明治村 2022/7/30 土曜日、犬山 7/31 日曜日

明治村 2022/7/30 土曜日

明治村の京都市電です。
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おはようございます。
岐阜の明治村に向かいます。
早朝の新大阪駅。1階に、蒸気機関車の動輪が飾ってありました。初めて知りました。
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青春18切符の利用です。
早朝は、快速がありません。
各駅停車で、米原へ。
途中、安土。この山に安土城があったと思います。
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米原で乗り換え、岐阜へ。駅前に、黄金の信長像です。
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岐阜から、JR高山本線・美濃太田行に乗車。
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鵜沼で下車。
名鉄・新鵜沼から、犬山へ。
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木曽川。
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岐阜バスで、明治村へ。
やっと到着。入村券は、シニア(65歳以上)です。
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一丁目。
近衛局本部附属舎。
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森の小径。
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聖ヨハネ教会堂。
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学習院長感謝。
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明治時代の美人コンテスト。乃木希典が関与しています。
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西郷從道邸。西郷隆盛の弟である西郷從道が住んだ邸宅で明治初期の貴重な洋館建築の一つ。
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森鷗外、夏目漱石住宅。
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風鈴の音が涼し気でした。
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二丁目。
レンガ通り。
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東山梨郡役所。
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清水医院。
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札幌電話交換局。
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名電1号機。
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市電 京都七条駅。SL・市電一日券(SL・市電 乗り放題)800円を購入しました。
市電の前に付いている網は、歩行者を車両の下に巻き込まないようにするためと説明がありました。
想像です。当時、市電が近づくのを知らない(知っていて、というのもある。)で線路を横断した人が多くいたと思っています。
市電の時速は、10km/hぐらいだったそうです。
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三丁目。
入鹿池(いるかいけ)。農業用ため池。世界かんがい施設遺産です。湖みたいでした。
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市電 品川灯台駅。方向転換。電気を受けるポールを左に回しながら進行方向の後ろに持ってきます。
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品川灯台。
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市電の折り返しで、市電 京都七条駅を通って、市電 名古屋駅へ。
木製の車両。
汽笛です。足で踏みます。
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自動車でいうと、アクセルです。
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手回しブレーキです。
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前方の眺めです。
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つり革。上の部分は牛皮。下の部分は、昔、銭湯で衣服を入れる籠に使われていた籐(とう)でした。
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100年以上前の車両が走る。保存に感動です。
スコットランドで保存鉄道に乗った経験があります。お話を聞くと、ボランティア活動でした。
歴史ある鉄道、車両を次世代に残していく活動を、応援します。

四丁目。
SL名古屋駅。
SLは、三軸。9号機。よく残っていて、稼働していることに驚きでした。鉄道150年の年に、良いものを見ました。
転車台が故障しているため、後ろ向き運転です。
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SL牽引、三等客車に乗車。明治の雰囲気を味わいました。
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後ろのデッキからの眺めです。高校生の旅行の時、九州で、こういう景色を見ながら汽車に乗っていました。
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五丁目。
SL東京駅。機関車付け替えです。
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折り返しのSL牽引客車を撮影しました。

帝国ホテル。最初目に飛び込んできた時、「なんの廃墟だろう?」と思ってしまいました。
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帝国ホテル中央玄関。喫茶、営業していました。
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名鉄岩倉変電所。
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墨田川新大橋。路面電車の線路が残っていました。都電は、新大橋を渡っていたんですね。
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聖ザビエル天主堂。ステンドグラスが美しい。
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オムライスの文字。ランチに凄い人の列でした。
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暑い!歩くのは危ない。
市電で、出口に近い、市電 京都七条駅へ。
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昼食:味噌カツ丼を食べながら、水をいっぱい飲みました。
三重県庁。立派な佇まいでした。
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暑さでぐったりです。

今日の宿泊先、各務原へ移動。
お風呂に入り、さっぱり。昼寝。
夕食を食べて、夜の散歩へ出かけました。岐阜城に向かいました。
高山本線・蘇原駅から、岐阜駅へ。
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岐阜バスで、岐阜公園歴史博物館前。
青くライトアップされた岐阜城が見えました。
岐阜城は、結構高い位置にあるなと思いました。
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金華山ロープウェイで、山頂へ。
ロープウェイからの夜景。
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岐阜城まで、暗い舗装された夜道を歩きました。
結構、階段がありました。食料や水や武器を運ぶ人たちは、腰が強かったんだろうなと想像しました。
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岐阜城に入城。ここは、斎藤道三の居城、稲葉山。その後、織田信長が攻略し、岐阜と改めました。
織田信長の絵。
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織田信長の木像。
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甲冑。
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夜景です。眺望は、抜群の位置、高さです。
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さあ、帰ります。
20:15のロープウェイで下山。
岐阜駅からの高山本線普通列車に間に合いました。
蘇原駅から、誰も歩いていない夜道をとぼとぼと歩いて帰りました。
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犬山 2022/7/31 日曜日

名鉄各務原線・犬山行に、六軒駅から乗りました。
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犬山城が見えました。国宝です。
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犬山遊園駅で下車。
木曽川沿い歩いて、犬山城へ。
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犬山城は、木曽川と、この小さな川が濠になっていますね。
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朝早いので、人はいません。この道は、東海道か。
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もう暑いです。
城に上がる道を登る気力がありません。
街に向かって歩き始めました。
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ここの街は、犬山城に近い。
説明文を見つけました。
犬山城下町は犬山城の創建に伴い、もともとあった町を整備して作られました。
町の中央部に町人町を置き、それを囲むように侍町を配置したほか、城下町の外周を木戸や堀、土塁等で取り囲む総構えの城下町として守りを固めていました。
現在も江戸時代と変わらない町割り(町の区画)がそのまま残り、江戸から昭和までの歴史的な建造物が立ち並びます。

朝早くから開いているお家がありました。
旧磯部家住宅です。
敷地は間口が狭く、奥行きが広い「ウナギの寝床」。中庭、裏座敷、土蔵がありました。
中級の呉服商ということでした。
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お店。奥が帳場。
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仏間。
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裏座敷に通じる弁柄色(赤い土の色)の廊下。
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裏座敷。
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土蔵に通じる屋敷内道。
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犬山駅方向へ歩きました。
どんでん館。山車が保存しているところです。
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三階建ての商店街店舗。二階、三階は使っていない物置のよう。ある意味、廃墟。
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木之下城伝承館・堀部邸。中に入ることはできませんでした。
(説明)
犬山城下町に唯一残る武家風住宅。
犬山の城下町から名古屋に通じる「名古屋往還」の外堀桝形を出た位置の東側にある大規模な住宅です。
主屋、離座敷、土蔵など全部で6棟の建物は、文化財的価値が認められ、国の登録有形文化財となっています。
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犬山駅から名鉄名古屋駅まで特急。普通車両の座席数は少なかったです。通勤用でした。ロングシートもありました。
名古屋駅から、のぞみで帰りました。
新横浜まで、1時間17分。行きの半分の時間でした。
東海道新幹線は、本数も多いです。便利な鉄道です。
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乗る人が多いと、便利になっていくのは世の常です。
ローカル鉄道の在り方の見直しが新聞で書かれていました。
鉄道全体で考えてもらえるといいなと、望が薄い希望を持っています。

今回は、歴史を訪ねる鉄道旅になりました。
メンバーに会えた旅になりました。
良かったです♪

関ケ原、大坂 2022/7/29 金曜日

関ケ原、大坂 2022/7/29 金曜日

ここは、関ケ原合戦の決戦地です。
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おはようございます。
朝食を食べて出発。関ケ原に向かいます。
名古屋から、JR東海道本線快速・大垣行に乗車。
青春18切符の利用です。
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大垣駅到着。
懐かしい駅です。昔、夜行の大垣行きの快速電車があり、ここで、大阪方面の電車に乗り換えました。
急行系165系。ボックスシートの座席が固く、よく眠れないまま、大垣に着いたことを思い出しました。
特急車両185系の時代もありました。「ムーンライトながら」。
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米原行に乗り換え、関ケ原で下車。
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鉄道唱歌。
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岐阜関ケ原古戦場記念館1F 広域観光情報コーナーに向かいました。
早過ぎました。少し待ちました。
上を見ると、右に、徳川の家紋「三つ葉葵」。
左に、石田三成の旗印「大一大万大吉」。
調べました。
(だいいち・だいまん・だいきち)と読み、
その意味は「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」というもの。
ラグビーの合言葉“One for all ,all for one.”(一人はみんなのために、みんな一人のために)にも通じるものがあります。と。
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事前にガイドさん案内を予約していました。
私一人に、ガイドさん。午前中だけだと1000円です(申し訳ございません。)。それに、プラス、電動アシスト自転車代。
ガイドは、今井さん。73歳。地元関ケ原町の方。
ガイドになるのに、2年間の教育受講が必要ということでした。
地元の関ケ原町だけでなく、名古屋や関西にもメンバーがいるとのことでした。

関ケ原でなぜ合戦がおこなわれたのか?という疑問をいつも持っていました。
もっと京や大坂に近いところでもいいんではないかと。
勝手な推測です。
関ケ原は、
・交通の要衝。中山道、北国街道、伊勢街道が交わる地点。人、物資を運べる。
・狭隘の地。北も南も山。岐阜、大垣から京、大坂に出るのに、必ず、ここを通る。西軍が選んだ。
・準備できる立場の西軍は、山の上から街道沿いの敵に容易に攻撃ができる。

まず、陣形図をざっくり説明します。
西軍は、その名の通り、関ケ原でも西に陣を構えています。
それも、見晴らしの良い山を選んでいる。
一方、東軍は、街道沿い、少し開けたところに布陣しています。
  ↑ 
  北
←西 東→
  南
  ↓
 笹尾山・ 石田三成
           丸山・黒田長政
      決戦地
島津義弘   最終:徳川家康  
小西行長  開戦地               
宇喜多秀家              

中山道  ----------------------------------------------------------
大谷吉嗣 福島正則 藤堂高虎 本多忠勝  桃配山(ももくばりやま)・徳川家康 

松尾山            ずっと東に離れて、南宮山・毛利輝元
小早川秀秋  

布陣図です。  
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準備して、自転車出発!
戦いは、旧暦9月。新暦で10月。田圃は稲刈りが終わって、足元は乾いた状態にあったと推測されています。
東軍、福島正則が先鋒、宇喜多秀家を攻撃する段取りだったと聞きました。
それより前に、井伊直政、松平忠吉が、最初に鉄砲をはなったことから戦が開始。
開戦の地という碑が建てられていました。
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今井さんの説明では、開戦地はもう少し南。前に広がる田圃が林に入る当たり。東海道本線に近い。
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確かに。碑があるところは、小西行長の陣地前です。役場の人も認めているそうです。

それを受けて、開戦地からみて北東の高台に位置する、丸山の黒田長政のところから、開戦の烽火が挙げられ、戦が始まったことを知らせた。
岡山烽火(のろし)場。
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福島正則の陣。
樹齢800年の大杉がありました。
この樹は、関ケ原の合戦を見た生き証人です。
根本から、子供の杉が育っていました。
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その東、藤堂高虎、京極高知の陣。現在は、中学校の敷地内でした。
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西軍、笹尾山の石田三成の陣に行ってみました。
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麓の入口は、島左近の陣。ボランティアの方々、当時の馬除け柵を復元されていました。
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坂を登っていく今井さん。
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到着。関ケ原の盆地が一望でした。
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石田三成目線の布陣図です。地図上側が南です。
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南側。前面です。松尾山の小早川秀秋の陣まで味方の西軍の陣地をしっかり把握できます。
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さらに、左側。東側。東軍の陣地も、あらかた見えますね。
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盆地の真ん中を、東海道新幹線が通っていました。16両編成がしっかり見えました。
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笹尾山を降りて、宇喜多秀家の陣へ。当時、樹はなかった。
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徳川家康が最初に布陣したのは桃配山。開戦地から遠い、西軍の陣がよく見えないですね。
でも、家康はすごいと思いました。戦況把握のために、陣を前に押し出した。
島津義弘の陣の東400m辺りです。前面です。
開戦前、島津義弘は東軍伏見城の応援に出ています。伏見城側はあらかじめ連絡がなかったため島津勢を追い返しています。
島津は、成り行きで西軍についてしまいました。
徳川家康、こういう事情知っていたので、攻撃はしてこない、と踏んでいたと、想像します。
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徳川家康は、島津義弘の陣の動き(人の顔も)をしっかり見えたと思います。
目線を上にすれば、右手に笹尾山の石田三成、左手に松尾山の小早川秀秋の動きが見えたと思います。

西軍で寝返ったのは、小早川秀秋以外に4陣。脇坂安治。朽木元網。小川祐忠。赤座直保。
それも、この4陣は、松尾山の麓、大谷吉継の陣の前に布陣していて、前から攻撃。
小早川秀秋は、松尾山を後ろ(南)から降り(ここしか道がないそうです。)、松尾山を6時の位置から9時と右回りし、
12時の位置にいた大谷吉継を背後から攻撃しています。
これでは、大谷の陣はたまったものではないですね。
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決戦地。家康の陣から北西わずか400mでした。
午前8時に始まって終わったのは午後2時。6時間の戦い。と説明を受けました。
西軍敗北。負けたと判断した石田三成は、笹尾山の山頂方向(後ろ)から逃げています。
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島津義弘の陣も戦場から離脱します。
島津義弘の陣の前は、徳川家康の陣。
徳川家康の陣の左側(南側)を通りながら(と言っても、地図を見ると100mはないと思われます。顔が本当に見える距離です。)、
東軍陣地を突破して伊勢街道方面に南下していっています。「島津の退き口」と呼ばれる敵中突破です。
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今でも毎年、鹿児島県の中高生がここに来て、ここから山越えの徒歩遠足をするそうです。

時代は遡って、7世紀の壬申の乱の後に、ここ関ケ原に関所が整備されました。
不破の関です。関跡が残っていました。前を通る道は中山道でした。
壬申の乱:
672年,壬申の年,天智天皇の子大友皇子と同天皇の実弟大海人皇子おおあまのおうじとの間で起こった皇位継承をめぐる争い。
一か月余の戦いの結果,大友皇子は自害し,大海人皇子が翌年正月即位して天武天皇となり,
以後大化の改新が一層強力に推進された。
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JR東海道本線を挟んだ北側には、「不破の関北限土塁跡」が残っていました。
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少し、関ケ原の戦いを知ることができました。
岐阜関ケ原古戦場記念館のレストランで、弱輩者なので、足軽カレー(黒っぽい挽肉、白っぽい挽肉が分かれてトッピングされていました。)を注文しました。
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関ケ原から米原。米原から大坂。大坂から京橋。と移動。
彦根。黄色の車体の電車。近江鉄道です。
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瀬田川と思います。カヌーに乗った人たちがいました。
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京橋のJRホームの立ち食い蕎麦屋さん。存続していました。
現役時代の出張時、よくここで食べました。お世話になりました。
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頭上を、伊丹空港に降り立つ飛行機が見えました。
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懐かしいOBPの風景。
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NEC。一緒に仕事をしたメンバーを訪問。
谷口塾の活動を報告しました。
夜は、少人数でワイン飲みでした。

岡崎、名古屋  2022/7/28木曜日

岡崎、名古屋  2022/7/28木曜日

岡崎の八丁味噌、名古屋のトヨタ産業技術記念館を訪ねました。
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新横浜から、東海道新幹線こだまで名古屋に向かいました。
JR東海ツアーズの「ぷらっとこだま」を利用。
たくさんの、のぞみに抜かれました。
名古屋まで2時間21分かかりました。
長い時間、新幹線に乗っていることができました。(笑)
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近鉄の車両が見えました。もう名古屋です。
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名鉄名古屋から、豊橋方面に向かいました。
名鉄名古屋本線快速特急・豊橋行に乗りました。
指定席の車両というのがあるんですね。全車両でなく、2両ついていました。
普通車で十分です。
知立で急行に乗り換え、新安城で更に普通電車に乗り換えました。
この車両は古い。昔の京浜急行の車両にもあった、運転席の後ろに座席が設けられていました。
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矢作(やはぎ)川。
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渡りきると、岡崎公園前駅はすぐです。下車。
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水路に、鯉が泳いでいました。
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目的地、「味噌屋 まるや」はすぐでした。
それにしても暑い!

11時を少し過ぎていましたが、11時の蔵見学をさせてくれました。
見学者は、私一人。

なぜ、「八丁味噌」と言うのか?
わかりません。
答えは、「岡崎城から八丁の距離にある味噌蔵」だからそうです。
調べると、一丁は、約109m。八丁は、約872m。あとで、お城に行きます。

八丁味噌。製造工程表。
八丁味噌は、大豆、食塩が原材料。酵母菌は、大豆酵母菌。
混ざり気無しの味噌です。
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味噌樽の中に、6トンの味噌。上に、3トンの重石(おもし)。
2年間熟成。
とお話がありました。
味噌樽は、堺で作ってもらっている。
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重石の積み方には年季がいる。
崩れない。
一番上の丸い石は、「まんじゅう石」と呼ぶ。
そうです。

井戸を見せてくれました。
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「重石」
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「まんじゅう石」
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説明員さんが、2つのビニール袋を差し出してこられました。
「八丁味噌と赤だし。どっちが、八丁味噌か。」
分かりませんでした。同じ色合いです。
答えは、固い方が、「八丁味噌」でした。
「赤だし」は、「八丁味噌」と「信州味噌」を混ぜわせたもの。柔らかい。
知りませんでした。
「信州味噌」は、外から買ってくるとのことでした。
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徳川家康が、戦の時に、「八丁味噌」を丸めて持っていくようにと、武将に指示した話があります。
固い団子状を笹の葉に包んで持ち運んだのか。
湯があれば、インスタント味噌汁になります。戦っていますので、塩分補給になります。理にかなっています。

外の洗い場で、攪拌棒を洗っている製造作業の方がおられました。
聞いてみると、「八丁味噌」と「信州味噌」を混ぜ合わせる作業をしていた、とお話くださいました。
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味噌樽、重石の天日干しです。
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お土産に、「赤だし」をいただきました。
地元三河産大豆で作った「八丁味噌」を購入しました。

岡崎城に向かって歩きました。
普通、城は、濠があり、城内にはいる橋があります。橋は限られています。
この道で合っているかと思いながら、歩きました。
民家の塀に、「旧東海道」の看板。江戸、京につながっている。昔、旅人もここを通った。と想像しました。
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運よく、橋に出くわしました。
橋の上から、右手を見ると、鉄道の鉄橋が見えました。
名鉄の電車が通り過ぎていきました。
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岡崎城。
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濠は深い。
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徳川家康の像が、ベンチに腰掛けていました。
運が良くなると書かれていました。記念撮影しました。
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城内に、「八丁味噌」を使った食堂があると聞いてきたのですが、出くわしませんでした。
大手門から、城外に出ました。
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古い民家。城下町の風情です。
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地元の食堂で、昼ごはん。女将さんが、小さな梅干しがはいった瓶を置いてくれました。
5粒いただきました。夏の外歩きは、久しぶりです。陽射しが強い。
名鉄で、名古屋まで戻りました。

予定より少し早い。
地図で、ノリタケの森の先に、「トヨタ産業技術記念館」を見つけました。
市内バスで行けるので、出かけてみました。
横から入場。
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チケットを購入。受付の女性が、「自動車館見学のツアーがあります。いかがでしょうか?」とご案内してくれました。
「お願いします。」
エントランスに、豊田佐吉が1906年に開発した「環状織機」。立体的に布を織る。
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蒸気機関。1898年製。外国製。動くのを見せてもらいました。
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ロボットが、バイオリンを演奏してくれました。

ツアー開始。
最初、自転車に外付けエンジンをつけることから手掛けていました。今の、原付自転車。
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自動車創業期。車の鉄板造りからおこなっているのを見学できました。鉄を造る。
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木型に張わせる形で、一枚一枚、手で叩いて、車の外板を作っていく。
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トヨダAA型乗用車(1936年・複製)。
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トヨダトラックG1型。
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豊田喜一郎さんの、トヨダトラックG1型故障現場に赴くレリーフを見て、ぐっときました。
障害対応の姿勢、現場を大事にすることを教わりました。
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社名は、当時、「トヨダ」。タではなく、ダだったんですね。
豊田さんは、「トヨダ」さん。その後、社名は公として家名と切り離して、「トヨタ」に変更されたと説明を受けました。
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プレス機。
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現代のロボットによる生産ライン。
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水素自動車「ミライ」の第二世代が展示されていました。
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ツアー終了。

バス停を探し、時刻表を見ると、20分以上バスがありません。
タクシーもない。
猛暑の中、名古屋駅に向かって歩くと、大通りの左側に空車タクシーが一台。
躊躇することなく、伏見のNECオフィスがあるビルまで乗りました。冷房がありがたかったです。
名古屋は、名古屋駅から交通網が放射状。
出かけた「トヨタ産業技術記念館」は、放射状の一部なのですが、栄や伏見の中心地からはずれた方向でした。

一緒に仕事をしたメンバーを訪問。
そのあと、仲間がいる会社を訪問。
夕食。美味しかったです。
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愛媛県鬼北町 2022/7/9-11

愛媛県鬼北町 2022/7/9-11

宇和島の東、鬼北町。苺農家・あかまつ農園の赤松さんが、サイクリスト向けゲストハウスをオープンしました。
名前は、「ゲストハウス 西村サイクル」。
宿泊しに出かけました。
予土線。四万十川に架かる橋梁を渡る列車を見させていただきました。
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〇2022/7/9土曜日
羽田から松山空港行き飛行機に乗りました。
松山行の飛行機は小さいほうに入る737-800。
搭乗するのにバス移動でした。
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先に、プライベートジェットが飛んでいきました。
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江の島が見えました。
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富士山は、夏模様。
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松山が近づいてきました。
瀬戸内海です。
島と島の間を通っていくフェリーが見えました。
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松山空港で、レンタカーを借りました。
一時間半で、鬼北町に到着しました。
あかまつ農園訪問は、三度目。予土線の踏切を渡って左折。100m行って川沿いに左折。
到着しました。赤松さん、お世話になります。

早速、車で、四万十川を見に連れていってくれました。
西村さんをピックアップ。
四万十川かなと聞くと、ここは広見川。
川沿いの道の駅で昼食。花かつおふりかけが美味しい。これをお土産に買おう。

半家(はげ)駅。ここは、もう高知県です。
この石段を登った高台にありました。
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珍しい駅名です。駅名は、私にぴったりです。(笑)
廃線となった北海道の増毛(ましけ)駅と組み合わせて話題になったこともあったとか。
微笑ましい話です。
一方、「半」は、「平」の一番上の横棒を下に下ろした字と教わりました。
ここは、平家の人たちが住んでいて、「平」ではなく「半」の文字を使い、
平家の存在を隠して生活してきた土地というお話がありました。
西村さん、ありがとうございます。
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予土線は、愛媛県の宇和島から、高知県の窪川まで通じている路線です。
宇和島からきて江川崎までは、1~2時間に1本程度の列車がありますが、
その先は、一日上下各4本という超ローカル線です。
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ホームを見て、昼の列車は行ったばかりと思い、下の国道に降りました。
ところが、黄色の車体が突如見えました。
あの坂の石段をダッシュで、駆けあがりました。
「しまんトロッコ号」でした。気動車1両+トロッコ車両。
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普通、トロッコ列車は、全席指定席です。
女子高校生が一人降りられました。
ということは、気動車のほうは乗車券を持っていれば乗れるのではと思いました。
一日4本ですから、そうなっていると推測しました。
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沈下橋に案内してくれました。
写真左側が、沈下橋「第一三島沈下橋」。
右側が、予土線の鉄橋「第4四万十川橋梁」。
地元の方は、沈下橋を車で渡ります。
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沈下橋の上で車を停めていただき、下から鉄道橋を撮影。
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四万十川の下流に向かって車は進みました。
土佐昭和駅と土佐大正駅の間に、四万十川に架かる橋梁がいくつもありました。
そのうちの一つです。柵が無い。撮影にはもってこいです。
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土佐大正駅。木造の駅舎。こういうのも好きです。
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地下道を潜ってホームへ出てみました。シンプルな駅でした。
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時刻表です。
ここは、もう高知県です。
ここの方々は、愛媛県の宇和島に出るのか、高知県の窪川に出るのか。
窪川行きは、13時台の列車が出ると次は最終の19時台です。
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駅前に石碑。
読んでみると、「予土線全線開通 昭和49年3月1日」。
高校生の時です。鉄道としては、近年の出来事です。
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土佐くろしお鉄道の窪川駅に到着。
南西方向の中村、宿毛まで列車が通っています。
昔、宿毛まで行き、そこから小さな船(生活物資と一緒に)で、沖ノ島に渡ったことがあります。
狭い土地、暖かい気候。公道である石の階段に、各家が桟敷を張り出し、夕食を食べる、という風習があり、
見に行きました。帰りの船便はなく、宿の予約をしていなかったため、郵便局を訪ね、釣り船宿に電話をかけてもらい、泊めていただきました。突然のお客でしたが、夕食をちゃんと出してくれたのを記憶しています。
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夕食は、鰹を食べたいというリクエストをしました。
須崎で、鰹のたたきを購入してもらいました。
ガンダムが、鰹を火であぶっていました。さすが、高知です。
お土産に、花かつおふりかけ、勧められた四万十川青さのり入りつまみのりを買いました。
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鬼北町に戻ってきました。
高知県の窪川は、愛媛県宇和島や鬼北町からみて、南の方向と思っていました。
ところが、カーナビをみていて、東の方向であることを知りました。
先入観は直していかないといけません。
「ゲストハウス 西村サイクル」到着。
自転車を置く土間。
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客室。手前に客室がもう一間。6人まで寝れます。奥がキッチン。
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夕食は、鰹のたたきを、作ってくださいました。
赤松さんの奥様、赤ちゃんも入り、4人(赤ちゃんは生後四ヵ月。まだミルクです。)で夕食をいただきました。
枝豆、とうもろこし、トマト、じゃこ天。美味しかったです。
まるで、赤松家を訪ねたお客様のようでした。
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〇2022/7/10 日曜日
おはようございます。
宇和島行きの始発列車を見にいきました。
宇和島行きのバスが踏切を渡っていきました。
日曜日だからでしょう。お客さんは乗っていませんでした。
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列車がやってきました。
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戻りました。
これが、ゲストハウス西村です。昔の街道沿いに立っています。
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朝食に、赤松さんの奥様が、おにぎり、卵焼き、味噌汁を用意してくれました。
有難いです。めちゃくちゃ美味しかったです。
子育て中なのに、時間を割いて作っていただき、ありがとうございました。

あかまつ農園に向かいました。
受付、仕分け作業場。
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絵が飾られていました。
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小さな水路の向こうにビニールハウス。これも、あかまつ農園の圃場。
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宇和島水産高校の先生と生徒さんが、苺株撤去作業の手伝いに来られました。
赤松さんの説明です。
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最初、今期最後の苺収穫。真っ赤な苺、色合いが美しいです。
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そのあと、生徒さんたち、苺株の撤去作業に取り掛りました。
私は、遠慮しました。
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パートさんたちが、事前に苺株の撤去作業をした圃場です。
最後の片づけまでしっかりやるというの根気と大変な労力が必要です。
なんでもそうですが、下流工程は大事です。
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赤松さんのお母様にご挨拶。
「一日の半分は農作業。体を動かすのが大事。
 谷口さん66歳。農家では、まだ若手。仕事できる」と、お叱り?、激励されました。
もっと動く必要ありますね。

ハウスの中は、暑いです。
パートさんたちが、水分補給で戻ってこられると、挨拶すると、
「こまめに水分補給しないと、体がもたない。
 農業、農家は大変。」とおっしゃっていました。

休憩の時間、先生に、「水産高校の生徒さんが農業体験とは?」とお聞きしました。
お答えは、「なんでも経験。」
先生の授業を生徒さんの後ろで聞いてみたくなりました。
あとで、鈴木先生とFacebook繋がりになりました。

生徒さんからお話を聞くことができました。
皆さん、缶詰作りや新しい魚レシピを考案したりする。
魚の養殖をしている生徒さんもいるとのこと。
三年生の女子生徒さんが、
「オオニベ」という魚があり、新しいレシピを考案した。コロッケ。
このコロッケがのった期間限定カレーがCoCo壱番屋の一店舗で食べることができる。
ぜひ食べてみてください。
夕方、行ってみます。
・オオニベ
 (説明)
 九州南部を中心に生息する スズキ目ニベ科オオニベ属の肉食魚、巨大魚。
 天然の個体数は少ない。
 大きな個体は体長1.5m、体重30kg程度まで成長し、同じニベ科のイシモチなどを餌にしてしまいます。
  体はスズキに似た銀色の鱗で覆われており、尖った小さい頭と短い胸びれ、
 W字のように中央部が突き出た尾びれと、震わせて音を出すことができる浮き袋が特徴です。
 →谷口の想像:オオニベ。漁の網にかかるのでは。
        個体数が少ないので流通せず、捨てていたのでは。
        もったいないので、高校生たちがレシピを考案した。
        (今度会った時、聞いてみようと思います。)
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・宇和島水産高校の缶詰
 ぶり大根の缶詰がある。
 →谷口の思い:どこで購入できるか。学園祭かな。

宇和島水産高校は、漁業訓練船をお持ちで、昔、ハワイ沖で、浮上してきた米軍海軍潜水艦に衝突され、沈没した事故を経験されています。
食を支える、育てる、生徒さんたち、応援していきます!

10時です。
近永駅10:09発窪川行きの列車があります。
あかまつ農園の敷地は、予土線の線路に接しています。
ここは、撮影ポイントです。
黄色の気動車がやってきました。
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「しまんトロッコ2号」でした。草刈りあとで、鉄道撮影ばっちりでした。ありがとうございました。暑い中、草刈りは大変だろうな。
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暑いですが、赤松さんの奥様、赤ちゃんも一緒に出かけられるということで、一緒に鉄道撮影です。

予土線。
土佐昭和駅と土佐大正駅の間。高知県。
四万十川に架かる「第4四万十川橋梁」。下の柵がない橋が、「第一三島沈下橋」。
を同時に見ることのできる四万十川の河原にやってきました。
鮎釣りしている方が3人おられました。
土佐昭和、11:17発の窪川行き列車がトンネルを抜けて、橋梁上に姿を現しました。
朝10時に、あかまつ農園の脇で見た、気動車一両が牽引する「しまんトロッコ2号」です。
観光のため、列車は、ゆっくりと速度を落として橋梁を渡っていきました。
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四万十川が増水した時、水面がどれだけの高さになるのかは、橋脚に引っかかっていた残骸で判断できました。
だいたい、橋脚の色が変わっている辺りでした。

次の撮影ポイントへ移動。
土佐昭和駅と土佐大正駅の間、四万十川に架かる、横に柵がない橋梁が見える場所にやってきました。
小さな水路に小さな滝。四万十川に流れていきます。
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土佐昭和、11:43発の宇和島行き列車を待ちました。
予期せず、凄い音が聞こえました。
新幹線0系を模したホビートレインが、橋梁を、逆向きに、猛スピードで渡っていきました。
早かったです。
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そのあと、線路は、四万十川に沿っていました。
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予土線のレールを見ていて、最高速度は50km/hぐらいかなと侮っていました。
赤松さんも、奥様も、早いのにびっくりしていました。

道の駅で昼食。
山の寿司を注文しました。
味が染みたこんにゃくの中にすし飯。素朴な味でした。
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四万十川とカリーパン。「ここでしか買えません。」というのに弱いです。
購入しました。確かに、周りにお店はありません。美味しかったです。
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戻って、江川崎駅にやってきました。
先ほど書きましたが、
ここまでは、宇和島からきて江川崎までは、1~2時間に1本程度の列車がありますが、
その先は、一日上下各4本という超ローカル線です。
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その4本のうちの1本を、江川崎駅から半家(はげ)駅に向かう、広見川に架かる橋梁で撮影しました。
江川崎、13:27発窪川行きです。
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広見川は、あと200mぐらい先で、四万十川に合流します。
奥様もご一緒に列車撮影。赤松さん曰く、「今日で、鉄子になったかも。」。
はい。しっかり、鉄道好きになられましたよ。笑顔。

戻って、滑床渓谷に連れていってもらいました。足摺宇和海国立公園の一角です。
近永からみて南。愛媛県北宇和郡松野町目黒にあります。
水が豊か。
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見事な石。
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天然のウオータースライダーを楽しむツアーの人たちが、インストラクターに連れられて
川に入っていました。
飛び込みをしていました。
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奥様が、足元にこんな実をつけた植物を見つけました。
南天に似ている。
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帰り際、駐車場に、鹿。
慣れているのか、近寄らなかったので逃げませんでした。
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近永に戻って、お昼寝です。
夕食は、宇和島まで行き、宇和島水産高校の女子生徒さんから教わったコロッケがのったカレーを食べに行くことに決めました。
昼寝のあと、出発まで、街を歩いてみました。
まず、近永駅に。
宇和島行き普通列車が出発していきました。
車両は、あの新幹線0系を模したホビートレイン。
こんな形しているんだと、理解。
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進行方向後ろ。こちらが前面です。鼻が可愛い。
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味噌屋さん「高田商店」に行ってみました。
休日は、17時までとありました。
味噌を買えませんでした。
玄関前に、昔の桶。
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庭先に、コスモス。
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途中、ぶどうがなっているお家を発見。
枝切りをしているシニア奥様にお話を伺うことができました。
「これは、山ぶどう。鳥も食べないんですよ。房はいっぱいできます。」
棚栽培に近いんですが、家の敷地フェンスに沿って、枝を伸ばされていました。
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駅に、桔梗の花。
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鬼北町の案内図。初めて見ました。
鬼北町の南に鬼ヶ城山があります。鬼の城からみて、北にある町という意味と理解しました。
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愛媛はみかん。の看板。
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近永駅。
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待合室に、四国の鉄道路線図がかけられていました。
近永は、松山から来ると、宇和島まで予讃線特急で来て、予土線に乗り換えです。
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宇和島から窪川行きの列車がやってきました。
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18:05発。列車を降りた人は、ホームから階段を下りて、駅構内踏切を渡って駅舎にでていました。
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宇和島にやってきました。
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CoCo壱番屋の宇和島国道56号店は市街地から少し離れた郊外にありました。
「ニベコロ」カレーを早速注文。
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クリームコロッケでした。オオニベの身は、スズキの身と同じ感触でした。
宇和島水産高校の生徒さんが考案したコロッケ、美味しかったです♪
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帰り、宇和島城を車から見ることができました。
現存する天守閣です。伊達家。
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夕景の田圃。
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夜は、参院選の開票速報を聞きながら、ビル飲み。
明日は、ゲストハウス西村を早朝出発。挨拶できないので、ここで御礼を言ってわかれました。

〇2022/7/11 月曜日
おはようございます。
5時にレンタカーを出しました。
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当初は、まっすぐ松山空港に行く計画でしたが、昨夕、「海の見える駅があるよね。」と赤松さんに尋ねると、
それは「下灘駅」。松山空港にお客様を迎えにいった帰り、下灘駅にご案内したことがあると。
せっかくの機会なので、行ってみることにしました。

大洲の街を通過して、海に出ました。
そこから、松山に向かって、道路と線路が海岸線に沿って走っていました。
線路は、崖の下。少し高い位置に敷かれていました。
道路は、横がもう海でした。

下の大きな道からは、細い山道を上ってきました。
06:30、瀬戸内海が真前の小さな駅、予讃線(愛ある伊予灘線)下灘駅に到着。
誰もいない。静かな駅。
ぼーっと、朝の海を見てました♪
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沿岸を、小型ボートが進んできました。漁師さんかな。
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寄りそうしかないベンチが置かれていました。
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ところが、一番列車に合わせて、高校生をのせた自家用車がいっせいに集まってきました。にぎやか。
一番列車、06:45発松山行普通列車がやってきました。
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皆さん、乗り込んでいきました。先頭と一番後ろの車両は、キハ54でした。
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出発すると、静寂に戻りました。
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06:59発宇和島行き普通列車がやってきました。
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一人、鉄道好きな方が降りられました。
この車両、特急車両の形です。キハ185でした。
珍しい車両を見ることができました。
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松山空港で、計画していた飛行機より、3時間前の飛行機に間に合いました。
手続きをして、乗ることにしました。
マスク越しの会話で、地上受付の女性は、なぜか私が伊丹に行くもんだと思いこまれ、
手続きをされていました。発音、話す順番、こちらが注意しないといけませんね。
紙に書いて渡すというのが、一番いいですね。教訓です。
松山空港離陸。
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紀伊半島の南を通って、海の上を飛んでいました。
これが富士山ですかね。
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大島の南、利島の上を通過。
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大島を北に見て、房総半島に入っていきました。
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外房の漁港、赤い帯。これは、赤潮というものだろうか。かなり広い範囲に広がっているのがみえました。
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今回、あかまつ農園の赤松さんが、ゲストハウスを立ち上げたお祝いを兼ね、訪問。
でも、ほとんどが、いつもの鉄道関連になってしまいました。
こんどの冬、美味しい苺を注文し、味わってみたいと思いました。
西村さんに、折り畳み式自転車を紹介してもらいました。
検討していきます!
宇和島水産高校のみなさん、8月の終わりに、ビッグサイトの催しに参加なさると、鈴木先生から教わりました。
女子高校生がおこなう、マグロの解体ショー、見に行きます。

みなさん、ありがとうございました。


2022/6/25 土曜日 江差、縄文遺跡(松前、上ノ国町 2022/6/23-26)

〇2022/6/25 土曜日
おはようございます。
少しずつ晴れてきました。
今日一日、晴れていてくれると嬉しいです。

朝食。厚切り塩鮭が美味しかったです。
07:00出発。
民宿の写真。左手は、漁師道具倉庫。右手奥が、民宿玄関。
おかあさんに挨拶して出発。
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下の漁港に行ってみました。いい天気。
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この籠は、蛸か蟹を採るものだろうか。漁具に詳しくありません。
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漁港に養殖場。
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日本海。今日は晴れ。
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勝山館(かつやまだて)に向かいます。
上に登ると、塔が見えました。
北海道夜明けの塔でした。
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そこからこの道だろうと、少し下っていくと、今度は高台がありました。
景色が良かったです。中世からの景色ですかね。
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さらに下ると、勝山館跡ガイダンス施設に到着しました。
上之国館(勝山館)跡。
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(説明)
勝山館は、後の松前氏の祖である武田信廣が15世紀後半に築いた山城で、
16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・交易の一大拠点でありました。
20年以上行われてきた発掘調査により、中国産青磁・白磁・染付、国産の美濃焼、越前焼など約5万点の陶磁器や、
金属製品、木製品など10万点余りの出土品や建物・井戸・空壕・橋などの跡が多数見つかり、館内での様々な暮らしぶりがよみがえりました。
さらに、近年、調査・研究で明らかになってきた直下の町場の様子と併せて「中世都市」と呼ぶにふさわしい景観が見えてきました。
また、今一つ注目すべきことは、当時アイヌの人々が使っていた500点余りの骨角器が出土していることです。
中世史研究の第一人者故網野善彦氏は「この館にアイヌと本州人が混住していたことはほぼ明らかといってよいのではないだろうか。」
(「日本海と北国文化」『北国の社会と日本海』小学館刊)と述べております。
勝山館跡は、日本海北方交易や中世の生活様式など、「北の中世」を語る重要な史跡として、
中学校・高等学校の日本史の教科書などにも紹介されており、興味尽きないテーマを与えてくれる史跡として大きな関心を呼んでいます。
現在、館の内部では柵・空壕・橋などの立体復元、建物・井戸跡などの平面表示が進められています。
勝山館の各ポイントには説明板が設置され、勝山館の構造や人々の暮らしぶりを確かめながら散策できるようになっています。
勝山館跡の成り立ちを解説するガイダンス施設と現地を併せて見ることで、往時の景観をリアルに体感できます。

ガイダンス施設は時間が早いので開いていません。
勝山館跡を歩いてみました。
一番上に、和人の墳墓群(夷王山墳墓群)が存在しました。
アイヌの人の墓もありました。
発掘した時、建てた墓標と思います。番号が振られていました。
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小さな木の橋を渡り、写真左上の明るい方向へ歩きました。
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この辺りは、ゴミ捨て場と書かれていました。
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後ろを仰ぎ見ると、夷王山、夷王山神社が見えました。
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下っていくと、空堀。
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橋を渡ると、館(だて)の搦手門に到着しました。
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館神八幡宮跡、二つあるのは、室町時代と江戸時代で場所が変わったと説明が書かれていました。
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館内、建物跡。
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櫓門が立っていた跡。
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海が見えました。中世も同じ景色だったと思うと、見通しの良い場所に館を造ったのがわかりました。
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大手門に出ました。
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ここで、引き返しました。帰りは登り坂。
ここ勝山館は、山の斜面に築かれていました。
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一番上位にお墓。敬う、天に一番近いからと想像しました。

車で、下に降りてきました。
上ノ國八幡宮です。
文明5年(1473年)に武田信玄公蛾、勝山館内に館神として創建したとあります。
本殿は北海道内に現存する神社建築物では最古に属するようです。
茅の輪を、無限大の記号∞の形で潜り抜け、参拝しました。お作法を守りました。
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この樹が素晴らしいと思いました。
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隣に、上国寺。北海道最古級のお寺だそうです。
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旧笹浪家住宅。江戸時代の鰊番屋。
(説明)
鰊漁にまつわる番屋などが多い中でも異色の文化財です。
小樽の鰊御殿や小平の花田家番屋など明治から大正期に建てられたものが多い中、
この笹浪家住宅は安政4年に修理の記録が残っているという江戸時代の建物。
親方と使用人、ヤン衆という漁夫が一緒に寝泊りする造りになっていて、番屋の原型ともいうべき貴重なものが見られます。
観光地としては無名ですが、鰊漁にまつわる栄華の原点として、一見の価値があります。
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上之国館(洲崎館)跡。国指定史跡。
コシャマインの戦いで蛎崎季繁とともに戦った武田信広の新居として築かれた館跡です。
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館跡、神社参道の横に、上ノ国小学校発祥の地という碑がありました。
由緒正しいところに、学校を設けていました。
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江差町に向かいました。
まず、江差駅跡。
今の海岸線の国道から二本山側の高台に駅跡がありました。
江差線はかつて函館市の五稜郭駅から江差町まで結んでいた北海道旅客鉄道の鉄道路線です。
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駅前ロータリーは、昔の形を留めていました。
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江差町。
(説明)
アイヌ語の「頭が・浜に・ついている・所」、
すなわち「岬」を意味する「エサウシイ(エサウシ)に由来するとされる。
宗谷総合振興局の枝幸町と同じ語源である。
函館市、松前町と並び、北海道で最も早く開けた地域の一つ。
江戸時代はニシンの漁場および北前船によるヒノキアスナロ(ひば)などの交易港で、
「江差の五月は江戸にもない」といわれるほど栄えた。
松前藩の所領であるが、1868年(明治元年)戊辰戦争の際に、旧幕府脱走軍の占領を受けた。
その際、旧幕府海軍の主力艦である開陽丸が江差沖で座礁沈没した。

廃藩置県後、一時期青森県に属していたが、1872年(明治5年)に開拓使函館支庁に移管、
町役人を廃し、戸長役場を置いた。
1882年(明治15年)、函館県に属し、1886年(明治19年)の県廃止後に北海道庁に属し、1897年(明治30年)檜山支庁が置かれた。
漁業不振や若年層の町外流出により人口は減少傾向にある。
1997年(平成9年)には道内の支庁所在地として初めて過疎地域の指定を受けた。
さらに支庁所在地ではただ一つ、道庁のある札幌市への直行交通機関がない。

復元された開陽丸が置かれている道の駅に車を停めて、街に出ました。
大型漁船が停泊。
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いにしえ街道を歩きました。
(説明)
江差町は明治初期まで、北前船によるニシン漁とその取引、そして檜材交易で栄えたまち。
その栄華を誇った問屋蔵や商家、町屋などの建造物がそのまま残されており、
「いにしえ街道」は歴史の香り漂う街並として整備されました。

アネロイド気圧計塔。
海の仕事の街。昔から、気圧で低気圧など予想していたと想像しました。
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折居社跡。
折居というお婆さんが、江差に鰊がやって来ることを神様の御告げとして地元民に語った場所だそうです。
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姥神大神宮(渡島國一宮)。
北海道最古の神社。
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江差橫山家。
1769年江戸時代から廻船問屋を営む。
能登(石川県)から移住して来た商家。
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江差町会所。
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こんな土蔵もありました。
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土方歳三嘆きの松。
沈没した「開陽丸」の様子を、榎本武揚とともに見ていた土方歳三は、
それを嘆き、叩いたたとされる松の木です。あくまで伝承のようですが。
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そこから見える江差の海。土方歳三もこの景色を見ていたかも!昨夜の暴風雨の日だったかもしれないです。
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松の後ろの建物は、江差町郷土資料館(旧檜山爾志郡役所)
(説明)北海道庁の出先機関である郡役所と警察署の業務を執り行う建物として、
 明治20年に建てられました。北海道の有形文化財に指定されています。
 現在は江差郷土資料館として使われています。

国道を通って、車まで戻りました。
役場の前庭に、ヒノキアスナロ(ひば)の切り出された大木が置かれていました。
こんなに大きくなるんだと驚きました。
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復元された開陽丸です。
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海に、奇岩。
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沖に、フェリーが見えました。
奥尻島からのフェリーです。
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車で、旧関川家別荘に移動。
(説明)
江戸時代末から明治時代初めに建てられた、江差商人関川家の別荘です。
関川家は、江戸時代に越後国(新潟県)から江差へ渡ってきた商家で、本宅は江差のいにしえ街道沿いあり、に廻船、醸造、金融など様々な商いをしていました。
主屋には「蓼窓亭」(りょうそうてい)という額が掲げられています。
これは、関川家の人が蓼窓という号で俳諧活動をしていたからです。 …

受付の男性が、邸内を案内してくれました。
昔の絵図。今いるところは、道路からみて赤〇印で囲ったところです。
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蔵は、江戸時代のもの。漆喰の真っ白な壁が崩れてきているので、木の板で覆っている。
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木の扉を閉め、さらに鉄扉(枠が鉄。重い。)を閉めてもらい、撮影させていただきました。
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主屋。俳句の会が開かれていた。
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庭の池。蓮の花。
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松の木の枝が、今年の雪の重みで折れた。
平年、江差は、雪はたくさん降らない、風が強い、従って雪は積もらない。
温暖化で、雪に水分が多く含まれたと想像しました。
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箱館戦争の時、裏山で処刑された武士もいたそうです。
ご説明ありがとうございました。
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今、渡島半島の日本海側にいますが、東の太平洋側に出て、縄文遺跡を訪ねてみます。
その前に、寄り道です。
乙部町。滝瀬海岸。シラフラ。日本とは思えない海岸線でした。
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ここは、江差の北にあたり、箱館戦争の時、官軍が上陸した地点です。
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太平洋側に出る道は、大沼を通りました。
長万部行き普通列車が来ますね。
踏切で待ちました。
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太平洋側に出てきました。
「史跡大船遺跡」。
(説明)
縄文時代中期(約5,500~4,000年前)を中心とした大規模な集落跡です。
東日本における代表的な集落遺跡であり,「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産のひとつとして,
世界遺産へ登録されています。

竪穴住居。深さは1mぐらい。
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柱は4本。入口からみて、炉があり、奥に祭壇。
祭壇の側に保存する木の実などを貯蔵する穴も掘られていました。
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擦り石。木の実をすりつぶす。
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垣ノ島遺跡に行ってみました。
大きい遺跡でした。説明してくださる方も多い。知識、推察力、検証力、すごかったです。それも学芸員ではないんです。
行くなら、こちらをお薦めします。
(説明)
「史跡垣ノ島遺跡」は,縄文時代早期から後期(約9,000年前から約3,000年前)にかけての長期間にわたり,
縄文人の生活の痕跡が残された遺跡です。
各期による台地利用の変遷を示す数多くの竪穴住居跡や墓に加え,国内最大級規模の盛り土遺構もみつかっています。
遺物では土器や石器といった生活道具のほか,幼児の足形が付けられた足形付土版や漆塗りの注口土器,
装飾品などこれまで20万点以上の遺物が出土しています。
保存状態も良好で,平成23年(2011年)に国の史跡に指定されました。
大船遺跡同様に東日本の縄文文化を代表する重要な遺跡です。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つとして世界遺産登録されています。
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展示品。国宝!です。北海道初の国宝、「中空土偶」。
中が空洞になっているんだそうです。主婦の方が偶然見つけたとか。
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13:00定時の無料ガイドの方に案内していただきました。聞き取り力が弱いので、少しばかり間違っている箇所があるかもしれません。
垣ノ島遺跡の全体模型。
赤い〇:発掘された住居は13。
青い〇:盛土で覆われた祭神の場は大きい。縄文集落の中心地ということがわかる。
黄色の〇:川に、鮭が上がってきて捕獲できる地形が存在する。
丸木舟もそこで乗ったり降りたり。
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集落は点在。
一集落は、10戸程度、20から30人。
垣ノ島遺跡は13戸。
食べるものが限られているからと思う。
祭りか祈りの時、中心集落に集まってくる。
その入り口となるところに、柱の跡。
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祭神の場、盛り上がっている中心点は、どう決まっているか。
夏至の太陽の日の出の方角と、南北線、さらに、盛土に入ってくる道の3線が交差する場所。
ガイドさん、今年の夏至の日の出をここ中心点で確かめたそうです。
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青虎石を持たせてくれました。
額平川産出。アイヌ集落で有名な二風谷に流れている沙流川の上流で合流する山合いの川です。
普通の石に比べて重い。
小型の斧を作った。
木を切る。
縄文時代、すでに交流がおこなわれていて、物が移動している。
黒曜石、翡翠、アスファルトは、他の地域から来ている。津軽海峡は、「しょっぱい川」。丸木舟で横断していた。
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直径5mぐらいの住居。
4.5から8畳の一間。
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竪穴深さは1m。
屋根を支える柱は、4か6本。
入り口。土間に炉。奥が祭壇。
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寝る所は、土間ではない。
屋根が竪穴の外側から、角度35度で作られた。茅に土を練り込んだ。(北海道は寒い。今までの展示は茅だけ。)
その屋根と竪穴の隙間が1mある。そこに寝た。入り口から、熊や狼が飛び込んできても直撃は伏せげた。
犬が2頭。家の中1頭と外に1頭。番犬。

50分、一緒に廻って説明いただきました。ありがとうございました。
もっと理解ができるように整理してきます。
今日の私の疑問;
・縄文人、アイヌ人の不思議。
 何故、文字を持たなかったのか。
 交易していたのに。

・縄文人は、高度な漆技術を持っていた!
 アイヌ人は、漆器を和人から入手している。

・アイヌ人、風呂をどうしたか?
 チセ(住居)、食事のことは、いろいろな本に出てくる。
 トイレも、チセの玄関先に設けられる。
 風呂は川か。冬は寒い。風呂に入らなかったか。

新函館北斗駅のホテルに戻ります。
大沼公園脇で休憩。
青空の下、大沼が美しい。
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ディーゼルエンジン音が聞こえました。貨物列車に出会いました。
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峠の頂、仁山駅に行ってみました。札幌行き特急北斗が峠を登ってきました。

新函館北斗駅に到着。レンタカー返却。
路上イベントがありました。強風でテントが飛ばされていました。
駅前の、旧渡島大野駅の油庫。
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石灰鉱石。大きいな。太平洋セメント我朗鉱山で採掘されている。
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昨日、今日、レンタカー大活躍でした。思ったところへ行ける。頼りになりました。
ホテルの部屋でのんびり。
窓から見えたもの。
北海道新幹線の札幌延伸。トンネル。
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函館行き普通列車が峠を降りてきました。一両編成、キハ40。
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夜汽車の撮影しました。函館行き特急北斗です。
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〇2022/6/26 日曜日
おはようございます。今日は穏やかな日になるかなと期待しながら起床。
朝のお風呂、朝食を済ませ、駅へ。
新函館北斗06:39発はやぶさ10号・東京行の指定席を得ることができました。
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青函トンネルを抜け、本州側に入った時、陸奥湾が光り輝くのが見えました。
よし、アイヌや縄文のこと、本を読んだり、調べたりして、また現地に行ってみようと思った帰路でした。
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(余談)
東京に着いたら、ものすごい暑さ。驚きました!

2022/6/24 金曜日 松前(松前、上ノ国町 2022/6/23-26)

〇2022/6/24 金曜日
05:00、外はもう明るいです。
起床。おはようございます。
朝のお風呂、朝食を済ませました。
雨が降り始めました。
06:39、新函館北斗駅から東京行きの一番列車、はやぶさ10号が出ていきました。
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07:34、新青森駅からの下り一番列車、はやて91号が雨が強くなってきた中、定刻でやってきました。
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雨が強くなってきているので、在来線の列車を見に行くのは断念しました。

08:10、予約していたレンタカーに乗車。
渡島半島を周ります。今日は、木古内(きこない)、知内(しりうち)、松前を訪ねます。
最初、函館湾に向かって車を走らせました。そのあと、道南いさりび鉄道に沿って、福山街道(松前国道)を南下します。
道南いさりび鉄道上磯駅近くに、太平洋セメント上磯工場がありました。
海に向かって、太平洋セメント海上桟橋(海上ベルトコンベア)の全長2kmの桟橋が伸びていました。
雨霧で、海に浮かぶ幻のように見えました。 
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上磯駅。大きな駅でした。
到着寸前に、08:28発函館行きが出ていきました。キハ40を使っていました。
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茂辺地駅。こちらはこじんまりとした駅。
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寝台特急、北斗星の車両が保存されている北斗星広場を探しました。
カーナビには出てきません。
細い路地を通っていくと、右手にブルーの車体が見えました。
どこが入口がわからず、雨でぬかるんだ広場から撮影。宿泊施設と書かれていました。今日は営業していませんでした。
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広場に、かもめ。
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渡島当別(おしまとうべつ)駅。
電化されています。貨物列車のためです。
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トラピスト大修道院に行ってみました。
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朝早い、大雨の影響か、誰も観光客はいませんでした。
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修道院手前の敷地は、三木露風旧居跡地でした。
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駐車場下に、カトリック当別教会。
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海が近い。
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道南いさりび鉄道、函館行きが来ました。渡島当別(おしまとうべつ)駅09:33発。
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通過した気動車を撮っていて気づきました。
写真左側に、電気機関車が見えました。本州に向かう貨物列車が待ち合わせで停車していると。
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貨物列車がやってきました。
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釜谷(かまや)駅。
貨物車両を半分に切って、中間にプレハブを入れた感じの駅舎。
実際は、大きな貨車の中央部分をくりぬいて、プレハブを入れた造りと思います。
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中に、ストーブがありました。代行駅員がおられ、切符の販売をしている雰囲気でした。
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木古内行き09:53発がやってきました。白色。
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サラキ岬に到着。
咸臨丸終焉の地です。
こちらの方向で、座礁、沈没した。
あとで聞いた話によると、この時、咸臨丸は動力を外し、帆船の商船となっていたそうです。
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サラキ岬に蘇る咸臨丸 模型です。
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(説明)
咸臨丸は江戸幕府がオランダに発注し、1857年に完成。
60年には幕臣たちを乗せて浦賀(神奈川県横須賀市)を出港、太平洋を横断した。勝海舟、福沢諭吉。
69年に戊辰戦争が終わると、北海道への開拓使の物資輸送船に。
71年11月(旧暦の9月)、戊辰戦争に敗れ北海道に移住することになった仙台藩白石の401人を乗せて、
函館を経由し小樽に向かう途中に木古内町のサラキ岬沖で座礁、沈没したとされる。

木古内(きこない)駅。
先ほどの貨物列車が停まっていました。
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道の駅のポスト。牛をイメージしていますね。
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北海道のワインを宣伝していました。北島ヴィンヤード。品種は、ケルナー。ドイツ生まれのブドウ品種のひとつです。
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道南トロッコ鉄道鶴岡公園駅に行ってみました。金曜日は定休日。大雨の中、誰もいません。
2014年5月に廃止されたJR江差線の廃線跡を利用したトロッコ鉄道がありました。
旧JR渡島鶴岡駅のホームをそのまま活用していました。
廃線跡。
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知内(しりうち)町に入ってきました。 
アイヌ語の「チリ・オチ」(鳥いるところ)の意味があります。
(説明)
知内は鷹の産地として有名で、松前藩が徳川将軍家に鷹狩り用に献上する15羽の鷹のうち、
半数以上は知内で捕獲したものと言われています。
知内川で採れる鮭を、松前藩は徳川幕府に献上しています。

雷公神社(らいこうじんじゃ)。
北海道最古の神社です。
(説明)
コシャマインの戦いの時(1457年)、知内を通った武田信広が加茂の二社を一社にして再建し、雷公神社と呼ぶようになりました。
もとは上雷に置かれていましたが、大正4年に遷宮されました。
知内町の由来が書かれている「大野土佐日記」が所蔵されています。
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雨石のレプリカ。
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松の木は立派です。
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上雷神社。
雷公神社のうちの上社です。
松浦武四郎、伊能忠敬といった北海道の偉人たちもここに訪れたとのことです。
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杉の巨木がありました。
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道の駅 しりうち。といっても、お弁当やパンなどの食べ物は売っていない、トイレ休憩の場所でした。
でも、棚に珍しいお饅頭を見つけました。「おっぱい饅頭」。
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近くに、姥杉(乳母杉)といって、根もと近くに乳房の形をした瘤がある巨木があるそうです。
母乳の出ない女性がここでお参りをすると出るようになったため、うば杉と呼ばれるようになったと聞きました。

ここは、展望台から北海道新幹線が見学できるところです。
時刻表も完備されていました。
ここのレールは3線軌条と言って3本のレールで新幹線と在来線を走らせています。
3線軌条は、青函トンネルの中と出たあたりまでです。
ここは、青函トンネルを出て約1kmのところです。

暴風雨です。
その中、本州に向かう貨物列車がやってきました。側線でいったん停車しました。
そのあと、青函トンネルに向けて出発していきました。
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本州からの貨物列車です。北海道新幹線と同じところを走っています。左側のレールを新幹線と共有していました。
強風の音が大きいです。

新函館北斗行き、はやぶさ7号です。

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福島町に入ってきました。

吉岡漁港。
この漁港の下を新幹線が通っています。
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近くに、伊能忠敬北海道測量開始記念公園。
この方、偉いですね。歳をとってから、勉強、実地に出かけている。
現場を訪ねる姿勢、学びました。
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松前矢越道立自然公園。北海道最南端です。
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白神岬の海。
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白神岬灯台。荒れ狂う海を見ていると、船員にとって、灯台はありがたい存在と思います。
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松前に向けて、北上。強風の中、慎重運転。
途中、橋脚の跡を発見。通り過ぎましたが引き返しました。
松前線は、海岸沿いを走る線ですが、渡島半島は、丘がそのまま海に落ちていて、なだらかなところ、砂浜は、あまり見かけませんでした。
ここは、小さな川、谷。でも、橋脚は結構高かったです。今日みたいな強風の日は、運休だったと想像しました。
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松前町に入ってきました。
車を停車できるところ、道の駅 北前船 松前に車を停めました。
暴風雨の中、かもめは気流をつかまえて上手に飛んでいました。
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函館付近では、イカ、がごめ昆布(函館から東側の恵山にかけてしかない。)が取れなくなっていると聞いています。
ヤリイカの季節なのか限定と書かれていたので、天丼でいただきました。全部、ヤリイカです。
メニューをみると、海苔とご飯、イカとご飯、サーモンとご飯、というように具材は一つ。
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上之国 民宿来福さんから電話。「今日、来れますか?」
暴風雨で心配されたそうです。

松前城 松前氏城跡福山城跡。
(説明)
松前家の前身蠣崎(かきざき)氏は、大館を拠点とし、5世慶廣(よしひろ)のとき、
豊臣秀吉、徳川家康によって大名に列せられ、姓を松前と改めた。
初代藩主となった慶廣は、慶長5年(1600)大館の南方にある、福山台地に新城(福山館)を築き、
6年の歳月を費やし、慶長11年(1606)に完成した。
築城は、5年の歳月を経て、安政元年(1854)新城が竣工した。
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搦手二ノ門。
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本丸御門。
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松前神社。
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車で移動。
松前藩屋敷。
といっても、昔の家々を再現した小さなテーマパークでした。
沖の口奉行所。蝦夷地に出入りする船・荷・人をあらため、徴税する役所。
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自身番小屋、商家。
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地元の人に出会いました。
観光案内所におられた方は、教育委員会で、史跡などを検証するお仕事に就かれていました。
東京で結婚して、奥様の実家がある松前に来て、松前の魅力に惹かれて、移住を決めたという人でした。
30分ぐらいお話をお聞きしました。
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・松前藩
 和人同士の覇権争いで勝利した蠣崎氏が、1593年、豊臣秀吉に、北海道に交易できた船から税を取り立てる権利を認めさせた。
 1604年、徳川家康から、松前藩を通さない一般和人とアイヌの直接交易を禁じることを定めた黒印状(こくいんじょう)を与えられ、
 松前藩はアイヌ交易の独占権を確立した。
 松前藩は、石高は無高。大名武監に書かれている(写真では見つけられませんでした。)。米は採れない。交易と税。

・松前藩とアイヌの関係
 和人が居住する和人地と、アイヌが居住する蝦夷地に分けた。蝦夷地の意味は、アイヌが住む地域。
 午前中通ってきた知内、夕方行く上ノ国に、アイヌの長を住まわせ、以北はアイヌ、以南は和人。

 松前藩は、田んぼを持たない。石はない。アイヌとの交易で、藩財政を保っていた。

 商場知行制(あきないばちぎょうせい)
 家臣が、釧路や根室、稚内まで、自分の持ち場まで出向き、アイヌと交易。
 →疑問が生じた。物を運ぶ方法。船か馬か?
  →ご説明 松前藩が認可しない限り船は出せなかった。アイヌの人たちが往来した道を行ったのではないか。
 
 場所請負制(ばしょうけおいせい)
 松前藩家臣が商場の運営を商人に任せた。
 アイヌは、労働者として働かせた。

・松前藩と近江商人
 場所請負制(ばしょうけおいせい)。請け負ったのは、近江商人。日本海沿いの商人を排除。藩と結託。

・アイヌの人たち
 縄文人をそのまま受け継ぐ人たち。交易。
 江戸時代、日本は鎖国。長崎の出島から外国商品が入ってきた。
 当時、アイヌは江戸幕府の外の住民。アイヌは、ロシア、清と交易していた。
 アイヌの長が着ていた服は、大陸のもの。極彩色の錦。

 松前藩は、アイヌから外国商品を得ていた。

・幕末
 松前藩は、新政府軍側。
 旧幕府軍(土方歳三等)と戦い、敗れた。城を落ちる時、街に火をつけた。
 2/3が焼失。松前の衰退のきっかけとなっている。

 箱館戦争の時、暴風雨の影響で、江差で沈没した開陽丸。
 木造船に鉄板を張った船。
 鉄鋼船ではない。

 咸臨丸が沈没したのは木古内。
 当時、帆船の商船になっていた。
 木造船。弱い。
 渡島半島南のこの地域は、三つの海流がぶつかるところ。操船は難しい。

・松前線
 面白い場所がある。行ってみてください。

ありがとうございました。暴風雨で、暗くなってきました。
上ノ国町まで行くので、御礼を行って、出ました。

教えていただいた、「松前城の下を松前線は通っていた、トンネルの跡が残っている。」というのは、驚きでした。
探しました。たぶん、トンネルの入り口をふさいであるところから、これだと思いました。
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このトンネルの方向から、この道が、旧松前線の線路敷地跡と思います。
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松前線松前駅跡に行ってみました。
駅跡は、記念碑がありましたのですぐわかりました。
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ホームは、桜並木の横に残っていると教えられました。分かりにくかったですが、見つけました。
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さあ、今日の宿がある上ノ国町まで、車を走らせます。
風が強いので、ノンストップで行きました。

天の川。木古内町との境にある尖岳(とんがりだけ)に源を発する。
本当は綺麗な川なんだろうなと想像しました。今日は濁流。
この川に沿うようにJR江差線が通っていました。明日、江差入り。
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花沢温泉簡易浴場に到着。
濡れた体を温泉で温めました。
嬉しいことに、町民、町外の区別なく、入浴料金は大人200円。
泉質:ナトリウム―炭酸水素塩・塩化物泉(弱アルカリ性低張性高温泉)
町民御用達の憩いの場だそうです。
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宿泊は、上之国 民宿来福。
お母さん一人で切り盛りしていました。
苗字が、「麓」。「ふもと」さんと呼ぶんですかと言うと、そうです。
珍しい苗字です。教習所では、「ろく」さん、病院では、看護師さんが読めないのか、後回しにされたとお話されていました。
今日の宿泊は、私一人。
蛸のしゃぶしゃぶ。初めてでした。
鱈の昆布締めの刺身。初めてでした。
煮付けの鱈も美味しかったです。
最初から、肉はありませんよ。漁師だから。と言われていました。いやいや、魚、良いです。
ご飯、大盛でよそうとされたので、自分でやりますと。
理由がわかりました。宿泊客の多くは、風力発電のプロペラを取り付ける工事関係者。
みなさん、たくさん食べるそうです。
私が飲み物を持っていないことに、おかあさんが気づき、キッチンの冷蔵庫からビール缶一本持ってきて、
プレゼントされました。ありがとうございました。
酒は持ち込み。みなさん、ビール缶を何ダースも持ってきて、客用冷蔵庫に入れて飲んでるということでした。
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去年、函館・湯の川の寿司屋さんで、昆布が採れなくなったと聞いたとお話すると、おかあさんのお話が聞けました。
ここ上ノ国町も採れるものが変化している。
昔は、イカ、昆布が採れた。
奥尻島地震(1993年)から、変化した。
採れるのは、ぶり。
最近は、マグロが採れる。2、3年前までは考えられなかった。

外は、まだ、風が強かったです。
夕陽は見ることができませんでした。
潮騒より風の音を聞きながら眠りました。
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2022/6/23 木曜日 函館本線二つの支線(松前、上ノ国町 2022/6/23-26)

松前、上ノ国町 2022/6/23-26

北海道の南。函館の西。渡島半島を廻ります。
渡島半島の歴史に触れる旅。
・松前藩
・縄文文化
鉄道も楽しみます。
・函館本線の支線。砂原(さわら)支線。藤城支線。
・北海道新幹線と貨物列車が同じところを走る。三線軌条(さんせんきじょう)。
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〇2022/6/23 木曜日
おはようございます。
出かけます。
今日は、鉄道を乗る日です。
函館付近で乗っていない線区二つに乗ってみます。砂原(さわら)支線、藤城支線。
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東京駅。いつもは皇居側の丸の内側に一度でるのですが、反対側の八重洲に出てみました。
こちらも変化していました。
エスカレーター上がったところは、東海道新幹線のホームの隣。
こんな目隠しがありました。
落ち着いて、珈琲を飲めそうな場所でした。
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昼食は、新幹線の中になります。
東京駅で、「東北福興弁当」を購入。最近、この駅弁を楽しんでいます。
青森、秋田、岩手、山形、宮城、福島の味が、少しずつ入っています。
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東京09:36発はやぶさ13号・新函館北斗行が入線(折り返し)。
約4時間乗車します。
車内アナウンスで、今年が東北新幹線開業40周年というのを知りました。
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新青森を過ぎて、右手に陸奥湾が見えてきました。あいにく天気が悪かったです。
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青函トンネルに入る手前で、脇から在来線である海峡線の線路が現れました。
現在は、津軽線を通って、青函トンネルをくぐる貨物列車のための線路です。
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青函トンネルに入りました。全長53.85 kmの海底トンネル。
新幹線と海峡線の併用です。電気は共通の交流25,000V。線路は、狭軌1067mmと標準軌1435mmの3線方式。
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北海道に出ました。木古内手前で、線路が分かれていきました。
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新函館北斗13:33着。
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小さなスーツケースをホテルに預けて、駅に戻りました。
縄文土器が置いてありました。
国宝「中空土偶」と同じ時期、縄文時代後期(約3400年前)に造られたと推定される、「注口土器」です。
人間の顔が4つ刻まれていると書いてありました。正面の顔は見えました。
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北斗の拳。
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ここは、三橋美智也さんの故郷ですね。ピアノが置いてありました。
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ホームに入りました。札幌に向かう多くの人。指定席は満席のようでした。
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新函館北斗13:50発特急北斗13号・札幌行が函館からやってきました。
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大沼付近。見えたのは、左手の小沼。
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北海道駒ヶ岳がかすかに見えました。
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森に、14:23着。
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待避線に、キハ40が二両繋がれていない状態で待機していました。
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駅前の柴田商店。鄙びた感じの商店。「いかめし」があれば購入します。
お店を覗いたときは、店番がいませんでした。
最近は訪れる人が少ないか、訪れた時間が中途半端か。
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一つ購入。すると、車で来てた人が、「いかめし、あるの?」と聞いてきました。
駅弁大会で有名と聞きます。しかし、店の中はひっそりとしていました。

森駅付近の海岸。
森駅の北2km、鷲ノ木に、旧幕府軍、榎本武揚軍鷲ノ木上陸地(1868年10月)があります。
海岸イメージは、ここ森駅付近海岸と同じと想像します。
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目的の一つ、森14:46着、14:53発の函館本線・砂原(さわら)支線経由の函館行に乗ります。
北海道駒ヶ岳の東側、内浦湾側を走ります。
砂原支線.jpg
砂原支線は、最初、民間の鉄道、それも電化が元になっています。複雑な歴史があるようです。
北海道駒ヶ岳は、1929年に大噴火しています。
跨線橋を渡り、向こうのホームへ移動。
北海道駒ヶ岳が雲間に見えました。
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待機中のキハ40。運転士が、下回りのエンジンなどの機器点検を行っていました。
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到着時刻に来たのは、貨物列車でした。
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15分ほど遅れて、気動車が来ました。
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キハ40。国鉄時代の名気動車です。
4人掛けのボックスシート。
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北海道ならではの、二重窓。
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ディーゼルエンジンの主力を上げた時のエンジン音、心地よいです。
発車してすぐ左手の海の中に、記念碑。明治天皇がお見えになったことを表す碑です。カモメが留まっていました。
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海側を走りますが、森駅を出てすぐに海は見えなくなりました。
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本線と分岐。
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東森駅。
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尾白内(おしろない)駅。貨物車が駅舎。
「ナイ」は、アイヌ語で川を意味します。この付近に川があると思います。
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車窓は畑。
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人の気配の無い、緑濃い森の中を、気動車は進みました。
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渡島砂原(おしまさわら)駅。この地名が砂原支線の元です。
大きな駅舎です。
ここで、途中下車したら、なにかわかるかもと思いましたが、降りたら、あとが大変。そのまま乗車しました。
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車窓美?。
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地元のおじさんが降りていきました。駅舎は、山小屋みたいでした。
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大沼駅(大沼公園駅でなない。)で函館本線と合流。
七飯(ななえ)駅手前で、後で乗る藤城支線の高架部分が見えました。
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五稜郭駅。道南いさりび鉄道の車両が木古内方面に出発していきました。
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函館に、予定より15分遅れで到着。
北海道では、動物との接触や、単線での行き違いで、遅れることが結構あります。
理解して列車に乗るようにしています。
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0キロポスト。
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駅前に出てみました。
バラの花が最盛期。
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ラベンダーも。
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こちらは、北海道国道の起点。
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函館市電が、谷地頭に走っていきました。
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函館で早めの夕食をとりました。他の駅では、駅前に食堂はなさそう。
新函館北斗駅でさえ、早く売店やレストランが閉店してしまいます。

二つ目の目的です。
函館17:35発、藤城支線経由で大沼、その先は函館本線を走る列車に乗ります。
この列車は、新函館北斗駅を通らない珍しい列車です。
一日二本あります。
もう一つは、一番列車の函館05:49発の藤城支線、砂原支線を走る森行き。(これはマニアにとっては堪らない列車と思います。)
函館本線の短絡線・藤城線は、七飯→大沼13.2km、途中駅無し。それも全区間下り線のみなんです。単線・非電化。
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この列車の前に、はこだてライナーがありました。
分岐する七飯まで乗って、珍しい列車を待ちました。
来ました。帰宅する高校生でしょう。七飯から10人ぐらい乗りました。
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本線と分かれました。後ろ向き撮影です。
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本線が下に見えました。
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トンネル。
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大沼に近づきました。沼畔を走ります。後ろ向き撮影です。写真左側に、本線の線路が見えてきました。
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大沼18:10着。下車。
すぐには、発車しませんでした。
行き違いの函館行き特急の通過を待ちました。
ゆっくりと発車していきました。
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さて、私は、大沼18:42発の函館行き普通列車で、新函館北斗に戻ります。
夕方以降は無人駅。聞き取りにくいアナウンスが流れました。
砂原支線経由でやってくるこの列車が、「17分ぐらい遅れている。」と聞き取れました。
駅には、お客さんは一人もいませんでした。
雨が降っていました。
幸運にも、駅から50mぐらいに、セブンイレブンがありました。
100円の温かい珈琲がありがたかったです。
本線の函館行き特急が通過していきました。
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すぐそのあと、並走していたように、普通列車がやってきました。
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夜を迎える小沼。
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途中、仁川駅で、札幌行き特急を待ち合わせました。
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新函館北斗駅到着。
2016年(平成28年)3月26日の北海道新幹線開業に伴い、渡島大野駅(おしまおおのえき)から新函館北斗駅に改称されました。
ホテルの大浴場(温泉)で、しっかり、体を温めました。
夜食に、「いかめし」。いかの濃い味付けと、もち米のねっとり感を味わいました。
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外は雨。早めに眠りました。

福井 東尋坊、永平寺 2021/5/28 土曜日

福井 東尋坊、永平寺 2021/5/28 土曜日

おはようございます。
今日は、東尋坊、永平寺を訪ねます。

えちぜん鉄道。
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最初に、東尋坊に向かいました。
永平寺は、午前中はバス接続が悪いので、東尋坊-永平寺の順で移動しました。

えちぜん鉄道福井駅で、えちぜん鉄道福井鉄道 一日乗車券を購入しました。 土曜日、日曜日有効です。
えちぜん鉄道株式会社(えちぜんてつどう)
(説明)
えちぜん鉄道株式会社は、福井県福井市に本社を置き、福井県北部で2つの鉄道路線を運営する、
沿線の福井市、勝山市、坂井市などが出資している第三セクター方式の鉄道事業者である。略称・通称はえち鉄。
かつて、京福電気鉄道が福井県下で運営していた越前本線(現在の勝山永平寺線)および三国芦原線を引き継いで運営するために設立された。

福井駅。『大本山永平寺』の『格(ごう)天井』をイメージした天井になっていて、県産杉材パネル約1,100枚がはめ込まれているそうです。
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福井07:23発えちぜん鉄道三国芦原線・三国港行に乗りました。二両編成。きちんと2両と書かれているのいいです。
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北に直線の線路が伸びていました。
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川向こうから、行き違いの福井行き電車が来ました。
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鉄橋を渡りました。
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九頭竜川。河口に近いですね。川幅が広い。
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大麦畑。
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お米「こしひかり」の生産地です。
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終点、三国港(みくにみなと)駅下車。
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ここ三国港は、九頭竜川河口。
北前船寄港地です。
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三国港漁業施設で、シャッターの中を覗いている人が多くおられました。
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テレビのロケなんでしょう。撮影が行われていました。
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街の人がどんどん集まってきていました。
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三国駅/京福バス08:32発に乗りました。
東尋坊が近づいてきました。
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東尋坊に到着。
東尋坊タワーに上ってみました。
有料。エレベーターが付いていました。この東尋坊タワーは個人所有と書いてありました。
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三国港、九頭竜川河口が望めました。
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東尋坊です。
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雄島。太古からの原生林が生えていて、「神の島」と崇められているそうです。
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展望フロアーに仏像が安置されていました。
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下りて、受付の方(オーナーかも)に教えてもらった通り、海岸線を歩いてみました。
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柱状節理。
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夕陽が綺麗な場所ということが書かれていました。
冬に訪ねると、荒れ狂う日本海を見れるんですね。

お土産店街を抜けてバス停に戻ってきました。予定より1時間早いバスに乗ることができました。
三国港09:39発えちぜん鉄道三国芦原線・福井行に乗りました。1両編成。
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三国港漁業施設前は、大混雑。三国港の街の女性全員が、ここに集まっている感じでした。
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発車してすぐ、眼鏡橋。
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予定より1時間早いので、福井城に行ってみることにしました。
福井駅下車。
福井城。
徳川家康の次男、結城秀康が関ケ原の戦い後、福井城に入城。改修されました。
御座の間は、現在は県庁の玄関付近に位置しました。
御舞台は、現在の警察本部の建物に位置しました。
御本城橋。
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右手に巽櫓があったところ。
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瓦御門跡。
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結城秀康像。34歳の若さで生涯を閉じています。
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天守跡。
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石垣は、福井地震で崩れることなく傾いたままでした。
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山里口御門。
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御廊下橋。
藩主が、内堀の外にあった屋敷から、政務のため本丸に向かうために、屋根が付いた橋が架けられた。
ここを渡って、山里口御門へ入ります。復元ですが、ここを松平春嶽が渡ったと思うと、感慨深かったです。
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駅に戻りました。
永平寺方面の電車がでるまで15分ありました。
昼食は、駅そばにしました。気温が上がってきていました。冷たい、とろろそばを注文しました。

永平寺に向かいました。
えちぜん鉄道勝山永平寺線・勝山行に乗りました。
永平寺口11:50着。
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永平寺駅11:55発 永平寺行バスがあると思って降りましたが、バスが来る雰囲気がありません。
駅の方が、「4月1日にダイヤ改正、減便になっています。」と、教えてくれました。
タクシーに乗るのは極力しません。
まあ、のんびり行きましょう。
旧京都電燈古市変電所が残っていました。
この建物は、電車を動かすための電力を供給する変電所だったそうです。
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次の電車が来ました。
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12:25発のバスで永平寺を目指しました。
永平寺参道。
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永平寺。1244年に道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場です。禅の世界です。
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緑の世界でした。
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通用門に入る階段下に、観音菩薩。
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傘松閣(さんしょうかく)。
絵天井の間。
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階段を上って、見学しました。
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僧堂。僧が座禅する神聖の場所。入口。立ち入り禁止。
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法堂。七堂伽藍の一番奥に位置していました。山の上。朝のおつとめがおこなわれます。
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仏殿。曹洞宗のご本尊、釈迦牟尼仏が祀らています。
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白山水。は、これかな。石の間から湧き水が出ていました。
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大すりこぎ棒。何に使うのか、想像できませんでした。
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山門。
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中雀門。
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鐘楼。
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観音菩薩。
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落ち着いた心持になりました。
とは言え、ここは観光スポットになっていました。
お土産街を通ってバス停へ。自家用車の駐車場への案内合戦を見ることができました。
13:41発バスに乗ることができました。

永平寺口駅。えちぜん鉄道勝山永平寺線・福井行14:20発まで時間があります。
現在の駅舎の構内踏切の向こうに、駅舎があります。駅の方にお聞きすると、旧駅舎。今は公民館的に使ってもらっています。
入ってみました。
おばあさんが3人がおられました。
挨拶して、中を見学しました。
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一日1便。この旧駅舎のホーム1番線から出る電車がありました。
ということは、現役です、この旧駅舎。
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えちぜん鉄道勝山永平寺線・福井行に乗って、終点福井の一つ手前の新福井で下車。
養浩館庭園に行きました。
武家道という道を歩きました。歩いているところはあっているようです。
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養浩館庭園は、江戸時代につくられた庭園で、かつては福井藩主松平家の別邸でした。
建物。
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赤紅葉。
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御座ノ間(ござのま)。
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床柱は栗の木。
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桑の一枚板を透彫(すかしぼり)にした欄間(らんま)。
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御月見ノ間(おつきみのま)。
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鎖ノ御間(くさりのおま)。
板戸の絵がすごい。
最初、注意版で見えなかった雛を、注意版をずらして見せてくれました。
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さらに、板戸を閉めて、もう片方の板戸も見せてくれました。
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御風呂屋。
蒸風呂である御湯殿(おゆどの)と御上り場(おあがりば)などからなる御風呂屋。
御上り場が広い。池を望める。この構成、ものすごく良いです。
くつろぎを旨とした別邸ならではの構成というの、納得しました。
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見事な池のある庭園。
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「ここは、吉永小百合さんが座って池を見た場所。コマーシャル用。一番池が綺麗に見えるところ。」と教えてもらいました。
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「福井は水が豊富ですね。」と言うと、説明員さん、「違うんです。福井中心部は、鉄分の多い水しか出ません。
飲めません。九頭竜川から水を引きました。」
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庭園を歩きました。
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庭園の手入れをされている庭師の方とお話しました。
「お疲れ様です。木々の緑がまぶしい。池の水も緑色。緑の世界が素晴らしい。」
「ありがとうございます。いい季節になりました。
明後日から、池の水を抜いて、池の掃除をします。一週間程度、水無しの池です。」

外に出ました。
舎人門(とねりもん)。福井城の北を守る門です。
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上水か排水。
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福井市立郷土歴史博物館。
絵で見る源平合戦を、絵屏風で見ることができました。
寿永3年(1184年)2月の一ノ谷の戦い。
平敦盛が、熊谷直実(くまがい なおざね)に討たれた場面の絵屏風がありました。
撮影禁止でした。
常設展。
柴田勝家掟書(複製)。7ヶ条の「おきて」です。
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半石半木の橋、九十九(つくも)橋の模型。
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江戸時代。福井城の模型。
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松平忠直。結城秀康の長男。
大坂夏の陣。越前隊は、西軍・真田幸村を討ち取り、大坂城一番乗りを果たしています。
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真田幸村の首級を守り抜き、保管。その供養のための地蔵さんです。
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見学終了。

福井鉄道に乗ります。
仁愛女子高校駅から赤十字前まで乗りました。
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市街地線、路面電車です。
道路の信号に従って運転されます。
自動車と一緒に走ります。
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赤十字前の手前で、軌道線になりました。専用軌道です。踏切があります。車は、電車が来ると、待つことになります。
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赤十字前駅。赤十字病院のイメージとは遠かったです。
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ホームの支柱は、1968年製造のレールでした。
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ここから福井駅まで戻りました。
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この電車は福井駅に行ってくれます。
市街地の大名町駅で、スイッチバック。運転士は後ろ側の運転台に行き、福井駅まで運転しました。
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福井駅到着。
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夕焼け。お疲れ様でした。
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2021/5/29 日曜日
おはようございます。
帰宅します。
福井駅07:42発のJR特急ダイナスター3号・金沢行に乗車。
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大麦畑が輝いていました。
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上空にJAL機。小松空港に降り立つと思います。
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金沢08:49発JR新幹線かがやき506号・東京行に乗車。
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富山の山。
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長野を過ぎ、千曲川が見えました。
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東京駅、東海道線下りホーム。
新幹線ホームからE7系が出発していきました。
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一部ですが、北陸の街の歴史、鉄道の歴史を知ることができました。
地方鉄道は、今後も存続して、将来も、旅人の足となっていって欲しいです。

福井 越美北線、敦賀  2022/05/27金曜日 

福井 越美北線、敦賀  2022/05/27金曜日 

越美北線に乗って、九頭竜湖方面、戻って、敦賀に出かけました。

福井から九頭竜湖まで、JR西日本の越美北線に乗ります。
始発は、なんと、福井09:08と遅いです。(九頭竜湖からの始発は05:52と、こちらは早い。)
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朝一番、北の庄城跡に出かけました。
福井駅前。恐竜の大きな模型。
恐竜博物館は、結構遠いので、今回は断念しました。
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柴田神社。駅から歩いて5分ぐらい。
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ここが、柴田勝家が築いた北の庄城の中心地です。
地理的に、川が堀です。
想像図がありました。九層の天守。堂々としたものだったと想像できます。
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徳川家康の次男、結城秀康が、福井城を築いた時、北の庄城は壊されています。
北の庄城の石垣の一部が見つかっています。
礎石にも見えました。
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この石垣は、福井城三の丸のもの。
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柴田勝家像。
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お市の方の像。
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三姉妹の像。
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柴田勝家が本格的に造った、半石半木の橋、九十九(つくも)橋。
足羽川にかかっていた。柴田勝家は、秀吉に滅ばされましたが、治世は良かったと思います。
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その足羽川にかかる泉橋まで移動しました。
朝の鉄道撮影。
北陸本線、敦賀方面、福井発0739特急。
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北陸本線、福井発0742普通。

この後は、敦賀方面、金沢方面の列車が30分近くありません。

福井駅に戻ります。
向こうの通りを路面電車が通るのが見えました。
福井鉄道です。
線路沿いに福井駅に戻ることにしました。
旧毛屋町。福井藩が松岡藩を吸収。その時、移ってきた人々が住んだ町。
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由利公正(三岡八郎)の像がありました。旧毛屋町(ということは松岡藩)の出身。
五箇条の御誓文の草案を書いた人です。
坂本龍馬との交流。
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幸橋。高校生の多くが自転車に乗って、町中心部に向かっていきました。
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福井鉄道のライトレール車輛。
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北陸銀行福井支店前。新築のときに発見された石垣の跡。
北の庄城跡か福井城跡か、まだわかっていないと書かれていました。
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電車。車輛幅が狭いと感じました。
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福井駅に戻ってきました。
向こう側ホーム。大坂行き特急が到着。運転士交替でした。
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行き止まりのホームである2番線に、09:08発越美北線(九頭竜線)・九頭竜湖行きが入線しました。
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キハ120。
JR西日本の地方交通線向け標準型気動車です。
キハ40より若干機関出力が大きいです。
前回、乗車した美祢線もこのキハ120です。
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車と同じようにサイドミラーが付いている。ローカル線の雰囲気満載です。
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発車前に福井新聞朝刊読み。「夕張メロンの初競りが昨日あった。二玉300万円。」
北海道の農産物が動き出しましたね。今頃は、アスパラガス。美味しいだろうな。
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沿線は、大麦畑。
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木立を通過。
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一乗谷駅を発車。
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後ろ向きで撮影。ここの大カーブ好きです。
この写真の左手に、朝倉氏の居城、一乗谷があります。
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一乗谷の裏手に位置する、この石積みは何だろう。朝倉氏の居城の一部か、現代のものか。
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足羽川。
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後ろ向きで撮影。この鉄橋、撮影ポイントです。
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鍬を担いで、田んぼ道を歩く農夫。懐かしさを感じました。
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こちらは、トラクターで、代搔き作業中。
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雪除けシェルターを通過。後ろ向きで撮影。
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計石駅。どこか、計りになる石があるのかときょろきょろ。何もありませんでした。
でも、地名からみて、何か基準になった石があったと勝手に推測します。
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トンネル。
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越前大野城が見えました。
江戸時代は、福井藩の一部。結城秀康の子供らが城主になっています。
現在、城ファンには愛される城、
「雲海が次第に町を包み込み、奇跡のように浮かび上がる天空の城 越前大野城」と言われています。
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越前大野駅に到着。
この先は、信号システムが変わりますね。タブレットが、駅員から運転士に渡されました。
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駅には、昔の腕木式信号機が残されていました。使っていませんが。
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水路。この先で出くわす九頭竜川から引いているのか。農業用水です。
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九頭竜川です。 
川に棲むヤマメが海に下り、大型化して戻ってくるとサクラマスになります。
ヤマメが多い川です。
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(説明)
九頭竜川(くずりゅうがわ)は、日本の福井県嶺北地方を流れる一級河川。九頭竜川水系の本流。
流域面積2,930km2は福井県の面積の約70%にあたり、県のシンボルの一つとされている。
福井県大野市東市布の岐阜県との県境にある油坂峠(717m)付近に源を発し、九頭竜ダムを経て、岐阜県郡上市から流れる石徹白川を合わせる。
大野盆地・勝山盆地を北西に進み、福井平野にて日野川を合わせ北進、坂井市で日本海に注ぐ。

『越前名蹟考』によると、寛平元年(889年)6月、平泉寺(へいせんじ:福井県勝山市平泉寺町平泉寺に鎮座する神社。)の白山権現が衆徒の前に示現され、
その尊像を川に浮かばせたところ、一身九頭の竜が現れ、尊像を頂くように流れに下って、黒竜大明神の対岸に着かれた。
それ以降、この川は九頭竜川と名付けられた。

上流部にダム。
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側壁無しの鉄橋。下を見ると、九頭竜川の流れは豪快でした。
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九頭竜湖10:42着。
九頭竜湖駅 地図.jpg 
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行き止まりの向こうに九頭竜湖。その先は、岐阜県です。
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乗ってきた列車の折り返し10:56発で福井に戻ります。
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行きの列車にも乗車されていた鉄道好き男性が、帰りも乗車されていました。一番前に陣取っておられました。
考えることは同じ。この列車を逃すと、次は14:32発、福井16:05着になってしまいます。
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帰りに再度、鉄橋撮影してみました。
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田んぼに鷺。
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六条駅がありました。
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この六条は、六条大麦のことかな、と思いました。はずれているでしょうが。
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福井12:23着。
敦賀に向かいます。福井12:36発、名古屋行きしらさぎ8号に乗れました。
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北陸新幹線の敦賀延長。
福井-敦賀区間もまだ架線は敷設されていませんでした。
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今庄駅通過。
一瞬、蒸気機関車に水を補給するタンク跡が見えました。
北陸トンネルに入ります。木ノ芽峠の下を貫いているトンネルです。
ほとんどの乗客は、気にしていないと思いました。
(説明)
今庄と敦賀の間には鉢伏山(海抜 762 m)がそびえ、その鞍部である木ノ芽峠(海抜 628 m)は、古くから北陸道の隘路であった。
北陸トンネル(ほくりくトンネル)は、木の芽峠福井県敦賀市と同県南条郡南越前町にまたがる複線鉄道トンネルである。
北陸本線の敦賀駅 - 南今庄駅間、木ノ芽峠の直下に位置する。総延長は13,870 mあり、1962年(昭和37年)6月10日に開通した。
1972年(昭和47年)に山陽新幹線の六甲トンネルが完成するまで、日本最長のトンネルであった。
なお、狭軌の陸上鉄道トンネルとしては2021年時点でも日本最長である。

敦賀13:09着。
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2024年3月のダイヤ改正の時、開業ですね。
JR東日本は、東京から金沢経由の新幹線。JR東海は、名古屋、米原まで新幹線、そこから快速電車。となりますね。
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街歩き開始。
敦賀 地図.jpg
13:30ぐるっと敦賀周遊バス(観光ルート)に乗車。平日は1時間に1本しかありません。
金崎宮バス停13:38着。
旧敦賀港駅ランプ小屋がありました。レンガ造りの小さな小屋。
駅員が使うカンテラを想像していましたが違いました。
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明治時代の蒸気機関車にはライトがなかった、緑色と赤色のランプを蒸気機関車の先頭に付けて走ったということでした。
それも、ランプを組み合わせて、汽車の区別をしていた、ということでした。感服。
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旧敦賀港駅周辺の写真がありました。
この敦賀港駅から、日本海をはさんだ大陸まで船移動、その先、鉄道で欧州を目指したと聞いています。
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金崎宮まで坂道を登っていきました。
「金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)」の看板。
(説明)
戦国時代の1570年(元亀元年)、織田信長が越前(福井県)の朝倉義景を攻撃したところ、
同盟関係にあった妹婿の小谷城(琵琶湖東岸)の浅井家の裏切りにあい、挟撃の危機に瀕した。
そのため木下藤吉郎(豊臣秀吉)と、信長の同盟軍の徳川家康が後衛となって、
信長本隊が信長勢力地まで帰還するのを援護したのがこの戦い、この地である。金ヶ崎崩れ。
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このわき道を降りてきて、信長は退却していったのか、想像しました。
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坂を登って、金崎宮。
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その横に、小さな神社がありました。
攝社 絹掛神社です。
(説明)
明治30年、金ヶ崎城ゆかりの南朝方武将を祀って創建されました。
鳥居の前には鎮魂之碑が建てられています。
祭神は、南朝方武将の藤原行房、新田義顕、気比氏治、気比斎晴、瓜生保、瓜生義鑑、里見時成、里見義氏、由良具滋、長浜顕寛、武田與一、以下殉難将士。
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鴎ヶ崎(金ヶ崎休憩広場)。
見晴らしがよかったです。
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金ヶ崎城跡。
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恒良と尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った城跡。墓がここだったのでは、と書かれていました。
(説明)
1336年(延元元年/建武3年10月13日、足利尊氏の入京により恒良親王、尊良親王を奉じて北陸落ちした新田義貞が入城、
直後、足利方の越前守護斯波高経らの軍勢に包囲され兵糧攻めにされる。
翌1337年(延元2年/建武4年2月5日)、義貞らは、闇夜に密かに脱出し、杣山城(福井県南条郡南越前町)で体勢を立て直す。
2月16日、義貞は金ヶ崎城を救援しようとするも敦賀郡樫曲付近で足利方に阻まれる。
3月3日、足利方が城内に攻め込み、兵糧攻めによる飢餓と疲労で城兵は次々と討ち取られる。
尊良親王、新田義顕(義貞嫡男)、城兵300名は城に火を放ち自害、恒良親王は捕縛され、3月6日、落城する。

また、1570年(元亀元年)、越前朝倉攻めで窮地に陥った織田信長を豊臣秀吉が救ったしんがりの地でもあります。
今は、鬱蒼とした樹々の森でした。
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さらに登ります。
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月見御殿があったところからの景色です。
ここに、織田信長、木下藤吉郎(豊臣秀吉)、明智光秀、徳川家康が一同揃ったという場所です。
今では、草木が茂る場所ですが、月見には良いところだったと想像します。
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山を下りてきました。
旧敦賀港駅、少し前まで貨物駅の線路がありました。
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歩道がレンガ造り。
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ここから、金ヶ崎城跡を望みました。
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キハ28が置いてありました。
(説明)
かつて小浜線で「急行わかさ」として活躍していた車両で、敦賀市がアチハ株式会社から購入しました。
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敦賀港です。
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敦賀赤レンガ倉庫。
(説明)
福井県敦賀市は明治から昭和初期にかけてロシアを経由して大陸ヨーロッパへと繋がる国際都市として繁栄しました。
その象徴である『敦賀赤レンガ倉庫』は、外国人技師の設計によって1905年に石油貯蔵用の倉庫として建設され、
途中、軍の備品倉庫や昆布貯蔵庫としても使用された福井県内でも有数のレンガ建築物です。
2009年1月には、北棟・南棟・煉瓦塀が国の登録有形文化財に登録されました。
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旧敦賀港駅舎=鉄道資料館。
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当時の出札口。
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閉塞区間の列車運行で、隣駅との連絡につかった鉄道電話。
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展示品で目についたのが当時の時刻表。
ウラジオストック、ハバロスフクの地名が入った時刻表。
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パリが入っている時刻表。
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米原から敦賀に来る途中、柳ケ瀬線の存在を書いた簡略地図。
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外に出ました。
日本の外交官、杉原千畝(すぎはら ちうね)。
第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。
1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救ったことで知られています。
シベリア鉄道で大陸を横断し、難民が日本に降り立ったのが敦賀港。
夫人が2001年に敦賀訪問された、その時、リトアニアの人たちと桜と樫の木を植樹した。その木です。
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近くに、五木ひろしさんの鐘があるのに気づかず、
猛暑の中、バスもないので歩いて、気比神社に向かいました。
参拝。
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長名水。触れてきました。
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神社鳥居に建つ石柱の上に鷲。
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暑い!
駅まで、バスに乗ろう。
バス停がありました。
幸いなことにあと5分でバスがありました。
「青春の幻影」、銀河鉄道999の像が置いてありました。
「銀河鉄道999」と「宇宙戦艦ヤマト」に出会える街・敦賀、と街歩きマップに書かれていました。
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敦賀駅。
名古屋からの特急しらさぎに乗りました。
自由席車輛2両。混んでいました。
出張のサラリーマンがスーツケースで座席を占領していて困りました。
若い女性達が多く乗っていました。彼女達は、小さなスーツケースを持っていましたが、一人一席でした。
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福井駅。
金曜日夕方。
恐竜の模型が置いてあるベンチに高校生が座っていました。男子学生が恐竜を抱いていました。
ブログに載せたいと伝えると、写真撮影OK!撮らせてもらいました。
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鯖江でイベントがあるようです。
若い女性が多くいました。
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明日乗る、えちぜん鉄道の場所を確認しに東口に行きました。
近代的なビルの中。ピアノが置いてありました。
地元の方でしょう。演奏されていました。上手でした。
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西口に戻って、福井鉄道を見て、今日は終了。
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洗濯しました。

富山 岩瀬、富岩(ふがん)運河 2022/5/26木曜日

富山、福井を鉄道旅しました。

5/26木曜日 富山 富山地方鉄道市内電車
5/27金曜日 福井 越美北線、北陸本線
5/28土曜日 福井 えちぜん鉄道、福井鉄道
5/29日曜日 帰路 北陸本線
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2022/5/26木曜日
最初、富山に向かいました。
東京駅。9番線、10番線のホームの上に太陽光パネルを設置し発電していることを
表すパネルを見かけました。東海道線の下りホームの上ですね。
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予定していたより一本早い、東京0920発のかがやき507に乗車できました。折り返しの入線。
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E7系。この車両、優秀なんです。周波数変更が3回。
交流25,000 V・50 Hz 東京駅 - 軽井沢駅   群馬県   東京電力
交流25,000 V・60 Hz 軽井沢駅- 上越妙高駅 長野県    中部電力
交流25,000 V・50 Hz 上越妙高駅- 糸魚川駅 新潟県    東北電力
交流25,000 V・60 Hz 糸魚川駅- 金沢駅   富山県、石川県 北陸電力
Hokuriku_Shinkansen_utility_frequencies.png
長野を出ました。
飯山の手前、りんごのお手伝いをする地域を通過しました。一瞬でした。
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日本海側に入ってきました。雪を抱く山が見えました。
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富山到着。
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コインロッカーに、小さなスーツケースを預け、路面電車等公共交通案内所を探しました。
路面電車と運河クルーズの切符を購入します。JRコンコースからは見当たりません。
観光案内所でお聞きすると、電停8番の裏側ということ。目立たないところにありました。
岩瀬発便の14:35の運河クルーズを予約できました。
まず、岩瀬の町並みを見に行きました。北前船寄港地だったと聞いています。
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岩瀬行きは、低床式路面電車。富山港線です。
厳密には、トラムトレイン(Tram-train)に分類されます。
たぶん、専用軌道が、旧国鉄、JRの旧線路を使っていることから高速と分類されていると想像しています。
まあ、一般的には、ライトレールですね。電化は、直流600V。路面電車と同じです。
(JRでの直流は1500V。ここ北陸は、交流区間です。交流20,000Vを使用しています。)
ライトレールは、「輸送力が軽量級な」都市旅客鉄道を指します。
札幌市電、函館市電、広島電鉄、松山の伊予鉄道、東急世田谷線などが該当します。
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富山港線は、歴史ある路線です。
(説明)
現在は富山地方鉄道の路線であるが、元は富岩鉄道によって開業した鉄道路線。
戦時買収により国有化され、長らく日本国有鉄道の路線(1981年より地方交通線)として運営されてきた。
国鉄分割民営化後は西日本旅客鉄道(JR西日本)の路線となったが、2006年(平成18年)3月1日をもって同社路線としては廃止された。
その後、富山港線の諸設備は第三セクター会社の富山ライトレールに移管され、
富山駅付近の経路変更や駅の増設を行った上で、路面電車によって運行されるLRT路線として同年4月29日より営業を再開した。

富山駅を出発。道路を右に曲がるとインテック本社(現役時代、大変お世話になりました。)が見えました。
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奥田中学校前。ここから岩瀬に向かって専用軌道です。R西日本、前のJ富山港線。
逆側は、昔、この辺りから今のJR富山駅に向かって大きくカーブを描く線路が伸び、北陸本線と接続されていたようです。
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東岩瀬駅で下車。
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昔の駅舎がありました。ホームが高いです。停車するのがJRの普通の電車だった。それに合わせてのホームですから。
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岩瀬の街を散策開始しました。
この街は、~北前船寄港地、船主集落~です。
(説明)
岩瀬では、江戸前期の寛文年間(1700年頃)に港町としての形ができあがった。
岩瀬は、加賀藩の領地で、御蔵があった。北前船で米や木材などを大坂や江戸に運んでいた。

からかさ松。まだ意味がわかっていません。
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白えび海鮮丼(白えびコロッケ付)のメニューがある食堂がありました、「天保」。
入って、白えび海鮮丼を注文しました。
海鮮丼に少し盛られた白えびは淡白の味。美味しいのかどうかわかりませんでした。
一方、コロッケが、えびのやさしい味。美味しい!
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元、廻船問屋。
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「株式会社桝田酒造店(満寿泉)」。
酒造会社がある。この街が栄えた証です。
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酒造、酒蔵。
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北陸銀行。旧岩瀬銀行の暖簾。
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北前船廻船問屋「森家」。国の重要文化財。
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北前船寄港地の地図がありました。
北陸地区は結構寄港地があります。敦賀を出ると能登半島、佐渡。新潟の先は、酒田、秋田です。
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座敷。
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蔵。
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北前船の構造を表した絵が飾ってありました。
船底から荷物を積んでいっています。北前船は木のお椀と同じ構造です。
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そろばん。船乗りであり商人。
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ヤマユリが活けてありました。夏の風情を感じることができました。
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森家を出て外へ。廻船問屋が玄関を構えるこの道は、旧北国街道。加賀藩の官道。
富山では、海側のここ岩瀬を通って金沢に道は続いています。
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大正時代、岩瀬は、ガス灯を設けた。西洋建築を取り入れています。
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北前船主廻船問屋 旧馬場家住宅。屋号は、「道正屋(どうしょうや)」。
廻船問屋の規模としては、馬場家がこの地で一番で、森家は3番目。
かつて神通川が裏手を流れていた時、
荷揚げした物資を大八車に載せて、そのまま家の中へ運び込んだ。
広い長い土間。「トオリニワ」と案内図には書かれています。
幅2.7m、長さ30m。
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奥に行くと、裏にあたる庭と門。その先は、昔、神通川(じんつうがわ)だったと説明を受けました。
ここから、荷揚げされた荷物は大八車でそのまま屋内まで運ばれたと想像しました。
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広間。写真左側が、店先です。
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奥は、蔵につながる座敷。
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反対側は、炊事場。流しに、井戸ポンプの水が出るところが設置されていて、どこかで見た記憶が蘇りました。
直江津の山奥の母の実家。
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二階に上がってみました。
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二階からみた神通川方面です。
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欄間は、鳳凰の彫刻です。
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庭。屋敷は、ガラス戸。明治時代の建物です。
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馬場家は、明治になると、北前船から汽船経営に舵をきっています。
特筆は、馬場はるさんという9代目の妻。
33歳で夫を亡くし、一家を支え、さらに、旧制富山高等学校(現在の富山大学人文学部・理学部)設立のための寄付をされています。
現在の10~20億円にあたるお金を。教育の大切さを深く理解されていた方だったと想像しました。

桝田酒造店で、冷たい甘酒を購入。
蒸し暑い日にふさわしい。美味しかったです。
お店の中は、酒瓶の出荷で大忙しでした。
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大塚屋製菓店がありました。
名物、三角どら焼き一袋(二個入り)を購入。
(夜、ビジネスホテルで開けてみました。長方形を斜めに切ったものでした。
三角形に焼いたものではありませんでした。でも、美味しかったです。)
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富山展望台へ。
エレベーターはなく、20mの高さまで階段を上がりました。
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この車はなんだろう。
岸壁にあることから輸出と推測します。
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タンカーらしき船が、接岸しています。
船のこちら側は、富岩(ふがん)運河。船の向こう側は、神通川河口です。
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立山方面の山並みです。まだ雪が見えました。
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歩いて、運河クルーズの出発点、岩瀬カナル会館を目指しました。
途中、玄関に綺麗な活け花のお家がありました。
料亭です。案内図に、明治からの老舗料亭「松月」と書かれていました。
憧れます。が、入れません。
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岩瀬橋の下で、ライトレールを撮影しました。
運河に架かる短い橋の上を通過していきました。
2両連接ですが、長さは短いと感じました。
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古志の人魚像。
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岩瀬カナル会館14:35発、富岩水上ラインに乗船しました。
ライフジャケットというか、救命用?腰ベルトを巻いて。
運良く、舳先の椅子に座ることができました。ライトレールが来ました。
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出発、出航。所要時間は70分。岩瀬運河を西に進みました。
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左(南)に折れて富岩運河に入っていきます。右は富山湾。
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岸壁に並んでいる車は、ナンバープレート無し、中古車でした。
富山港から外国に輸出するとのことです。
屑鉄も重要な富山港からの輸出品目だそうです。
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常夜灯が緑の木立の中に見えました。灯台の無い時代、この明りが頼りだったと説明がありました。
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新日本海重工業(株) 本社。
造船業。今は、新造はなく船の修理をしているそうです。
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中島閘門『なかじまこうもん』が見えてきました。
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パナマ運河と同じ方式で船の行き来させています。
上流側と下流側とでは、高低差2.5mあります。
乗船記念カード。
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下流側門扉が開いてきました。
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下流側門扉が完全に開きました。船は中に入ります。
この操作をしているのが、写真左側の瓦屋根の操作室です。
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入りました。後方になった下流側門扉が閉まっていきます。
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前方、上流側門扉の横から、水が注入され始めました。
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水位があがる。鷺が、素知らぬふり、ある方向を見ながら佇んでいました。
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水位が上流側と同じ高さになりました。
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上流側門扉が開きました。
船は前進しました。
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メタセコイア並木。生きた化石と言われています。運河に似合う樹です。
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向こうに、どんと、インテック本社ビルが建っているのが見えてきました。
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富岩運河環水公園に入ってきました。
スターバックスのお店。
ここいいな。
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橋の下では、SNS映えする写真を撮っている人がいました。
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15:45着。運河クルーズ終了。
歩いて富山駅へ。運良くすぐに、新幹線はくたか号・金沢行に乗れました。自由席。
金沢で、大阪行きサンダーバードに乗車。
自由席車輛が2両しか連結されていません。
全車指定席の新幹線、特急が増えてきました。
だんだん、ぱっと乗れる特急がなくなっていく。少し残念です。
金沢から敦賀まで延伸される北陸新幹線の高架橋が見えました。
まだ架線は敷設されていませんでした。
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麦畑。実りの時期。
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水田は、田植えが終わっていました。
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福井に到着。
恐竜の街です。
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今日から、福井に三泊。

テレビを見ていて、気づいたこと。
・特急電車から見た麦は大麦でした。六条大麦。福井は生産量日本一。
 六条麦茶の原料ですね。
 今日から、収穫が始まった。ということは、田植えが終わり、次の作業は大麦の収穫。
 農家さん、大忙しです。
・福井より南の嶺南地区では、北陸新幹線延伸に合わせ、観光を議論する検討会が始まった、
 宿泊してもらう観光地がない、課題多し、と流れていました。
 私の意見は、魅力ある場所はたくさんあると思うので、周遊モデルプランとそれを支える公共交通機関が
 あるといいなぁと思います。市内、市外のバス便が少ない上に、経路がわかりづらい、と感じております。
 今の時代は、車での移動が中心と思いますが、
 遠くから来るとなると、鉄道や飛行機で来て、バスで移動というのが、旅人にとって楽です。
今朝の新聞(5/26福井新聞朝刊)を読んでいると、こんな記事がありました。 
・高浜町では、ワーケーションで東京から人を呼ぼうという活動が始まったようです。
 この女性、お会いしたことがある。島田由香さんだ。下関での街活性化討論会で。
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明日の天気予報は、曇りから晴れ。
心配した雨は、今晩から明日未明までのようです。
一日お疲れ様でした。

塩狩、剣淵 2022/5/14、15

〇2022/5/14土曜日
おはようございます。
雨があがりました。
今日、急行「花たび そうや」号の運転日です。
午前中、鉄道の撮影します。

朝食前。
朝一番の下り、0644発稚内行き普通列車。一日一本です。
キハ54。この気動車は、エンジンが2基搭載しています。

朝一番の上り、0646発旭川行き。
通学、通勤の列車です。3両ついています。昼になると1両です。
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朝食。ご飯が美味しい。お代わりしてしまいました。
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朝食後の散歩です。
ヒュッテの玄関に、宗谷本線の絵。
太陽、雨、雷。
ヒグマ、エゾジカ、キタキツネ、うさぎ等が、線路上に描かれています。
汽車(列車)は、汗。
厳しい環境、豊かな自然環境の中、今日も宗谷本線の汽車は走ります。
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三浦綾子記念館です。
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その崖には、まだ、カタクリの花が咲いていました。
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塩狩駅の線路の向こうに、一目千本桜。
広場には、まだ、エゾヤマザクラが咲いていました。来年は、訪問時にエゾヤマザクラが咲いていますように!
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三浦綾子記念館の下が宗谷本線。札幌発稚内行き特急「宗谷」が通過していきました。
三浦綾子記念館の勤務者も、掃除の箒を動かすのを止めて、特急「宗谷」の通過を見ておられました。


丘を降りました。
旭川行き普通列車が来ました。
無人駅の塩狩駅を管轄する永山駅から、保線員の方が安全確保のため、来られていました。
それにしても、年を重ねても、無理な撮影する人って、いるんですね。
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塩狩駅。
和寒町役場の総務課の皆さんが来ていました。塩狩駅存続の寄付を募るパネルを持って。
以前、広場の掃除を手伝ったこともあり、顔見知りの方がお二人いました。ご挨拶。
昨日の、新聞記者お二人も来ていました。小さな町の大イベントです。急行「花たび そうや」号。
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1120、JR宗谷本線 急行 「花たび そうや」が、塩狩峠を登ってきました。

たくさんのギャラリーでした。
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1130、見送られて出発していきました。
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午後、剣淵に行きます。
剣淵方面の列車がないので、昼食を摂りに、一度、旭川側の比布に行きました。
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駅前。ピップエレキバンの社長と樹木希林さんとの記念写真撮影ボード。懐かしいです。
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こういう案内、面白いと思いました。
駅に大根を買いに来る。
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駅舎内のピピカフェ比布駅で、比布の卵のTKGを食べました。今日の一品。
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比布駅からみた塩狩峠です。
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列車から見た塩狩ヒュッテです。
二階の真ん中の窓が、私が宿泊している部屋です。
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線路は続きます。
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剣淵駅から歩いて絵本の館へ。
マンホール蓋。
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途中、用水路に春の花。
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たんぽぽの野原。
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絵本の館。
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アイヌの絵本がたくさんありました。
初心者にはもってこいの情報源です。
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「おばあさんのしんぶん」。感動ものでした。涙。
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「私の名前は宗谷本線」。
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「申しおくれました。私の名前は、宗谷本線。
旭川と稚内の間にある、町と、畑と、牧場と、田んぼと、
そしてそこでくらす人たちをつなぐのが、私の仕事です。」が、ぐっときました。
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「なぜ、剣淵が絵本なのか?」
絵本の館の方にお聞きしました。
「剣淵の代表が札幌に行ったとき、札幌の人達は剣淵を全く知らない。
なにか剣淵とは言えばというのを作らねば。」というところから絵本になった。
ありがとうございました。

駅近くのバス停まで戻る間、土砂降りの雨でした。
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雪の集積場。シャベルカーが掘り返していました。
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温泉に町営バスで向かいました。一日5便。お客さんは私一人。
弱アルカリ性の、温度が低いので昔でいう鉱泉。
大きい湯舟の温かい温泉で、温まりました。
絵が飾ってありました。
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近くに湖。人造湖かな。
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帰りのバスは、行きの運転手さん。
乗客は私一人。運転手さんが、土地の農業のこと、いろいろ教えてくれました。
親切なおじさん。ありがとうございました。
・湖のところは窪地。風が弱い。良い米ができる。
・駅周辺の広い土地は風が強い。品種改良して背丈の低い麦が植わっている。
・玉ねぎの産地は、北見だけでなく札幌近郊にもある。
・去年は、じゃがいもが不作。今年の価格は去年の倍以上。
・行者にんにくは、山に行くとある。ジンギスカンに入れて食べる。
剣淵駅に到着すると、塩狩方面の列車がすぐ来ました。
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夕食後、外へ。
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夜汽車。
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2100です。再度、外へ出ました。
2106になりました。さあ、札幌行き特急「宗谷」の通過です。
暗闇の中、前照灯の灯りが見えました。列車がきました。
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街路灯の下で、合田康代さん、お客さんの太宰さんご夫婦と共に、雨降る中、列車に向かって傘を振りました。
後ろから二両目通過。いました。立ち上がって大きく手を振る乗客ひとり。ペンライトを振っておられました。
こちらのこと、見えたかな?
すぐ、合田康代さんにメールが来て、見えましたとのこと。良かったです!
この小さな企画。大成功でした。
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〇2022/5/15日曜日
おはようございます。
この小川は、ここを起点とする天塩川の源です。
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朝一番の旭川行きがきました。
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朝一番の稚内行きが塩狩駅を発車しました。
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朝食を食べて出発。帰宅します。
塩狩駅。
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ひざ掛けも置いてある。
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2番線ホームで、0845発旭川行き快速列車なよろ2号を待っていると、
塩狩ヒュッテから、駅点検を兼ねて見送りに来てくれました。
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次男さん、一生懸命に、駅の案内表示板の数、駅名が見えるかなどの確認して、記録していました。お手伝い、素晴らしいです。
塩狩駅を守っていってください。
駅は、和寒町の管理。塩狩ヒュッテが町から委託を受けて、点検作業をなさっています。
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快速列車がきました。一昨年、運転停車(ドアが開かない。)だったのを、ダイヤ改正で、ドア扱いの乗降OKになった。
塩狩駅にとって歴史に残る列車(列車番号 3320D)です。
旅人にとって、落ち着いて朝食を食べてから乗れるようになった列車です。
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塩狩駅で、入れ違いとなる名寄方面行き列車が到着しました。
旭川行き、出発です。
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見送り、ありがとうございました。
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旭川空港。
私が乗るJAL機の飛行機を見学するツアーがおこなわれていました。
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丘には、結構多くの人が撮影にきていました。
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AIRDOが先に出発しました。
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見学ツアーの方も入っての見送りの中、JAL機も滑走路へ移動。十勝岳方面の山が見えました。
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離陸。パッチワークの畑、田んぼが見えました。
北海道は広い!
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旭川、美瑛、塩狩 2022/5/12-13

5/14土曜日、JR北海道 宗谷本線 臨時急行「花たび そうや」号が、旭川から稚内まで走ります。
エゾヤマザクラが咲くこの季節に、臨時列車運転の企画が発表されてから二年間、実現しませんでした。
合言葉は、「今年こそ、行けSOYA」。

臨時とはいえ、急行列車が日本を走るのは久しぶりです。
現在は、JR各社で急行列車は走ってはいません。
急行列車は、自由席を基本とする考えなので、「花たび そうや」に乗ろうとすると、
乗車券、急行券、そして座席指定券が必要となります。
この急行列車を観に、北海道を訪ねました。
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〇2022/5/12木曜日
おはようございます。
曇り空。
洗濯をして出発しました。

乗るのは、赤い翼。
羽田空港カウンター付近は、静かな雰囲気。
ゴールデンウイークが終わったこともあり、人もまばらでした。
システムもネットワークも何事もなく稼働しているのが伝わってきました。

離陸。羽田空港のどの滑走路から飛行機は飛び立ったのかはわかりませんでした。
眼下に見えた滑走路は、着陸するとき見たような気がしました。
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北海道に入ってきました。
函館に近い、硫黄の山である「恵山(えさん)」が見えました。
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JR北海道・富良野線の線路が見えました。防風林に囲まれています。
美瑛より南へ一駅の美馬牛駅です。
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美瑛の街、美瑛駅が見えました。
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旭川空港到着。
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旭川の命名由来が書かれていました。アイヌ語からきています。
「旭川」は、市内を流れる忠別川をアイヌが「チュクぺツ」と呼んでいると和人が聞き取り、
それを「チュプペツcup-pet: 太陽・川→日が昇る川 」と解釈して、1890年(明治23年)に命名されています。
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旭川駅に到着。
「花たび そうや」号の横断幕が掲げられていました。
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旭川駅前④乗り場から、旭川電気鉄道バス5番線で、春光園に行ってみました。
一時間に一本しかない路線。でも、これが普通です。
春光園前で降りました。
公園の北側に、三つの建物がありました。
・井上靖記念館
(説明)
 井上靖(いのうえ やすし)が旭川で生まれたことを記念して、平成5年7月24日に開館しました。
 平成24年5月に、東京都世田谷区にあった井上靖邸の書斎及び応接間を移転し、公開しています。
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 「しろばんば」
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 「氷壁」
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 その挿絵です。
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 「風林火山」を書かれています。
 「敦煌」、「天平の甍」も。
 司馬遼太郎、東山魁夷と交流があった写真が飾ってありました。
 書斎及び応接間は、撮影禁止でした。

・竹村病院六角堂
 非常に小ぶりの建物でした。でも、白い美しい建物でした。1901年(明治34年)に建てられたそうです。
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・中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館(旧旭川偕行社)
 美術品を観に行くより、建物そのものに興味がありました。
 1896年(明治22年)、北海道札幌市へ屯田兵を中心として編成された陸軍第七師団が設置さています。
 それから4年後の1900年(日露戦争が1904年(明治37年)から1905年)に、第七師団は札幌市から旭川市に配置を移しています。
 陸軍省臨時建築部の指揮の下、師団の生活する家屋とともに、
 将校たちの社交場「旭川師団将校集会所」として1902年(明治35年)に建設されたのが、ここ旭川偕行社です。
 「第七師団」のことを「だいななしだん」とは言わず、「だいしちしだん」と呼ぶそうです。
 (説明)
 木造二階建てで半円形の玄関など、当時の北海道としては珍しい先進的な洋風クラブの建築物であった。
 この建物は、師団将校達へ向けた集会所・社交場や迎賓館となる目的で建設されたもので、
 当時は建物前庭の入口に門も取り付けられていた。
 往時には、皇太子時代の大正天皇や昭和天皇の行在所としても使用され、威厳があった。
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 「第七師団」は、日露戦争で【旅順要塞】攻略に参加しています。
 第一次、第二次にわたる総攻撃が失敗したことにより、第三軍(第一、第九、第十一師団)はほぼ壊滅してしまいました。 
 日本内地に残る最後の精鋭師団である第七師団に白羽の矢が立ち、
 第三次総攻撃の直前に中国の大連に上陸した第七師団は、11月26日に総攻撃に参加。
 203高地奪取に失敗した第一師団が壊滅してしまうと第七師団が指揮権を継承し、主力として敵と相対しました。
 現在、
 北海道の機甲師団は、日本で唯一の戦車部隊が中心の師団で、六千人が所属し、戦車二百両を保有しています。
 (文藝春秋2022年6月号)

 美術品では、この作品が凄いなと思いました。
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 九頭竜ダム。と書かれた作品。
 川か湖の水面近くで、なにか作業か、魚を釣っている人が彫られていました。
 5月下旬に、福井県の九頭竜川を訪ねます。
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春光園の公園です。
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樹に詳しくありません。小さな白い花が咲く樹がありました。
何の樹だろう。
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バスに乗って、さらに先の終点・春光バスセンターに行きました。
バスセンターといっても、停留所ポールは一つのみ。
どちらかというと、バスの待機所でした。
ここのバスセンターの倉庫、あさでん春光整備工場が、旧第七師団騎兵第七連隊覆馬場です。
よく残っていたと思いました。
(説明)
積雪時の軍馬訓練用に作られた切妻造煉瓦建造物。用途を考慮して、良好な換気と採光が意図され、越屋根や屋根窓等の開口部を多く設ける。
控え壁付の柱に、鉄製フィンクトラス架構が載り、建築面積1,000平方メートル超の大空間を創り出している。国登録。
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車で、写真撮影に来ている方がおられました。
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夕方、一時間に一本か二本のバスで、旭川駅に戻りました。
市内の街路樹の八重桜は、満開でした。
夕景。
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駅前ビジネスホテルの部屋から、札幌からの函館本線が見えました。
特急電車が到着しました。
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特急ディーゼル。旭川から石北線に入り、網走に2300着となるオホーツク3号と思います。
グリーン車に眺望の良いハイデッカー車が付いています。
183系。もうすぐ引退です。見れて良かったです。
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今日の一品。旭川ラーメンの味噌+メンマ。梅光軒。
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〇2022/5/13金曜日
おはようございます。
13時過ぎに、富良野線の美瑛駅に行きます。
午前中は、旭川駅付近歩き、旭川市博物館に行ってみます。

上川倉庫群7棟が、国登録になっています。
上川倉庫株式会社の事務所。
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地元の大雪地ビール館。
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宮下通を東に歩いていくと、旭豆・豆菓子の工場がありました。
旭豆って何だろう。
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日本酒の醸造所がありました。暖簾から、旭川の地酒「国士無双」を造っている酒蔵です。
高砂酒造です。
屯田兵や「第七師団」が来たおかげで町が発展。お酒も必要とされたと想像できます。
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売店の裏に水汲み場があると聞き、裏に回ってみました。
本当にありました。高砂酒造 仕込み水。旭川の水って、美味しいです。
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旭川駅に戻ってきました。
旭川駅構内に、「カムイと共に生きる上川アイヌ」のパネルがありました。
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駅南口。
神居古潭石。
旭川八景の一つに数えられ、古くからアイヌの伝説が伝わる神居古潭は奇岩が多いことでも知られ、そこで取れる石はパワーストーンとしても有名です。
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神居古潭。アイヌの聖地。
前回、レンタカーで立ち寄ってみました。
石狩川が上川盆地から石狩平野に流れる境に位置する峡谷です。
奇岩が多かったです。

駅の南側の一角にチューリップが植えられていました。
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忠別川を渡りました。
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旭川市博物館。
ツツジが咲き誇っていました。
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中に入りました。
アイヌ文化を少しでも知りたいです。
北海道では、縄文時代から人は住んでいます。
また、本州、九州とは異なる時代をたどっています。
展示が、どこの時代のことを言っているのか、冷静に見ていきました。

世紀 本州   北海道
6  古墳   続縄文 道東:オホーツク文化  
7  飛鳥 
8  奈良   擦文 道東:オホーツク文化 
9  平安
10
11       
12  鎌倉   アイヌ
13       徐々に、和人(本州)文化が入ってきた。
14  室町
15
16  安土桃山
17  江戸
18
19  明治

上川アイヌ。神々の世界への回廊。
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アイヌの人々にとってカムイ(神)とは、「人間にない力をもったものすべて」です。
動物、植物、山や川、太陽、さらに、病気や飢饉も、カムイ。
良いカムイと悪いカムイがいます。
アイヌの人々は、動物だけでなく、生活の道具などの「もの」が役割を終えた時、その「もの」の魂を、
儀式をおこなって神の国に返したそうです。

展示内容です。
・1968年(昭和43年)に、嵐山という地の送り場「イワクテ」で、クマ、イタチなどの鳥獣骨と共に、
乳幼児用のオルゴールメリーが発掘されたそうです。
物を大事にする、感謝する気持ちが伝わってきます。
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・鮭は、アイヌの人々にとって、大切な食料であり、大事な交易品。
 上川アイヌは、一戸当たり数千匹の鮭を捕獲して、干した鮭、干鮭(からさけ)を出荷していた。
 和人が持ってくる、米、酒、漆器などに交換。
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 旭川は、石狩川や忠別川に近い、川の氾濫が起きやすいところが、「段丘3面」。
 地形が高いところが、「段丘2面」、「段丘1面」。  
 住んでいたところを整理すると概ね次のようになります。
 縄文人=狩猟採集民 「段丘2面」の「段丘1面」寄り。森に近い平地。
           「段丘1面」の森。
 擦文人=漁民    「段丘3面」。川の側。
 アイヌ人=漁民   「段丘3面」。川の側。
 屯田兵       「段丘2面」。
 第七師団      「段丘2面」。
 
 関係はないですが、旭川空港が、旭川と美瑛の間の高台に造らているのも一人納得しました。

・交易品としての大鷲の羽根
 和人が求めた。
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・銅合金製の佐波理鋺(さはりわん)
 朝鮮半島からはいってきた、仏教に深い関係のある飲食供養具です。
 アイヌの人々が求めた。
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・儀式のときに身に着ける女性の首飾り。ガラス玉。
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・アイヌの着物 アットウシ樹皮衣
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 アッ(樹皮)が採れるアッ二の樹は、オヒョウという樹です。
 ウポポイで、学芸員さんに樹を教えてもらいました。
 が、自然に生えているのを見たことがありません。
 和寒(樹皮(アッ)が採れる樹のそば(サム)、というのが由来)町の丘方面を周って探してみようと思います。
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・鮭の皮で作られた靴
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・儀式のツール
 イナウ
 パスイ イナウに酒などをつける。人間の言葉をカムイに伝える役割があると考えられています。
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・松前城の絵地図
 アイヌと交易。戦もしている。
 6月下旬に行ってみます。
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・時代は遡り、擦文時代の家。
 竪穴式住居。土間に炉があった。
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・アイヌの家は、チセと呼んだ。
 萱葺きの平屋。
 写真は、前回、ウポポイで撮影したもの。
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・屯田兵の家
 いわゆる官舎。平屋。1890年ごろから作られた。
 1891年に永山屯田、1892年に旭川屯田が、家族を連れて入地。
 農耕にも従事し、「上川100万石」の基礎を作った。
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・旭川の産業:日本酒
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・土人保導委員嘱託
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有名なアイヌ研究家の方は、現在は、北海道大学で教鞭を執られているとお聞きしました。
お土産に、アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」の本を購入しました。
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予定より早いですが、富良野線に乗って、美瑛に向かいました。
美瑛1113着、美瑛行き。
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沿線の田圃に水が入りました。田植えの時期が近いです。
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黄色の絨毯。たんぽぽの花ですね。
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美瑛駅です。
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待合室にチューリップ。
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十勝岳の噴火石が飾ってありました。
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美瑛駅の若い駅員さんが、待合室まで来られ、「駅長は、13時過ぎに所用から戻る。」と、丁寧に説明してくれました。
若手駅員さんにお薦めのレストランを教えてもらいました。「キッチン ヨシミ」。
行ってみたら、準備中の掛札。今日はやってないのかもと引き返す時、小さな車が駐車場に入ってきて、
コックさん姿の男性が降りられました。
「今日休みですか?」とお聞きすると、「今からお店始めます。お弁当を届けてきたところです。」
良かったです。美味しい定食いただきました。
みんな、美瑛産の食材。豚、じゃがいも、玉ねぎ、アスパラガス。
山で採ってきたタラの芽。
ご主人と奥様が説明してくれました。
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食後のコーヒーを飲みながら、北海道新聞を読み始めたら、
「知床岬 56年前の遭難受け整備 文吉(ぶんきち)港に避難すれば」の記事が載っていました。
教訓を活かすのに、知識、継続する意識が必要です。継続するのって難しいですがやらねば。
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駅に戻り、記念の入場券を購入して、駅ホームに入れてもらいました。
美瑛1302着の気動車がやってきました。
羽鳥駅長が乗っておられました。
駅長も私の存在を車内から確認されていました。おじさんがカメラ構えて撮影しているから目立ちますね。
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駅の執務室を通って応接室に案内されました。
若い駅員さんが、なんと、珈琲をだしてくれました。
旅の途中の温かい飲み物、ありがたいです。
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鉄道のお話をしました。
羽鳥駅長からは、駅員でも、車両の増結、切り離しを行うので、旧型車両、新型車両での勉強をしている。と説明を受けました。
旧型車両は、純粋のディーゼルカーのキハ40です。
新型車両は、電気式ディーゼルカーのH100です。
私の方から、電気式ディーゼルカーのH100の仕組みをわかりやすく解説してみました。
ディーゼルエンジンの出力で発電機をまわす。
交流電気が作られる。
この交流電気をコンバーターで直流に変える。
直流電気が必要な車両の計器に供給する。
残りの大部分の直流電気をインバーターで交流に戻し、交流三相誘導モータを動かし、車両を動かす。
H100は、架線から電気をもらわない電車です。電気が結構流れています。
納得されていました。

鉄道利用者の立場から、美瑛駅にある街案内図の改善を要望しました。

塩狩に18時までに到着予定。間に合う列車は、美瑛1531発。
2時間あるということで、美瑛視察に連れていってくれました。
道の駅。オシャレでした。ハンバーガーショップ、アウトドア用品のお店。
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北海道らしい景色。
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青い池。今日は、曇り。鮮明な青というより、緑深い色合いでした。
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その源になる美瑛川。
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青く見える理由も解説してくれました。
これから行く、白金温泉にある白ひげの滝から流れてくる水に、アルミニウムが混ざっている。
美瑛川の水と混ざると、コロイドが生成され、太陽の光で青く輝く。

その、白ひげの滝。
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雪が残っていました。
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十勝岳は、雲の中でした。

ジェットコースターの道に連れていってもらいました。本当だ、上り下りの連続の道。
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私の要望で、富良野線の撮影ポイントを紹介くださいました。
途中、面白いお話をお聞きできました。
美瑛より南にじゃがいも畑。カルビー専用だそうです。
さらに、南の富良野寄りのじゃがいも畑は。湖池屋専用だそうです。
一人で泊まれる宿を探すとお話すると、美馬牛駅に連れてきてくれました。
ユースホステルが駅の裏側にありました。ほんの2分ぐらいの距離。ここも、次回の宿泊場所候補になりました。
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すり鉢と話されていたポイント。美瑛と美馬牛の間。
ポスターにも使用されているポイントとのこと。
ここ、次回来ます!
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美瑛らしい風景。赤い屋根の家と呼ばれ、有名な場所だそうです。
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そして、ここは、富良野線を真横から撮影できるポイントでした。
防風林は、向こう側の片側だけ。二両編成の富良野線でも十分撮影できます。
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美瑛、いいです!

美瑛駅に戻ってきました。
塩狩駅までの切符を発券してもらいました。
駅員の皆様にご挨拶して、ホームへ。
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駅員さんに加え、駅事務室から羽鳥駅長自ら、見送ってくれました。
こうなると、まるでVIPですね。(笑)
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旭川までの途中駅、西聖和駅。短いホームの無人駅。こういう駅も好きです。
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この田圃は、田植えが終わっていました。この地域で一番早い田植えと思いました。
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富良野線。車両後方から撮影。
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旭川で宗谷本線・名寄行きに乗車。
帰宅する高校生が多く乗車しました。
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途中、貨物牽引用、電気式ディーゼルエンジン機関車を見かけました。
秋、玉ねぎ列車を牽引します。
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雨の中、塩狩駅に到着。
旭川行きの気動車とすれ違いです。
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歩いて2分。塩狩ヒュッテです。
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塩狩ヒュッテの横を、乗ってきた名寄行きが出ていきました。
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到着後、塩狩ヒュッテ・合田さんから、「100人に読んで欲しい、旅する塩狩峠」企画の説明と、
地元新聞記者(北海道新聞、道北日報の2社)から取材を受けました。
合田さんから、小説「塩狩峠(三浦綾子著)」の本と漫画を預かりました。
この小説「塩狩峠(三浦綾子著)」は、塩狩峠 で 1909年(明治42年)2月28日 に発生した鉄道事故で殉職した実在の人物・長野政雄を元に、
愛と信仰を貫き多数の乗客の命を救うため自らを犠牲にした若き鉄道職員の生涯を描く作品です。
5人の旅人に託されるとのことでした。
私は、谷口塾メンバーにお渡していきます。
本、漫画の旅の始まりです。
1年後、本と漫画が、どこを旅しているか楽しみです。
三浦綾子さんは、1922年 4月25日生まれ。2022年は、生誕100年の年にあたります。
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後記 北都新聞2022/5/16記事
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雨で寒い。薪ストーブに火を入れました。
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塩狩ヒュッテからポストカードを書く企画がありました。実は発案者です。口だけです。これからの実行、継続が大事です。
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昔懐かしい、客車の席に取り付けられていた栓抜きが、ヒュッテのテーブルに取り付けられています。
愛好家が持ってきてくれたものです。
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夕食は、美味しい!
行者にんにくのお浸しをだしてくれました。アイヌの人々も食べていました。今日の一品です。
ポテトのグラタンもいいです。
ゆめぴりかのご飯、お代わりしてしまいました。
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隣で食事をされていた男性とお話をしました。
明日の急行「花たび そうや」号の指定席が取れた。名寄から稚内まで。
とんぼ返りで、札幌行き特急「宗谷」に乗って戻ってきて、札幌に出る予定と伺いました。
指定席確保の極意?をお話してくれました。
さすがでした。
特急「宗谷」が、塩狩ヒュッテの横を通過するのは、21:06。
「真っ暗ですが、手を振りますよ。何号車に乗車ですか?」と尋ねると、「五両編成の後ろから二両目。」。
こういう小さな企画に、塩狩ヒュッテの女将さん合田康代さんも賛同。

夜汽車の撮影。旭川行きの普通列車が塩狩峠を登ってきました。
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2022/4/16-17 由利本荘、越後下関、弥彦

2022/4/16-17 由利本荘、越後下関、弥彦

○2022/4/16 土曜日
おはようございます。
由利高原鉄道鳥海山ろく線を乗りに行きます。
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秋田駅の隣のホームに男鹿行きの車両がいました。
これ、交流蓄電池電車です。非電化区間は、バッテリーに貯えた電気でモーターを回します。
九州の香椎線、筑豊線で乗ったのと同じ形態の車両です。
調べてみました。EV-E801系、通称「アキュム(ACCUM)」。2017年2月に男鹿線に導入されていました。
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発車する前に、車内を覗いてみました。
秋田駅で、架線からバッテリーに充電していました。
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始発の酒田行き普通電車が来ました。
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風力発電が盛んな地域です。
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羽後本荘で下車。由利高原鉄道鳥海山ろく線に乗り換えます。乗り換え時間、8分。
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JR改札を一度出て、由利高原鉄道鳥海山ろく線の切符売り場に行き、
土日に発売される一日乗車券を購入。
一両編成のディーゼルカーでした。
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のどかな風景が広がる鉄道です。
羽後本荘から矢島まで23km。
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子吉(こよし)駅は、郵便局と一緒になっている駅でした。
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駅の桜。
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線路の両側は、田圃。ここは、米どころですね。
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線路脇に水仙。
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子吉川です。
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前郷(まえごう)駅です。
下りと上りの列車同士が行き違いです。
上り列車が駅に先に入っていました。
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タブレット交換です。
上り列車が通ってきた区間のタブレットを持って駅員さんがホームに待っています。
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このあと、上り列車のタブレットが下り列車の運転士に渡され、運転士は駅員に下り列車が通ってきた区間のタブレットを渡しました。
駅員は、下り列車が通ってきた区間のタブレットを持って、上り列車のホームに駆けて行きました!
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上り列車が出発していきました。
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駅待合室に、昔の写真が飾ってありました。
国鉄八島線。米や材木を運んでいたと書いてありました。
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駅の外に出ました。
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この町に、古い建物があると調べてきました。歩いている人が一人もいません。
焚き火している方がいました。場所をお聞きすると、「あそこに見える三階建ての住宅だよ。歯医者。」と教えてくれました。
佐々木邸。本館が住居兼歯医者さんなのか、表札がありました。
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別館が3階建て。もう古くて、入館禁止。
屋根に、しゃちほこ。
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本館と別館は直角に位置しています、その前の庭は、池を中心とした立派なものでした。でも、古い、誰も訪れる人もいないようでした。
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ふきのとう。放置、もう大きくなりすぎでした。
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駅に戻りました。
駅待合室見学です。
エボルタ電車のギネス達成の写真。
高校生が、乾電池を電源にして電車を動かしたと聞いたことがありました。
由利高原鉄道鳥海山ろく線の、ここ前郷から矢島に行って折り返しで行われたと理解しました。
(説明)
挑戦したのは、埼玉県立川越工業高等学校電気科「電車班」のメンバー。
動力源は、パナソニック乾電池EVOLTA(エボルタ)単一形600本です。
今回のギネス世界記録認定にあたっては、次の、主な5つの条件が定められました。
・市販乾電池のみで車両を動かす
・車両重量700kg以上
・挑戦中の車両修理なし
・上り坂方面でスタート
・20kmを走り切る
これらを見事にクリアして、22.615kmを走破。2時間47分での記録達成となりました。
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こういう学生さんたちが、今の交流蓄電池電車を開発設計していると想像し、わくわくしました。

おー、これは良いという案内がありました。
「高校生の通学定期を大幅割引」。未来ある高校生のために。
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前郷駅事務室のドアをノック。
若い駅員さんに、タブレット交換の仕組み、信号機があるのになぜタブレットが必要かをお聞きしました。
仕組みを明確に答えてくれました。タブレットを持っていないと、列車はその区間に入ってはいけません。
タブレットは、携帯する「通行手形」ですね。
アナログというより物理的に確認できる点、すごく明快だと思いました。
運転士、駅員の二人で安全を確認していく。
必要性は、明快な答えをお聞きできませんでした。こちらから、安全の二重化ですね、とお話しました。
前郷駅に、出発信号がありました。しかし、他の区間では、信号機は確かになかったです。

秘密事項?を話してくれました。
乗ってきた羽後本荘と前郷、前郷から先の矢島とでは信号システムが異なるんだそうです。なんだろう?
ありがとうございました。

駅構内踏切を渡り、駅の反対側に出てみました。
堰(せき)がありました。
説明案内板を読むと、「米を作るのに水が必要。この地域一帯に水が届くよう、技術を駆使して堰や樋を作った。」
「地面の下を水を通した、サイホンの原理で水を汲んだ。」とあり、土木工事レベルの高さに感動しました。
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次の下り列車がきました。
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タブレットが交換されました。
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乗りました。
反対側ホームに、ギネス世界記録のスタート、ゴール地点を表すパネルが掛けられていました。
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線路脇に、桜と水仙。由利本荘地域の春という感じです。
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田圃に大きな白い鳥が飛んでいました。餌あるかな。
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田圃の中に、ポツンとある駅が見えました。
よく見ると、この駅は自動車も自転車もはいれません。歩いてきて乗る駅です。
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雪を抱く山が雲の下に、ちょっとだけ見えました。鳥海山と思います。
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終点、矢島に到着。
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鉄印帳に筆で手書きしてくれる、まつ子さん(テレビ番組に出ているのを見たことがあります。)がおられました。
皆さん、書いてもらっていました。
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帰り、改札口前で、まつ子さんがお菓子をプレゼントしてくれました。
帰りの車両は、おもちゃ列車。
お子さんが遊べる車両です。
沿線に、廃校となった小学校を改装して、おもちゃ美術館が開設したのをきっかけにこの車両を作ったそうです。
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発車。
まつ子さんが見送ってくれました。
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おもちゃ列車には、列車アテンダント「秋田おばこ」姿の女性が、沿線案内してくれました。
おばこは、20歳前後の未婚の女性を指す言葉だそうです。
ご自身は、40年ぐらい前とお話されていました。
いろいろ見どころを説明してくれました。
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子吉川。この水が田圃に届いているんですね。
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その水路が、森と田圃の境界付近に、ずっと続いているのを確認できました。
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線路脇土手の水仙の黄色。春。
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エボルタ電車、ギネス登録条件の20km地点の標識がありました。
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前郷駅に来ました。
運転台に渡されたタブレットが置かれました。
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由利本荘駅に戻ってきました。
特急停車駅ですが、駅構内、駅前に、コンビニ、レストランがありません。
乗る特急電車は車内販売がありません。
こりゃ不便です。
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JR羽越本線の特急いなほ8号新潟行きに乗車。一日2本のうちの1本です。
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晴れてきました。
日本海は晴れると美しい。曇りだと鈍い鉛色。やはり、晴れは嬉しいです。
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山側の車窓です。
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粟島が見えました。
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村上が近づいてきました。
行きに撮影できなかった、鮭が遡上してくる三面(みおも)川の写真が撮れました。三面川鮭産漁協第三ふ化場があります。
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坂町に3分遅れで到着。酒田駅を出るときに、落とし物を線路から拾う作業で出発が遅れましたとアナウンスがありました。
米沢行き米坂線の列車は、お客さんが乗り換えるのを待ってくれました。
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越後下関(しもせき)に到着。
米沢に通じる街道沿いに、昔の建物が残っていました。
佐藤家住宅。
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津野家住宅。
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街道には、水路が掘ってありました。
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渡邉邸。豪農の館。
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大黒柱はありません。すべての柱で支えている構造と聞きました。
当時から、免震構造。
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圧巻でした。
この周辺の米が、大八車で家屋の中まで運ばれた。
そのために、土間は、米俵を積んで入ってくる大八車と、空となって外に出ていく大八車がぶつからないように、幅を広くとってありました、
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玄関も大八車が通れるようになっていました。
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屋根は板葺き。重しに石をのせる。
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中庭の先に蔵。
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家紋が、二つ。
男紋。〇三つ。下に、一がはいると武士。渡邉家は、武士から農家になったとき、一をとったそうです。
〇三つの上に一がはいっているのは、毛利家です。
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女紋。
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奥の間の仏壇は、今でも、渡邉家の方々を拝む、生きている仏壇。
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重い板戸をすべらす工夫が当時から作らていた。
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なぜ、渡邉邸を訪ねたか。
渡邉家は、米沢藩に多額の用立てをしています。江戸城西の丸普請の費用など。
上杉鷹山の米沢藩立て直しに大いに協力をしています。
近代では、渡邉家は、日本海の坂町から内陸部の米沢までの米沢線の開通に尽力されたお家です。
どういう家なのかを見たかったというのが理由です。

現在、ここ米坂線は極端に本数が少ないです。
一日、上下各6本。
今の時間帯、坂町行きは、14時台を逃すと次は18時台です。
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バスは土曜日日曜日運休。
タクシーも見あたらない。
地方の交通状況です。
14時台に乗るために、手早く見学しました。
街道から越後下関駅に曲がる角に、もう閉じた雑貨屋がありました。
昔は、ここで煙草を売っているおばさんがいたんだろうなと思う、造りでした。
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田圃風景は、いいです!
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米沢から峠を越えて列車が来ました。
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坂町に戻ってきました。
ちょうど、貨物列車の通過です。
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駅前。この町、少し大きいですが、駅前はシャッター街。コンビニもない。
八百屋がありました。果物を買う時ではない。
肉屋がありました。揚げものを売っていました。コロッケ、メンチカツを頼んだ時、昼食代わりと言うと、お母さんが「お弁当作れるわよ。5分。チキン弁当(と聞こえました。)。650円。」
どこにもメニューがありません。
よほどひもじく見えたのでしょう。
ありがたいです。
ご主人が出てきて、冷蔵ケースから、豚ロース、スパゲッティサラダを取り出していかれました。
お母さん、「うちの肉は美味しいわよ。」。
お礼を言って、お店を出ました。
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駅のホームで開けてみると、豚ロースの焼き肉ダレ焼きでした。
風吹くホームでお弁当いただきました。
肉が美味しい。梅干しがのったご飯が温かい。たくわんに、味噌漬け、べったら漬けが添えられていました。うれしかったです!
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坂町駅の線路の向こうに何やら鉄道遺産らしきものを発見しました。
蒸気機関車の進行方向を変える転車台の跡です。蒸気機関車に水を補給するタンク塔も残っていました。
峠越えの米坂線を走る蒸気機関車の補給駅というのが想像できました。
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新潟経由長岡行きと案内された普通列車がきました。
どこを通っていくのだろうと思いながら乗りました。
(新潟付近の路線は入り組んでいます。列車の行き先も、先入観はいけませんね。)
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普通ならば、新潟で宿泊するのですが、コンサートがあることが影響しているのか、本日の新潟市内の宿泊代は、普段の4倍近い料金です。
遠慮して、燕三条にしました。
確かに、新潟駅で、多くの若い女性たちが、小さなスーツケースを転がしながら歩いているのを見かけました。

スマホの乗換えアプリで表示された通り、新潟で隣駅の燕三条まで上越新幹線を一駅乗りました。
燕三条到着。
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到着して、気づきました。在来線は、弥彦線という、この付近では、ほぼ平行に走る信越本線や越後線の幹線同士を縦に結ぶ超ローカル線のみです。
弥彦線は、東三条から北上し、燕を経て弥彦まで行く短い路線です。
上越新幹線ができるまでは、燕三条は、幹線からはずれた鄙びた町だったんだろうなと思いました。
もしかして、燕三条は、東三条の三条と燕を合体して名付けられた地名駅名でないかと想像してしまいました。

燕三条は、食器づくりの街。
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製造業、頼もしいです。
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〇2022/4/17 日曜日
早起きしました。
彌彦神社にお詣りして帰宅します。
今朝は、霧です。
燕三条駅の弥彦線乗り場(自動改札機がない。奥に、SUICA入場、出場の端末はありました。)には、鳥居が置かれていました。
ここをくぐって、ずっと先のホームへ。現在の燕三条駅の端っこに短いホームがありました。
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上を見ると上越新幹線の高架。足場が組まれていました。耐震補強工事かなと思ってしまいました。
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霧の中、弥彦行き普通電車がきました。
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本当に霧。
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弥彦駅に到着。なんと晴れた!
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彌彦神社まで、歩きました。
バスもタクシーもありません。早朝なので、歩いている人もいません。
途中、桜、梅。
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鳥居。
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参道。
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本殿。
彌彦神社は御創建から二千四百年以上の歴史を有する神社です。
「おやひこさま」と慕われる越後開拓の祖神。
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鶏が数種類飼われていました。
朝です。時の声を上げていました。
ニワトリが朝早く鳴くのはなぜ?
1、強さの優劣(序列)を再確認するため
2、ホルモンの影響
3、メスへのアピール
ということだそうです。NHKチコちゃんに叱られるでも取り上げられた疑問です。
これは、比内鶏かな。
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鹿も飼われていました。
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帰り、小さな神社、住吉神社がありました。
大蛸が足を広げているように見える枝ぶりから、「たこけやき」と呼ばれる大楠。樹齢1000年。見事でした。
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お地蔵さんがありました。
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路脇に、親鸞聖人清水と書かれていた石柱がありました。
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電車まで時間がありました。
隣の弥彦公園に行ってみました。
水芭蕉が咲いていました。
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山の方を見ると、ロープウェイ山頂駅が見えました。今日は天気が良いので、景色がいいさろうな、と思いました。
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改札が始まり、ホームに出ました。
見通不良区間600mと書かれた標識を発見。
確かに、駅を出るとすぐ踏切でその先右カーブでした。
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その見通しの悪いところから、電車が現れました。
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発車。確かに速度をあげません。ゆっくりゆっくり駅を出ていきました。
田圃風景。
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ここ弥彦線の架線は、一本でした。東京近辺は二本です。上下に一本ずつあります。
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二つ先の吉田駅が終点。ここで乗り換えでした。
吉田駅は、新潟行き、柏崎行きの越後線の中心駅でした。
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燕三条から、東京行き「とき」に乗り、帰宅しました。
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浦佐から越後湯沢間では、只見方面に雪を頂く山が見えました。
でも山にももうすぐ春が来ます!
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2022/4/14-15 新潟、秋田

2022/4/14-15 新潟、秋田

今回の旅は、秋田県の羽越本線の羽後本荘駅から矢島駅まで走る由利高原鉄道鳥海山ろく線で行われているタブレット交換を見にいくのが主目的です。

3/16の福島、宮城の地震で、東北新幹線が区間不通になったことで、秋田新幹線は直通が運転ができなくなりました。
幸いなことに、旅の開始日4/14に前倒しで東北新幹線が復旧。
臨時ダイヤですが、東京-秋田間のこまち号も運転が再開されました。

3/16の福島、宮城の地震の後、上越新幹線で新潟に出て、羽越本線で秋田を目指すルートの計画に変更しました。
今回、変更後の新潟経由秋田行きの旅をします。
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○2022/4/14 木曜日
おはようございます。
新潟に向かいました。

横浜駅での乗り換えの都合、東海道線東京方面行きはいつも後ろの車両に乗ります。
東京駅では南口。
丸の内南口改札口を出てみました。。
以前にも掲載した、原敬首相が襲われた場所です。原敬首相は駅長室に運ばれたが絶命しています。
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丸の内中央口。
ここの修復で、窓枠や縦の支えは、擬石と呼ばれる素材でできていること、初めて知りました。
花崗岩粉に、石灰とセメントを混ぜて調合したものが使われているそうです。
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構内には、赤煉瓦ドームのあと。
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さあ、新幹線に乗ります。
人出は、増えている感じです。
先日のニュースで知りました。今日、東北新幹線が一ヶ月ぶりの全線開通です。よかったです。
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上越新幹線に乗ります。
ホームに出ました。
乗車する列車が到着しました。
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乗った「とき」は、上野に停車せず、次は大宮。大宮停車後は、どこにも停車せず新潟まで走りました。
上毛高原駅と思います。先発の「とき」を追い抜きました。
越後湯沢あたりは、雪。
一瞬、雪を巻き上げて走行しました。
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燕三条手前では、田圃に水が張られていました。
田植えの準備ですね。
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新潟に到着。
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観光循環バス一日券500円を購入。
小さなバスでした。
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バスは、白山神社前を通ります。
これは、新潟県政記念館。
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水族館。日本海が見えました。
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北方文化博物館新潟分館前で下車。
旧齋藤家別邸を見に行きました。
1920年に建てられています。
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板戸に描かれた見事な絵。素晴らしいです。
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新潟三大財閥。
(説明)
齋藤喜十郎家は、東堀通7番町に居を構え、新潟の三大財閥のひとつに数えられた名家です。
屋号は「三国屋」で、その先祖は越前国三国港から移住したと言われています。
幕末の頃、家業の清酒問屋から事業を発展させ、明治時代に入ると、北前船経営に本格的に取り組むようになりました。
そして海運業で得た利益をもとに、土地の集積と有価証券投資を行い、地域経済の近代化に大きく貢献しました。
沢海の伊藤家など有力地主や商家と姻戚となり、系列企業に親族を配し、地方財閥としての体裁を整えていきました。
また商標から「山三(ヤマサン)」と呼ばれ、当主は代々喜十郎を襲名しています。

一階の部屋から見る庭。
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二階の部屋から見る庭。
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建物内に蔵。
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外に出てみました。庭が見事でした。
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筍は顔を出していました。
でも、周りは苔。掘り返して食べるのは無理があるように思いました。
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この白い花は何だろう?
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次の循環バスが来るまで、周囲を歩きました。
良寛、会津八一 遺墨 と書いてある木製表札を見つけました。
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循環バスに乗って、旧小澤家へ。
廻船問屋として栄えた町屋です。
(説明)
日本海を行く北前船などの回船や川舟が集まって来る、みなとまち新潟。
数々の商家が盛衰を繰り返したこの町で、小澤家は、米を扱い、回船を運航し、
みなとに関わる会社を興して、経営を拡大してきました。
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新潟らしい天然ガスを使っていました。天井にガス管が設置されていました。
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庭に出てみました。
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藤の樹です。花咲くころは、ずらっと藤の紫の花が続く。すごいだろうなと想像しました。
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昼食を、築110年の古民家を活用した料理屋でいただきました。
旧片桐家主屋。
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テーブルの上に掛け軸。「笑門」と読みました。
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新潟港の絵図が飾ってありました。
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こちらの建物は、片桐家土蔵・蔵前と書かれていました。
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また、循環バスに乗車。
歴史博物館前で下車。
信濃川の対岸に、佐渡に向かう新潟汽船のターミナルが見えました。
新潟港は、海ではなく、信濃川河口に作られているのに気づきました。
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旧新潟税務庁舎。
明治2年、関税業務を行う役所「新潟運上所」として建築された。昭和41年まで税関の役目を果たした。と書いてありました。
新潟港での密貿易が行われ、厳しく取り締まったところです。
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旧第四銀行住吉町支店の建物。
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歴史博物館を見学。
わかったことです。
・北前船が運んだものは、生活を支えたもの、食品と多彩。
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・新潟は、阿賀野川、信濃川(長野では千曲川)が海に出る土地です。
 阿賀野川河口、信濃川河口のどちらに港を作るかで、地元同士が激しい競い合いが起きた。信濃川河口に決定された。
・信濃川左岸(昔の花街、今、バスで廻っているところ)は長岡藩領。一方、右岸(新潟駅、新潟日報があるところ)は新発田藩領。
 幕末、長岡藩は幕府方。新発田藩は新政府方。という立ち位置です。
 萬代橋を挟んで、異なる世界だったと知り、驚きました。
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・新潟は、低い土地。川が縦横。氾濫も多かった。水対策に苦労。
 それでも、田圃の稲刈りは、膝上まで泥水に浸かりながら、行われた。刈り取った稲は小舟に乗せた。
 この光景、記憶にありました。
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・鮭は新潟でも大事な食材。
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新潟日報のビルの20階に上がってみました。
信濃川河口が見えました。確かに、湾はなく、河口手前に、港。
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船が入ってきました。
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弥彦山が微かに見えました。
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萬代橋です。こちら側は新発田藩領、向こう岸は長岡藩領。
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地上に降りて歩くと、チューリップの花。
白、黄、ピンク、赤。
新潟の春です。
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雨が強く降ってきたので、早めに街歩きを終了。
夕食は、小千谷のへぎ蕎麦を食べました。
つなぎが、布海苔です。小千谷で食べた時、辛子が付いていました。今日は、わさびでした。
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○2022/4/15 金曜日
おはようございます。

新潟発秋田行き特急「いなほ1号」に乗り秋田まで向かいます。
朝食を食べて出発。
新潟駅。
上越新幹線の歴史。
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駅構内は静かでした。
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ホームに上がってみました。すると、電車が到着すると、どっと高校生が電車を降り、ホームで動きが取れない状態になりました。
朝の新潟駅、高校生が主役でした。
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ここのプラットフォームは、仕切りをして、半分が在来線、半分が新幹線です。
階段やエスカレーターなどでの縦の移動がなく、乗換えができます。なかなか良いです。
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東京から新幹線「とき」が到着しました。
秋田行き特急「いなほ1号」に接続しますね。
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酒田行きの特急は、それなりの本数があります。
ところがその先の秋田までは、一日2本のみです。
秋田行き特急「いなほ1号」が7両編成で入線しました。
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発車。新潟は、雨に煙っていて、高いビルの上層階が見えませんでした。
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阿賀野川を渡りました。
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新発田。
土手に、桜並木。
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田圃に、白鳥。
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村上。防風林の内側に桜。粋です。
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ここは、鮭が遡上してくる町。塩引き鮭で有名です。
江戸時代中期の村上藩士「青砥武平治(あおとぶへいじ)」が、鮭の人工ふ化を成功させました。
藩が後押しして。藩借財を塩引き鮭で返した歴史があります。
武平治は鮭の母川回帰性を世界で初めて発見した人物と評されています。
以前、降りて、塩引き鮭を食べに行ったことがあります。徳川将軍にも献上されていたと思います。
また、茶の日本海側の北限です。
塩引き鮭です。(以前訪問したとき、工場で撮影させてもらった写真です。)
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電車の車内灯がこの先で消えました。直流から交流に切り替わりました。
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日本海が見えました。
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笹川流れ(と言っても日本海です。)の観光船が見えました。
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道路も海岸線を通っています。断崖のところはトンネルを掘っています。
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岩の上の白い点は、海鳥です。
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この岩の頂には、樹が生えていました。
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塩の文字が見えました。
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電車は山形県に入ってきました。
集落の後ろに桜。
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鶴岡。庄内藩の本拠地です。
小説家 藤沢周平が、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした『たそがれ清兵衛』、『蟬しぐれ』を書いた土地です。
二度、訪ねたことがあります。
この山は、月山かな。
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酒田。一度、訪ねています。
ここは、新潟、秋田と同様、北前船が寄港した湊がありました。
有名な本間家(日本一の大商人と言われました。庄内藩の財政を支えました。)がある街です。
(説明)
山形県酒田市を中心に農地解放による解体まで日本最大の地主と称された大庄屋・豪商。
その財力を基礎に、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と謳われるほどの栄華を誇った。
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鳥海山か。
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沖合の島、飛島と思います。
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3時間40分かけて、秋田に到着しました。
隣のホームに、青森行き特急「つがる」が停まっていました。
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リュックサックをホテルに預け、散策開始しました。
秋田藩佐竹家の久保田城跡。今は千秋公園になっています。
濠に青鷺、白鷺。二羽の距離は、20mくらいとみました。
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濠の桜。
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正面入り口ではなく、側道から上りました。昔からの道と勝手に思いました。
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二の丸跡。
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表門。久保田城の正門です。
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表門横に、御物頭御番所。二の門である長坂門の開閉及び城下一帯の警備を担当したと書かれてありました。
警察の役目ですね。
この建物は、旧位置のまま残っている唯一の建物と書いてありました。
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表門の礎石です。石は残りますね。
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本丸跡。
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最後の藩主、佐竹義堯の像がありました。
藩論を尊王派に統一して新政府側に与する方向へ舵を切った殿様です。
部下に慕われて、銅像が造られたと書いてありました。
青森県弘前から福島県桑折(こおり)までの羽州街道全般の整備に尽力したのが佐竹家と、
以前、山形県上山市楢下宿で聞きました。
他藩内の道を改良するというのは、当時画期的なこと。佐竹家は意欲ある殿様がおられたと思っています。

八幡秋田神社。佐竹家の氏神様です。
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本丸より一段低い崖下にある茶室。
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城跡から町に降りる小道に、可愛い紫の花の蕾。
周りは苔でした。
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池に桜。
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濠に桜。
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街に出てきました。
昔の百貨店と想像しました。長い間、シャッター閉まっている様子とみました。
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秋田市立赤れんが郷土館。
旧秋田銀行本店。
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ねぶり流し館。
説明の方が竿灯のことをしっかり説明してくれました。
町内、企業、スポンサー合わせて200本の竿灯が、竿灯大通りに集結するとのことです。
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一番小さい若竿。5kg。幼稚園児童が持つのだそうです。
説明の方が、持たせてくれました。
高さが結構あるので、右手と左手を広く取って持つようにと指導してくれました。
腰を入れないと、ふらつきました。
幼稚園児童が持つと聞いて、秋田県人の骨格はすごいなと思いました。
ちなみに、中学生が持つ中若は30kgです。唖然。肩やおでこに乗せるんですよ。高さ9m、重さ30kgを。
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提灯は、町内ごとに町紋があるそうです。
佐竹の殿様(写真上)、秋田市(写真下)の提灯もありました。
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太鼓、叩かせていただきました。
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旧金子家住宅。
江戸時代後期の町家の建築様式を色濃く残した商家の建物です。
当初は、藩の御用を勤めたり、特定の人を泊める旅籠をしていたそうです。
その後、質屋、古着屋。さらに、呉服屋。
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建物内にある江戸末期に建てられた土蔵(内蔵)は見事でした。
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火事に備え屋根の上に置いた天水甕(てんすいがめ)です。
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旧金子家住宅の前の通りのバスは、巡回バス。それも駅までは大回りです。時間があります。
雨です。秋田駅行き市内バスを探しました。
歩いた方向に、運よく見つかりました。たまたまです。
秋田駅に戻ってきました。
大きな秋田犬のぬいぐるみ。記念撮影されている方、多かったです。
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男鹿半島のなまはげ。
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竿灯。秋田米「サキホコレ」。新しい米かな。
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ホームに降りると、奥羽本線八郎潟行き列車がいました。
この電車で土崎に行きました。
北前船が入った秋田湊があったところです。
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駅近くの公園に、蒸気機関車が置かれていました。
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土崎みなと歴史伝承館。
北前船の説明はほとんどなし。少し落胆しました。
1/10模型が展示されていました。
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曳山が飾ってありました。
こちらのほうに重点が置かれていました。
曳山は、ビルの3階ぐらいある背の高いものでした。
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あと、第二次世界大戦の時の土崎空襲を描いた絵が展示されていました。
戦争はいけません。
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港の方向に歩きました。
途中、機関車の赤が見えました。そちらの方向に行ってみました。
ディーゼル機関車が置かれていました。
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なんと、ブルートレイン24系寝台車が残っていました。
カニ。郵便、小荷物を積める電源車。
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オハネフ。端に位置したB寝台車。
もうボロボロになっていました。
可愛そうでした。
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もう使われなくなった線路を横切り、岸壁にでました。
貨物船が通過していきました。
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ポートタワーセリオンに上りました。
高さ100m。
秋田港。ここも河口に港。
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先ほどの貨物船が、左通行で海に出ていきました。
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先ほど見てきた車両が見えました。
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今はどうなっているかわかりませんが、貨物駅の形に線路が敷かれていました。
地図で調べると、JR貨物の秋田港駅でした。秋田臨海鉄道。
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秋田港には、軍艦3隻を沈め、防波堤が造られた歴史がありました。
「函館税関許可」の保税倉庫を発見。秋田なのに、不思議に感じました。
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駅に戻りました。途中、藤の花の蕾を見ました。
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秋田に戻りました。
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夕食は、親子丼。秋田の地鶏は美味しかったです。
どこかの村の蕎麦も食べてみました。汁が透明でした。
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勝沼 2022/3/19

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福岡県 博多、門司港 2022/3/25-26

福岡県 2022/3/25-26

博多、門司港を訪ねました。
懐かしい折尾名物「かしわ飯」です。
48年振りの再会でした。
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〇2022/3/25 金曜日

東京(羽田) 10:05 発の福岡行きに搭乗しました。
着陸してくる飛行機を見ることができました。
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雪を頂く山々が見えました。
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島が見えました。九州です。
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博多に出て、香椎線を乗りに出かけました。
博多駅では、JR九州の特急列車を見ることができました。
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小倉方面行の快速が来ました。
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香椎駅で下車。
香椎線。二つ、すごいことをしています。
一つ目は、バッテリー(蓄電池)に貯えた電気でモーターを回して走ります。
車体に、「DENCHA」と書いてありました。
交流架線式蓄電池電車 BEC819系 DENCHA 。
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香椎駅の停車時間は長いです。架線から電気を取り込んで、二両目に据え付けられたバッテリー(蓄電池)に充電しています。
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走り始めました。
非電化区間に入りました。バッテリー(蓄電池)に貯えた電気でモーターを回して走っています。
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二つ目は、自動運転です。
香椎線では2020年12月から西戸崎~香椎で実証運転を実施。
ATS(運行管理システム)区間での自動運転は国内初の取り組みでした。
最終的には、「運転士以外の係員が乗務する」形を目標としています。
香椎線では実証運転にあわせ、自動運転システム(ATO)を線内に整備。
ATOは東京メトロ丸ノ内線やJR東日本の常磐線各駅停車など各地で導入が進んでおり、
導入線区では基本的に、運転士は「発車ボタンを押すだけ」となっています。
このATOが地下鉄乗り入れのないJR路線で導入されるのは初の事例です。
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車内アは、新型だけあって綺麗。小さなゴミ箱が据え付けららえているの嬉しかったです。
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海の中道を通って、終点、西都崎(さいとさき)駅。
ホーム片側1線しかない小さな駅でした。
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駅前に、倒れかけた枝から花をつけている桜の樹がありました。
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渡し船で博多に戻ります。志賀島から西戸崎に来て、博多に行く船です。
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駅から歩いてすぐのところにある、福岡市営渡船 西戸崎旅客待合所(西戸崎渡船場)。
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小さな花が咲いていました。
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料金表。自転車100円に対し、リヤカー430円です。
リヤカーは、船の面積をとるからかなと思いました。
リヤカーを持ち込むことができるのって、生活感溢れています。
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私は、大人一人。
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志賀島から、小型の船が到着しました。
これに乗りました。これに乗り遅れると、1時間以上開いてしまいます。
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結構、高速でした。
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博多湾を縦に渡ります。
対馬、壱岐からのフェリーが、港に入る手前で停泊していました。
順番待ちですね。
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博多港に入りました。
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接岸していた赤い船は、特殊な形をしていました。
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博多港。
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芝桜が見事。
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バスで、博多駅に戻りました。
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夜、キャンベル・アーリーに寄りました。
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あまおうが、ウインドーケースのなかで冷蔵されていました。
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白苺の淡雪のパフェが売り切れでした。
博多の人は、美味しいものわかっているな、と思いました。
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中尾社長、龍太店長に会うことができました。
なぜか、淡雪のパフェが出てきました。苺の数、多くない?笑顔。
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〇2022/3/26  土曜日
雨r。
午前中、宗像で墓参り。
午後、博多から門司港に向かいました。
折尾駅。懐かしい!途中下車。
東筑軒で、かしわ飯を購入しました。
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48年前、周遊券で九州を周る旅しました。宿は、夜行急行の座席かユースホステル。
折尾駅の隣駅の遠賀川から室木に出ていた室木線を乗りにやってきたことがあります。
9600か8600の蒸気機関車が古い客車を引っ張って走っていました。室木から戻るときは、転車台がないので、後ろ向きで客車を引っ張っていました。
客車のデッキのドアは手動。デッキから、足を投げ出して、春の野の風景を見ていました。
その時の昼食が、東筑軒のかしわ飯です。安くて美味しかった!
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ホーム売りの写真が飾ってありました。
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せっかく降りたので、筑豊本線で、若松まで行ってみました。
ここも、「DENCHA」でした。
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折尾駅では、パンタグラフを上げて、充電していました。
洞海湾に沿って走ります。
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北九州工業地帯の一角を担っています。
昔の繁栄は少し隠れ、少し寂しい雰囲気でした。
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終点、若松駅に到着。
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若松機関区があった歴史、「石炭」を伝える写真がありました。
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外に置かれていた蒸気機関車。
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若戸大橋(国指定重要文化財)の下を走る、若戸渡船があります。
洞海湾を軽快に往復する現代版の“渡し船”と言われています。
これに乗ります。15分間隔で出ています。
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若松駅から乗り場まで歩いていくと、歴史的な貴重なものを見ることができました。
弁財天上陸場(べざいてんじょうりくば)。土木遺産です。
(説明)
ここは、弁財天上陸場と呼ばれ、ごんぞうをはじめ、当時、洞海湾で活躍した人々の日々の乗降や、荷役作業の場所でした。
その後、港湾荷役の変化により、昭和の半ば以降はほとんど使用されなくなりましたが、
若松発展の原点の一つともいうべき地です。
石段に刻まれた無数の傷、すり減った階段は、日本一の石炭の積出港として栄えた若松の歴史を、
雄弁に物語っています。
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若松南海岸緑地休憩所「旧ごんぞう小屋」。
(説明)
かつて石炭の積出し日本一だった若松。筑豊炭田で掘り出された石炭の荷揚げ、荷下ろしに大勢の人が働いていました。
その港湾労働者たちを“ごんぞう” と呼んでいたそうです。
弁財天上陸場はその荷揚げの様子をとどめ、隣にある旧ごんぞう小屋は当時の詰所を再現したものです。
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石炭会館。
(説明)
若松石炭会館は明治38(1905)年に洞海湾沿いに建てられました。
若松区内に現存する洋風建築としては最も古い建造物で、建築当初は若松石炭商同業組合の事務所でした。
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旧古河鉱業若松ビル。
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渡し船は一艘で往復していました。
対岸の戸畑を出て、こちらがわ若松にやってきました。
レモンイエローとグリーンの船体。
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乗船料は100円。嬉しいです。
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自転車を載せて、戸畑に向かうおじさんがいました。
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若戸渡船のデッキから若戸大橋を撮影しました。
貨物船が横切っていきました。
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若戸渡船 戸畑渡場まで3分でした。戸畑駅まで歩いて、鹿児島本線・門司港行に乗りました。

門司港駅に到着。
広いホームです。
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鹿児島本線の起点です。
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駅を出ると、門司港郵船ビル。
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旧門司三井倶楽部。
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歩いて、今日の宿、門司港ゲストハウス ポルトに向かいました。
観光列車の線路。
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関門トンネル・車道入口まで来ました。
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宿に到着。
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093-342-9938
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玄関の床がタイル張り。昔の遊郭と感じました。
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古い建物を上手に改築。
オシャレなゲストハウスでした。
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宿はシャワー。
近くに銭湯があるとお聞きし、行ってみました。「きく湯」。
「ポルトから来ました!」と番台のお姉さんに伝えました。
30円引きでした。
熱い湯、ミストサウナが、嬉しかったです。
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夕方、安重さん(小学校教頭先生)に会うため、関門海峡の向こう、下関に向かいました。
門司港の桜。咲き始めました。
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門司港の入江。
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夕方の旧門司三井倶楽部。
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門司港駅。
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関門トンネルが開通する前は、下関と門司港の間に、連絡船が通っていました。
門司港駅から桟橋に通じる入口の跡です。
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一度、門司駅へでます。
そこで、下関行きの電車に乗り換えます。
関門トンネルを通って、下関から電車がきました。
折り返しの電車で、下関に出ました。
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下関駅では、山陰本線の気動車に出会いました。乗りたいな!!
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山陽本線の黄色の電車に出会いました。
どちらも、国鉄時代の車両です。
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下関駅自由通路には、ふぐの提灯がいっぱい。
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ピックアップしてもらい、ゲストハウス「ウズハウス」へ。
そこで、門司港ゲストハウス ポルトのオーナー菊池さんに会いました。
若い、意欲のある、地域想いの青年。
これから、10年かかるかもしれないが、レモンを下関と門司港で栽培し、
「海峡レモン」として売り出そうとされていました。
熊本地震の復興もおこなっておられました。
私が、応援できるのは、助けになる人を紹介することだけですが、
菊池さんを応援していこうと思いました。

ゲストハウス「ウズハウス」の前は、赤間神宮です。
源平壇ノ浦(だんのうら)の合戦で入水された安徳天皇を祭神とする神宮です。
境内には安徳天皇阿弥陀寺御陵、平家一門の墓、七盛塚(ななもりづか)あります。
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吉川英治著「新・平家物語」を再読しているところです。つながるものです。

帰りは、車で海の下を通り、門司港まで送ってもらいました。
車で、関門トンネルを通ったのは初めてでした。
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山口県 山口線SL、厚狭、萩 2022/3/27-29

山口県 山口線SL、厚狭、萩
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〇2022/3/27 日曜日
おはようございます。
本州側に入り、山口線を走る「SLやまぐち号」を見に行きます。
そのあと、戻って、厚狭に入ります。
出発。歩いて門司港駅まで行きます。
桜。
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早朝の門司港です。関門橋が見えました。
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山には雲。晴れてくれるとありがたいです。
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門司港駅前の像。和布(わかめ)を狩りとる神事を表しています。
(説明)毎年旧暦元日の早朝に行われます。横代湯立神楽(よこしろゆたてかぐら)が奉納された後、
3人の神職が干潮の海に降りて鎌でワカメを刈りとり、それを神前に供えて航海の安全、豊漁を祈願します。
漆黒の闇を背景に烏帽子、狩衣、白足袋に草履姿の神職たちが、松明を頼りにワカメを刈りとる様子は幻想的で、
関門海峡両岸の人々に春の訪れが近いことを感じさせてくれます。
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今日、青春18切符5回目を使用します。普通、快速のみ乗車可能です。
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門司で、小倉からきた下関行きに乗り換え。
本州に入りました。
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大学生のころ、東京から西鹿児島行き寝台特急「はやぶさ」、「富士」に乗りました。
東京から下関までの直流区間を牽引した特急機が見えました。
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下関からの山陽本線の電車です。国鉄時代の鉄の車両です。
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新山口駅。
ここは、昔、なんと言っていた駅か、思い出すのに時間がかかりました。
徳山、防府、小郡、長府の順だったなと思いながら、昔の駅名表示板を見つけました。
小郡(おごおり)でした。
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SL蒸気機関車D51の動輪がホームに展示されていました。
山口線は山岳路線。動輪4つのD51が頑張ったところです。
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特急列車が出ていきました。でも2両編成のかわいい特急でした。
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1025、長門峡駅に到着しました。
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長門峡駅は、小さな無人駅です。
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SLが通るのは、正午。
時間があるので、山口寄りの道の駅に行き、長門峡の場所を確認。
長門峡の水は綺麗でした。
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案内所に寄り、手荷物預かりをお聞きすると、無料でスーツケースを預かってくれました。
嬉しかったです。
ここ阿東は、和牛の地。
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11時開店のレストランで、地元牛の牛丼をいただきました。
味は薄目でした。
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夏ミカンのジャムの缶詰。これ好きです。東京の山口県観光物産館で購入しています。
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津和野寄り、JR長門峡駅の先にかかる阿武川をまたぐ鉄橋に来ました。
歩いて5分ぐらい。
一番人気のあるスポットと聞いていました。
川の中に三脚を立てて、撮影される方々がいました。さすがです。
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私の側に来られた白髪のシニアの方とお話をしました。
「地元山口県。74歳。お誕生日の前の日に大腸がんと言われた。
転移しているかもしれないので、三か月毎に検査。
元気なうちに、昔、好きだった鉄道に戻ってきた。
今日は、SL撮影。」と、ご自身の体のことを話してくれました。
「お元気で楽しんでください!」とお伝えしました。

SLやまぐち号は、長門峡駅を1202定刻に出発しました。
来ました!
煙、汽笛。迫力ありました。


長門峡駅12:45発の列車に乗り遅れないように、道の駅にスーツケースを取りに行き、駅に戻ってきました。
民家の脇に、お地蔵さん。昔から祀ってあるんだろうな。民家の塀がここを避けるように作られていました。
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長門峡は、萩までつながっているのか、絵鳥観図が駅舎ホーム側に掛かっていました。
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12:45発の山口行き列車に乗り遅れると、次の列車は、約5時間後の17時台になってしまいます。
一両の気動車がやってきました。
結構多くの人が乗り込みました。

山口で、新山口行きに乗り換え。
新山口で、山陽本線・下関行に乗り換えしますが、次の電車まで時間があります。
セブンイレブンで珈琲を買い、駅中コンサートのピアノ演奏を聞かせていただきました。
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山陽本線。大動脈。でも、昼間は、1時間に1本しか電車はありません。
乗ってみて、確かに、乗客は少なかったです。
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今晩、宿泊させていただく安重(やすしげ)家のある厚狭(あさ)に到着。
(厚狭(あさ)の発音は、朝ではなく麻と同じです。)
静かな駅でした。
駅前に二つの像。
一つは、三年寝太郎像。
(説明)
湿地帯だった厚狭の「千町ヶ原」を瑞々しい水田に変え、村おこしを成し遂げたと伝えられる「寝太郎」。
日本各地に伝わるこのお話は、そのほとんどが民話として語り継がれているだけですが、
厚狭の町では、実在の人物であったかのように「寝太郎」が生活の中に息づいています。
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厚狭の人たちの郷土愛は凄いのは、このお話の精神がずっと繋がれてきたんだと思いました。

二つ目は、 献眼をたたえる碑。
角膜提供のお話です。
日本で初めて行われた角膜移植手術によって、目が見えるようになった人の喜びが存分に表現された詩が刻まれていました。
網膜剥離のレーザー治療をした身にとって感動ものでした。
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駅から、とぼとぼ、東に歩きました。
古い街並みです。歩いている人、自転車に乗っている人はたまに見かける程度。
この道は、山陽道。江戸時代、参勤交代のお殿様の行列が通った道です。
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美祢線の線路にぶつかりました。
明日、ここを走る列車に乗ります。
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厚狭川。
綺麗な水。鳥たちが集まっていました。
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皇后石伝説の石。
古墳時代の伝説。百済の皇子が大和に向かい、そのあとを母君が慕い出帆。折り悪く、舵が破損。
この石でお休みになられ一夜を明かした。
皇子は、山口大内家の元祖。
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山陽道に面した日本酒酒蔵「永山酒造」に、順調にきたので予定より早く到着しました。
「永山酒造」のお店と酒蔵の間口が狭い。
少し先の敷地が空いていたので、確かめてみると、奥に向かって5棟ぐらいありそう。
京都と同じかもと思いました。
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時間があるので、しばらく、店前の椅子に腰掛け、縄文、アイヌの歴史の本を読みました。
16時。ご挨拶。
昨12月、谷口塾で講演いただいた、若き杜氏さん永山源太郎に会うことができました。
蔵を見せてくれました。ありがたい!
日本酒造りは、EXCELシートを活用し、目指すいろいろな日本酒を順繰りに造っていくんだそうです。
少量多品種生産です。
日本酒を絞ったばかりのこの時期。酒粕です。
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瓶詰機。
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タンク。
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樽がありました。焼酎がはいっているそうです。
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米を蒸す機械。
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麹室(こうじむろ)。蒸した米に麹菌をふりかける部屋です。
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ほとんど瓶詰され貯蔵された時期ですが、発酵している日本酒をタンクの上から覗かせていただきました。
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使用している米は、山田錦ではなく、穀良都。
(説明)
この米は、明治二十二年、山口市小鯖の伊藤音市さんが、兵庫県から伝わった稲の品種改良に成功し、誕生したのが「穀良都」です。
以来優秀な山口米として、明治末から昭和初期にかけ西日本一帯や朝鮮半島で栽培され、昭和天皇即位の際には献穀米になった由緒ある品種だったが、
新品種が次々登場し、また、稲穂が高く、栽培に手数が掛かるため戦後は次第に栽培されなくなり、幻の米となっていました。
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源太郎さんが、180cm背丈なので、背丈の高い稲というのがわかっていただけるとよいです。
背丈の高い稲は、風水害に弱いです。倒れやすい。
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水は、先ほど鳥のいた厚狭川の水。秋吉台カルスト台地を通った硬質の水。
店舗に飾ってあるお雛様。
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ワイナリーに連れていってもらいました。
シャルドネ、カベルネソーヴィニヨンを栽培していました。
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もう、葡萄の樹は水を吸い始めていました。
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猪、鹿が多いんだそうです。
その野生動物は、実は永山家の裏山に住んでいると思いました。
自然が豊か。
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敷地が広い。滝がありました。
元、永山家の別荘だったところと説明を受けました。
石碑もある。
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ステンレスタンク。
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地下に、年代物のワインボトルが貯蔵されていました。
ワイン分かる人がいれば、楽しいと思います。
見学の機会、ありがとうございました。
今晩のお酒として蔵限定の日本酒を購入しました。お母様に、安重家まで車で送ってもらいました。
ありがとうございました。

安重家も敷地が広い。
山陽新幹線の架線が見えました。
なんと、東京では見ることのできない500系が通過していきました。
入ったトンネルの上の敷地は、安重家のものと、前回教わりました。
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夕食をご馳走になりました。お嬢様、勤め先の友人もご一緒。
瓦焼きそば。
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南国フルーツの中尾社長自ら試食し、選んでくれた苺二種。
「佐賀 淡雪」、「福岡 あまおう」。
「熊本 デコポン」も良い香り。
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夜も更けてきました。 休ませていただきました。おやすみなさい。
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〇2022/3/28 月曜日

おはようございます。
厚狭から東萩に向かいました。

厚狭駅まで送ってもらいました。
厚狭07:34発美祢線・長門市行に乗れました。二両編成。
「私たちの美祢線」の横断幕が途中駅に掛けられていました。
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美祢駅に到着。少し停車しました。
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行き違いの列車です。
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重安駅を発見。安重家と縁があるのかないのか。
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線路は続きます。
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トンネル。
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赤茶色の瓦が目立ってきました。
山陽から山陰に入ってきたと感じました。
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峠を上ります。
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山里の桜は、和みます。
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長門市駅に08:47到着。
山陰本線と美祢線が合流します。
ダイヤ改正前は、乗って来た列車が山陰本線の東萩まで行ってました。
今は、長門市駅止まり。
山陰本線の本数は極端に少ないです。
ここから、こちらも本数は少ないですが、バスで東萩を目指します。
乗換えわずか4分。トイレに行って急いで戻ってみると、まだ来ていませんでした。安堵!
店先で甘夏を売っていました。長州藩のイメージです。
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防長バスが来ました。
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日本海も波打ち際を走るところがありました。
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川。白鳥が飛び立つ瞬間です。
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山陰本線の鉄橋。ここ、写真撮影に良いところと思いました。
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バスは、山や海際を走ってきました。
街中に入り、萩バスセンターに到着。
宿泊する萩ゲストハウスrucoは、バスセンターの近くです。良かったです。
スーツケースを預け、町歩きに出かけました。

高札場跡がありました。
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市内を廻るバスが2系統あり、30分間隔。一日券500円というので、購入しました。
早速、乗りました。
萩城址のある指月山が見えました。
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萩博物館で下車。ここは、城の中に位置します。
田中儀一の立派な銅像。
読んだ本では、あまり良い印象を持たなかった第26代総理大臣。
在任中,共産党大弾圧,治安維持法改正,張作霖爆殺事件がありました。
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これ、壕、掘です。
ここから外は町。
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旧久保田家住宅。江戸時代後期の建物。
屋根裏に使用人の寝間を設けた。背丈の高い建物。
呉服商から酒造業。
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豪華な雛人形です。
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萩城の写真がありました。
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家の前は、旧御成道(参勤交代のメインストリート)。
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向かい側の菊屋家住宅。江戸時代前期の建物。
藩御用達を勤めた豪商。奥に向かって、ナマコ塀が続いていました。
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小道を歩くと、夏ミカンが実っていました。
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高杉晋作誕生地。
住宅の位置は、城に近い。下級武士の出身ではありません。
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藩校明倫館、松下村塾門下生。奇兵隊創設者。
枠にとらわれないで、長州、日本のために動いた人と思っています。
29歳の若さで亡くなっています。
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幕府からの手配書と人相書きが展示されていました。
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木戸孝允誕生地。見学はできませんでした。
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青木研蔵、周蔵の家。
研蔵は、蘭学者、医者。長州藩で初めて種痘をしています。
明治天皇の大典医を勤めています。
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養子周蔵は、外交官。ドイツ人の女性と結婚。
那須の旧青木家那須別邸がこの人の別荘でした。奥さんのために建てたということでした。
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円政寺。
伊藤博文が読み書きを習い、幼少期の高杉晋作が遊んでいたという逸話が残る真言宗御室派の寺院。
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藩校明倫館に出てきました。
旧萩藩校明倫館南門。
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萩 明倫学舎。
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映画「長州ファイブ」で使われた洋服が飾ってありました。
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論語。
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この絵は何かと思いました。
外国からの侵略を阻止するため、女性陣が土嚢を積んだことを表す絵と知りました。
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バスセンターに戻ってきました。
昼食に、教えてもらった、うどん店に行ってみました。
天ぷらうどんを注文している人はいませんでした。
敢えて注文。失敗。衣だらけ。地元の皆さんが注文する、かやくうどんにしておけばよかったです。
わかめむすびは、みんなが注文している。これは美味しい。
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港で栄えた商家町、浜崎へバスに乗って行ってみました。
藤井家主屋。海産物問屋。
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中村船具店。
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旧山中家住宅。
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旧山村家住宅。
お話を聞くことができました。
家の前の道は、お殿様が御座船に乗る時、通る道。城に向かってのこの道は先でゆるやかに曲がっていました。
家の横は、海続き(入江)だった。(現在、そこは広い道。)
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北前船が海から川まで入ってきて、荷を下ろしていった。
対岸の代官所に一度物資が集まり、それを商いする町。
最初、漁師町と思っていました。浜崎ですから。
旧萩藩御船倉。
入江に面した屋根付き船保管庫兼波止場ですね。
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町に、住吉神社がありました。
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梅屋七兵衛旧宅。
幕末に、英国から千丁の鉄砲を購入した武具方御用商人です。
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バスに乗るために、北前船が停泊した川に出てきました。
漁船。
ちょうど、作業服を着た方が休憩中だったので、この船の用途を聞いてみると、
「海女さんの船。一人で、目的地まで行って、錨を下ろして海に潜る。うに、アワビをとる。」
と教えてくれました。
鯛とかイカの釣り船だろうなと最初思っていました。
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餌は豊富。大きな鳥が空を舞っていました。
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町の東側に、バスで移動。
松陰神社です。
西暦1907年に創建された吉田松陰を祀る神社です。
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松下村塾が松陰神社の中にありました。
長州藩の藩校「明倫館」の師範を務めた吉田松陰先生が教えた松下村塾。
世界遺産となっていました。
伊藤博文など明治維新を成し遂げた偉人たちが学んだ私塾です。
ここで学んだ人たちが、新しい日本(明治)を創ったことに感動しました。
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杉家旧宅
吉田松陰幽囚の旧宅です。
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吉田松陰が幽囚された場所は、ここ三畳一間の狭い空間でした。
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学びの道には、吉田松陰の言葉が飾ってありました。
孝行竹。根が横に伸びず、縦に伸びる。筍は親竹の周囲に出てくる。
親を守る竹。
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バス乗換えのため、一度、市役所に行ってみました。
市役所内に提灯が飾ってありました。

萩城跡。
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城内に位置する旧厚狭毛利家萩屋敷長屋。
前回、厚狭で、毛利家の家に連れていってもらいました。
萩のお殿様の子息が知行として厚狭を治めていたというのが、ここに来てわかりました。
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城に一番近い堀内伝承地区。
毛利輝元の墓所。天樹院。
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旧毛利家別邸。
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浜。
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城から続く道。
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旧周布家長屋門。
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旧増田家物見櫓。
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萩城 北の総門。
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鴨の夫婦が、道を横切り、土手を下っていきました。のどか。
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旧久保田家などがある町に出てきました。
着物姿で散策する女性達がいました。人力車もいました。
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アーケードが見えてきました。
毛利公という銘菓があった印です。
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高札場に出てきました。
歩いてきた道が、城から町にでるメインストリートでした。

宿泊する萩ゲストハウスrucoは、昔の音楽スタジオのビルを改装したとか。
町の職人さんの協力を得て、すてきに改装されていました。
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夜、スタッフの方と、ゲストハウス、萩の町の今後を話し合いました。
有用でした。ありがとうございました。
  
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〇2022/3/29火曜日
おはようございます。
東萩744発益田行きに乗ります。
これに乗らないと、萩石見空港からの午前中の飛行機に乗れません。

バスセンター裏手のタバコ屋さん。おばさんが店番していました。
山口新聞売ってました。
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駅まで、100円バス第一便に乗りました。
これに乗らないと、東萩からの列車に乗れません。
東萩駅。
豪華観光列車の瑞風(みずかぜ)が停車する駅。
一方、東萩から益田方面は、一日8本しかありません。
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益田行きが来ました。キハ47。
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日本海は絵になります。
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水が綺麗。
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気づいたら、乗客がいませんでした。貸し切り状態。
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海沿いの家屋の屋根を見ると、赤茶の瓦でした。
益田駅到着。
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一日2本の空港行きバスに乗れました。
バスの中から、鉄橋を渡る山陰本線の列車をみることができました。
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ANA機は、一度、日本海に出て、山陰沿岸を東に飛んで、琵琶湖を横切り、名古屋を通って羽田に向かいました。
(あっていますかね。)
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安重家の皆様、萩ゲストハウスrucoのスタッフの皆様、お世話になりました。
郷土愛の強さ、しっかり感じました。有益な旅でした。
ありがとうございました。

青春18切符の旅 銚子電鉄を訪ねる。 2022/3/12

青春18切符の旅 銚子電鉄を訪ねる。 2022/3/12

銚子電鉄。
銚子駅 - 外川駅 6.4km、単線。
副業の銚子電鉄ブランドによる食品事業によって経営を維持しており、年5億円程度の売上高のうち鉄道以外が8割を占める。
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〇2022/3/12 土曜日
おはようございます。
今日は、気温が上がると予想されています。
でも、朝が早いので、まだ寒いです。

今日は、ダイヤ改正の日。
鴨居から東神奈川まで、横浜線。青春18切符、三回目です。

東神奈川での乗り換えが、反対ホームになっていました。
横浜07:41発横須賀線・成田空港行に乗りました。
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佐倉で、特急車両に抜かれました。
ここまで運転してきた運転士は、特急が出ていくまで、見送っていました。
帰宅後、時刻表を見ると、新宿発の臨時特急・北総江戸紀行でした。今日3/12、3/27の運転です。
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成田09:30着。千葉方面に向かう特急・成田エクスプレスが成田駅を通過していきました。
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成田09:41発成田線・銚子行に乗り換えました。
銚子10:56着。
写真に写っている駅員さんは、JR東日本の方。
降りてその先の銚子電鉄のホームに向かうと、銚子までの切符を改めていました。
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銚子電鉄の銚子駅。標語は、「絶対にあきらめない。」
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短いホーム。JR東日本のホームの一部を間借りしている感じでした。
このホームを歩いて、JR東日本の運転士は、銚子電車区に歩いて行かれました。
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銚子1115発の電車がやってきました。
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車掌さんから、一日券を購入しました。
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二両のうちの一両の車内は、ピンク色!
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つり革は、一つだけ、ピンク色のハート型でした。
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仲ノ町(なかのちょう)駅。
車庫がありました。これ2軸の電気機関車です。
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休んでいた車両。
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本銚子(もとちょうし)駅。
駅名表示板は、こうなっていました。
「上り調子 本調子 京葉東和薬品」
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笠上里生(かさがみくろはえ)駅。
駅名表示板は、こうなっていました。
「髪毛黒生」
羨ましいです♪
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駅長は、列車交換用タブレットを持っていました。運行に、使っているのかな。
駅長の御供でしょう。子犬が駅を守っていました。
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犬吠1135着。外川に向かって走っていきました。
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改札口を出ると、社長の写真がありました。現場に出ているな。
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乗って来た、外川からの折り返し、銚子行きを、キャベツ畑の側道から撮影しました。
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犬吠崎灯台まで歩きました。
太平洋です。
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灯台が見えました。
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バイクのツーリング、盛んです。
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入場料を支払い、敷地内へ。
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明治7年(1874年)、イギリス人技師ブラントンの設計でつくられた高さ約32メートルのレンガづくりの西洋式灯台。
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登ってみました。99段。
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上からの眺めは、少し怖いくらいでした。
30mぐらいなんですが、風が強い。
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海の色が変わっているところがありました。海底がぐっと深くなる境ですかね。専門家のご指摘いただきたいです。
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初代の灯り。
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犬吠崎灯台の光達距離は、19.5海里(約36km)だそうです。東京駅ー横浜駅間より遠くまで光が届く。
霧笛の装置。霧が出て、灯りが船に届かない時、霧笛で灯台の位置を知らせる。
航海の安全を祈ります。
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銚子付近の海図。海図を読めるようになると、楽しいかもです。
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ポストも白色でした。
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犬吠駅に戻ってきました。
木金土だけ営業している犬吠駅併設のたい焼き屋さんがありました。
一つ買いました。
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この花を見ながら、食べました。
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犬吠1240発の電車がやってきました。
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終点、外川1242着。
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古い車両が置かれていました。
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外川駅。駅前に桜。ソメイヨシノと思います。どうでしょうか?
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桜と電車。
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「1246発の電車が出ますよ!」との掛け声がありました。脇からホームに入り、乗り込みました。
この車両は、京王帝都-四国の伊予鉄道-銚子電鉄と渡り歩いて(走って)きたようです。
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ここ銚子は、ヤマサ醤油の本拠地ですね。
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銚子駅に戻ってきました。
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これから乗車するお客さんです。
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銚子で降りて、駅に近い吉原食堂へ。
街のおじさんたちが、昼間からビールを飲みに来る食堂と、Googleに書いてあったので、行ってみました。
お一人そういう方がおられましたが、あと5名は若者でした。
鯵フライ定食を注文。
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日帰りの旅。銚子13:49発総武本線・千葉行きに乗れました。
千葉に、成田線経由のほうが早く着くのか、総武本線のほうが早く着くのか、わかりません。
とにかく乗りました。
車窓は、早春ということもあり、畑は土色、埃っぽいというの、成田線も総武本線も変わりはありませんでした。
千葉から久里浜行きに乗って、横浜に戻りました。この車両も新しい車両に置き換わっていきます。
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やはり、一泊して、落ち着いて、現地を見る旅がいいですね。
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飯山線に乗る旅。2022/3/5-6。

飯山線に乗る旅。2022/3/5-6。

青春18切符を購入し、普通列車に乗る鉄道旅をしました。
3/5:横浜-(東海道線、高崎線)-高崎-水上-(上越線)-越後川口-(飯山線)-飯山  約10時間
3/6:蓮-(飯山線、しなの鉄道)-長野-(篠ノ井線)-松本-(中央線)-高尾-八王子-(横浜線)-鴨居 約7時間
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〇2022/3/5土曜日
起床04:20。おはようございます。
まだバスは動いていないので、最寄り駅まで30分歩きます。
相鉄線・鶴ヶ峰05:14発横浜行きに乗れました。
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横浜駅。
小田原方面の下りホームに、早朝から多くの人がいました。
私と同じ、青春18切符を持って鉄道旅する人がいると思います。
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横浜05:53発東海道本線(上野東京ライン)・前橋行です。
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大宮の手前で、往年の特急牽引機EF65の1000番台が大事なガソリンを運ぶ貨物列車を牽引するのが見えました。
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高崎08:23発上越線・水上行に乗り換えました。
利根川沿いに電車は走っていきます。川幅は広い。
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小さな水力発電所。
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雪山が見えてきました。谷川岳方面です。
写真左の背の高い真っ白な山が谷川岳と思います。
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水上の手前、諏訪峡。川幅は狭くなっています。
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水上駅到着。皆さん、乗換えのために、狭いホームをダッシュ。
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水上09:44発上越線・長岡行に乗れました。
清水トンネルを抜けて運転される数少ない電車です。
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水上駅の雪、多かったです。静態展示の蒸気機関車も上しか見えていませんでした。
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土合駅です。ここ下りホームは、新清水トンネル内にあります。
駅舎(地上)には10分ほど階段を上らないと到達できません。
「日本一のモグラ駅]」として親しまれています。
降りた乗客がいました。あまり本数がありません。時刻表を見て計画されていると思います。
出発すると、撮影されていました。
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越後湯沢駅に近づいてきました。
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車窓は、雪景色。
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六日町。北越急行線、犀潟行き1両編成の気動車が見えました。
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只見方面の山は、深い雪のようです。
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上越線の駅ホーム。
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越後川口駅に11:23到着しました。
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昼間時間帯は、無人駅でした。窓口が閉まっていました。
駅前通りを歩いて食堂を探しました。開いていたのは、国道沿いの蕎麦屋さんだけでした。
ここで、朝食&昼食。
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これは、信濃川とすぐ先で合流する魚野川の堤です。
雪が高く積まれていました。
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除雪された雪。量にびっくり。
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橋まで行くと、川が見れると思い、歩いてみました。
除雪された雪。歩道でさえ、この高さです。
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やっと、魚野川に到達。鉄橋は、飯山線の鉄橋です。
今度、列車撮影してみたいです。
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上越線を驀進する回送の気動車がありました。時刻表には載っていません。
只見線の気動車かもしれません。
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越後川口駅に戻ってきました。
飯山線のホームへ。
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車庫にラッセル車が見えました。宗谷本線で見るラッセル車と比べ、小型。軽量にも見えます。
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上越線上り列車がきました。
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乗車する飯山線の気動車がやってきました。折り返しです。
二両のうち一両は、観光列車に使用する、おいこっとの車両でした。
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今日の昼間も、除雪作業のため、運休している時間帯があると、スマホで見ました。
この列車から運転再開と思います。
越後川口13:10発飯山線・戸狩野沢温泉行です。
列車からの魚野川です。
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除雪された雪の高さは、住居一階分はあります。
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大豪雪地帯の津南。車窓。
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雪の量から想像し、鉄道運行のため、道路通行のため、雪国の除雪は大仕事と思いました。

トンネル。
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信濃川。
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雲の中に、ぽっかり穴があるように見えました。
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戸狩野沢温泉に到着。
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この先は、長野行きに乗り換えです。
長野行きがやってきました。15:39発飯山線・長野行に乗りました。
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飯山に到着。
北陸新幹線が停車する駅です。近代的です。
改札を出てみると、北陸方面は風が強いため、北陸新幹線は一時運転を取りやめていました。
来るはずの東京行きは、まだ糸魚川に停車していると、駅員が言っていました。
冬は、一日一日、天候が変わり、要注意と思いました。
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だるまストーブが飾ってありました。どこで使われていたのか。
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今晩の宿は、信州中野のゲストハウス「かのか」。
オーナー高橋さんに教えてもらったバスで、向かいました。
飯山駅前1710発の長野電鉄バス中野木島線。
乗車したのは、私だけ。(あとでお聞きすると、高校生が通学で乗るということでした。今日は土曜日でした。)
金井で下車。いつも車で来ているので、バス停があるのに気づきませんでした。
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火事の時、叩いて火事を知らせる鐘がありました。アナログのものですが、これはいいなあと思いました。
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宿に到着。
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温かいお風呂がありがたかったです。
夜は、オーナーの高橋さんと、鉄道談義しました。
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〇2022/3/6日曜日
今朝は、雪。
宿にとっては多忙な早朝に、高橋さんに、飯山線の蓮(はちす)駅まで送っていただきました。
ありがとうございました。
飯山線の線路がお寺の境内を通っています。
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樹の芽。
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みどりの窓口が消えていきますね。オンラインでサポートしてくれる自動券売機。サポーターのコールセンターはどこにあるのだろう?
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蓮(はちす)06:46発飯山線・長野行が、雪擦る中やって来ました。
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途中の豊野から長野は、第3セクターしなの鉄道。
青春18切符は使えません。車掌さんから260円の切符を購入しました。
信濃川。
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三才駅。最初、アナウンスで何言ってるんだろうと思いました。
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長野駅。階段の下に駅蕎麦。残って欲しいです。
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長野07:48発篠ノ井線・松本行に乗りました。
(小諸、軽井沢に向かう元信越線ルートは、現在、しなの鉄道。青春18切符は使えません。残念です。)
川中島付近。桃の産地なんですね。
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篠ノ井線の女性運転士は、向こうからやって来る電車の運転士に、手を振っていました。
こういうのいいなぁと思いました。新幹線ではこうはいかないです。
この駅のホームは、昔、レンガ造り。汽車の時代、低いホームだったと想像しました。
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日本三大車窓の一つは、雪降る曇天下でした。棚田です。
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姥捨駅。
スイッチバック。
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乗っていた電車は、一度待避線に入り、運転士は移動せずそのままで、後ろ向きで、ホームに入っていきました。
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松本09:39発高尾行に乗りました。
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車内は、すいていました。
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小淵沢駅。八ヶ岳。
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元気甲斐の駅弁屋さん。名前がいいですね。
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韮崎付近で、富士山が見えました。
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甲府駅。
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春日居の桃畑。今年も、美味しい桃の実がなりますように。4月の霜は厳禁です。
地面の紫色の花は、ホトケノザですかね。
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勝沼ぶどう郷駅。今年も、葡萄栽培うまくいきますように。
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大月駅。
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特急に抜かれました。
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13:17に、高尾に到着しました。
やっと戻ってきました、という心持ちでした。

バス停から自宅に戻る道に、菜の花。
春近いですね。
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車窓を見ながら、時に眠ったり、本を読んだり、普通列車の旅をさせていただきました。

塩狩:網走、塩狩 2022/2/22-26

○2022/2/24木
朝6時。おはようございます。
部屋から、石北線の線路が見えます。
キハ40気動車が駅に入って来ました。
石北線は運転されるとの予感です。
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テレビを見ると、新千歳空港、札幌が大変なことになっていました。
昨日、飛行機で新千歳空港に到着しても、鉄道が運休。空港で夜を明かした人、午前3時過ぎに運転された臨時電車で市内に移動した人。が映っていました。
お疲れさまでした。
まだ、今日の札幌発着の鉄道は運休と報道されていました。

朝食を食べて、駅へ。
ダンプカーに除雪された大量の雪。冬のインフラ整備は大変と思いました。P1106036.jpg
運転案内板に、08:06大雪2号の文字。
運転されます!安堵しました。
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釧網線は今日も運休でした。

紫水号が止まっていました。昨夏、宗谷本線、臨時急行「はなたび宗谷」が走りませんでした。復活欲しいです。
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旭川行き特急列車が入線しました。
261系気動車。
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増結1両付いていました。自由席。
お洒落な内装でした。
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指定席は、充電コンセントが用意されていました。

除雪作業の保守員さん達、出動です。緑色の雪かきを持っています。
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北見からの普通列車が到着しました。
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今日は学生さんたちは学校に行けます。
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定刻に出発。
網走川に白鳥。
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北見に近い美幌の玉ねぎ専用倉庫。北見地区は、日本の食卓の玉ねぎを供給してくれています。
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雪原の中を列車は走ります。
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留辺蘂駅。ホームの屋根は木造。
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遠軽。
左手に断崖の岩。頂に、鳥居が見えました。
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ここで、進行方向が逆になります。
3分停車。奥に、ラッセル車が見えました。
昔の駅そばのスタンドは残っていました。(ずっと前に廃業しています。)
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左に網走方向の線路を見ながら、右の旭川方向に列車は進みました。
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丸瀬布。
森林鉄道時代の蒸気機関車「雨宮21号」が残っている町です。北海道遺産です。
夏に見に来たいです。
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行き違いの網走行き特急列車が遅れていました。こちらは待機。
来ました。一番古い特急列車用気動車です。
もうすぐ引退です。
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白滝付近は、峠越え。雪を舞い上げて、列車は進みます。昔、ここを蒸気機関車が客車を牽引していたと思うと、その苦労を察します。
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峠を越えました。

川は一部凍っていました。
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旭川に20分遅れ到着。
「札幌行き特急列車12:00発への待ち合わせはしない。」との車内放送がありました。

宗谷本線に乗り換えました。
旭川12:31発名寄行きが入線しました。
和寒に向かいます。
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札幌からの特急列車の到着を待って出発。
蘭留(らんる)を過ぎ、塩狩峠に差し掛かりました。
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塩狩駅停車。
列車から、今日宿泊する塩狩ヒュッテが見えました。。
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和寒駅到着。
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駅前通りを木材を積んだトラックが通っていきました。
和寒町は、木材の街。木材の加工施設があります。
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駅前の食堂「つたや」で昼食。昔、和寒駅で駅弁を出していたお店。
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飾ってある写真が素晴らしい。三重連の蒸気機関車が牽引する列車。お母さんのお話では石北線とのことでした。
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和寒駅14:04発特急サロベツ1号。
今日は、特急列車用車両の代わりに、普通列車用キハ54の2両が代行するというものでした。
車両の横につくサボは、「臨時」と見えました。
冬の北海道。鉄道にとって過酷な環境です。
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郷土資料館に向かいました。
あいさつ通り。
下校の小学生、大人の人。こんにちはと声をかけると、あいさつしてくれました。
できているこの街。
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和寒小学校。
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資料館脇に、大きな物体にカバーがかかっていました。形から蒸気機関車とわかりました。併設の蒸気機関車 D51-337。
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建物に入ると、そこは教育委員会の建物でした。
郷土資料館を見たいと告げると、職員の方が靴を履き替え、鍵を持って、資料館に案内してくれました。
蒸気機関車は、年に二度、磨く作業をしているそうです。ボランティアの方もいるそうです。

資料館を開けて、灯りをつけていただきました。
お仕事があると思い、一人で見ます。と伝え、一人で見学しました。

暗い部屋の中に、アイヌに深い関係のあるハルニレの樹がありました。樹齢700年。
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(説明)
アイヌはハルニレをチキサニ(われら擦る木)と呼び、ハルニレ材を摩擦させる発火法で火を起こしていた。
アイヌの伝承によれば、天地創造の折、地上に最初に生えた木はハルニレであり、
そのハルニレにカンナカムイ(雷神)が恋をして(落雷)起った炎から、アイヌの英雄神・オキクルミが生まれたという。

和寒町の名前の由来の樹、オヒョウの樹は見ることができませんでした。
(説明)
at-sam(オヒョウの・傍)が転じて wat-sam になった、という説が有力なようです。
「オヒョウ」は楡の木の一種ですが、樹皮から紡いだ糸で「アツシ織り」ができるため珍重されたようです。

石器が発見されています。
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昔の生活が再現されていました。
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年表から、1969年に塩狩小学校が閉鎖されたとわかりました。
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挨拶して、退出しました。

図書館に向かいました。
郷土資料を読んでわかったこと。
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和寒町は、現在の隣町の剣淵町から分離してできた町。
剣淵地方は、赤楊(ハンノキ)。薪炭、染料。
和寒地方は、白楊(ドロノキ)。マッチの添え木、丸木舟、実の綿は座布団用。

塩狩峠。
マタルクシケネプチ。
アイヌ民族が冬季のみ利用する交通路。
雪が降ると、笹や低木が雪の下になり、移動容易となると推測。

塩狩温泉
大正10年 放牧中の牛が好んで飲んだ。
また逆にそこの水だけ飲まなかった。
のが発見のきっかけ。
2種類の源泉があった。
①酸性泉 現浴場から線路に向かっての所。
②塩狩駅から旭川方面100m緑ばん泉。
 皮膚病に効く。胃腸病 婦人病。
昭和元年の乗降客数9300人。宿泊温泉が目的。
あとで、塩狩ヒュッテのご主人が、関係者と一緒に、緑ばん泉源泉を探したが見つからなかったと、お聞きしました。

ペオッペ駅逓。
鉄道が開通する前の明治時代に、馬を用意し、旅人への移動手段提供、郵便を提供。

下りのラッセル車があります。
駅に向かいました。
10分遅れで来ました。
時刻表に載っていないダイヤ:和寒 1600着 1620発 
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差し入れの苺をホクレンで購入。
越冬キャベツありました。
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「マツコの知らない世界」の番組で取り上げられたんですね。
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和寒16:38の旭川行きバスに乗れました。
お客さんは二人。
ご婦人が、先に降りられました。
歩いて家に戻られると思います。でも、近くに人家は見当たりませんでした。
車を運転されない、できない人にとって、本数が少なくても公共交通は大事です。
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塩狩で下車。
バスは塩狩峠を登っていきました。
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三浦綾子記念館。雪の中でした。
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塩狩ヒュッテに到着しました。
ごぶさたです。
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塩狩駅、下り上り共に17:19列車の撮影をしに、駅に行ってみました。
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待合室に、ひざ掛けがありました。
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塩狩駅に到着した下り普通列車。
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塩狩峠を下っていく上り普通列車。
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夕食。焼いたキャベツもいいですね!
料理、ご飯、美味しいです。
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いただいた塩狩周辺ガイド旧版。
字が小さいので、正確には場所を把握できていませんが、和寒から西方向に少し奥に行くと、ハルニレやオヒョウが生えている所がありそうです。
廃線となった深名線(しんめいせん)の駅跡もありそうです。
次回は、レンタカー借りましょう。

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○2022/2/25金
5時。上りラッセル車が来ます。
暗い中、速度を落としてやってきました。
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日の出後、いったん晴れました。
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塩狩06:43発JR宗谷本線・稚内行に乗りました。毎日、この一両だけが普通列車で稚内まで運転されます。
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剣淵で下車。
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剣淵駅。絵本の街です。
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剣淵
プチ」(=ブチ)は puchi(河口)ではないかとして、kene-pet-puchi(はんのき・川の・河口)の「pet」が省略されて kene-puchi になったのではとの説。

剣淵07:19発JR宗谷本線・旭川行で戻りました。
たくさんの高校生が乗車しました。
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塩狩07:36着。
昨夜、宿泊していたご夫婦が乗ってきました。紋別の流氷を見に行かれると言っておられました。行ってらっしゃいませ。
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朝食。ゆめぴりか、大盛で食べました。
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今日は一日、塩狩ヒュッテ滞在です。
薪ストーブのお守りの役です。
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火を絶やさないように薪をくべていきます。
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昼食に、朝のごはんで、特別に塩おにぎりを作らせてもらいました。

下り922 通過特急宗谷。
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上り09:59通過特急サロベツ2号。
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上り1158旭川行きが2番線ホームに到着。
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下り1157通過名寄行き。雪舞う中、雪を巻き上げ通過していきました。
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5分遅れの15:15に、下りラッセル車が2番線に到着しました。
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三両で一体のラッセル車。
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1番線を、15:29に上り列車が通過していきました。
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長野正雄氏殉職の碑。明治時代、塩狩峠で汽車の連結器がはずれ、客車一両が坂を滑るように猛スピードで下っていきました。
客車転覆を防ぐために、長野氏が自ら飛び込んで客車を止めました。三浦綾子著「塩狩峠」に描かれました。
2/28が命日です。
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15:50、下りラッセル車が発車していきました。薪ストーブに当たりながら撮影しました。
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今日は早くお風呂に入りました。
温かい湯に浸かり、温まりました。
夕食。今日も美味しくいただきました。
ありがとうございます。

部屋から見える夜の普通列車です。
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○2022/2/26土
おはようございます。
当初予約していた旭川空港一番の羽田行き飛行機は、事前に欠航が決まり、
午後の便に自動的に振替られました。
そこで、美瑛駅に寄って、そこからバスで旭川空港へ出ることにしました。

塩狩 07:37の宗谷本線・旭川行に乗りました。
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旭川08:15着。
旭川駅職員の女性に、塩狩→美瑛の切符の買い方を自動販売機で教えてもらいました。
難しかったです。
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富良野線のホームに行ってみました。
止まっていた車両は、一部塗装がはがれていました。
JR北海道の事情が少し理解できる場面でした。
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08:43発富良野線・美瑛行に乗りました。
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途中駅の駅前。自転車は雪の中。
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富良野線では、至る所に野生動物の足跡が見えました。
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美瑛到着。
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除雪作業に、多くの人が線路に降りていました。機械ではできない除雪がたくさんあります。
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美瑛駅長さん(元、永山駅長さん。無人の塩狩駅を管轄されていました。)は、今日はお休みの日でした。
塩狩ヒュッテのポストカードに、「また来ます。」と書いて、若手駅員に駅長さんに渡してくれてとお願いしました。

駅からすぐの壺屋美瑛支店(麦菓堂)で、パンを購入。
かぼちゃパンをお土産に買いました。
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旭川行きの列車です。
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出発していきました。
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美瑛駅表口の反対側にバス停があります。
旭川空港を経由するバス「ラベンダー号」を待っていると、富良野行き普通列車が到着しました。
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10:19バスで旭川空港に向かいました。
旭川空港に無事到着。羽田行きの飛行機に乗れます!
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大雪で大混乱の北海道でした。
札幌近郊、新千歳空港は、人数も多いので大変だったと思います。
その中、なんとか移動できたこと、ありがたかったです。
冬の北海道は、日程に余裕をもつか、一か所訪問が無難と思った次第です。
冬の北海道、良かったです♪