宮城県 白石城、吉岡宿 2020/7/31

吉岡宿の家屋。
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〇2020/7/31 金曜日
おはようございます。
雨続き。
美味しい朝食をいただきました。
一人分用意してもらうの、ありがたいです。
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出発。
桃の畑を覗いてみました。雨の影響で、確かに色づきが白っぽい。
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近くの川の流れは急でした。
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高湯温泉共同浴場あったか湯にやってきました。
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硫黄の匂い。
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福島応援クーポンを入手できました。
クーポンを使って入浴させていただきました。良い湯でした。
お湯の色は、少し濁のエメラルドグリーン。ブルーも混じっていました。
ph2.5の硫黄泉。体が硫黄の匂い。(笑)

JAに立ち寄って、福島の桃を箱で購入。品種は、「あかつき」。朝10時前。地元の人が大勢、桃の箱を選んでいました。
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白石に向かうべき東北道にのるところを間違って山形に行く道にのってしまいました。分岐点で、片方が東京、青森と書いてありました。
東京ではないと思い、別の方に行ってしまいました。気づくと米沢に行く道でした。高速道路仕様でしたが無料区間でした。
米沢まで戻るICはなく、霧の濃い山岳地帯を走りました。

やっと、元のICまで戻ってきました。
宮城県に入ってきました。
白石城跡。仙台藩の城は、青葉城と白石城の二つと教わりました。
城門。
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天守閣。
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武家屋敷。
片倉家中旧小関家。
この堀の橋に、吉永小百合さんが立たれました。ポスターになっていました。
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中級武士の家屋。三間の質素な造りでした。
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でも、堀に囲まれて、庭が立派でした。
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縁側でゆっくりできただろうな。
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白石から仙台を越して、仙台の北、約20kmの大和町に向かいました。
仙台藩吉岡宿跡。
映画「殿 利息でござる」の実在の場所です。
フィギュアスケート羽生結弦選手が、殿様役で出演されています。
江戸と東北諸藩を結ぶ奥州街道と出羽街道の宿場町でした。

(説明)
「わたしたちの大和町」改訂版(平成24年3月大和町教育委員会発行)より引用させていただきます。

今から250年ほど前のことです。宿場町だった吉岡(現宮城県黒川郡大和町吉岡)では、長い間続いた凶作などのため、
月に6回開かれる市へ来る人の数も減り、生活に困る人が多くなってきました。
また、吉岡を出て行く人が増えて、空き家が目立ってきました。
 当時、吉岡の人々は伝馬役といって、街道(奥州街道)を通る大名行列(参勤交代で、仙台藩領内の奥州街道を通過する大名は、伊達藩のほかに盛岡の南部藩、弘前藩、松前藩などがありました。)
のために馬をひいたり、荷物運びの仕事をしたりしなければなりませんでしたが、その仕事もたいへんだったのです。(町役として伝馬役を負担していたのです。)
また、吉岡宿は奥州街道の宿駅だけでなく、中新田、岩出山を経て出羽国(秋田県・山形県)に至る街道の宿駅でもありました。
両街道が合流するため、吉岡宿は、仙台藩では大きい方の宿場町になり、それだけ宿駅の負担も大きくなりました。
 そんな中、「このままでは町の将来が心配だ。何とかしてこの町の人々を苦しい生活から救い、宿場町を建て直したい」と考えた人々がいました。
菅原屋(菅原)篤平治(すがわらやとくへいじ)、穀田屋(高平)十三郎(こくだやじゅうざぶろう)、穀田屋(高平)十兵衛(こくだやじゅうべい)、浅野屋(遠藤)周右衛門(あさのやしゅうえもん)、
早坂屋(早坂)新四郎(はやさかやしんしろう)、穀田屋(高平)善八(こくだやぜんぱち)、遠藤寿内(えんどうじゅない)、
千坂仲内(ちさかちゅうない)、遠藤幾右衛門(えんどういくうえもん)の9人です。
 菅原屋(菅原)篤平治は、お金を仙台藩に出資すれば、利息分がもらえるので町の人々にお金を分けることができると考えました。
そして、穀田屋(高平)十兵衛とともに仲間と協力を呼びかけました。9人はお金を出し合い、足りない分は自分たちの財産を売り払い、命がけで借金をし、
家族全員で働きにでることも覚悟して、千両もの大金を用意することにしました。9人は方々から借金をし、6年もの年月をかけてやっと千両を用意しました。
 それから、利息分がもらえるよう仙台藩に何度も何度もお願いし、その約束を取り付けてから千両を仙台藩に納めました。
そして利息分のお金をもらうとそのお金を町の人々に分けました。
仙台藩では9人の行いに対し、特別にほうびのお金をあたえましたが、9人はそれもまた自分のことには使わないで町の人々に分けました。
 町の人々はたいへん感謝しました。そして、9人に対する感謝の気持ちをいつまでも忘れないために、「国恩記」という記録が残されました。
吉岡の龍泉院で住職をしていた栄洲瑞芝(えいしゅうずいし)というお坊さんが書きました。
この吉岡の救済事業は純粋に吉岡の人々から出た運動で、仙台藩も初め反対しましたが吉岡の人々の熱意に動かされ藩も認め曲折などもありましたが幕末まで続いたのであります。
 平成15年3月には、9人の行いを人間の美しい心の記録として、また郷土のほこるべき出来事として後の世に長く伝えていこうと九品寺(吉岡)に顕彰碑が建てられました。

吉岡宿本陣案内所に駐車させていただきました。ここが本陣跡。
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昼食は、甘味噌とんかつ。案内所のおじさんに薦められました。仙台の味噌は辛いはずなのに、甘いのが好まれたのは不思議でした。
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お店の壁に、軽便鉄道の写真。
ご主人から、北仙台から古川に軍人を運んだ。逆に、北仙台に、亜炭を運んだ。と説明してくれました。
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浅野屋跡。吉岡宿で一番の金持ちで造り酒屋と金貸し業を営んでいた。
少し東側に酒屋さん。このお家の二階の看板、浅野と読めませんか?
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菅原屋跡。お茶屋さん。
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穀田屋。酒屋さんは健在でした。
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高札場跡。
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早坂屋跡のそばの家です。奥が深い。
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街道分岐点。
奥州街道(右手)と出羽街道(左手)の分かれた所。
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吉岡館跡。
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吉岡城跡。
伊達政宗の三男の居城。1616年完成。
でも三男は京都生まれ。結婚せず34歳で亡くなってしまいました。
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龍泉院。
ここの住職が国恩記を表しました。
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九品寺。
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国恩記顕彰碑。
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当時、菅原屋が、京都の左大臣・九条尚実に献上した御礼が、和歌に読まれ、看板となっていました。
「春風の 香ほりもここに 千世かけて 花の浪こす 末の松山」
「春風」購入しました。(茶葉は静岡。製造は塩釜。でした。)
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ご説明、ありがとうございました。
お世話になりました。

仙台に戻ってきました。
やはり、大都会。
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「はやぶさ」と「こまち」が東京に向かって出発していきました。
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仙台駅に常磐線特急「ひたち13号」が到着しました。品川、上野から仙台まで、直通の特急が一日3本が運行されています。よかったです!
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