2022/6/25 土曜日 江差、縄文遺跡(松前、上ノ国町 2022/6/23-26)

〇2022/6/25 土曜日
おはようございます。
少しずつ晴れてきました。
今日一日、晴れていてくれると嬉しいです。

朝食。厚切り塩鮭が美味しかったです。
07:00出発。
民宿の写真。左手は、漁師道具倉庫。右手奥が、民宿玄関。
おかあさんに挨拶して出発。
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下の漁港に行ってみました。いい天気。
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この籠は、蛸か蟹を採るものだろうか。漁具に詳しくありません。
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漁港に養殖場。
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日本海。今日は晴れ。
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勝山館(かつやまだて)に向かいます。
上に登ると、塔が見えました。
北海道夜明けの塔でした。
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そこからこの道だろうと、少し下っていくと、今度は高台がありました。
景色が良かったです。中世からの景色ですかね。
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さらに下ると、勝山館跡ガイダンス施設に到着しました。
上之国館(勝山館)跡。
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(説明)
勝山館は、後の松前氏の祖である武田信廣が15世紀後半に築いた山城で、
16世紀末頃まで武田・蠣崎氏の日本海側での政治・軍事・交易の一大拠点でありました。
20年以上行われてきた発掘調査により、中国産青磁・白磁・染付、国産の美濃焼、越前焼など約5万点の陶磁器や、
金属製品、木製品など10万点余りの出土品や建物・井戸・空壕・橋などの跡が多数見つかり、館内での様々な暮らしぶりがよみがえりました。
さらに、近年、調査・研究で明らかになってきた直下の町場の様子と併せて「中世都市」と呼ぶにふさわしい景観が見えてきました。
また、今一つ注目すべきことは、当時アイヌの人々が使っていた500点余りの骨角器が出土していることです。
中世史研究の第一人者故網野善彦氏は「この館にアイヌと本州人が混住していたことはほぼ明らかといってよいのではないだろうか。」
(「日本海と北国文化」『北国の社会と日本海』小学館刊)と述べております。
勝山館跡は、日本海北方交易や中世の生活様式など、「北の中世」を語る重要な史跡として、
中学校・高等学校の日本史の教科書などにも紹介されており、興味尽きないテーマを与えてくれる史跡として大きな関心を呼んでいます。
現在、館の内部では柵・空壕・橋などの立体復元、建物・井戸跡などの平面表示が進められています。
勝山館の各ポイントには説明板が設置され、勝山館の構造や人々の暮らしぶりを確かめながら散策できるようになっています。
勝山館跡の成り立ちを解説するガイダンス施設と現地を併せて見ることで、往時の景観をリアルに体感できます。

ガイダンス施設は時間が早いので開いていません。
勝山館跡を歩いてみました。
一番上に、和人の墳墓群(夷王山墳墓群)が存在しました。
アイヌの人の墓もありました。
発掘した時、建てた墓標と思います。番号が振られていました。
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小さな木の橋を渡り、写真左上の明るい方向へ歩きました。
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この辺りは、ゴミ捨て場と書かれていました。
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後ろを仰ぎ見ると、夷王山、夷王山神社が見えました。
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下っていくと、空堀。
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橋を渡ると、館(だて)の搦手門に到着しました。
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館神八幡宮跡、二つあるのは、室町時代と江戸時代で場所が変わったと説明が書かれていました。
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館内、建物跡。
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櫓門が立っていた跡。
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海が見えました。中世も同じ景色だったと思うと、見通しの良い場所に館を造ったのがわかりました。
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大手門に出ました。
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ここで、引き返しました。帰りは登り坂。
ここ勝山館は、山の斜面に築かれていました。
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一番上位にお墓。敬う、天に一番近いからと想像しました。

車で、下に降りてきました。
上ノ國八幡宮です。
文明5年(1473年)に武田信玄公蛾、勝山館内に館神として創建したとあります。
本殿は北海道内に現存する神社建築物では最古に属するようです。
茅の輪を、無限大の記号∞の形で潜り抜け、参拝しました。お作法を守りました。
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この樹が素晴らしいと思いました。
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隣に、上国寺。北海道最古級のお寺だそうです。
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旧笹浪家住宅。江戸時代の鰊番屋。
(説明)
鰊漁にまつわる番屋などが多い中でも異色の文化財です。
小樽の鰊御殿や小平の花田家番屋など明治から大正期に建てられたものが多い中、
この笹浪家住宅は安政4年に修理の記録が残っているという江戸時代の建物。
親方と使用人、ヤン衆という漁夫が一緒に寝泊りする造りになっていて、番屋の原型ともいうべき貴重なものが見られます。
観光地としては無名ですが、鰊漁にまつわる栄華の原点として、一見の価値があります。
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上之国館(洲崎館)跡。国指定史跡。
コシャマインの戦いで蛎崎季繁とともに戦った武田信広の新居として築かれた館跡です。
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館跡、神社参道の横に、上ノ国小学校発祥の地という碑がありました。
由緒正しいところに、学校を設けていました。
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江差町に向かいました。
まず、江差駅跡。
今の海岸線の国道から二本山側の高台に駅跡がありました。
江差線はかつて函館市の五稜郭駅から江差町まで結んでいた北海道旅客鉄道の鉄道路線です。
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駅前ロータリーは、昔の形を留めていました。
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江差町。
(説明)
アイヌ語の「頭が・浜に・ついている・所」、
すなわち「岬」を意味する「エサウシイ(エサウシ)に由来するとされる。
宗谷総合振興局の枝幸町と同じ語源である。
函館市、松前町と並び、北海道で最も早く開けた地域の一つ。
江戸時代はニシンの漁場および北前船によるヒノキアスナロ(ひば)などの交易港で、
「江差の五月は江戸にもない」といわれるほど栄えた。
松前藩の所領であるが、1868年(明治元年)戊辰戦争の際に、旧幕府脱走軍の占領を受けた。
その際、旧幕府海軍の主力艦である開陽丸が江差沖で座礁沈没した。

廃藩置県後、一時期青森県に属していたが、1872年(明治5年)に開拓使函館支庁に移管、
町役人を廃し、戸長役場を置いた。
1882年(明治15年)、函館県に属し、1886年(明治19年)の県廃止後に北海道庁に属し、1897年(明治30年)檜山支庁が置かれた。
漁業不振や若年層の町外流出により人口は減少傾向にある。
1997年(平成9年)には道内の支庁所在地として初めて過疎地域の指定を受けた。
さらに支庁所在地ではただ一つ、道庁のある札幌市への直行交通機関がない。

復元された開陽丸が置かれている道の駅に車を停めて、街に出ました。
大型漁船が停泊。
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いにしえ街道を歩きました。
(説明)
江差町は明治初期まで、北前船によるニシン漁とその取引、そして檜材交易で栄えたまち。
その栄華を誇った問屋蔵や商家、町屋などの建造物がそのまま残されており、
「いにしえ街道」は歴史の香り漂う街並として整備されました。

アネロイド気圧計塔。
海の仕事の街。昔から、気圧で低気圧など予想していたと想像しました。
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折居社跡。
折居というお婆さんが、江差に鰊がやって来ることを神様の御告げとして地元民に語った場所だそうです。
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姥神大神宮(渡島國一宮)。
北海道最古の神社。
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江差橫山家。
1769年江戸時代から廻船問屋を営む。
能登(石川県)から移住して来た商家。
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江差町会所。
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こんな土蔵もありました。
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土方歳三嘆きの松。
沈没した「開陽丸」の様子を、榎本武揚とともに見ていた土方歳三は、
それを嘆き、叩いたたとされる松の木です。あくまで伝承のようですが。
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そこから見える江差の海。土方歳三もこの景色を見ていたかも!昨夜の暴風雨の日だったかもしれないです。
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松の後ろの建物は、江差町郷土資料館(旧檜山爾志郡役所)
(説明)北海道庁の出先機関である郡役所と警察署の業務を執り行う建物として、
 明治20年に建てられました。北海道の有形文化財に指定されています。
 現在は江差郷土資料館として使われています。

国道を通って、車まで戻りました。
役場の前庭に、ヒノキアスナロ(ひば)の切り出された大木が置かれていました。
こんなに大きくなるんだと驚きました。
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復元された開陽丸です。
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海に、奇岩。
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沖に、フェリーが見えました。
奥尻島からのフェリーです。
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車で、旧関川家別荘に移動。
(説明)
江戸時代末から明治時代初めに建てられた、江差商人関川家の別荘です。
関川家は、江戸時代に越後国(新潟県)から江差へ渡ってきた商家で、本宅は江差のいにしえ街道沿いあり、に廻船、醸造、金融など様々な商いをしていました。
主屋には「蓼窓亭」(りょうそうてい)という額が掲げられています。
これは、関川家の人が蓼窓という号で俳諧活動をしていたからです。 …

受付の男性が、邸内を案内してくれました。
昔の絵図。今いるところは、道路からみて赤〇印で囲ったところです。
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蔵は、江戸時代のもの。漆喰の真っ白な壁が崩れてきているので、木の板で覆っている。
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木の扉を閉め、さらに鉄扉(枠が鉄。重い。)を閉めてもらい、撮影させていただきました。
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主屋。俳句の会が開かれていた。
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庭の池。蓮の花。
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松の木の枝が、今年の雪の重みで折れた。
平年、江差は、雪はたくさん降らない、風が強い、従って雪は積もらない。
温暖化で、雪に水分が多く含まれたと想像しました。
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箱館戦争の時、裏山で処刑された武士もいたそうです。
ご説明ありがとうございました。
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今、渡島半島の日本海側にいますが、東の太平洋側に出て、縄文遺跡を訪ねてみます。
その前に、寄り道です。
乙部町。滝瀬海岸。シラフラ。日本とは思えない海岸線でした。
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ここは、江差の北にあたり、箱館戦争の時、官軍が上陸した地点です。
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太平洋側に出る道は、大沼を通りました。
長万部行き普通列車が来ますね。
踏切で待ちました。
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太平洋側に出てきました。
「史跡大船遺跡」。
(説明)
縄文時代中期(約5,500~4,000年前)を中心とした大規模な集落跡です。
東日本における代表的な集落遺跡であり,「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産のひとつとして,
世界遺産へ登録されています。

竪穴住居。深さは1mぐらい。
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柱は4本。入口からみて、炉があり、奥に祭壇。
祭壇の側に保存する木の実などを貯蔵する穴も掘られていました。
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擦り石。木の実をすりつぶす。
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垣ノ島遺跡に行ってみました。
大きい遺跡でした。説明してくださる方も多い。知識、推察力、検証力、すごかったです。それも学芸員ではないんです。
行くなら、こちらをお薦めします。
(説明)
「史跡垣ノ島遺跡」は,縄文時代早期から後期(約9,000年前から約3,000年前)にかけての長期間にわたり,
縄文人の生活の痕跡が残された遺跡です。
各期による台地利用の変遷を示す数多くの竪穴住居跡や墓に加え,国内最大級規模の盛り土遺構もみつかっています。
遺物では土器や石器といった生活道具のほか,幼児の足形が付けられた足形付土版や漆塗りの注口土器,
装飾品などこれまで20万点以上の遺物が出土しています。
保存状態も良好で,平成23年(2011年)に国の史跡に指定されました。
大船遺跡同様に東日本の縄文文化を代表する重要な遺跡です。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の一つとして世界遺産登録されています。
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展示品。国宝!です。北海道初の国宝、「中空土偶」。
中が空洞になっているんだそうです。主婦の方が偶然見つけたとか。
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13:00定時の無料ガイドの方に案内していただきました。聞き取り力が弱いので、少しばかり間違っている箇所があるかもしれません。
垣ノ島遺跡の全体模型。
赤い〇:発掘された住居は13。
青い〇:盛土で覆われた祭神の場は大きい。縄文集落の中心地ということがわかる。
黄色の〇:川に、鮭が上がってきて捕獲できる地形が存在する。
丸木舟もそこで乗ったり降りたり。
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集落は点在。
一集落は、10戸程度、20から30人。
垣ノ島遺跡は13戸。
食べるものが限られているからと思う。
祭りか祈りの時、中心集落に集まってくる。
その入り口となるところに、柱の跡。
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祭神の場、盛り上がっている中心点は、どう決まっているか。
夏至の太陽の日の出の方角と、南北線、さらに、盛土に入ってくる道の3線が交差する場所。
ガイドさん、今年の夏至の日の出をここ中心点で確かめたそうです。
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青虎石を持たせてくれました。
額平川産出。アイヌ集落で有名な二風谷に流れている沙流川の上流で合流する山合いの川です。
普通の石に比べて重い。
小型の斧を作った。
木を切る。
縄文時代、すでに交流がおこなわれていて、物が移動している。
黒曜石、翡翠、アスファルトは、他の地域から来ている。津軽海峡は、「しょっぱい川」。丸木舟で横断していた。
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直径5mぐらいの住居。
4.5から8畳の一間。
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竪穴深さは1m。
屋根を支える柱は、4か6本。
入り口。土間に炉。奥が祭壇。
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寝る所は、土間ではない。
屋根が竪穴の外側から、角度35度で作られた。茅に土を練り込んだ。(北海道は寒い。今までの展示は茅だけ。)
その屋根と竪穴の隙間が1mある。そこに寝た。入り口から、熊や狼が飛び込んできても直撃は伏せげた。
犬が2頭。家の中1頭と外に1頭。番犬。

50分、一緒に廻って説明いただきました。ありがとうございました。
もっと理解ができるように整理してきます。
今日の私の疑問;
・縄文人、アイヌ人の不思議。
 何故、文字を持たなかったのか。
 交易していたのに。

・縄文人は、高度な漆技術を持っていた!
 アイヌ人は、漆器を和人から入手している。

・アイヌ人、風呂をどうしたか?
 チセ(住居)、食事のことは、いろいろな本に出てくる。
 トイレも、チセの玄関先に設けられる。
 風呂は川か。冬は寒い。風呂に入らなかったか。

新函館北斗駅のホテルに戻ります。
大沼公園脇で休憩。
青空の下、大沼が美しい。
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ディーゼルエンジン音が聞こえました。貨物列車に出会いました。
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峠の頂、仁山駅に行ってみました。札幌行き特急北斗が峠を登ってきました。

新函館北斗駅に到着。レンタカー返却。
路上イベントがありました。強風でテントが飛ばされていました。
駅前の、旧渡島大野駅の油庫。
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石灰鉱石。大きいな。太平洋セメント我朗鉱山で採掘されている。
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昨日、今日、レンタカー大活躍でした。思ったところへ行ける。頼りになりました。
ホテルの部屋でのんびり。
窓から見えたもの。
北海道新幹線の札幌延伸。トンネル。
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函館行き普通列車が峠を降りてきました。一両編成、キハ40。
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夜汽車の撮影しました。函館行き特急北斗です。
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〇2022/6/26 日曜日
おはようございます。今日は穏やかな日になるかなと期待しながら起床。
朝のお風呂、朝食を済ませ、駅へ。
新函館北斗06:39発はやぶさ10号・東京行の指定席を得ることができました。
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青函トンネルを抜け、本州側に入った時、陸奥湾が光り輝くのが見えました。
よし、アイヌや縄文のこと、本を読んだり、調べたりして、また現地に行ってみようと思った帰路でした。
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(余談)
東京に着いたら、ものすごい暑さ。驚きました!

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