佐渡 佐渡金山 2018/8/5

○2018/8/5日曜日
おはようございます。
曇りです。
画像

外海府を南下しました。
海水浴場のところにある大きな岩が二つ。しめ縄が結ばれていました。
画像

平根崎。波蝕風穴群。
画像

尖閣湾。波が荒く、小さな遊覧船が波に揺られていました。
画像

千畳敷。防波堤の先にありました。
画像


佐渡奉行所に行く手前で、近代の遺産に遭遇しました。緑の草で覆われていましたが、近代のすごさを見せつけられました。
選鉱場跡。佐渡金山(明治以降の坑道)で掘り出された金銀鉱から、金銀を取り出すおおがかりな仕掛けです。
画像

50mシックナ―。ざるで回しながら砂金を探すことをしますが、それと同じ仕掛け。水を流し回す、遠心分離機ですね。
画像

道具を修理した工場の跡。鉄を精製していたと書かれていました。
画像


佐渡奉行所。復元です。
画像

画像

相川。江戸幕府の直轄領(天領)。
江戸幕府は、金銀山と佐渡一国を治めるために相川に佐渡奉行所を置きました。
佐渡奉行所には、金銀山の管理と行政を行う役所(御役所)と、金や銀を選鉱する工場(勝場(せりば))、奉行の住まい(御陣屋)がありました。
徳川幕府の財政の相当な部分をここが担っていたと説明がありました。
高台に位置する奉行所の下。相川に5万人とか住んでいたと聞こえました。
画像

お白洲もありました。
画像

工場(勝場 せりば)。木綿を敷いた樋に金銀がまざった泥状のものを流し、分離していく装置です。
画像

説明員が持たれているすり鉢の中に、その泥がはいっています。臼で挽いたあとの状態です。
画像


佐渡金山に向かいました。
金山というので、金だけという単純な先入観がありました。金と銀です。
江戸時代という単純な先入観がありました。近代の坑道は別にありました。
山が二つに割れているのが見えました。
道遊の割戸。
金が山の頂にあったので、山の上から露天掘り。下まで掘った。二つに山を分けてしまった。人間の欲深さと聞きました。
画像

佐渡金山の江戸時代の坑道:宗太夫抗(そうだゆうこう)です。
画像

人形が当時を再現していました。竪穴。
画像

虫眼鏡で見た金鉱石。
画像

佐渡金山の坑道の中は、気温が10℃前後。その影響か、涼しい風がでてきます。紫陽花が咲いていました。
画像

近代の坑道:道遊抗(どうゆうこう)で活躍したトロッコです。
明治から平成元年まで操業されていました。
画像

道遊の割戸を下から見ると、真ん中に穴が開いていました。明治時代、掘ったんですね。
画像


別の近代の遺産が、ここから見えました。
画像


トキの森公園に行きました。
絶滅した日本のトキのはく製。
画像

中国からの協力で、飼育、放鳥されるトキ。
画像

親子で飼育されているトキ。
子供だそうです。羽が少し灰色。
画像

お母さん。
画像

人間も鳥も昆虫も生きていける里山を残す。大事です。プロジェクトが進んでいました。

帰り、塩工場に出くわしました。
画像

ご主人が、快く、説明、3種類の塩を味見させてくれました。佐渡の海で作られた塩を、売店で買い求めました。
画像


ユースで、夕食に、さざえのつぼ焼きを出してくれました。
画像

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック