-(奥会津)日曜日の只見線の夜汽車(と言っても、19時台。上り最終列車。)。始発の会津川口駅から乗車したのは私一人。
月曜日の会津宮下駅。午後の会津若松からの列車では、女子高校生が一人降りていた。只見線、乗る人が少ない。

行って良かったです。

早戸温泉つるの湯。
「また来てくださいね!」の一言。
新型コロナ感染が収束し、少しでも気軽に旅できることが、私はもちろん、地方にも良いようです。

長野県・信州中野 2020/11/22,23

〇2020/11/22日曜日
おはようございます。
今日は、天気が良さそうです。
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宿の裏の家のリンゴの樹。若い樹だそうです。
葉が黄色に色づいていました。
赤いりんごの実がなっていました。
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07:30に朝食をいただいて、08:00出発。
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長野電鉄・長野線・信濃竹原駅近くの夜間瀬(よませ)川にかかる橋に行ってみました。
後ろの山は、高社山(こうしゃさん)。山の左手麓に、北陸新幹線が通るトンネルが掘られています。山の反対側は、木島平。
長野行き普通電車が通りました。昔の日比谷線の車両。
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遠くに、雪を抱く山が見えました。
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昨夜教えてもらった共選所に行ってみました。
看板は出ていませんでしたが、誘導員の方がおられました。
Uターンして、駐車場に車を停めました。
09:00販売開始の前ですが、地元の方が20名ぐらい集まっていました。
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トイレから戻ると、皆さん、共選所の中に入っていました。
リンゴ箱単位での販売。農家、品種、値段が書いてあり、好きなのを選んで購入します。
どれがよいかわかりません。
「サンふじ」の大きいリンゴを選びました。
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段ボールに積み替えていると、JA長野の方が手伝ってくれました。
「暑さのため、りんごの玉割れが多い。味は大丈夫だから、食べてください。」と話してくれました。
リンゴにも温暖化の影響が出ていますね。

しなの鉄道北しなの線の黒姫駅方面に移動します。
昨夜教わった鉄道撮影ポイントに行きます。
狭い枝道に出ると、レールが残っていました。
ここは、踏切跡です。長野電鉄の木島平まで鉄道があった時代の名残と思いました。
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黒姫駅と古間駅の中間。
国道18号と北しなの線が交差する場所にやってきました。
すでに3人の方が、カメラをセットして、電車が来るのを待っていました。
晴れ。黒姫山が線路のバックに見えました。
妙高高原方面へ電車は登っていきました。
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戻って、飯山方面に向かいました。
神戸(ごうど)の大イチョウの紅葉(黄色)を見に行きました。
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樹高36メートル、樹齢500年越と伝えられている巨木です。
神様が宿る樹です。
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近くの様子です。
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農家の野沢菜畑もありました。
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野沢温泉に行ってみました。
観光協会の駐車場に車を停めて、昨夜教わった、私でも入れる温度の湯舟がある外湯(共同浴場)「熊の手洗湯(てあらゆ)」に行ってみました。
町の下側に位置します。
途中、洗濯場がありました。湯が豊富な証です。
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「熊の手洗湯(てあらゆ)」。
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寸志を入れて中へ。脱衣場と湯舟の仕切りは無し。
あつ湯は、手を入れただけでジーンとくる熱さでした。
ぬる湯は、少し熱めの適温。ゆっくり湯に浸かっていることができました。
こういう良質の湯に入れる。ありがたいです。
よその家で入浴させてもらうとき使う言葉「湯を使わせてもらう。」というのが浮かびました。
温まったのを冷ますために、ぶらぶらと街を歩きました。
あの山は、夜間瀬川から見た同じ山かな。雪。
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昼食は飯山で、「富倉蕎麦」、オヤマボクチ(火縄銃の火をつける布の材料)をつなぎとした奥信濃伝統の手打ちそば、を食べたいと思い、
六兵衛というお店に行ってみましたが、予約でいっぱいでした。観光バスが停まっていました。
国道の定食屋「とみ」に行ってみました。鶏の唐揚げで有名な、地元おばちゃんがやっている食堂です。
入れましたが、定食が出てくるまで、30分かかりました。
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お詫びにと、アイスコーヒーを出してくれました。
「今日は、お客さんがいっぱいでごめんね。(私は常連さんではありません。もちろん。)
毎日こうだといいんだけどね。最近は、ずっとがらがら。」と笑顔でお話してくれました。

朝行った夜間瀬川にかかる橋に行ってみました。
夜間瀬川の河原から撮影。
長野行き特急。昔の小田急ロマンスカー。
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湯田中行き普通電車。
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鉄橋の近くで撮影。
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信濃竹原駅に行きました。
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ホームに出てみると、昔の成田エクスプレスがやってきました。びっくりしました。
もう一つ。日本の鉄道は、左側通行です。右側に入ってきました。固定観念はいけませんね。
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交換で待ち合わせていた普通電車が駅を出ていきましいた。
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りんごの樹。撮影させていただきました。
これほど黄色に輝くりんごの樹を見るのは初めてでした。
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いただいた地域共通クーポンで、夕食を購入。持ち帰り。
最後、JR東日本・飯山線の気動車を撮影しようと、上今井駅付近に行ってみました。
千曲川。工事している箇所がありました。
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ここが、水に浸かった上今井の共選所。一昨年前、ここでリンゴを購入させてもらいました。
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夕暮れです。上弦の月が見えました。
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撮影を決めた所は、美女坂踏切。
確かに、お一人で散歩されていた美女が通りました。
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踏切の遮断機の説明は、具体的には、「突破せよ!」ということと勝手に理解しました!
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飯山線、長野行き普通列車が来ました。
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暗くなってきました。長嶺(ながみね)温泉に行って、木の湯舟の湯にゆったり浸かりました。
70歳後半と思われるおじいちゃん方は、コロナ感染関係なく大きな声で話します。
一人、郵便局の仕分けのアルバイトを始めた人がおられ、仲間が仕事内容など、詳しく尋ねていました。
そのおじいちゃんのセリフ。「たまに間違えるよ。違う所に配達されるかも。」
この緩やかな環境、いいですね!

宿に戻って、購入した夕食をいただきました。
昨夜と同じように鉄道のお話をしました。
高橋さんから、貴重なお話を聞くことができました。
注目は、富山県と理解しました。

ゲストハウス「かのか」に、鉄道模型Nゲージの線路が敷かれています。
次回、手持ちの、北斗星寝台客車と北斗星仕様EF81電気機関車の模型を持ってきて走らせます。
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今日の一品。「笹寿司。」
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〇2020/11/23月曜日
おはようございます。
曇り。冷えます。
昨夜は、雨が降りました。
宿の裏の家のリンゴの樹を見ると、葉が落ちていました。一晩で。
驚きました。
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帰宅しました。
途中、横川SAで、「峠の釜飯」を購入しました。
昔、母の実家がある直江津に行く時、碓氷峠を越える前に、横川駅で購入したことを思い出しました。

今日の一品:「峠の釜飯」。付いている漬け物が好きです。
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りんご農家は、りんごの実り具合を見ながら、りんごの収穫時期を選んでいます。
緊張する11月だと思います。12月になると、霜が降り、雪が降ります。
形の良い、美味しいリンゴを収穫できると良いです。
でも、温暖化と思われる天候で、「玉割れ」が発生しています。
農家の力では防げません。
みんなで、異常気象や温暖化を防ぐ活動、生活が必要と実感した旅でした。

長野県・信州中野 2020/11/21

信州中野へ、リンゴ購入、鉄道写真撮影 2020/11/21-23

りんご大産地である長野県信州中野を訪ねました。
晩秋の風景を楽しみました。

○2020/11/21土曜日
おはようございます。
三連休なので、高速道路は渋滞すると推測して、早めの出発をしました。(いつもですね。)
午前5時。東名高速道は、集中工事、事故の影響があり、最初から渋滞。
のんびりと運転しました。
圏央道の狭山PA。今日は晴れそうです。
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信越自動車道の佐久平PA。鯉の飛躍。
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千曲川PA。千曲川が見えました。
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信州中野ICで一度降りました。
JA長野の直売所に寄りました。
店先のテントで若い方々が、りんごを販売していました。りんご農家の若者の皆さんでした。
りんごの出来の説明を聞きました。「味は良い。しかし、割れてしまうのが出ている。」
説明してくれた若者から、「サンふじ」を購入しました。

戸隠神社奥社(おくしゃ)入り口に到着しました。
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駐車場は有料でした。
雪が降っていました。
寒い。
(説明)
戸隠神社は、戸隠山の麓に、奥社・中社(ちゅうしゃ)・宝光社・九頭龍社(くずりゅうしゃ)・火之御子社の五社からなる、
創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
<戸隠神社5社の主なご利益>
1)奥社→開運・心願成就
2)九頭龍社→縁結び・水の恵み
3)中社→学業成就・家内安全
4)火之御子社→舞楽芸能の上達・縁結び
5)宝光社→安産・厄除け

雪は止みました。歩き始めました。距離は、片道約2km。
入り口。大鳥居。
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参道。
晴れてきました。
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あと1400m。
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中間部にある山門。歴史を感じる藁葺き屋根。
(説明)
神域に邪悪なものが入るのを防ぐための随神門。
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杉並木。杉樹の背が高い。
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坂が急になってきました。
晩秋なのに、汗をかいてきました。
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最後の階段はつらいのなんの。腿が上がらない!(笑)
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参拝。
九頭龍社。
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奥社。
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戻ります。
小さな細い滝。修行者が滝に打たれるのを想像しました。
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転ばないように慎重に降りました。
樹の根元に苔。
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中社に移動。
駐車場はいっぱいでした。
駐車場からの横道を通って、本殿へ。
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参拝。
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本殿の横に滝。
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樹齢700年を超えるご神木。
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樹齢800年を超える三本杉というのもありました。
ここ中社付近は、大勢の観光団体客が来られていました。
蕎麦屋さん一帯は数多くの人出でした。お店に入れませんでした。
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下に移動しました。
「新蕎麦」の案内が見えました。
車を停めました。
蕎麦屋さんではなく、宿坊でした。
座敷で、戸隠蕎麦をいただきました。
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玄関を出て、せっかくなので、宝光社にお参りしようとすると、ご主人が、「うちの庭を通って行けますよ。」と声をかけてくれました。
どういう位置関係なのだろうと思いながら歩くと、社の前に出ました。
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麓の社と言えど、急な階段がそびえ立っていました。
気合いを入れて、一気に登りました。
きつい!
あとで知りました。274段。上から撮影しました。
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参拝。
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お神輿です。担いで、あの階段を登るのか!
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長野市方面に移動しました。
池がありました。
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りんご農家がありました。
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選別、発送作業をしていました。
黄色のりんご「しなのゴールド」を買い求めました。

平たい町の中に出てきました。
武田信玄と上杉謙信の戦いで有名な川中島古戦場に到着しました。
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ここ八幡社の近くに、武田軍が本陣を置いた。
川中島古戦場とはいえ、この地で両軍激闘があった訳ではない。
とわかりました。
そう言われてみると、ここは、河原でもありません。
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八幡社にある武田信玄と上杉謙信一騎討ちの像。馬に乗っているのが謙信。
(説明)
謙信は只一騎愛刀「小豆長光」を振りかざし武田の本陣に切り込み不意を突かれた信玄は軍配で謙信の太刀を受けたという有名な「三太刀、七太刀」も此の処である。
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執念の石。当時、武士が槍で突いた石。現物だそうです。
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(説明)
武田・上杉両軍30,000余の死闘を展開した川中島合戦の最中、
作戦の失敗から緒戦の劣勢を余儀なくされ、身辺が手薄となった武田信玄をめがけて切り込む上杉謙信。
謙信の鋭い切っ先に、あわや信玄も八幡原の露と消えようとした間一髪、
武田軍の中間頭原大隅が、傍らにあった信玄の持槍、青貝の長柄を取って馬上の謙信をめがけて、ひと槍突きだした。
苛立った槍は鎧の方を斜右上から力いっぱい打下したが、またも外れて馬の三頭をしたたか打ったので、
馬は驚き跳ね上ってその場を狂奔し去ったため、信玄は危く虎口を免れることができた。
一方謙信を取り逃がし、無念やるかたない原大隅は、傍らにあったこの石を槍で突き通したといわれる。

遠くない松代町へ移動。
廃線、長野電鉄屋代線の松代駅跡。
駅前に松の木。趣がありました。
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真田家御殿。
城外御殿新御殿(真田邸)と言うらしい。幕末の建物。
(説明)
1862年(文久2年)、文久の改革の一環で参勤交代制度の緩和にともなって、妻子の帰国が許されたことから、松代城外に住まいとした屋敷である。
明治期以降は真田家の私邸として利用された。又、敷地には、蔵、長屋、門、番所、庭園などが完存している。
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表(執務)と奥(住居)を仕切るのは、板戸でした。
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武家屋敷。家老の家。
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松代藩校文武学校。
敷地内には往時の建物がほぼ完存しており、極めて稀な例であるそうです。
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歩いていると、柿が樹に残っているのが塀越しに見えました。
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松代城。
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ここは、武田信玄の時代は、海津城と呼ばれていました。
川中島の戦いも、ここから出兵しています。
江戸初期、真田信之が13万石で入城。以後、松代藩の藩庁として明治維新まで真田氏の居城となっています。
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もう夕方。
今日の宿、信州中野ゲストハウス「かのか」に向かいました。
チェックイン。
お風呂は、近くの長嶺(ながみね)温泉。源泉温度が39.5℃ということで加熱してありますが、源泉かけ流しです。
建物は古いです。
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夕食は、スーパーマーケット「ツルヤ」で購入してきました。
夜は、宿主の高橋さんと鉄道のお話しをしました。
しなの鉄道の撮影ポイントを教えてくれました。助かります。

りんごは、長野でも、市や町が異なると、固さや味が変わるようです。
北の場所のほうが、固いりんごを収穫できるようです。傾向です。
りんご販売を行う共選所の場所を教えてもらいました。ありがたいです。

眠くなってきました。寝ます!
おやすみなさい。

今日の一品。「戸隠そば」。
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静岡県・島田市、大井川鉄道

静岡県・島田市、大井川鉄道

大井川鉄道で、黒い蒸気機関車が牽引する列車が2編成運転されました。
写真撮影に行ってきました。
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〇2020/11/7 土曜日
おはようございます。
車で、静岡県島田市を目指しました。
週明けからの東名高速道路の工事の準備が行われていて、1車線しか利用できませんでした。
朝早いことからでしょうか、まだ車の数が少なかったです。幸い、渋滞は起こりませんでした。
由比PAからの景色です。今日は、曇り。富士山の上に雨が降る雲。
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牧之原台地。お茶畑が広がっていました。
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お茶の花がもう咲いていました。
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蓬莱橋(ほうらいばし)に行ってみました。
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蓬萊橋は、静岡県島田市の大井川に架けられた木造橋です。
全長は897.422メートルです。歩行者と自転車の専用橋です。
1879年(明治12年)に架けられました。
(説明)
「897.4 mの長い木橋」にかけて「厄なしの長生き橋」ともいわれています。
橋名は、徳川宗家の主で静岡藩知事でもあった徳川家達が、かつての家臣たちの激励のために訪れた時に、
牧之原台地を宝の山を意味する「蓬萊山」に例えたことに由来します。

江戸時代の大井川・川越しの下流側に、この橋は架けられています。
板張りの橋。残っていてよかったです。
散歩している人がいました。
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大井川の水量は少なめでした。
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大井川鉄道の最初の撮影地・福用駅を目指しました。大井川を渡る前に、大井川川越遺跡(かわごしいせき)に、出くわしました。
寄っていきます。
東海道と直角に北に向かっている、この狭い道の両側は桜並木。このあたりがもしかして大井川の淵なのかもと思いました。
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町並み。こういうところは、水が通る路がしっかり作られています。
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案内板。
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一番重要な建物。川会所。
(説明)
川庄屋のもとに年行事、待川越、川越小頭などの役がおかれ、その日その日の水深を計り川越賃銭を定め、
大名から庶民まですべての通行人に対する渡渉の割り振りや、諸荷物の配分など日々の運営をはかる仕事が行われました。
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札場。
人足たちが、川札をお金に変えたところです。
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人足たちの集合場所が一番宿、二番宿と呼ばれる番屋です。
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(説明)
川越賃銭と越し方。
大井川を渡るには、川札(人足一人を雇うために札一枚が必要)を川会所で買い、川越人足に手渡してから、人の肩や連台に乗り川を越しました。
この川札の値段は、毎朝、待川越(まちかわごし)が水の深さと川幅を計って定めました。
水深は股通とか乳通と呼び、股通の場合は川札一枚が四十八文でありました。

大井川鉄道の新金谷駅に寄ってみました。
車両基地があります。転車台(ターンテーブル)に蒸気機関車が乗っていました。進行方向を変えるため、設けられました。
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昔の近鉄特急がありました。
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大井川。
水量は少なかったです。ダム放水もしていない模様でした。
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福用駅付近で撮影。
放送機材で撮影している人たちが先にきていました。
下り普通電車・千頭行き。福用駅09:21発。すすき野原の中、通過していきました。
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抜里駅付近に移動。
銀杏の紅葉はもうすぐでした。
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山の中腹まで、お茶畑が開墾されていました。
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上り普通電車・金谷行き。抜里駅10:19発。お茶畑の中を走ります。
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川根温泉に移動。
道の駅で、渋柿、みかんを買いました。
渋柿は、干し柿を作ります。

蒸気機関車牽引列車まで、まだ時間があるので、足湯に入りました。
湧き出てくるところは綺麗な湯なので、湯をすくって顔を洗いました。
塩辛かったです。
足湯があるところは、湯量が豊富です。

第一橋梁の近くに移動。
それなりの人数の人がいました。
ここで、有名な鉄道写真撮影家の中井精也氏をみかけました。
撮影指導をされていました。
大井川鉄道写真の旅グループを率いておられました。
主催は、大井川鉄道と思います。
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少しお話をしました。
「海外の鉄道の放送、良かったです!」
中井氏、「今度、静岡の鉄道を放送します。観てください。」
塩狩バッグを見てもらい、
「駅廃止予定(2021/3ダイヤ改正。)前に、今の53駅を記録するバッグを作りました。
宗谷本線・塩狩駅にお越しください。」

家山を11:09に発車した、第一橋梁を渡る列車です。
手を振ると、乗客のみなさんも手を振ってくれました。
蒸気機関車C11のすぐ後ろに電気機関車が連結されていました。
珍しいと思っていると、中井精也氏も、大井川鉄道の職員・旅アテンダントに「電気機関車の連結場所おかしいな!」と言ってました。
旅アテンダントの説明は、「最後尾の客車が展望車だったので、後ろに電気機関車をつけなかったのでは。」。
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車で、列車のあとを追いかけました。
道からは、大井川を挟んだ線路を行く列車が見えました。
撮影計画した第四橋梁に先に到着できました。
11:50通過。
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計算では、塩郷駅で、12:40に、次の列車が通過します。
雨ですが、吊り橋の上から撮影してみようと思いました。
塩郷の吊り橋は、全長:220m、高さ:11mです。
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雨降りしきる中、列車が来ました。
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蒸気機関車は、C11。
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昔、ユースホステルがあった地名(ぢな)駅で、下り13:00の普通電車があります。
寄ってみました。
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日本で一番短いトンネルを抜けていきました。しかし、このトンネルは山をくりぬいたものではありません。
想像するに、線路をまたぐケーブルを通すために、コンクリートで覆ったと想像しました。
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大井川沿いで昼食をとれるところは少ないです。地名に1軒ある栗原さんのところに行こうと思い、大井川の河原まで来ました。
しかし、今日の営業は夕方のみのこと。
川根温泉で、昼食。川根茶を織り込んだ蕎麦をいただきました。
お茶はもちろん川根茶。

折り返しの列車は、第一橋梁を14:47に通過すると計算しました。
時間があるので、温泉に入り、のんびりしました。外は雨。

第一橋梁に行くと、大井川鉄道の職員の方ととお話することができました。
「中井精也さんとは10年以上のお付き合い。」
「人柄が穏やかで、参加者皆さんに丁寧に写真撮影のコツとかポイントを教えてくださる。」
「中井さんをサポートしている旅行会社が募集。今回は、静岡集合でバスも使っていただいている。ありがたい。」
「応援は、物販の購入、鉄道に乗っていただくことで十分です。」
「若い人が、蒸気機関車の運転免許を持ってくれているのは誇りです。」
一つわかったのは、川根温泉のホテルは、大井川鉄道が経営していること。人気でして、予約がなかなか取れません。

中井誠也氏は、撮影場所を模索されていました。
このあと、川を渡って、向こう岸に消えていきました。
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列車がやってきました。
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「旅グループは、次の列車撮影もここでします。どうされますか?」と、大井川鉄道の職員の方。
お誘いにはきちんと対応する私です。優柔不断というのがあたっていますが。
「ここで撮影していきます。」と返事。
橋の右側から左側に、河原の石の上をとぼとぼ移動しました。
橋梁の下を通りました。
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旅グループの方も左側におられ、お話を聞くと、
「流し撮りのコツを教わりました。」
「優しい人です。」
と、中井精也氏をほめていました。次回、参加したくなりました!

上り普通電車が先にきました。
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続いて、川根温泉笹間渡駅15:33発の列車がやってきました。
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私は、これで撮影終了しました。
お疲れ様でした。
旅グループの皆さんは、あと1本普通電車を撮影するということでした。
川根温泉のホテルに宿泊するのだと思います。

私は、島田市のビジネスホテルに宿泊しました。
夕暮れが早くなり、16:30になると、もう暗くなってきていました。雨も降っています。
17:00。からくり時計が、時を告げました。
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地元のお店で、夕飯をいただきました。
地元新聞「静岡新聞」。
2/23は、富士山の日なんですね。2021/2/23に、トヨタ自動車が未来都市作りの鍬入れ式をおこなうと掲載されていました。
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帰り、オシャレな店構えの小さなたい焼き屋さんがありました。甘党の私です。寄ってみました。
ご年配のご夫婦でしょうか、ご主人がたい焼きを焼き、奥様がお客さん相手をされていました。
一度に、20個とか買っていく人がおられました。
島田市は、静かな町でした。七五三もあると思いますが、着物販売のお店が目につきました。

大井川鉄道も、学生が利用しています。本数が減らないと良いです。

今日の一品です。川根茶を織り込んだ蕎麦。静岡県。
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帰宅して、渋柿の皮を向いて熱湯消毒の上、干し柿作りをしました。
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黒部峡谷鉄道

〇10/26月曜日 黒部峡谷鉄道
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今日も早起き。05:30起床。
今日は、運良ければ、黒部峡谷鉄道に乗ってみます。
団体が来ない前の早い列車を狙います。
今日は晴れると良いです。
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金沢 06:13発JR新幹線はくたか552号・東京行に乗り、黒部宇奈月温泉で下車。
目の前の富山地方鉄道本線の新黒部駅から、07:14発・宇奈月温泉行に乗車します。
駅前に、黒部峡谷鉄道の昔の電気機関車とトロッコが展示されていました。
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富山方面の電車が来ました。通学電車です。
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乗る電車が来ました。
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途中の駅の待合室。座布団が置かれていました。
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宇奈月温泉07:38着。

歩いて、黒部峡谷鉄道の宇奈月駅へ。
宇奈月で、一番列車の07:57発黒部峡谷鉄道・欅平行の整理券と乗車券を購入できました。
よかったです。
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紅葉シーズンになると予約で売り切れ、当日券は無しと聞きました。
朝早いのに、結構お客さんが乗っていました。
工事関係者も乗っていました。黒部峡谷鉄道は、ダム、発電、川の整備にも大事な役割をしています。
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電気機関車は、2両連結の重連。
一両の機関車でけん引できるトロッコは7両ということでした。重連は、トロッコ13両の牽引可能ということでした。
険しい勾配、急なカーブを登っていきました。
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宇奈月ダムです。
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ダム湖です。
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黒部川を右に見ながら、列車は登っていきました。
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進行方向、右側が景観を楽しめるのに乗ってから気づきました。左側しか座れませんでした。
右側から写真を撮らせていただきました。
仏石。赤いちゃんちゃんこを着ています。
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宇奈月温泉は、上に位置する源泉から、温泉パイプを通して湯を得ているそうです。温泉パイプです。
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猿が渡る吊り橋だそうです。手すりがありませんでした。
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後曳橋通過。
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水路橋。
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冬、黒部峡谷鉄道は運休します。
このコンクリートで覆われた狭いトンネルを歩いて、作業員の方々は、山を登るだそうです。
列車だと1時間15分ぐらいのところを、6時間歩くそうです。
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山の上に鉄塔。道もないのにどうやって資材を運んだのだろうと思いました。
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ここは、関西電力管轄の地域。水力発電所です。これらの工事は大変だったと思います。
冬なんか想像できません。

黒部川上流は大きな岩石が多かったです。
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欅平09:12着。
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匂いが、硫黄。温泉がたくさんあるのを理解できました。
駅の近くを歩きました。
奥鐘橋。
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すでに雪化粧の山が見えました。
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人食岩。
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原生林の碑。
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欅平09:37発の列車で戻りました。
小さなトロッコに私一人。というより、列車に私一人。
坂を下って行きますが、この列車は上り列車です。
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黒部峡谷鉄道は、線路幅762㎜のナローゲージです。線路からホームまでの高さも低いです。
日本でナローゲージが残っているのは珍しいことです。
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途中、3人のお客さんが、窓のある車両に乗ってこられました。
お客さん2.jpg
下る列車.jpg
私は、景色の眺めがダイレクトな車両に乗っていました。
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列車は下っていきます。通ってきたトンネルです。
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登ってきた下り列車です。行き違い。
お客さんに手を振りました。
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トンネルの隙間からの黒部川。
トンネルの隙間から黒部川.jpg
黒部川第二発電所。
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ネズミ返しの岸壁。
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沿線に猿。列車はスピードを落としました。
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新柳河原発電所。中世ヨーロッパの城のようでした。
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宇奈月ダムが放流していました。
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もうすぐ宇奈月です。
山彦橋。旧の黒部峡谷鉄道の鉄橋です。
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宇奈月10:59着。
紅葉の本番は、これからでした。

駅前に、昔の電気機関車。草軽鉄道の機関車に形が似ていました。
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宇奈月温泉11:18発富山地方鉄道本線・電鉄富山行特急に乗れます。
特急券110円を自販機で購入しましたが、駅員が「往復割引切符で乗れます。」と言って、110円返してくれました。ありがとうございました。
新黒部11:35着。
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黒部宇奈月温泉12:32発JR新幹線はくたか562号・東京行の指定席を確保。
駅構内セブンイレブンで、「レストランありますか?」と聞いたところ、「一軒のみ、月曜日休み。」。
新幹線の駅前で、こういうの珍しいです。
鱒寿司の小さいのを買って食べました。

北陸新幹線で東京までのんびりと帰りました。なぜか安心する乗り物となっています。
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富山の海は晴れていました。
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今日の一品。鱒ずし。
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今回、北陸の街を歩いてみました。
それぞれの街が歴史を持っていました。
日本の旅、良いです!




福井県小浜、金沢長町

〇10/25日曜日 福井県小浜
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おはようございます。05:00起床。
福井県小浜市を訪ねます。
金沢0535発サンダーバード2号・大阪行 に乗りました。
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北陸新幹線の高架橋が建設されていました。
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日の出。
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総延長13,870 mの北陸トンネルを通過したら、敦賀でした。
北陸トンネルの上に、木ノ芽峠があります。
木ノ芽峠以南がヤマト王権の領土、木ノ芽峠以北が越国の領土でであったという歴史があります。
現在でも木ノ芽峠を境にして北側が北陸文化圏、南側が近畿文化圏となっていると聞いています。
敦賀 0651着。
日本海側の北陸本線も、貨物輸送の大動脈でした。
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駅の外に出てみました。北陸新幹線延伸の期待がわかりました。
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敦賀07:49発JR小浜線・東舞鶴行に乗りました。小浜(おばま)で下車。
タクシーで、蘇洞門巡り観光船乗り場へ移動。
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晴れているが波が高いので、蘇洞門(そとも)には行けない。外海には出ない小浜湾巡りとなりました。
4月から8月までは、波は穏やか。10月になり、低気圧が通過したあとは波が高い、危険。週の半分ぐらい波が高い日が続く。
冬は大荒れ。観光船は休業。
時代小説で読んだ、「北前船は佐渡の宿根木を夏場には出て西に向かう。」を思い出しました。

(説明)
「蘇洞門」は小浜湾の東側に位置する内外海半島北側の海岸にある海蝕洞で、花崗岩が日本海の波の作用で削られてできたものです。
豪壮な景観は、若狭湾国定公園を代表する景勝地となっており、昭和9年に国の名勝に指定されています。
小浜は中世以降日本海側を代表する港として、数多くの交易船や外国船が入港していました。 その船人も「蘇洞門」の景観を楽しみにしていたことは容易に想像できます。
湾の外側の面という意味で「外面」「背面」と表現していましたが、江戸時代の文人趣味により「蘇洞門」という漢字をあて、現在に至っています。

蘇洞門巡り観光船乗り場付近で、釣りをしている人がたくさんいました。
5cmぐらいの鯵が連れていました。それも、糸を垂らすとすぐにかかっていました。
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出航。
小さな港を出ました。
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二つの川が合流する地点に、小浜城があったと船内アナウンスが言ってました。
二つの川と海が、防御していた城。
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小浜湾は、牡蠣の養殖が盛んだそうです。日本海では珍しいそうです。
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たぶん、日本海に面した湾の中でも穏やかな環境ができている場所と想像します。
南洋の植物が生えている小島・蒼島があり、北限ということで貴重な島と位置付けられていました。
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釣りをしている人たちをのせている筏です。
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海の中に、光り輝くものがあるということで、潜って取ってくると、金の仏像。
それを大事に祀った伝説があるそうです。この岩の頂きにその記念碑が立っていました。
その方の子孫がさきほどの牡蠣の養殖を成功させた、子孫もここ小浜湾に住んでいるそうです。
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この家は、山側には道がありません。船で物資を運んでいると思われました。
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外海に近づいてきました。荒々しい岩肌です。
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二ツ岩・三ツ岩。
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浪がやはり高い。
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観光船は反転。港に戻りました。
海鳥は群れをなして海面すれすれに飛んでいました。
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右手に近代的な施設が見えました。この施設は、何だろうと思いました。説明がありませんでした。
あとで調べてみると、位置からして、関西電力(株) 大飯(おおい)発電所でした。関西電力の原子力発電所。
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港に戻ってきました。
一つ大きなことを教えてもらいました。
「今年の夏、養殖の鯖(さば)が全滅。海水温の上昇が原因と聞いている。」
宇和島の真珠養殖の湾でも同じようなことを昨年聞きました。阿古屋貝が海水温上昇で死滅した。
日本周辺の海域の状況は厳しい環境になっていると推測しました。
北海道、岩手では、鮭が獲れない。

街まで歩いてみました。バスもタクシーもありませんでしたので。
途中バス停がありましたが、一日二便。こういうところもあるんですね。
海岸線に人魚の像。
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街の中に、鯖棒寿司のお店がありました。小浜は鯖です。
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町並み保存資料館。
大正期の建物。
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生糸、撚糸のお店だったというのがわかりました。
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京都と同じく、奥に部屋が続いていました。
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奥に、明かり取りのための中庭。
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蔵もありました。
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かまど。
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非常階段です。
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説明係りのご婦人にしっかり説明いただきました。ありがとうございました。

この家の前の道は、丹後街道。福井県敦賀市から若狭町,小浜市,高浜町を経て府県境の吉坂峠を越えて京都府舞鶴市にいたる道。
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行ってみてくださいと勧められた、人魚を食べて800年長生きしたという伝説のある尼が人目を避けて住んだ洞窟。八百比丘尼(はっぴゃくびくに)入定洞。
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空印寺。小浜藩主酒井家の菩提寺。
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常高寺は時間がなく寄れませんでした。
浅井長政三姉妹の次女お初は京極家に嫁ぎました。江戸で亡くなりましたが、ここ小浜を気に入ってお寺を建て、お墓がここにあります。

三丁町(さんちょうまち)。元茶屋街。
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蓬嶋楼(ほうとうろう)。明治期の由緒正しい料亭。
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入口床面はタイル。
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二階の廊下は、松の木。これこそ本当の松の廊下。こんなの初めてです。
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こういうガラスを使っている戸は珍しかったです。
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続きの二間。一間はお客様。一間は、芸者衆が三味線を弾いたそうです。
奥に隠れ部屋がありました。
二双の金屏風が置いてありました。有名なものということでした。
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二階に、隣り合わせの男女別トイレ。奥の女性トイレの壁にくくり抜き。桜と何かを一緒にした穴。女郎と泊まった男性がここで夜の交渉をしたそうです。
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ここに出入りできるのは北前船の船持ち船頭のような大金持ち。
すごい宴会だったと想像します。

一階の大広間。テーブルは、栃の樹の芯。縦に切ったものということで、ものすごく大きい樹だったことを想像しました。
重いんだそうです。腰痛めるのでトライしませんでした。
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欄間障子のギザギザは、松の葉を表している。それもつながっている一本の作品です。アコーディオンのジャバラと同じ形態だそうです。
すごいです。
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「対酒当歌」の額が掛かっていました。「酒にむかいてまさに歌べし」と読むそうです。まだ一般の人では3人しか読めていないそうです。

中庭には、金比羅山を勧請していました。松の木のうしろです。
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この廊下の天井は、舟底を利用しています。船主が提供してくれたそうです。
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北前船は明治時代の終わりまで続きました。北前船の終わりと同時に、ここ料亭も廃れていったそうです。

小浜12:50発JR小浜線・敦賀行に乗るために歩いて駅に戻りました。
駅前の商店街は、シャッター街。食べれるところは、二軒しかありませんでした。
県民福井新聞。北陸新幹線の建設費用の記事が書かれていました。「再度の負担増、県内警戒」と書かれていました。
費用負担は難しい課題です。敦賀だと、東京に出るのに、米原や名古屋に出て、東海道新幹線を使ったほうが早いです。
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小浜駅の郵便ポスト。人魚の像が乗っていました。
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福井行き電車。一両の電車でした。
敦賀で、待ち合わせ時間少々で、JR特急サンダーバード23号・金沢行に乗れました。

金沢に15:26に到着。
日没時刻まで、あと一時間三十分あります。
武家屋敷、長町地区に行ってみます。
金沢駅東口からバスで香林坊へ。
そこから、坂を下って、長町地区へ。
お城より、数段低い場所に、武家屋敷が配置されていたことに気づきました。水は豊富です。
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町並み。保存が大変と思いました。
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1200石を拝領していた野村家(有料)に、閉館ぎりぎりで入ることができました。
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野村家当主の甲冑。
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庭。立派です。
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高い場所に離れの茶室。
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眺めよかったです。
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鶯を入れて、鳴く声を楽しんだそうです。
当時は風流だったのでしょう。接待用の仕掛けと想像もしました。
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坂を上って、武蔵が辻と香林坊のある大通りへ戻りました。
前田利家を祀る尾上神社に参拝。
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銅像を見て、一つ知りました。馬上では袋を背負っている。流れ矢で傷つかないためと書かれていました。これが本当の姿のようです。
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もう夕暮れです。ホテルに戻りました。
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今日の一品。焼いたのどくろ。
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石川県兼六園、金沢城、岐阜県白川郷、富山県富山市

〇10/24土曜日 石川県兼六園、金沢城、岐阜県白川郷、富山県富山市
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10月16日~10月31日 5:00~(7:45)、金沢城公園・兼六園では、早朝開園(無料)を行っていると、ホームページで知りました。
早朝散歩に行ってみます。

おはようございます。
05:30起床。兼六園の入園口は蓮池門口・随身坂口のみとなるということで、タクシーの運転手さんに、蓮池門口に行ってくれるように頼みました。
運転手さん、いろいろお話してくれました。
兼六園は、五代から8代続いて、造ってきた庭。
面積は、日本一。
茶店は、徳川家康の血筋のみが経営できる。

蓮池門口から入園。
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夕顔亭。
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噴水。
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真っ赤な実。さくらんぼですかね。
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街の眺めが良いところとされている場所です。
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徽軫灯籠。兼六園の代表的な場所です。
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雁行橋。
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唐崎松。
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栄螺(さざえ)山。
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池。落ち着きます。
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苔も良かったです。
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石垣の名城と言われる、金沢城に移動。
ここが本丸があったところ。石垣が3重になった(私が見たところ)石垣の上の高台に築かれていたと思われます。
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入口となっている石川門。
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三重三階の菱櫓と橋爪門続櫓を、二重二階の五十間長屋が繋ぐ。
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河北門。
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城の石垣は見事。黒門口から街に出ました。
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ランニングしている方が、足を止め帽子をとってお辞儀をしていました。
神社でした。尾崎神社。
近江市場まで歩きました。
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早朝散歩終了。バスで、金沢駅に戻りました。

ホワイトリング主催の「世界遺産白川郷 日帰りバスツアー さくっと観光」に参加しました。
参加者は20名。4月以降、最高の人数と説明がありました。
金沢駅団体駐車場を09:30出発。
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バスの中から、世界遺産「白川郷・五箇山の合掌造り集落」を構成する富山県五箇山の菅沼合掌造り集落が見えました。
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上流域の岐阜県大野郡白川村荻町に入ってきました。白川郷。
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城山天守閣 展望台からの眺めです。白川郷には、110の合掌造りがあるということで大きい。
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集落の中を歩きました。
和田家の中に入りました。
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二階の板敷は広い!
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ここから見える隣家。
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明善寺の庫裡。ここも合掌造り。しかも、一番大きいと思われました。
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赤く色づいたコキア。
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気持ちの良い散策になりました。

ツアーに含まれている昼食。飛騨牛の朴葉味噌焼き。鮎の甘露煮も美味しかったです。
白えびのおせんべい屋さんに寄りました。
おせんべい焼き体験。
お醤油味でいただきました。
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大雨になってきました。
金沢出身の男性添乗員の説明です。
・金沢の人は、海鮮丼を食べない。魚は刺身で食べる。(昨晩、海鮮丼を食べた。)
・さわらは、ブリの小さいのではない。金沢で、さわらといえば、カジキマグロのことを指す。
・白エビの市販のおせんべいは塩味。醤油味は貴重。
・ゴーゴーカレーは、石川県出身・松井秀喜の大ファンの社長が創設したカレーチェーン。ニューヨークにもある。
・土産は、麩が良い。軽い。
・今年は、熊の出没が多い。注意!兼六園に熊が出る。兼六園は、裏山に続いている。(地図で見ると、裏山と思われる地区までに、商家、民家のある街が続いている。)
 スーパーマーケットに立てこもった熊もいた。早朝、晩は、市街地でも熊に注意が必要。

金沢駅に15:35到着しました。解散。
少し駆け足して、JR新幹線富山行き、つるぎ、金沢15:40発に乗れました。
目的は、路面電車を見るためです。
新幹線出口が、富山電鉄路面電車の停留所。ここに路面電車は、北に行く、南に行くのが集まってくる仕組みになっていました。便利です。
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路面電車に乗って、富山城跡へ。
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鳥がお濠で羽ばたいていました。
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(説明)
富山城跡。
天正10年(1582年)佐々成政は富山城の大規模な改修を行ったが、本能寺の変のあと豊臣秀吉と対立。
天正13年(1585年)秀吉率いる10万の大軍に城を囲まれ降伏、富山城は破却されます。
関ヶ原後に加賀藩の前田利長は富山城を再建し金沢城から移り住み隠居城とします。その後高岡城を築いて移りました。
その後は城代預かりになります。
現在は本丸と西の丸の一部が富山城址公園となっています。

古い路面電車も頑張っていました。路面電車のある街が増えていくと良いです。脱炭素社会には良い交通システムと思います。
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東京からのはくたかで金沢へ戻りました。

今日の一品。飛騨牛の朴葉味噌焼き。
味噌が美味しかったです。
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福井県一乗谷、越前大野

北陸への鉄道旅 2020/10/23-26

2020年度「大人の休日倶楽部会員限定 北陸フリーきっぷ」を使って、北陸を旅しました。
10年ぶりの北陸でした。
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〇10/23金曜日 福井県一乗谷、越前大野
午前5時、起床。おはようございます。
幸い、雨は降っていません。
東京駅に向かいました。
新幹線ホームから隣ホームに停車中の新幹線を眺めていると、新幹線の枕木は、しっかり番号を振ってありました。
管理、運用がしっかりしています。
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東京08:36発JR新幹線かがやき505号・金沢行が入線しました。上り、あさま号の折り返しです。
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北陸新幹線は、E7系(W7系もあります。JR西日本所有。)。
碓井峠越え(実際は、トンネルの中ですが。)の急勾配、周波数50Hzと60Hzの変化をこなす技術的に優れた車輌および編成です。
先頭車2両が制御付随車、中間車はすべて電動車とした12両編成構成です。

長野駅で、湘南電車色の電車を観ました。懐かしかったです。115系ですかね。
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北陸新幹線は、トンネルと柵ばかり。景色は楽しめませんでした。
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金沢11:06着。
駅前のホテルにスーツケースを預けて、再び駅へ。
昼食に焼き鯖寿司を買いました。電車の中で食べました。

金沢11:24発大阪行き特急サンダーバード。「大人の休日倶楽部会員限定 北陸フリーきっぷ」は、北陸内では自由席しか利用できません。
大阪駅や新大阪駅で、よく見かける特急サンダーバード。先頭車前面がのっぺらぼうです。国鉄時代の特急の名残のある車両としては珍しい。普通、ヘッドマークをつけるのにと思っていました。
わかりました。貫通式が理由。金沢駅で増結する3両に、和倉温泉からきた6両が後ろに連結しました。走り始めて、通れるように作業をしているアナウンスがありました。
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福井12:05着。
福井は、北ノ庄城。斯波高経が築城。信長時代は柴田勝家。徳川時代は、徳川家康自ら城造り、次男の結城秀康が68万石で北ノ庄城城主に。
福井藩主越前松平家の居城として、背後の前田家を牽制した重要な場所。
駅前に出てみました。
恐竜の像。動きました。
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福井は、恐竜の化石が発掘されたところでした。
「フクイティタン」という名称のついています。
駅待合室。
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焼き鯖寿司に続いて、福井駅の駅蕎麦を食べてみました。
蕎麦は太め。汁は甘め薄め。
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福井1250発のJR越美北線(九頭竜線と呼んでいました。)。
気動車にラッピング。
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一乗谷1307着。下車。
カーブ曲がって走っていく一両の気動車。この景色、好きです。
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雨の中、織田信長に滅ばされた朝倉義景の城下町である一乗谷を目指して、歩き始めました。
戦国時代に朝倉氏五代が103年間にわたって越前の国を支配した城下町です。
踏切を渡って、駅の南側へでました。ここから一本道。谷筋。
柿が樹に残っていました。晩秋の景色です。
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一乗谷朝倉氏遺跡。
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下城戸跡。南の端です。(北の端は、上城戸。)
堀ですね。水量豊富でした。
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巨石を積んだ桝形の城戸口。
すごく大きい石が積み上げられていました。敵の侵入を阻むために、道がかくかくと曲げてありました。
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平たいところにでました。
平面復元地区というそうです。
ここはかわらけを作る職人や技術者の住居跡です。
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一軒ごとに石の区画。区画の間は細い水路。城下町の建設にあたっては、30m=100尺を基準にしていたと聞きました。
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井戸の跡。
これは、トイレの跡かな。江戸の長屋は、共同でした。ここは、一軒ごとと推測します。
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ここは、武家の町。
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復元町並み。
武家屋敷と町屋が同居した復元です。
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能舞台があったと思われる館の庭。
まるで、映画のセットのようです。
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朝倉義景の館の跡、門が見えました。唐門というそうです。
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諏訪館庭園跡。
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朝倉神社。
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義景館跡 唐門。
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朝倉館跡。
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上に上がったところにある湯殿跡庭園(ゆどのあとていえん)。
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上から見た朝倉館跡。
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駅へ戻ります。
川は、平たいところの真ん中を流れていて、左右の行き来は橋だと思われます。
川の護岸は石積み。
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もちろん川に降りるところも石積み。舟を利用して物資、人を運んでいたことがわかりました。
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この谷筋の民家。
苔が見事でした。
下城戸より北に位置し、もしかして、昔は武家だったのではと思いました。
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春日神社。
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この社の周囲の道を通って、駅に向かいました。雨が降っている、人の気配全く無しの道。
動物が出てきたら危ない道でした。9月、山形蔵王で熊に出会いました。注意しようと思っても、自然と足が向いてしまいました。(笑)
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ところで、一乗谷城ってどこだ?本丸や二の丸がない。
朝倉氏は、福井の北ノ庄に城を持っていた。ここは、御殿の役割なのかな。
調べてみると、「一乗谷城は、朝倉館や、川沿いの武家屋敷や商人屋敷を含む城郭都市を指す。」ということでした。
ここ一乗谷全体が、城なんだと理解しました。


(説明)
朝倉氏は現在の兵庫県養父(やぶ)市出身の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主人の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。
朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠地を移し、斯波氏、甲斐(かい)氏を追放して越前国(えちぜんのくに)を平定しました。
以後孝景(たかかげ)、氏景(うじかげ)、貞景(さだかげ)、孝景(たかかげ)、義景(よしかげ)と5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄し、
この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、北陸の小京都とも呼ばれました。
しかし天下統一の戦いの中で1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き尽くされました。

一乗谷は、福井市街の東南約10kmにあり、戦国大名朝倉氏の城下町の跡が、良い状態で埋まっていました。
遺跡の発掘調査は、1967年から進められ、1971年には一乗谷城を含む278haが国の特別史跡に指定されました。
また、1991年には諏訪館跡庭園(すわやかたあとていえん)、湯殿跡庭園(ゆどのあとていえん)、
館跡庭園(やかたあとていえん)、南陽寺跡庭園(なんようじあとていえん)の四庭園が特別名勝に指定されました。


駅へ戻ってきました。
雨が上がりました。
一乗谷15:11発の越前大野行きに乗りました。
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途中で降りる女子高校生を見ると、名札がついていました。「谷口」。同姓です。
一乗谷は谷筋。この九頭竜線も、九頭竜川筋を走っています。山と山の間の谷。ここから姓を取っているかもです。
川を渡りました。ここ、鉄道撮影には良いところと思いました。
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雲、霧です。
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越前大野15:51着。駅に鐘がありました。
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北陸の小京都と呼ばれている城下町。
古い建物が並んでいました。
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ここ七間通りは、お殿様が通る道でした。下記の説明にあるように、ここの殿様は、現場を知っている人でしたね。
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(説明)
大野の大手道(城主が通行する道路)は、現在、朝市が開かれている「七間(しちけん)通り」ですが、
この大手道には、短冊形に区割りされた区画の短辺(南北面)が面しています。
つまり、城主が通行する際に、区画内の出迎えが最小限で済むことになり、
区画の長辺(東西面)に住まう町人たちは手を止めることなく商いを続けることができました。
このことから、長近は大野の城下町を造る際には、城主の威光を知らしめることよりも、商工業の発展を願ったと考えられます。
下図でいうと、お城が左手。右横方向に、お殿様は移動しました。
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路地からお城が見えました。朝霧が出るこの時期、雲の上に城が浮かぶ「天空の城」と有名な城です。
(説明)
越前大野城は、大野市北西部に位置する大野盆地にある標高約249mの亀山に築かれた平山城です。
安土城が築城された前年、天正4年 (1576) 頃、織田信長より大野郡の3分の2を与えられた金森長近により、4年の歳月をかけて築城されました。
大野郡の一向一揆を収束させた褒美です。
土台となる石垣は、自然石をそのまま積み上げた野面積み(のづらづみ)という工法で作られています。
現在の天守は、昭和43年に絵図や同時代の城を参考に再建されたもので、内部には歴代城主の遺品が数多く展示されています。
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武家屋敷旧内山家 。
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家の前は水路。
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越前大野17:09発の列車で福井に戻りました。
列車が駅を出ると、お城が見えました。晴れたおかげかライトアップか、輝いて見えました。
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福井18:33発金沢行き特急サンダーバード33に乗れました。
金沢は真っ暗、そして、しっかり雨になっていました。
夕食に海鮮丼をいただきました。金箔が乗っていました。金沢らしいと思いました。
金沢は、日本の金箔生産量の98%を占めます。


今日の一品。焼き鯖寿司。酢飯にワサビの茎が入っていて、鯖の脂っこいのと調和していました。
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山形の鉄道旅 2020/9/25-28 三日目、四日目

〇三日目   9/27日曜日
おはようございます。
雨は降っていませんが、曇り。
今日、蔵王に行きます。
山交バス案内所で、バスと蔵王中央ロープウェイのセット券を購入。
山形駅前07:40発山交バス・山形−蔵王温泉線・蔵王温泉バスターミナル行に乗りました。
鳥居の下をくぐり、バスは山を登っていきました。
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山腹です。棚田が見えました。
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到着。
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川。大露天風呂の脇を流れている川と思いました。
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蔵王中央ロープウェイ、中央ロープウェイ温泉駅0830に乗りました。
麓は、曇り。
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途中から、雲の中でした。
鳥兜駅に到着。寒い!
鳥兜山展望台(蔵王大黒天)。
何も見えませんでした。
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蔵王温泉スキー場 中央ゲレンデの周囲を歩く「蔵王トレッキング」を開始しました。
高松宮妃歌碑。
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霧の中(雲の中です。)、トニー・ザイラー顕彰碑に向かって、歩きました。鈴を鳴らして。
歩いているのは、私一人だけ。
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紅葉が始まっていました。
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立ち止まって、秋の山の花。
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雲の中。道と脇の樹木、草しか見えません。道の曲がり具合から、地図では、もうすぐトニー・ザイラー顕彰碑と思います。
【熊との遭遇】
前方で、「どさっと」という音がしました。
山側の茂みから、熊が落ちてきました。少し崖になっているところです。
車が1台がやっと通れる道幅からみて、体調1.5mぐらいの熊でした。
眼と眼が合いました。
睨めつけることはせず、優しい目線にしました。
首に巻いていたタオルを取り、大声を出さず、「ふっ!」と大きく一息気合を入れました。
その瞬間、熊は反転し、さっと谷側の茂みに降りていきました。
カメラの電源を入れた時は、熊は茂みの中。熊の動作は迅速でした。
こちらは、一歩も動けませんでした。
熊は、家族連れということもあるので、もう先には進めませんでした。
引き返しました。

素人検証:最初、前方50mぐらいと思いました。
   後で乗った東北本線普通列車で、1.5mのものが同じ大きさで見れる距離を試してみました。
   普通列車は、一両20mです。2両目の端(40m)から歩いてみると、2両目半分くらいから先頭を見た時、これくらいかなと思いました。20mx1.5両=30m。

山の花の写真を撮っていなければ、熊とは直前遭遇になっていた可能性がありました。「ふ~っ」。
ケガなく戻れたこと、ありがたいです。
熊に詳しい専門家に、熊に遭遇した時の対処をご教授いただいたり、上記の対応を指摘していただければありがたいです。

鳥兜山展望台付近まで戻りました。
右手の道を降りて、ドッコ沼に行きました。
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霧の中。桜の樹がありました。水神です。
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誰もいない沼。この沼の水は枯れることなく、山形市の水源の一つになっていると、説明文にありました。
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ロープウェイ駅まで、来た道を登りました。
これがきつい。
中央第一リフトを使うのはわかる気がしました。
でも、山登りは運動。
ロープウェイで麓に降りました。
麓は、雲の下でした。
蔵王温泉 下湯共同浴場に向かいました。
途中、川の説明個所がありました。温泉と水が混ざって流れていると書かれていました。
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下湯。
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200円をポストに入れて中に入りました。
誰もおられなかったので、撮影させていただきました。こういう湯舟、大好きです。
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少し熱めの適温。湯舟には、硫黄の成分が沈んでいました。足で触ると、湯に溶け込んで白濁になりました。
ph1.8の酸性。硫黄泉。良い温泉でした。
気持ちよかったです。

アイスクリームを購入して食べましたが、町にゴミ箱がありません。
バスターミナルで、山交バス係員から、「ゴミ箱ありませんよ。」とマイクで指導されました。
容器をトイレの水で洗っていいですかと尋ねると、山交バス係員が容器を特別に受けとって捨ててくれました。
ありがとうございました。
1120のバスで、山形駅に戻りました。

昼食を食べながら、8月初めに花巻を訪問した時、行けなかった平泉に行ってみようと計画しました。
山形発12:56仙山線・仙台行に乗りました。
仙台14:16着。
仙台は、いつ来ても、大都会です。
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仙台発14:39東北新幹線「やまびこ61」盛岡行。
一ノ関15:10着。下車。
後ろから来た「こまち」・「はやぶさ」に抜かれました。
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一ノ関。NECの工場があった(過去形)ところです。何度か訪問させてもらいました。建物は残っていました。
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在来線、東北本線のホームに移動。駅構内にあった仮設観光案内所で、この地域のバスの時刻表をもらいました。
15:44発盛岡行に乗りました。
東北本線は、まっすぐ。
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2駅で平泉。15:51着。
2分後の1553に、中尊寺に行くバスがあります。
乗れました。
帰りのバス停を、運転手から教えてもらい、中尊寺を目指しました。
金色堂まで、15分ほど坂道を上るよと教えられました。ありがとうございました。

月見坂。
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東物見台。鉄道撮影に絶好の場所と思いました。
竹林。
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樹。
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弁慶堂。
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本堂。
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観音堂。
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金色堂。
「漆の上に金箔が張られている。」と放送案内がありました。
昔の日本には、金が多く産出されましたが、奥州・藤原氏の力は大きかったと想像しました。
(説明)
 中尊寺創建当初の姿を今に伝える唯一の建造物で、天治元年(1124)に上棟されました。
 堂の内外に金箔を押した「皆金色」の阿弥陀堂です
(屋根部分は解体修理の際に金箔の痕跡が発見できなかったために箔補てんは見送られました)。
 まず堂内の装飾に目を奪われます。
 4本の巻柱や須弥壇(仏壇)、長押にいたるまで、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫り金具・漆蒔絵と、
 平安時代後期の工芸技術を結集して荘厳されており、堂全体があたかも一つの美術工芸品の感がします。
 須弥壇の上にご本尊阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩、左右に3体ずつ地蔵菩薩が並び、
 最前列には持国天と増長天が破邪の形相でこの仏界を守護しています。この仏像構成は金色堂独特のもので他に例を見ない貴重なものです。
 孔雀がデザインされた中央の須弥壇の中には、奥州藤原氏の初代清衡、向かって左の壇に二代基衡、右の壇に三代秀衡の御遺体と四代泰衡の首級が安置されています。血筋の明らかな、親子四代の御遺体の存在は世界にもほかに例がありません。
 国宝建造物第1号の金色堂は、中尊寺を、また奥州藤原文化を象徴するものです。(国宝)
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旧覆堂。
(説明)金色堂を風雪から護るために、正応元年(1288)鎌倉幕府によって建てられたと伝えられる5間4方の堂。
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二つ残念なことがありました。
・讃衡蔵という、奥州藤原氏の残した文化財3000点あまりを収蔵する宝物館の男性職員は、少し横柄でした。
・いたるところに、御朱印、賽銭箱がありました。声をかけてきます。
 参拝者からお金を出させる雰囲気のあるところでした。

帰りのバスは、1655。一生懸命、バス停まで戻りました。
バス停から、東北本線の貨物列車を撮影できました。大動脈です。
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平泉駅の夕景。やっと雲の切れ間が見えました。
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東北本線、平泉17:27発一ノ関行。
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一ノ関17:48発新幹線「はやぶさ112」東京行。
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仙台18:19着。今日は、日曜日。山形に着く頃は、食事処は閉まっている可能性が大です。
残り少ない駅弁を購入しました。
18:45発仙山線・山形行に乗車。
山形 に20:11に戻ってきました。外は真っ暗。月が出ていました。
平泉は、案外、遠かったです。平泉は、岩手県でした。
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◆今日の一品:「はらこ飯」 宮城県
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〇四日目   9/28月曜日
おはようございます。
朝は、まだ曇りです。
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朝0730の山形駅。月曜日の朝なのに閑散。
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米沢方面からの普通列車が到着しました。学生がいっぱい降りました。笑顔。
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山形発802「つばさ128」で、東京に戻りました。
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列車は、福島で、仙台からの「やまびこ128」と接続して、東京に向かいました。
東北新幹線の線路と合流するところです。
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帰宅。大人の休日俱楽部の切符、お疲れさまでした。
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帰宅して、思ったことです。
・日本の鉄道は時刻正確の世界である。日本の誇りである。
 運転士、車掌、車両技術者、保線員、駅員、線路、電気、踏切、コンピュータ、端末、ネットワーク、のトータルシステム。
・列車が欠かせない人がいる。
 学生、お年寄り、出張者。
・日本の田圃は美しい。
・山形市の取り組み:山形市プレミアム観光券事業は、県民だけというのでなく、他県の人にも開放してくれていた。
 他の地域から、山形市を訪ねるきっかけになっている。
 スマートフォンのアプリでのチケット購入、決済と、自治体としては、進んでいるデジタル化。
 良い取り組みである。



山形の鉄道旅 2020/9/25-28 二日目

〇二日目  9/26土曜日
雨。
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計画では、蔵王に行く日ですが、蔵王は明日に順延。
まだ乗ったことがない米坂線を乗りに行きました。

朝食を食べて、山形駅へ。朝早いこともあり、閑散としていました。
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山形始発0701「つばさ171」新庄行きに乗車。北上。
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山形城。
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田圃。
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蕎麦の畑。
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新庄に到着。ここが、山形新幹線の行き止まりでした。
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陸羽西線、新庄発0812余目(あまるめ)行きに乗車。西行き。
陸羽西線は、一日上下各9本です。
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秋の中を走ります。
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最上川。
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秋。
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日本海に近づいてきたと感じました。風力発電です。
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余目着。
お米の「コシヒカリ」の祖先であるお米「亀の尾」の発祥地という駅前の塔。
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羽越本線・余目発0912「特急いなほ6号」新潟行に乗車。南下。
新しい車両でした。
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日本海。晴れです。
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村上市の沖合にある粟島が見えました。
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村上で降りました。ここは、新潟県です。
目的は、「塩引き鮭」を食べることです。
塩引き鮭で有名な町です。
駅前に、唱歌「汽車」の碑。
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歩いていると、人?人形でした。
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料理屋の軒先に、塩引き鮭。
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イヨボヤ(鮭のことを、昔、こちらではこう呼んだそうです。)会館まで歩きました。
村上藩の財政を支えた鮭の人口孵化。下級武士、青砥武平治が信念を持って挑みました。。
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浅田次郎著の長編のユーモア時代小説、「大名倒産」の舞台は、ここ村上市と思っています。

ふか場には、「イワナ」、「ヤマメ」、「鮎」の稚魚が泳いでいました。写真は、「イワナ」。
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日本最大の淡水魚「イトウ」。
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鮭が遡上する三面川の一部を引き込んであります。
自然の川の魚を見ることができました。
魚の名前を知らないので、残念ながら、こうですと言えません。
魚は下流から上流方向に泳いでいました。
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10月中旬になると、鮭が上がってくるそうです。

町。黒塀。
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開店前に人並んでいるお店がありました。
お聞きすると、ラーメン屋さん。地元の方に大人気だそうです。「ちくに」。
こんな素敵な料理屋さんもありました。
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塩引き鮭を作っている魚屋さん(工場を持っている)「越後村上うおや」の隣の直営店。
一度来ています。
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お店の中は、村上市の著名人の蔵書が置かれています。手に取って、読むことができます。
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静かに、塩引き鮭を食べさせていただきました。
ご飯を、追加注文しました。メニューにないので、価格はお店で決めてもらいました。
ご主人と話をしました。魚屋さんのご子息です。
・確かに、塩引き鮭を食べるのに、ご飯一杯では足りませんね。
・塩引き鮭自体は、ここで食べてもらうのと、魚屋で販売しているのとは同じ。
 美味しさは、焼き加減かも。少し、水分が残るように早めに火からおろすのがよい。

江戸時代の村上城を描いた地図が掲げられていて、この魚屋さんは、城の堀の外の街道筋の街角に位置していました。
写真は、上が北。右の西に城がありました。
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城の堀は、今、道路。
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(説明)
村上城は、標高135mの臥牛山(がぎゅうさん)に築かれた城で、築城年代は不明ですが、16世紀前期には城が存在していたものと考えられます。戦国時代には本庄氏の本拠地として、永禄11年(1568年)の上杉謙信との篭城戦(ろうじょうせん)など、幾たびも戦いが繰り広げられました。
江戸時代に入ると、村上氏・堀氏・松平氏らの城主によって城の改造と城下町の建設が行われ、村上城は北越後(きたえちご)の中心拠点として整備されました。その後も、たびたび城主が交代しますが、享保5年(1720年)以後は内藤氏が代々城主を務め、明治維新を迎えます。

駅に戻ります。
こんなお店がありました。
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鍛冶屋。
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格子越しに、活け花。
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お茶屋さんから声がかかりました。
今年は、村上茶400年の記念の年だそうです。茶の樹の北限です。
お茶屋さんの中を見せてくれました。
よく残してありました。
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女将さんが、村上茶を、熱めの茶で、テイクアウトで用意してくれました。
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ご主人とお店。ありがとうございました。
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ホームにアキアカネ。
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羽越本線・村上発1319「特急いなほ8号」新潟行に乗車。地元のシニア女性でしょうか、「古いのが来た。」とおっしゃっていました。
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坂町13:27着が3分遅れました。
米坂線・坂町13:31発米沢行の気動車は、隣のホーム。駆けました!待っていてくれました。東行き。
一両編成。でも、最新のハイブリッドカーです。
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発乗車!の米坂線。山の路線でした。
昔、ここを蒸気機関車「9600」が走っていました。写真で見たことがあります。
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荒川。と言っても、東京の荒川ではありません。
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山形県に入ってきました。
山形鉄道に出会いました。通称、フラワー線。(乗り換え案内でそう聞こえました。)JRではありません。昔、国鉄だったと思われます。
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蕎麦の畑。
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稲刈り前の田圃。山形産「つや姫」の田圃かな。
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米沢の手前、西米沢で下車。
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ここから、米澤藩主上杉家廟所まで歩きました。
裏から近づきました。杉木立の中、森厳とした雰囲気。
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米澤藩主上杉家廟所は、家祖である上杉謙信公の遺骸がある墓所です。
廟所内は、杉木立の中に歴代藩主の廟が整然と立ち並んでいました。
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謙信公。
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鷹山公。
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謙信公、二代目・景勝公、八代目・鷹山公の墓所には、花が手向けられていました。

一時間に一本ぐらいしかない(地方はこれが普通。)町内バス。御廟所西口発16:13のバスで米沢駅に戻りました。
町内バスは、まっすぐ駅に向かわず、病院や役所を廻りながら駅に着きました。
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福島行きの「とれいゆ」が入ってきました。
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米沢発1707「つばさ143」山形行きに乗れました。北上。霧で見えない月山を軸に、左回りの一周となりました。


◆今日の一品:「塩引き鮭」 新潟県
(説明)材料は鮭と塩のみ、添加物を一切使わない。
北西の潮風が運んでくる塩分と、乳酸菌の自然の力だけで低温発酵。
平安時代には京都の貴族たちへ献上されていたと言う越後村上の鮭。
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山形の鉄道旅 2020/9/25-28 一日目

山形の鉄道旅 2020/9/25-28

久しぶりの鉄道旅です。
新型コロナのことがあるため、知っている方には誰にもお会いせず、旅をします。
テーマは、「列車から見る秋の景色」です。
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JR東日本の大人の休日俱楽部パスを利用しました。
訪問先です。
・山形県 山形市、上山市、米沢市
・新潟県 村上市
・岩手県 一関市(予定外)
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〇一日目 9/25金曜日
おはようございます。
久しぶりの鉄道旅。日本の鉄道は、時刻に厳格です。
乗り遅れないように家を出ました。

那須塩原からの「なすの」が東京駅に到着しました。
折り返し、東京0856発「つばさ129」になります。
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東北新幹線沿いは、田圃が多いです。
稲刈りが終わった田は茶色、稲刈りはこれからの田は黄緑色(よく、黄金色と言われています。)。
色が違って、季節を感じることができました。
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福島から山形までは、在来線区間を走ります。
新幹線の「ピー」という汽笛を久しぶりに聞きました。
踏切に近づくと、警告音として鳴らしていました。
民家の脇を走ったり、福島ー米沢間は、森の中を走る山岳路線。
珍しいと思いました。でも、この山形新幹線、好きです。
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山形着1137。
山形駅の一番線は、山形新幹線の線路止めになっていました。

小さなスーツケースを、宿泊するビジネスホテルに預けました。
雨の中、行動開始です。
山形発1159の仙台行き仙山線に乗りました。
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山寺着1217。
山寺駅。写真、右手は、山寺を見る展望台でした。駅の外で誰でも上がれます。
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『山寺』と呼ばれる宝珠山立石寺を訪ねました。
松尾芭蕉が訪ねたところで、有名な寺です。
「閑さや 巌にしみ入る 蝉の声」
(説明文)
宝珠山立石寺は、天台宗に属し、創建は貞観二年(860年)天台座主第3世慈覚大師・円仁によって建立されました。
追加:東北で”お大師様”といえば、慈覚大師・円仁のこと。東北の寺には、今でも円仁にまつわる伝説や伝統が多く残る。
   出典:大人の休日俱楽部 2020年12月号

駅前に、昔の旅館がありました。名前は、「山寺ホテル」になっていました。
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右に折れ、登山口まで移動。
閑散期の雨だから観光客が少ないと思いましたが、校外学習の生徒さんが観光バスでたくさん来ていました。
階段が1100ぐらいあると聞きました。一段が15cmとすると、165m登ります。
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登り始めました。
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根本中堂。
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山門。
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この階段を登っていきます。
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せみ塚。
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弥陀洞。
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仁王門。
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大雨の中、1100段登りました。膝ががくがくでした。
頂上に、奥の院(如法堂)。
修業の中心だそうです。
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大仏殿。
三重の小塔。大日如来像が安置されているそうです。
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1000段位、登ったところにポストがありました。
郵便局員さん、毎日、ここまで登ってきて、郵便物を収集するのかと思うと、
健脚が選ばれていると想像しました。
それとも、どこからか道ができていて、バイクで上ってくるのかな。
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少し離れた、開山堂。
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五大堂。
普段ならば、絶景だそうです。
今日は、霧で何も見えませんでした。
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薄っすら、町が見えました。
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生徒さんたちも、雨の中、一生懸命、登っていました。
少し暑さがある、湿気の多い雨の中を運動することになるので、汗をかきます。
こういうときは、ビニール合羽は熱を中に籠らせるのではないかと思います。
くたびれて、動けなくなっている生徒さんもいました。
大半は、元気!
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一生懸命、下山しました。
滝になっているところがありました。上りのときは気づきませんでした。
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菊。
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他人のことは言えません。
木綿の長袖シャツは駄目ですね。汗びっしょり。登山用のを用意しないといけませんね。

お土産屋さんで、100円で、ブドウを売っていました。買いました。
山寺駅の待合室で、洗って食べました。山形の葡萄も美味しい。
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駅の待合室に、こんなポスター。「千百余段の、決意」。
歩けること、感謝です。
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ホームから、山寺を撮影しました。やっと、石像が見える程度でした。
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山寺発1357発山形行きに乗りました。
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山形で、奥羽本線(山形線)・1421発米沢行きに乗車。
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かみのやま温泉着1434。
観光案内所内の売店で、こんなフルーツを見かけました。
一般に「ラフランス」というのですかね。
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地図をもらい、雨の中、歩き始めました。
町の歯科医院。歴史感じました。
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上山城。
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(説明)上山藩
江戸時代,出羽国村山郡上山地方 (山形県) を領有した藩。元和7 (1621) 年最上氏一族上山氏改易ののち,松平 (能見) 氏3万石,蒲生氏4万石,土岐氏2万 5000石,金森氏3万 7000石を経て,元禄 10 (97) 年松平 (藤井) 信通が備中 (岡山県) 庭瀬より入封,3万石を領し 10代在封。

赤くなった葉。
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武家屋敷が四軒残っていました。城の西側に位置していました。
旧曽我部家。
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小学校。モダンです。
城下町は、教育熱心の印象があります。
生徒さんは、挨拶をしてくれました。
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かみのやま温泉 下大湯公衆浴場に到着しました。
江戸時代に一般人のために開放されたという、上山温泉の共同浴場で一番の歴史を誇る下大湯公衆浴場。
沢庵禅師も入浴されています。
昭和32年に建てられた、今の建物も歴史を感じました。
雨びっしょりの服を脱いで、ぬるい湯、次に、熱い湯につかりました。
さっぱり。
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と言いながら、雨で濡れた下着を着て、靴下を履いて、外に出ました。
かみのやま温泉発1604で山形に戻りました。
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街の中に、オシャレな観光案内所、飲食店 「山形まるごと館 紅の蔵」がありましたが、閉まっていました。
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もう暗くなってきたので、駅の東側のビジネスホテルにチェックインしました。
駅前・東側は再開発しているところと思われました。
人通りは少なかったです。
濡れた服を全部脱いで、大きいお風呂で温まりました。落ち着きました。
昔の旅人も、雨に濡れると、こんな感じを味わっていたのだろうと想像しました。

山形市プレミアム観光券事業は、県民だけというのでなく、他県の人にも開放してくれていました。
利用させてもらいました。ありがたいです。

◆今日の一品:「山形蕎麦」 山形県
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北海道 タウシュベツ川橋梁、ナイタイ高原牧場、かんの温泉、旧愛国駅、旧幸福駅 2020/8/28--29

五日目:2020/8/28金曜日 タウシュベツ川橋梁、ナイタイ高原牧場、かんの温泉

ぬかびら。
朝食を食べて、
糠平湖に架かるコンクリートアーチ橋『タウシュベツ川橋梁』(通称めがね橋)を見に行くツアーに参加しました。
林道のゲートの鍵を持っている認められた人のツアーでないと、橋の近くまで行けません。
湖底を流れる川を渡るので、長靴が必要でした。貸してくれました。

この橋は旧国鉄士幌線の橋のうち最も大きく、長さ130m、11個のアーチが連なっています。
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しかしながら風化が進み、アーチが繋がった状態で見られるのもあとわずかではないかと言われております。
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林道を歩いて湖にでました。
湖は、発電のため水位が上下します。春から秋まで、湖に沈まず見えるそうです。
とはいえ、この夏は、湖の水が少なすぎます。雨量少なさよりも、北海道地震以後、水力発電のために、水を使っているそうです。
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本来ならば、写真右の流木のところまで水がきます。
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湖底は緑のじゅうたん。
流木が、茶柱が立つように、水が引いていったときに立った、この冬に水が上がってくると、どこかに流れていくだろうと説明を受けました。
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あ、鹿がいました。
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ヒグマの足跡。ひとつ大きい足跡で、前足、後ろ足一緒だそうです。
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湖底から見える、この二つの山は、形、谷間が綺麗。
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綺麗なメガネ橋です。
重機のない昭和十年代によく造ったと思います。
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絵になる橋です。
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この橋は、中が石。周りが鉄筋コンクリートでした。
台風の水害で、崩れていっているそうです。
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これが、タウシュベツ川。
ぬかびら湖底を流れていました。川筋は、年によって右に行ったり左にいったりするそうです。
湖の水位が上がると、この川は、ここでは湖に沈みます。
(追記)タウシュベツの意味を調べてみました。
タウシュベツは、タッタ・二・ペッ(tat-ni-pet=樺皮の・採れる木・川)に由来。
アイヌ語で川はナイ(nay)も使われますが、ベツ(pet)は氾濫するような暴れ川に用いられる言葉です。
→周りに、シラカバ、ダテカンバの樹々の森がありました。妙に納得しています。
→タウシュベツ川の流れが変わるから、橋を11連のアーチにして、川がどこを流れても水が川下に行くようにしたのかな、と想像しました。
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縦方向からみた橋梁。
ここを蒸気機関車牽引の汽車が通っていたのです。驚きです。
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橋から森に入る線路のルートです。
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そろそろ帰ります。
この林道は、橋から十勝三股に行く線路が通っていたところです。
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看板の地面から170cmのところを、ヒグマが、がりっとした跡だそうです。
ヒグマは、自分のことが書かれているので抗議したのですね。(笑顔)
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ユースホステルに戻って、解散。
荷物を整理して、出発。ナイタイ高原牧場に行ってみました。
途中、第三音更川橋梁のところで停車。
鉄筋コンクリートアーチ橋としては、北海道一の大きさを誇る32mの美しい橋です。
鉄橋ではなくコンクリート製橋梁。ここの完成を見て、日本に広まっていったそうです。
休憩中の修復作業の土木関係者に道から声をかけました。「お疲れ様です。」
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ナイタイ高原牧場。
十勝平野を一望。少し曇り。
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放牧の牛。
牛は群れる動物というの認識しました。
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しかしながら、一頭だけ、我が道を行く牛もいました。
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牛乳。
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西側に位置するナイタイ山の反対側10kmのところにある、かんの温泉鹿の湯に行ってみました。
今朝、タウシュベツ川橋梁ツアー参加者の方から勧められました。
山を回って行くので、道は50km先でした。然別湖の西側です。

宿一軒ありました。
ここでなく、川に降りて、キャンプ場に。キャンプ場の先、250mのところに、露天風呂がありました。
外気は熱い。あと100mだ。
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自然湧出源泉です。
大自然の中の温泉、こういうの良いです。熊、鹿が出そうなほどの大自然でした。
でも、女性は無理と思います。着替えるところは、川原の石の上ですから。
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一人ゆっくり入りました。
来る人は稀と思いました。
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この小さな窪みの湯の温度はものすごく熱かったです。油分も混ざっている。
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もう午後遅いです。
南下して、帯広市に行きました。
夕食は豚丼。
十勝では、牛は牛乳、馬は馬力、豚が食材、の歴史があると教わりました。
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宿泊は、APAホテル帯広駅前。Go to Travelの登録宿泊施設です。
部屋から、根室本線の普通列車が見えました。
オレンジ色の気動車も良いです。
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TVで、安倍晋三首相の辞任のニュースが流れています。
いろいろな意見、感想で出ていました。ふむふむ。
今晩も、早めに眠ります。

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六日目:2020/8/29土曜日 旧愛国駅、旧幸福駅

おはようございます。
根室本線、朝一番の列車を撮影しました。キハ40でした。
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帰宅します。朝食を食べて、寄り道しながら、帯広空港に向かいました。
帯広から広尾まで走っていた旧広尾線。
旧愛国駅にやってきました。
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蒸気機関車が展示されていました。
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旧幸福駅(幸福鉄道公園)に到着しました。
大きめの「愛国から幸福行き切符」がびしっと貼られていました。
昔、大人気だったです。
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キハ22が展示されていました。
青空と緑の樹々の中、十勝の大地を走っていたと想像すると、乗ってみたかったです。
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レンタカーを返却して、空港に送ってもらいました。
予定の飛行機より5時間早い帯広空港10:15発のJALに乗ることができました。
お昼の飛行機は、コロナ禍の影響で欠航でした。
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十勝の大地の中に、帯広空港が見えました。飛行機は一機も見えませんでした。
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羽田から京急で横浜に出て、帰宅しました。
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北海道。

広い大地で、農業、酪農が盛ん。海は、漁業。山は、林業。
我々の食事を支えてくれる、新鮮な食材を提供してくれています。
幹線道路で、農畜産物、海産物を運ぶトラックを多く見ました。
ありがたいです。
昔は、鉄道がその役目を担っていたと思います。
鉄道は、まだ一部の人の移動に欠かせない生活基盤です。
線路、駅が残っていって欲しいです。

北海道を効率良く旅するのは、車、バイクを利用するのは間違いありません。
バイクに乗って風を感じながら、まっすぐな道を行く。これもいいなと思いました。
なにせ、バスも一日3本しかないところもありますし、バスも通っていないところがたくさんあります。

江戸時代幕末の蝦夷地防衛は、選ばれた各藩が装備不十分の中、行っていた。
明治時代に入り、一般人が入植し、厳しい自然のなかで最適な生活を創ってきた。
それぞれの街や村で、開拓100周年の碑を車の中から見ることができました。
先人の努力、継続が、今の北海道だと思いました。

ところで、北海道を旅していて、そして時刻表を見ていて、一つ気づいたことがありました。
「幌」という地名が多い。
羽幌、幌延、幌加内、幌糠、幌別、もちろん札幌。
「幌」は、調べてみると、「アイヌ語の「poro」(大きい、という意味)に当て字をしたものです。」ということです。
「幌」がつく場所は、広い平らな土地があると理解できます。
地名、山の名前からアイヌの人たちが思ったこと、大切なものがわかるかもしれないと思いました。

今回、宿泊させていただいた各宿のコロナ対策、配慮に感動、感謝です。ありがとうございました。

北海道 大雪 森のガーデン、層雲峡、ぬかびら 2020/8/27

四日目:2020/8/27木曜日 大雪 森のガーデン、層雲峡、ぬかびら

塩狩峠。
おはようございます。
網戸で、風を入れて、薄い布団をかけ寝ました。良く眠れました。

静かな朝です。
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塩狩駅。上り0645発旭川行きの一分前に、女子高生を送ってきた自家用車が到着。
お母さん、ご苦労さまです。
今日も、女子高生は旭川行き列車に間に合いました。
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下り0645発稚内行き。昨日、稚内駅に正午頃到着した列車になります。稚内駅到着時は、1両になっています。
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元塩狩温泉の跡地に行ってみました。。
町で活用計画が練られているそうです。
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北海道の地震・大停電の時、大雪山旭岳の麓にいました。避難先として、塩狩ヒュッテの合田さんが宿泊を受け入れてくれました。
到着すると、移動することができないで留まっていたお客さんが、この線路わきの清水(ここが峠の分水嶺)をくみ上げて五右衛門風呂を沸かしてくれたところです。
大停電で、電気がない夜に入浴できたの、本当にありがたかったです。あとで、東京で贅沢と言われました。(笑顔)
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朝食を食べて早めの出発。
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石北線の東雲(とううん)駅に行きました。
無人駅。
大きな農家の敷地の前に、小さなホーム一つ。
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上り旭川行き快速(上川駅0830発)を撮影しました。(これは、通過後です。)
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移動すると、鉄橋がありました。
上り列車撮影には、ものすごく良いポイントでした。次回トライします。
大きな鷲が左側の田んぼから飛び立ちました。運転していてびっくりしました。

大雪 森のガーデンに向かいました。
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手入れされた花のガーデン。
洗練されたおしゃれな感覚を味わいました。
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可愛い花。
(追記)旅の先輩の河原映子様からFacebookで花の名前を教えていただきました。「レンゲショウマ」。
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層雲峡に到着。柱状節理です。     
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層雲峡公共駐車場に車を止めました。観光客は少ない感じ。
大雪山層雲峡黒岳ロープウェイで、黒岳5合目。眺め良し。
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リフトで黒岳7合目。
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ここから山頂を目指して登って行く人達がいました。今は、山のトイレ使えず、携帯トイレを購入して登ってください。と案内されていました!
滝が見えるところまで、登山道とは別の道を15分ほど歩いてみました。
遠くに滝が見えました。
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下山。
流星の滝、銀河の滝を見に行きました。
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糠平に移動。
大雪ダム 大雪湖。
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三国峠展望台に到着。
ぬかびら温泉からみると、層雲峡、旭川へと続く国道273号線の峠です。標高1,139mは、北海道の国道としては一番の高さだそうです。
樹海と東大雪の山並みが見えました。
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白樺並木の道。
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十勝三股に到着。
昔、帯広からここまで来ていた士幌線の終着駅があったところです。
かつては林業で栄え、鉱物も掘り出され、1,000人以上が暮らしていたそうです。
今は2軒のみ。
一軒は喫茶店「三股山荘」。
お昼ご飯を食べに寄りました。
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すてきに歳を重ねた女将さんが、
「今日のプレートランチの最後の一食、新ジャガよ!」と出してくれました。
美味しい!
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北海道地震のお話しをしました。
「大変だった。水は井戸、電気は自家発電で、しのいだ。基本的なところの準備が大切ね。」と教えてくれました。

十勝三股駅を鉄道模型Nゲージで再現されていました。けっこう大きな駅。
士幌線は、帯広駅で根室本線から分岐し、十勝平野を北上して上士幌町の十勝三股駅までを結んでいた路線でした。
国鉄民営化直前の1987年3月23日に全線が廃止されました。
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山荘の裏庭が平坦な場所。たぶん、ここに駅があったと推測しました。
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タウシュベツ展望台に行く道を入ると、国道に沿って道がありました。
ここは、線路があったところと思いました。
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ヒグマに人がいるよと知らせながら、鈴を鳴らして歩きました。
タウシュベツ川橋梁(めがね橋)が湖の向こう岸に見えました。
水は少ない。橋は朽ちかけていました。
タウシュベツ川橋梁(めがね橋)は、旧線の橋と判断しました。
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三の沢橋梁。こちら岸にあったので新線の橋。
上から、ぬかびら湖が見えました。

ぬかびら温泉街に入ってきました。
鉄道資料館に行ってみました。
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士幌線の糠平駅跡です。
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ぬかびら湖畔に行ってみました。
水が少なすぎと感じました。
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宿泊は、ぬかびらユースホステル。
ユースホステルに源泉の温泉がありました。気持ち良いお風呂でした。
夕食。
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夜の温泉ツアー。幌加温泉 湯元鹿の谷。
ご高齢のおばさんが、湯守を成されていました。
古い建物。コンクリート打ちの湯舟が三つ。ナトリウム泉、鉄鉱泉、カルシウム泉。
露天風呂が一つ、これは泉質は暗くてわかりませんでした。どうも四つ目の泉質らしい。驚きでした。
ここは、混浴。
帰り、玄関前にキツネ。一緒に行った方が教えてくれました。
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良いお風呂でした。

おやすみなさい。網戸開けて寝ます。

北海道 宗谷本線の駅、塩狩峠 2020/8/26

三日目:2020/8/26水曜日 宗谷本線の駅、塩狩

抜海。
おはようございます。
風強し、雨は降り続いています。
今朝も、沖合は見えません。

朝食をいただいて出発。
塩狩峠を目指して、宗谷本線沿いに南下しました。

途中、駅を見学。
兜沼駅です。
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兜沼の脇にありました。兜沼への道がホームからありました。行ってみました。
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熊が出そうな大自然。誰もいません。
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駅前の集落。
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下沼駅。
湿原が見えるかと思いましたが、周りは木々。見えませんでした。
駅舎は、貨物列車の最後尾に連絡されていた車掌車。
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この付近も、牧畜が盛んです。
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糠南駅。
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駅舎が物置でした!物置を開けると、ちゃんと時刻表が掲げられていました。
訪問者が書くノートが置かれていました。この駅を訪ねる旅人がいます!
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一日3本です。
あと25分で、稚内行き普通列車がありました。
問寒別川(といかんべつがわ)に架かる鉄橋で撮影しました。
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音威子府(おといねっぷ)駅。
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昔、稚内まで、オホーツク海周りで、天北線が行ってました。
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列車の案内表示が、木札!これ良いです。
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駅そばはやっておらず、隣の道の駅で、音威子府そばを食べました。お話しを聞いてた通り、そばは黒。つゆも黒。
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そばの畑です。花は白。
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天塩川温泉駅。
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近くの音威子府住民保養センター 天塩川温泉に行ってみました。
温度が9℃の鉱泉でした。加熱して適温入浴。
露天風呂から天塩川が見えました。
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下士別駅。
2021年3月に廃止予定の駅です。
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剣淵の道の駅に、映画のロケ地であったことを表すパネルがありました。
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和寒に到着。
以前、塩狩ヒュッテの合田さんに教わった八百屋を探そうと思って、右折。
その合田さんが運転する車に偶然出会いました。
八百屋さんの位置を教えてもらいました。
まず、和寒駅へ。
稚内行きの特急が10分前に出発していました。
駅に、鉄道の塗り絵が飾ってありました。子供たちが、鉄道を好きになってくれると嬉しいです
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八百屋さんで、かぼちゃと茹でとうきびを購入。
茹でとうきびは、自然の甘さ。美味しかったです。
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塩狩峠に到着。
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三浦綾子記念館。
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シラカバの木々。
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静寂の中、虫の音、鳥のさえずりが聞こえました。トンボ。塩狩は蒸し暑いですが夏の終わりを感じました。
季節は秋に入って行きます。
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ヒュッテが開くまで、鉄道写真撮影しました。
塩狩駅停車の下り普通列車。国鉄時代に製造されたキハ40。動き出すときのエンジン音、ぐっときます。
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塩狩峠の記念碑の横を通過する上り快速列車。静かに通過していきました。
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今日の宿泊は、塩狩ヒュッテユースホステルです。
Go to Travelの登録宿泊施設です。
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消毒、換気の対応、大変と思います。大型空気清浄機を導入してくれました。
宿泊客への配慮、ありがたいです。
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シャワー浴びて、洗濯。
ひと息つきました。

夕食。美味しい!
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お片づけ、食器洗いは、次男のしん君の仕事。
働いて、お母さんから決められた労働収入を得る。子供の時から働くのは良いことです。
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これからの旅、宿のこと、お話をしました。
宗谷本線で廃止が検討されている駅の記事を読ませていただきました。
塩狩駅の一日の乗降客は、0.8人。次回は、鉄道で来ようと思いました。
存続応援募金しました。仲間の星野さんにも募金のご協力いただきました。
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その中、3/14ダイヤ改正で、行き違い交換のために運転停車していた上り快速列車がドアを開けて乗降客扱いになった嬉しい記事がありました。
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来秋、カボチャの収穫の手伝いに参加できそうです。
計画、旅の資金作り、がんばります!

夜の列車。
生活の足です。
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静かな夜。
おやすみなさい。