北海道 タウシュベツ川橋梁、ナイタイ高原牧場、かんの温泉、旧愛国駅、旧幸福駅 2020/8/28--29

五日目:2020/8/28金曜日 タウシュベツ川橋梁、ナイタイ高原牧場、かんの温泉

ぬかびら。
朝食を食べて、
糠平湖に架かるコンクリートアーチ橋『タウシュベツ川橋梁』(通称めがね橋)を見に行くツアーに参加しました。
林道のゲートの鍵を持っている認められた人のツアーでないと、橋の近くまで行けません。
湖底を流れる川を渡るので、長靴が必要でした。貸してくれました。

この橋は旧国鉄士幌線の橋のうち最も大きく、長さ130m、11個のアーチが連なっています。
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しかしながら風化が進み、アーチが繋がった状態で見られるのもあとわずかではないかと言われております。
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林道を歩いて湖にでました。
湖は、発電のため水位が上下します。春から秋まで、湖に沈まず見えるそうです。
とはいえ、この夏は、湖の水が少なすぎます。雨量少なさよりも、北海道地震以後、水力発電のために、水を使っているそうです。
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本来ならば、写真右の流木のところまで水がきます。
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湖底は緑のじゅうたん。
流木が、茶柱が立つように、水が引いていったときに立った、この冬に水が上がってくると、どこかに流れていくだろうと説明を受けました。
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あ、鹿がいました。
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ヒグマの足跡。ひとつ大きい足跡で、前足、後ろ足一緒だそうです。
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湖底から見える、この二つの山は、形、谷間が綺麗。
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綺麗なメガネ橋です。
重機のない昭和十年代によく造ったと思います。
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絵になる橋です。
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この橋は、中が石。周りが鉄筋コンクリートでした。
台風の水害で、崩れていっているそうです。
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これが、タウシュベツ川。
ぬかびら湖底を流れていました。川筋は、年によって右に行ったり左にいったりするそうです。
湖の水位が上がると、この川は、ここでは湖に沈みます。
(追記)タウシュベツの意味を調べてみました。
タウシュベツは、タッタ・二・ペッ(tat-ni-pet=樺皮の・採れる木・川)に由来。
アイヌ語で川はナイ(nay)も使われますが、ベツ(pet)は氾濫するような暴れ川に用いられる言葉です。
→周りに、シラカバ、ダテカンバの樹々の森がありました。妙に納得しています。
→タウシュベツ川の流れが変わるから、橋を11連のアーチにして、川がどこを流れても水が川下に行くようにしたのかな、と想像しました。
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縦方向からみた橋梁。
ここを蒸気機関車牽引の汽車が通っていたのです。驚きです。
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橋から森に入る線路のルートです。
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そろそろ帰ります。
この林道は、橋から十勝三股に行く線路が通っていたところです。
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看板の地面から170cmのところを、ヒグマが、がりっとした跡だそうです。
ヒグマは、自分のことが書かれているので抗議したのですね。(笑顔)
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ユースホステルに戻って、解散。
荷物を整理して、出発。ナイタイ高原牧場に行ってみました。
途中、第三音更川橋梁のところで停車。
鉄筋コンクリートアーチ橋としては、北海道一の大きさを誇る32mの美しい橋です。
鉄橋ではなくコンクリート製橋梁。ここの完成を見て、日本に広まっていったそうです。
休憩中の修復作業の土木関係者に道から声をかけました。「お疲れ様です。」
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ナイタイ高原牧場。
十勝平野を一望。少し曇り。
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放牧の牛。
牛は群れる動物というの認識しました。
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しかしながら、一頭だけ、我が道を行く牛もいました。
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牛乳。
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西側に位置するナイタイ山の反対側10kmのところにある、かんの温泉鹿の湯に行ってみました。
今朝、タウシュベツ川橋梁ツアー参加者の方から勧められました。
山を回って行くので、道は50km先でした。然別湖の西側です。

宿一軒ありました。
ここでなく、川に降りて、キャンプ場に。キャンプ場の先、250mのところに、露天風呂がありました。
外気は熱い。あと100mだ。
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自然湧出源泉です。
大自然の中の温泉、こういうの良いです。熊、鹿が出そうなほどの大自然でした。
でも、女性は無理と思います。着替えるところは、川原の石の上ですから。
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一人ゆっくり入りました。
来る人は稀と思いました。
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この小さな窪みの湯の温度はものすごく熱かったです。油分も混ざっている。
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もう午後遅いです。
南下して、帯広市に行きました。
夕食は豚丼。
十勝では、牛は牛乳、馬は馬力、豚が食材、の歴史があると教わりました。
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宿泊は、APAホテル帯広駅前。Go to Travelの登録宿泊施設です。
部屋から、根室本線の普通列車が見えました。
オレンジ色の気動車も良いです。
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TVで、安倍晋三首相の辞任のニュースが流れています。
いろいろな意見、感想で出ていました。ふむふむ。
今晩も、早めに眠ります。

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六日目:2020/8/29土曜日 旧愛国駅、旧幸福駅

おはようございます。
根室本線、朝一番の列車を撮影しました。キハ40でした。
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帰宅します。朝食を食べて、寄り道しながら、帯広空港に向かいました。
帯広から広尾まで走っていた旧広尾線。
旧愛国駅にやってきました。
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蒸気機関車が展示されていました。
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旧幸福駅(幸福鉄道公園)に到着しました。
大きめの「愛国から幸福行き切符」がびしっと貼られていました。
昔、大人気だったです。
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キハ22が展示されていました。
青空と緑の樹々の中、十勝の大地を走っていたと想像すると、乗ってみたかったです。
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レンタカーを返却して、空港に送ってもらいました。
予定の飛行機より5時間早い帯広空港10:15発のJALに乗ることができました。
お昼の飛行機は、コロナ禍の影響で欠航でした。
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十勝の大地の中に、帯広空港が見えました。飛行機は一機も見えませんでした。
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羽田から京急で横浜に出て、帰宅しました。
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北海道。

広い大地で、農業、酪農が盛ん。海は、漁業。山は、林業。
我々の食事を支えてくれる、新鮮な食材を提供してくれています。
幹線道路で、農畜産物、海産物を運ぶトラックを多く見ました。
ありがたいです。
昔は、鉄道がその役目を担っていたと思います。
鉄道は、まだ一部の人の移動に欠かせない生活基盤です。
線路、駅が残っていって欲しいです。

北海道を効率良く旅するのは、車、バイクを利用するのは間違いありません。
バイクに乗って風を感じながら、まっすぐな道を行く。これもいいなと思いました。
なにせ、バスも一日3本しかないところもありますし、バスも通っていないところがたくさんあります。

江戸時代幕末の蝦夷地防衛は、選ばれた各藩が装備不十分の中、行っていた。
明治時代に入り、一般人が入植し、厳しい自然のなかで最適な生活を創ってきた。
それぞれの街や村で、開拓100周年の碑を車の中から見ることができました。
先人の努力、継続が、今の北海道だと思いました。

ところで、北海道を旅していて、そして時刻表を見ていて、一つ気づいたことがありました。
「幌」という地名が多い。
羽幌、幌延、幌加内、幌糠、幌別、もちろん札幌。
「幌」は、調べてみると、「アイヌ語の「poro」(大きい、という意味)に当て字をしたものです。」ということです。
「幌」がつく場所は、広い平らな土地があると理解できます。
地名、山の名前からアイヌの人たちが思ったこと、大切なものがわかるかもしれないと思いました。

今回、宿泊させていただいた各宿のコロナ対策、配慮に感動、感謝です。ありがとうございました。

北海道 大雪 森のガーデン、層雲峡、ぬかびら 2020/8/27

四日目:2020/8/27木曜日 大雪 森のガーデン、層雲峡、ぬかびら

塩狩峠。
おはようございます。
網戸で、風を入れて、薄い布団をかけ寝ました。良く眠れました。

静かな朝です。
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塩狩駅。上り0645発旭川行きの一分前に、女子高生を送ってきた自家用車が到着。
お母さん、ご苦労さまです。
今日も、女子高生は旭川行き列車に間に合いました。
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下り0645発稚内行き。昨日、稚内駅に正午頃到着した列車になります。稚内駅到着時は、1両になっています。
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元塩狩温泉の跡地に行ってみました。。
町で活用計画が練られているそうです。
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北海道の地震・大停電の時、大雪山旭岳の麓にいました。避難先として、塩狩ヒュッテの合田さんが宿泊を受け入れてくれました。
到着すると、移動することができないで留まっていたお客さんが、この線路わきの清水(ここが峠の分水嶺)をくみ上げて五右衛門風呂を沸かしてくれたところです。
大停電で、電気がない夜に入浴できたの、本当にありがたかったです。あとで、東京で贅沢と言われました。(笑顔)
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朝食を食べて早めの出発。
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石北線の東雲(とううん)駅に行きました。
無人駅。
大きな農家の敷地の前に、小さなホーム一つ。
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上り旭川行き快速(上川駅0830発)を撮影しました。(これは、通過後です。)
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移動すると、鉄橋がありました。
上り列車撮影には、ものすごく良いポイントでした。次回トライします。
大きな鷲が左側の田んぼから飛び立ちました。運転していてびっくりしました。

大雪 森のガーデンに向かいました。
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手入れされた花のガーデン。
洗練されたおしゃれな感覚を味わいました。
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可愛い花。
(追記)旅の先輩の河原映子様からFacebookで花の名前を教えていただきました。「レンゲショウマ」。
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層雲峡に到着。柱状節理です。     
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層雲峡公共駐車場に車を止めました。観光客は少ない感じ。
大雪山層雲峡黒岳ロープウェイで、黒岳5合目。眺め良し。
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リフトで黒岳7合目。
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ここから山頂を目指して登って行く人達がいました。今は、山のトイレ使えず、携帯トイレを購入して登ってください。と案内されていました!
滝が見えるところまで、登山道とは別の道を15分ほど歩いてみました。
遠くに滝が見えました。
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下山。
流星の滝、銀河の滝を見に行きました。
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糠平に移動。
大雪ダム 大雪湖。
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三国峠展望台に到着。
ぬかびら温泉からみると、層雲峡、旭川へと続く国道273号線の峠です。標高1,139mは、北海道の国道としては一番の高さだそうです。
樹海と東大雪の山並みが見えました。
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白樺並木の道。
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十勝三股に到着。
昔、帯広からここまで来ていた士幌線の終着駅があったところです。
かつては林業で栄え、鉱物も掘り出され、1,000人以上が暮らしていたそうです。
今は2軒のみ。
一軒は喫茶店「三股山荘」。
お昼ご飯を食べに寄りました。
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すてきに歳を重ねた女将さんが、
「今日のプレートランチの最後の一食、新ジャガよ!」と出してくれました。
美味しい!
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北海道地震のお話しをしました。
「大変だった。水は井戸、電気は自家発電で、しのいだ。基本的なところの準備が大切ね。」と教えてくれました。

十勝三股駅を鉄道模型Nゲージで再現されていました。けっこう大きな駅。
士幌線は、帯広駅で根室本線から分岐し、十勝平野を北上して上士幌町の十勝三股駅までを結んでいた路線でした。
国鉄民営化直前の1987年3月23日に全線が廃止されました。
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山荘の裏庭が平坦な場所。たぶん、ここに駅があったと推測しました。
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タウシュベツ展望台に行く道を入ると、国道に沿って道がありました。
ここは、線路があったところと思いました。
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ヒグマに人がいるよと知らせながら、鈴を鳴らして歩きました。
タウシュベツ川橋梁(めがね橋)が湖の向こう岸に見えました。
水は少ない。橋は朽ちかけていました。
タウシュベツ川橋梁(めがね橋)は、旧線の橋と判断しました。
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三の沢橋梁。こちら岸にあったので新線の橋。
上から、ぬかびら湖が見えました。

ぬかびら温泉街に入ってきました。
鉄道資料館に行ってみました。
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士幌線の糠平駅跡です。
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ぬかびら湖畔に行ってみました。
水が少なすぎと感じました。
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宿泊は、ぬかびらユースホステル。
ユースホステルに源泉の温泉がありました。気持ち良いお風呂でした。
夕食。
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夜の温泉ツアー。幌加温泉 湯元鹿の谷。
ご高齢のおばさんが、湯守を成されていました。
古い建物。コンクリート打ちの湯舟が三つ。ナトリウム泉、鉄鉱泉、カルシウム泉。
露天風呂が一つ、これは泉質は暗くてわかりませんでした。どうも四つ目の泉質らしい。驚きでした。
ここは、混浴。
帰り、玄関前にキツネ。一緒に行った方が教えてくれました。
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良いお風呂でした。

おやすみなさい。網戸開けて寝ます。

北海道 宗谷本線の駅、塩狩峠 2020/8/26

三日目:2020/8/26水曜日 宗谷本線の駅、塩狩

抜海。
おはようございます。
風強し、雨は降り続いています。
今朝も、沖合は見えません。

朝食をいただいて出発。
塩狩峠を目指して、宗谷本線沿いに南下しました。

途中、駅を見学。
兜沼駅です。
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兜沼の脇にありました。兜沼への道がホームからありました。行ってみました。
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熊が出そうな大自然。誰もいません。
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駅前の集落。
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下沼駅。
湿原が見えるかと思いましたが、周りは木々。見えませんでした。
駅舎は、貨物列車の最後尾に連絡されていた車掌車。
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この付近も、牧畜が盛んです。
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糠南駅。
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駅舎が物置でした!物置を開けると、ちゃんと時刻表が掲げられていました。
訪問者が書くノートが置かれていました。この駅を訪ねる旅人がいます!
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一日3本です。
あと25分で、稚内行き普通列車がありました。
問寒別川(といかんべつがわ)に架かる鉄橋で撮影しました。
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音威子府(おといねっぷ)駅。
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昔、稚内まで、オホーツク海周りで、天北線が行ってました。
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列車の案内表示が、木札!これ良いです。
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駅そばはやっておらず、隣の道の駅で、音威子府そばを食べました。お話しを聞いてた通り、そばは黒。つゆも黒。
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そばの畑です。花は白。
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天塩川温泉駅。
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近くの音威子府住民保養センター 天塩川温泉に行ってみました。
温度が9℃の鉱泉でした。加熱して適温入浴。
露天風呂から天塩川が見えました。
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下士別駅。
2021年3月に廃止予定の駅です。
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剣淵の道の駅に、映画のロケ地であったことを表すパネルがありました。
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和寒に到着。
以前、塩狩ヒュッテの合田さんに教わった八百屋を探そうと思って、右折。
その合田さんが運転する車に偶然出会いました。
八百屋さんの位置を教えてもらいました。
まず、和寒駅へ。
稚内行きの特急が10分前に出発していました。
駅に、鉄道の塗り絵が飾ってありました。子供たちが、鉄道を好きになってくれると嬉しいです
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八百屋さんで、かぼちゃと茹でとうきびを購入。
茹でとうきびは、自然の甘さ。美味しかったです。
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塩狩峠に到着。
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三浦綾子記念館。
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シラカバの木々。
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静寂の中、虫の音、鳥のさえずりが聞こえました。トンボ。塩狩は蒸し暑いですが夏の終わりを感じました。
季節は秋に入って行きます。
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ヒュッテが開くまで、鉄道写真撮影しました。
塩狩駅停車の下り普通列車。国鉄時代に製造されたキハ40。動き出すときのエンジン音、ぐっときます。
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塩狩峠の記念碑の横を通過する上り快速列車。静かに通過していきました。
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今日の宿泊は、塩狩ヒュッテユースホステルです。
Go to Travelの登録宿泊施設です。
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消毒、換気の対応、大変と思います。大型空気清浄機を導入してくれました。
宿泊客への配慮、ありがたいです。
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シャワー浴びて、洗濯。
ひと息つきました。

夕食。美味しい!
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お片づけ、食器洗いは、次男のしん君の仕事。
働いて、お母さんから決められた労働収入を得る。子供の時から働くのは良いことです。
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これからの旅、宿のこと、お話をしました。
宗谷本線で廃止が検討されている駅の記事を読ませていただきました。
塩狩駅の一日の乗降客は、0.8人。次回は、鉄道で来ようと思いました。
存続応援募金しました。仲間の星野さんにも募金のご協力いただきました。
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その中、3/14ダイヤ改正で、行き違い交換のために運転停車していた上り快速列車がドアを開けて乗降客扱いになった嬉しい記事がありました。
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来秋、カボチャの収穫の手伝いに参加できそうです。
計画、旅の資金作り、がんばります!

夜の列車。
生活の足です。
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静かな夜。
おやすみなさい。

北海道 サロベツ原野、宗谷岬、ノシャップ岬、抜海 2020/8/25

2020/8/25 火曜日
羽幌。
おはようございます。
ユースホステルの二段ベッドのマットが硬くて、腰が痛いです。歳ですね。
温かいご飯の朝食をいただき、出発。
焼尻島に行く予定を止めました。
戻ってくると、12:30になってしまい、稚内まで余裕がなくなると判断しました。

北上。
途中、鉄道の橋と思われるものが、ちらっと見えました。
留萌と羽幌を結んでいた旧羽幌線が通っていたところと思いました。

トイレ休憩のため寄った道の駅で、昨日、お風呂で会ったおじさんライダー3人も休んでいました。
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少し走ると、沖に、船を発見。
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遠くにうっすら、利尻島が見えました。大きいです。
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日本最北端の水田の表示がありました。
ということは、稚内を除いて、日本では稲作が行われていると理解しました。
お茶の樹の北端は、新潟市の北の村上市。
北緯45度線。昨日、おじさんライダーに教わりました。
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風力発電の風車が数多くありました。
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サロベツ湿原センターに到着。
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サロベツ原生花園の木道を散策しました。木道は外周1km内周0.8kmがあります。外周コースを歩きました。
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湿原の向こうに、利尻島。
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(説明)
「利尻礼文サロベツ国立公園」の一部であるサロベツ湿原は日本一の高層湿原としても知られ、ラムサール条約にも登録されています。
湿原センター竣工同年12月、吉永小百合さん主演の映画「北のカナリアたち」のロケ地として、この木道が使われたそう。

花はもう終わり。
北海道は、6月、7月が花のシーズンと思います。
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宗谷本線の豊富駅に行きました。
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上下普通列車が11時16分に行き違いがあると、時刻表で確認しました。
それでも、油分がある温泉に入ってみたいと思いました。
豊富町ふれあいセンター(豊富温泉)に向かいました。
今日は休館日でした。コロナの影響で営業自粛のようです。残念。
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それではと、豊富駅方向に戻って、豊富駅の南側で、宗谷本線普通列車上下を写真撮影。
バックは利尻島。でも雲がかかり見えませんでした。冬に綺麗に利尻島が見える日があるかもです。
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さらに、北上。稚内駅を目指しました。
稚内駅到着。北の終着駅です。
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近代的な駅です。でも、ホーム一つ。線路一本。の小さな駅。びっくりしました。
待合室の床に線路。
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列車到着のアナウンスです。
豊富駅で撮影した列車が入ってきました。この普通列車は、旭川06:03始発、塩狩06:45発の稚内行きです。日本一長い距離を走る普通列車かも。
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観光協会の人に、お薦めのお店を紹介してもらいました。
行ってみたら、宗谷本線の高架線路が見えました。あと10分で、札幌からの特急「宗谷」が到着します。待ちました。
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海鮮丼。
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(説明)
稚内市は約3.5万人が住む北海道で21番目に大きな水産都市。アイヌ語の冷たい水の川を意味するヤムワッカナイから名付けられました。

最北端の宗谷岬に行きました。
サハリンは見えませんでした。
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一度、稚内まで戻って、ノシャップ岬へ。
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沖をフェリーが西行き航行していました。
利尻島、礼文島に行くフェリーと思います。いつか行ってみたいです。
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日本で二番目に高い稚内灯台。
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自衛隊の駐屯地。
レーダーが数多く見受けられました。
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ノシャップ岬から日本海側を南下。
最北端の温泉に入りました。
塩分を感じるアルカリ性の湯でした。
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このあたりの地層は、崩れやすいものでできていると感じました。
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稚内から二つ目の抜海駅に行きました。無人駅。
(あとで、聞きました。抜海駅も廃止候補の駅でした。)
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北に向かう稚内行きが一日3本、南の幌延方面行が一日4本。上り下りで本数が異なることもあることを知りました。
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17:10に、下り稚内行き特急「サロベツ1」が通過しました。
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今夜の宿泊は、抜海駅から遠くない抜海漁港に近い「バッカス」。
オーナーは、旅のことを良く知っていました。観光客の動き、土地毎の事情、お薦め、宿主などなど。
抜海駅の存続活動をなされているようでした。
美味しい夕食をいただきました。地元の魚介類、海産物。
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夜9時からお茶会。
赤ワインをいただきました。
外は、強い風、雨。
冬、吹雪になると、真っ暗闇の中で、白か灰色の世界と思いました。
旅の二日目、終了。
おやすみなさい。

北海道 神居古潭、増毛、羽幌 2020/8/24

北海道:2020/8/24-29 増毛、羽幌、宗谷、塩狩、糠平

テーマは、「北海道の歴史」、「鉄道の歴史」です。
人がいるところでは、マスクをして旅しました。
写真は、帯広と十勝三股を結んでいた旧士幌線の「タウシュベツ川橋梁」です。
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一日目:2020/8/24 月曜日
おはようございます。
昨夜は暑いこともあり、なかなか寝付けませんでした。
地元から一番早く出るバス、白山高校0532発鴨居駅行きに乗りました。
羽田07:50発JAL551旭川空港行きに乗りました。
どこの湖だろう?大きい。田沢湖ですかねぇ。
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津軽湾の手前。これは岩木山。
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洞爺湖。湖の真ん中に島がありました。
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苫小牧港。大洗からのフェリーが着くフェリーターミナルがあります。
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旭川の畑。夏模様。
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旭川空港で、オリックスレンタカーを借りました。
出発。神居古潭に向かいました。
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(説明)
石狩川が上川盆地から石狩平野に流れる境に位置するこの峡谷は、アイヌ語で「カムイ(神)コタン(集落)」と呼ばれ、
古くよりアイヌの人々の聖地とされてきました。
峡谷を形成する緑泥片岩は1億年以上という気の遠くなるような長い年月をかけて石狩川の流れによって浸食され、
アイヌの人々の伝説に登場する奇岩やおう穴群(天然記念物)を形成しました。
川を移動するのが唯一の交通手段だったアイヌの人々。
ここ神威古潭で、急激に川幅が狭くなるため流れが激しく、深く、かつては行き交う舟がよく転覆し、
アイヌの人々は峡谷に住む魔神の仕業と恐れていたようです。
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石狩川です。
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橋を渡ると、旧国鉄の神威古潭駅跡がありました。
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明治43年の建設当時の姿をそのまま残しているホーム。
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地図を見ると、現在の函館本線が旭川に近づく手前のトンネル群の東側に神威古潭は位置しています。
蒸気機関車3両が残っていました。
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深川、留萌を経由して、増毛へ向かいました。
今から260年ほど前、増毛に漁場が開かれて以来、増毛は道北で一番古い歴史を誇り、漁業を中心に栄えてきたそうです。ニシンの漁港。

江戸初期、「もめん」が日本に広がった。
「ニシンは、食用としただけでなく、「もめん」の原料となる綿花の栽培の肥料として重宝された。
北前船で近畿から西日本に運ばれた。
ニシンをとることが、日本中の老若男女にもめんを着せるということにつながっていた。」
司馬遼太郎の本に書かれています。

(説明)
ニシン漁。昭和30年ごろまで、おびただしい人と金が渦巻いた港町。
3月になると、ニシンが群れをなしてやってきた。
海が、ニシンの雄の精液で、乳白色に染まったという。

その後、ニシンはどこに行ったのか?今は、北原ミレイ「石狩挽歌」の世界です。

留萌本線旧増毛駅(大正10年(1921年)開設)に到着しました。
2016年(平成28年)12月5日:留萌駅 - 増毛駅間の廃止に伴い、廃駅となりました。
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線路がはここまでありました。
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駅前のお寿司屋さんに入りました。
ご主人のお話しでは、増毛で一番古い寿司屋ということでした。
ご主人は、40年目の二代目。
海鮮丼をいただきました。
甘エビの味噌汁もおいしかったです。
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ここ増毛は、高倉健主演映画「新網走番外地」シリーズ13作「さいはての流れ者」の撮影地です。
旧富田屋旅館。修復作業中でした。
昭和8年(1933年)建築。木造3階建て。ガラス張りの縁側。
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元多田商店。風待食堂。
現在観光案内所として活用されています。
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旅館 増毛館。
増毛館は、ライダーなどが集う現役の旅館と、案内書に書かれていました。人の気配はありませんでした。
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旧商家丸一本間家。  
佐渡出身天塩国随一の豪商「本間泰蔵」氏旧宅。敷地内に5棟あります。
呉服店から始めて、漁業、海運業、酒造業まで手がけました。
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呉服店。
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住居。3階までありました。
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高倉健主演映画「駅 STATION」の撮影で使われた部屋です。
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こんな素敵なガラス戸を見ることができました。
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本間家の中に、酒蔵がありました。
現在は、国稀酒造が伝統を受けついでいます。
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國稀千石蔵。
ニシンの船を展示してありました。
全長30mはありました。
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志満川食堂。
明治25年の建物。
ここは、江戸時代、徳川幕府から蝦夷警備を命ぜられた津軽藩の越冬陣屋があったところでした。宗谷岬まで出向いていったが、厳しい自然の中、多くの藩士が亡くなり、幕府の許可を得て増毛まで退いたと書かれていました。
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国稀酒造。 
國稀酒造は、蔵を開放し、試飲も 出来る日本最北の酒蔵です。
最北の酒「国稀」を購入しました。
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暑寒別岳を源とする清らかで豊かな伏流水を使用しています。
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旧増毛灯台。
冬の雪の中でも分かるように赤く塗られていました。
秋田藩第一台場跡でもありました。
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旧増毛小学校。木造の大きな建物でした。北海道遺産。
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ここは、塩狩より南でしたが、天塩国でした。
(説明)
天塩国(てしおのくに、古い文書では「天鹽國」)は、大宝律令の国郡里制を踏襲し戊辰戦争(箱館戦争)終結直後に制定された日本の地方区分の国の一つである。別称は天州。
五畿八道のうち北海道に含まれた。
道北に位置し、現在の留萌振興局管内の全域と、上川総合振興局管内の塩狩峠以北(幌加内町は含まない)および宗谷総合振興局管内の豊富町と幌延町、さらに稚内市の最南端の一部にあたる。

街を見たので、少し南下。
暑寒別川を渡ってすぐ右側。
陣屋展望台がありました。
秋田藩第二台場跡。
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にしん街道碑(増毛町別苅)。
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羽幌に向かって北上。
道の駅 おびら鰊番屋に、旧花田家番屋がありました。大きい!
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海岸沿いに、三船遭難慰霊之碑。
1945年 ( 昭和20年 ) 8月15日終戦後の 8月22日 に 、北海道 留萌 沖 で 樺太 からの引揚船3隻が 国 籍不明の 潜水艦 によって攻撃されました。P1017629.JPG
松浦武四郎の銅像(小平町)。江戸時代幕末から明治にかけての探検家で、蝦夷地を探査し、北加伊道という名前を考案しました。
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日本海。
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羽幌町に到着しました。
宿泊する羽幌遊歩ユースホステルにチェックイン。
ありがたいことに、羽幌町での宿泊者限定クーポン:3千円分のクーポンを千円で購入できました。使わせていただきました。
宿泊する人は地域関係なく誰でも購入できるそうです。
羽幌遊歩ユースホステルは、ドミトリーの扱いは無し。一人または1グループ一部屋でした。
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羽幌港に行ってみました。
焼尻島、天売島に行くフェリーが繋留されていました。
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夕陽の中、漁船が港から出て行きました。
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ユースの夕食です。
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宿泊者同士の会話は少なめです。
一日目が終わりました。
早めの就寝します。
おやすみなさい。

岩手県 花巻 2020/8/1

岩手県花巻。宮沢賢治の世界。
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〇2020/8/1  土曜日
おはようございます。
宮城県仙台。朝食を取って出発。
岩手県花巻を目指しました。
東北道を使って2時間20分位。
最初、熊谷家を探しました。
旧家を移築したと思われます。
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宮沢賢治記念館に行きました。
駐車場の係員の方に、今日走る蒸気機関車の話をすると、撮影場所や、通過時刻、さらに、車で行けると教えてくれました。
ありがたいです。歩いたら山道のちょっとしたハイキングになっていました。
その胡四王神社。
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北上川橋梁を渡る釜石線「SL銀河」を上、真正面から撮影できる場所でした。
SL銀河は、花巻 10:37発。
汽笛が聞こえました。
煙が見えました。
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鉄橋を渡りました。
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再び、汽笛が聞こえました。
ジーンときました。

宮沢賢治記念館。
敷地すぐに、石の彫刻。よだかの星彫刻碑。
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アルコール消毒。検温。電話番号記入。のあと、4館共通入館料を購入してて中へ。
「雨にも負けず、風にも負けず」の宮沢賢治の、宗教、農業、宇宙感、科学、芸術を知ることができました。
宗教は妙法蓮華経。

宮沢賢治童話村に行きました。
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賢治の学校。
中は、タイムトンネルになっていました。あまり感心しませんでした。
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賢治の教室も入場しました。
花巻周辺の動物、鳥、花を解説していました。
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宮沢賢治が知人に送ったバラの子孫です。
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花巻市博物館。
花巻の地理的位置。歴史。が学べました。
南部藩と仙台藩の境界地が花巻にありました。
この時代から、境には、非武装地帯が築かれていました。
絵図の左側に境目と書かれています。
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花巻は、土の人形が盛ん。
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宮沢賢治イーハトーブ館。
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冊子をいただきました。
帰ってから読んでみようと思いました。
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切り絵。釜石線の前身、岩手軽便鉄道。
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東北本線(D51蒸気機関車が見えます。)と花巻電鉄が交差している切り絵。
花巻電鉄が、東北本線を跨いで、花巻駅の東と西を結ぶ工事が大変だったようです。
実際を見てみたかったです。
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イギリス海岸の切り絵。
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新渡戸記念館。
「武士道」で有名な新渡戸稲造の父祖が花巻の武士。新田開発など地域に貢献。
新渡戸稲造は、子供の時から、英語を学ばせられたり、自ら世界観をもって勉強していたことがわかりました。
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離れた場所にある同心家屋(屋敷)に行きました。迷いながら到着。
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道を間違えました。こんな風景をみました。田圃に舟。
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「雨ニモマケズ」詩碑。
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賢治自耕の地(下ノ畑)。
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イギリス海岸 詩の森公園。
今日の北上川は水量豊富。
川床が水の下でした。見ることができませんでした。
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花巻駅の西側の花巻市 市民の家に移動。
古くて休館中でした。
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花巻電鉄の電車が静態保存されていました。馬面(うまづら)電車と呼ばれたそうです。
温泉に通じる道路と並行して走るため、幅を抑えたということです。
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この道は、線路があった所と思われます。
P1017421.JPG花巻温泉に温泉を提供している台温泉に行ってみました。
花巻温泉の奥。
もう廃れた温泉場でした。
精華の湯。
泉質:含硫黄-ナトリウム-硫酸塩・硫化物泉。ph8.5の弱アルカリ性温泉でした。
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これで予定終了。
仙台に戻りました。

追記:花巻は、岩手県の名物である「わんこそば」発祥の地でもあるそうです。

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〇2020/8/2  日曜日
未明、大きな音が聞こえるので、目が覚めてしまいました。
ビジネスホテルの窓から外を見てみると、新幹線の保守作業車両が到着していました。
新幹線の安全のための深夜の保線、お疲れ様です。
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仙台から、自宅の横浜まで400km。
結構遠いです。
気合を入れて、帰路につきました。

今回、歴史上の人物の雰囲気を味わえたこと、有意義でした。
宮沢賢治の世界、もう少し、理解をしてみます。

宮城県 白石城、吉岡宿 2020/7/31

宮城県・吉岡宿の家屋。
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〇2020/7/31 金曜日
おはようございます。
福島県。雨続き。
ユースゲストハウスATOMA。美味しい朝食をいただきました。
一人分用意してもらうの、ありがたいです。
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出発。
桃の畑を覗いてみました。雨の影響で、確かに色づきが白っぽい。
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近くの川の流れは急でした。
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高湯温泉共同浴場あったか湯にやってきました。
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硫黄の匂い。
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福島応援クーポンを入手できました。
クーポンを使って入浴させていただきました。良い湯でした。
お湯の色は、少し濁のエメラルドグリーン。ブルーも混じっていました。
ph2.5の硫黄泉。体が硫黄の匂い。(笑)

JAに立ち寄って、福島の桃を箱で購入。品種は、「あかつき」。朝10時前。地元の人が大勢、桃の箱を選んでいました。
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白石に向かうべき東北道にのるところを間違って山形に行く道にのってしまいました。分岐点で、片方が東京、青森と書いてありました。
東京ではないと思い、別の方に行ってしまいました。気づくと米沢に行く道でした。高速道路仕様でしたが無料区間でした。
米沢まで戻るICはなく、霧の濃い山岳地帯を走りました。

やっと、元のICまで戻ってきました。
宮城県に入ってきました。
白石城跡。仙台藩の城は、青葉城と白石城の二つと教わりました。
城門。
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天守閣。
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武家屋敷。
片倉家中旧小関家。
この堀の橋に、吉永小百合さんが立たれました。ポスターになっていました。
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中級武士の家屋。三間の質素な造りでした。
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でも、堀に囲まれて、庭が立派でした。
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縁側でゆっくりできただろうな。
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白石から仙台を越して、仙台の北、約20kmの大和町に向かいました。
仙台藩吉岡宿跡。
映画「殿 利息でござる」の実在の場所です。
フィギュアスケート羽生結弦選手が、殿様役で出演されています。
江戸と東北諸藩を結ぶ奥州街道と出羽街道の宿場町でした。

(説明)
「わたしたちの大和町」改訂版(平成24年3月大和町教育委員会発行)より引用させていただきます。

今から250年ほど前のことです。宿場町だった吉岡(現宮城県黒川郡大和町吉岡)では、長い間続いた凶作などのため、
月に6回開かれる市へ来る人の数も減り、生活に困る人が多くなってきました。
また、吉岡を出て行く人が増えて、空き家が目立ってきました。
 当時、吉岡の人々は伝馬役といって、街道(奥州街道)を通る大名行列(参勤交代で、仙台藩領内の奥州街道を通過する大名は、伊達藩のほかに盛岡の南部藩、弘前藩、松前藩などがありました。)
のために馬をひいたり、荷物運びの仕事をしたりしなければなりませんでしたが、その仕事もたいへんだったのです。(町役として伝馬役を負担していたのです。)
また、吉岡宿は奥州街道の宿駅だけでなく、中新田、岩出山を経て出羽国(秋田県・山形県)に至る街道の宿駅でもありました。
両街道が合流するため、吉岡宿は、仙台藩では大きい方の宿場町になり、それだけ宿駅の負担も大きくなりました。
 そんな中、「このままでは町の将来が心配だ。何とかしてこの町の人々を苦しい生活から救い、宿場町を建て直したい」と考えた人々がいました。
菅原屋(菅原)篤平治(すがわらやとくへいじ)、穀田屋(高平)十三郎(こくだやじゅうざぶろう)、穀田屋(高平)十兵衛(こくだやじゅうべい)、浅野屋(遠藤)周右衛門(あさのやしゅうえもん)、
早坂屋(早坂)新四郎(はやさかやしんしろう)、穀田屋(高平)善八(こくだやぜんぱち)、遠藤寿内(えんどうじゅない)、
千坂仲内(ちさかちゅうない)、遠藤幾右衛門(えんどういくうえもん)の9人です。
 菅原屋(菅原)篤平治は、お金を仙台藩に出資すれば、利息分がもらえるので町の人々にお金を分けることができると考えました。
そして、穀田屋(高平)十兵衛とともに仲間と協力を呼びかけました。9人はお金を出し合い、足りない分は自分たちの財産を売り払い、命がけで借金をし、
家族全員で働きにでることも覚悟して、千両もの大金を用意することにしました。9人は方々から借金をし、6年もの年月をかけてやっと千両を用意しました。
 それから、利息分がもらえるよう仙台藩に何度も何度もお願いし、その約束を取り付けてから千両を仙台藩に納めました。
そして利息分のお金をもらうとそのお金を町の人々に分けました。
仙台藩では9人の行いに対し、特別にほうびのお金をあたえましたが、9人はそれもまた自分のことには使わないで町の人々に分けました。
 町の人々はたいへん感謝しました。そして、9人に対する感謝の気持ちをいつまでも忘れないために、「国恩記」という記録が残されました。
吉岡の龍泉院で住職をしていた栄洲瑞芝(えいしゅうずいし)というお坊さんが書きました。
この吉岡の救済事業は純粋に吉岡の人々から出た運動で、仙台藩も初め反対しましたが吉岡の人々の熱意に動かされ藩も認め曲折などもありましたが幕末まで続いたのであります。
 平成15年3月には、9人の行いを人間の美しい心の記録として、また郷土のほこるべき出来事として後の世に長く伝えていこうと九品寺(吉岡)に顕彰碑が建てられました。

吉岡宿本陣案内所に駐車させていただきました。ここが本陣跡。
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昼食は、甘味噌とんかつ。案内所のおじさんに薦められました。仙台の味噌は辛いはずなのに、甘いのが好まれたのは不思議でした。
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お店の壁に、軽便鉄道の写真。
ご主人から、北仙台から古川に軍人を運んだ。逆に、北仙台に、亜炭を運んだ。と説明してくれました。
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浅野屋跡。吉岡宿で一番の金持ちで造り酒屋と金貸し業を営んでいた。
少し東側に酒屋さん。このお家の二階の看板、浅野と読めませんか?
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菅原屋跡。お茶屋さん。
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穀田屋。酒屋さんは健在でした。
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高札場跡。
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早坂屋跡のそばの家です。奥が深い。
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街道分岐点。
奥州街道(右手)と出羽街道(左手)の分かれた所。
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吉岡館跡。
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吉岡城跡。
伊達政宗の三男の居城。1616年完成。
でも三男は京都生まれ。結婚せず34歳で亡くなってしまいました。
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龍泉院。
ここの住職が国恩記を表しました。
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九品寺。
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国恩記顕彰碑。
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当時、菅原屋が、京都の左大臣・九条尚実に献上した御礼が、和歌に読まれ、看板となっていました。
「春風の 香ほりもここに 千世かけて 花の浪こす 末の松山」
「春風」購入しました。(茶葉は静岡。製造は塩釜。でした。)
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ご説明、ありがとうございました。
お世話になりました。

仙台に戻ってきました。
やはり、大都会。
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「はやぶさ」と「こまち」が東京に向かって出発していきました。
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仙台駅に常磐線特急「ひたち13号」が到着しました。品川、上野から仙台まで、直通の特急が一日3本が運行されています。よかったです!
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福島県 五色沼、二本松 2020/7/30

五色沼、吉岡宿、花巻 2020/7/30-8/2

夏の旅。小さな車で、福島県、宮城県、岩手県を訪ねました。
なるべく人に会わないよう行動しました。

今回、歴史の人たちに出会うことができました。雰囲気だけですが。
福島県:古関 裕而
宮城県:映画「殿 利息でござる」のモデル、吉岡宿の菅原屋篤平治(すがわらやとくへいじ)、穀田屋十三郎(こくだやじゅうざぶろう)
岩手県:「雨にも負けず」の宮沢賢治、「武士道」の新渡戸稲造

宮沢賢治の作品「銀河鉄道の夜」のモデルとなった岩手軽便鉄道。
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〇2020/7/30 木曜日
午前03:05、起床。
おはようございます。
車に荷物を積み込んで、出発。
一度、東名を海老名ジャンクションまで南下。そのあと、圏央道を北上して東北道へ。
平日の未明、トラックが多かったです。
日本の物流を支えてくれています。
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猪苗代湖方面に行きます。
磐越道に入ることはせず、東北道の郡山ICで降りて、一般道で猪苗代湖へ出ました。
(あとでわかりました。30分後、郡山の街で爆発事故が起きました。)
猪苗代湖。大きいです。
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磐越西線・猪苗代湖畔駅に行ってみました。
時刻表では臨時駅です。
すでに、廃墟です。
ロープが張ってあり、ホームに入ることはできませんでした。
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川桁(かわげた)駅に行きました。ここから北の沼尻まで軽便鉄道の線路が敷かれていました。
安達太良山の西側に位置する沼尻鉱山で掘り出された硫黄を運ぶのが使命の軽便鉄道でした。
駅前に沼尻鉄道の碑。
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川桁駅周辺の家。
昔は繁栄していたと思われます。
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磐越西線上り・郡山行き 快速電車です。
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野口英世記念館に寄ってみました。
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猪苗代・緑の村。
沼尻鉄道の機関車がありました。
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3軸ロッド式ディーゼル機関車。
軌間762㎜。路線距離15.6㎞。
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この沼尻鉄道が、古関裕而作曲、岡本敦郎が歌う『汽車の窓からハンケチ振れば』の「高原列車は行く」の舞台であることがわかりました。
硫黄運ぶ貨物路線と思っていました。硫黄を運ぶ役目が終わったあと、スキー客や避暑旅行者を運ぶ役割をしたそうです。
現地に来ると、意外というか、思わぬ事実を知ることができました。
その客車です。
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(説明)
古関裕而。朝ドラやっているので、説明不要ですね。
早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」(「若き血」とは別です。)の作曲もされています。

裏磐梯ビジターセンターに移動。
五色沼を歩きます。
先にバスに乗って、反対側に行きます。そうすると、歩く間、帰りのバスの時刻を気にする必要がありません。
五色沼入口バス停1016の裏磐梯高原駅(バス停)行きに間に合いました。逃すと、1時間以上あきます。
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五色沼自然探勝路を歩き始めました。
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ありがたいことに、青空が見えました。
柳沼。
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青沼。
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弁天沼。
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清流。気持ちよくなります。
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赤沼。
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毘沙門沼。
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秋の雰囲気も見れました。
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1時間30分の歩き、終了。
毘沙門沼には、まだ紫陽花も咲いていました。
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汗を流すために、岳温泉に行きました。
途中、沼尻鉄道の駅跡を探してみました。
ありました。
酸川野駅(すかわのえき)。正式には酸川野停留場であったようです。
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右の県道側が、線路が敷かれていた所。
左の道が集落への道。
ここに踏切と停車場があったようです。
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安達太良山の西側に位置する沼尻鉱山は、道路の右手のスキー場の向こうと思いました。
(説明)
沼尻鉱山(ぬまじりこうざん)は、福島県猪苗代町にかつて存在した硫黄鉱山である。
安達太良山の西側斜面を鉱区としており、江戸時代には会津藩と二本松藩が権利を争った。
明治時代に入り、民間による開発が進むと開発は盛んになり、噴火による被害を乗り越え、一時は年間一万トンを超える硫黄を産出する規模となった。
1900年の噴火では鉱山に火砕流が到達し、多くの死者を出している。
採掘された硫黄の搬出のために磐梯急行電鉄が敷設され、その終点である沼尻駅へは、
鉱山から索道(荷物を運ぶロープウェイと思います。)で硫黄が輸送されていた。

安達太良山の北に位置する長いトンネルを東側に抜けると、濃霧。
山を境に、天気は変わりますね。
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岳温泉に到着。
「岳の湯」。
造りは、昔の旅館。古いです。今は、日帰り温泉施設。誰でも入浴できます。
お湯は、湯船に惜しみなく注がれていました。驚いたのは、色が透明感あるエメラルドグリーン。湯は熱い!
硫黄分があるのでしょう、窓が開けられていて、紫陽花を見ながら入浴。
上がって温泉成分をみると、ph2.5の単純酸性泉。温泉に入り、殺菌できたと思いました。
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二本松城を訪ねました。
戊辰戦争の中でも、多くの武士が命を落とした戦が行われた所です。

会津の白虎隊と同じく、少年兵が官軍と戦いました。二本松少年隊の碑。
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石垣は見ごたえありました。
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修復した門、立派です。
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本丸跡を目指し、山を上ります。
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井戸。説明では、今でも水を蓄えているそうです。
確かにこの城は、至る所に水の流れがありました。
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本丸跡。
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本丸跡からの景色です。
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山を降りました。
見事な赤松。
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蓮の花。
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城全体、街の雰囲気に、智を感じました。和菓子屋さんが多い。

二本松から宿泊先の福島に移動しました。
JAに寄ってみました。
安い価格の桃を3個購入。
品種は「あかつき」。
初めて食べました。買ったのは、固い果肉でした。
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奥羽本線・庭坂駅。
普通列車は、一日上下各々10本もないのではないかと思います。
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近くのカーブで、山形新幹線を撮影。
昨日は、大雨の影響で運休。
今日は、運転されていました。
山形新幹線の汽笛(ホイッスル)も、なかなかよかったです。
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梨畑がありました。福島は、桃が終わると、梨の季節を迎えます。
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宿泊は、ユースゲストハウスATOMA。
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何度か宿泊しています。
今回、コロナ対策ができているとして、キャンペーン登録宿泊事業者になっています。
オーナーご家族の努力に頭が下がります。安心して宿泊できます。
お風呂は、檜、青森ヒバを使った木の浴槽。いまだに、良い木の香り。

今日の宿泊者は、私一人のようです。
テーブルに一人分の食事が用意されました。
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ホヤを出してくれました。
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福島の漬物用麹の漬物。
ミニトマトは浅漬けでした。
福島の漬物用麹は、塩麹とも違う福島独特のものということでした。

デザートは桃。ブルーベリーとアイスクリームと一緒に。
今年の桃は今一とおっしゃっていましたが、桃の香りは良いです。ごちそうさまでした。
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雨の音だけ聞こえる静かな夜。
ゆっくり眠りました。