直江津 2018/10/13 鉄道、親鸞

○2018/10/13土曜日
おはようございます。

朝食を食べて、直江津に向かいました。
頸城保存鉄道(くびき野レールパーク)を訪ねました。
ボランティアが、昔の機関車、気動車を動かす保存をしています。
私も応援しています。

母親の実家が、浦川原村東俣です。
4歳の時から、黒井駅から、この軽便鉄道(線路幅762mm)を乗って、田舎の無人駅に降り立った記憶が残っています。

先頭は動力のない蒸気機関車コッペル2号(明治44年製造)、次がディーゼル機関車DC92(昭和29年製造)、畳を敷いた無蓋車の貨車、2軸客車ハ6(明治44年製造)、の4両編成の列車に、乗りました。
貨車に乗りました。
パーク内を往復するのです。
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若いご夫婦が2歳のお子さんが、畳を敷いた無蓋車の貨車に乗っていました。
まず、貨車に乗ったのが初めて。この保存鉄道があるのを知ったのも初めて。昔、旅貨客の運転をしていたのは全く知らなかったとのことでした。
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客車はこんな感じです。10名が座れるかどうかの小ささです。
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車掌さんが説明してくれました。
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次は、気動車(内燃客車ホジ3)の運転です。
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ポイント切り替えは、ボランティアがおこないます。
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2回目の蒸気機関車の運転を撮影しました。
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ありがとうございました。


岩の原葡萄園が、ここから15kmのところにあります。
昼食には早いので、行ってみました。
ワイン仲間では有名な川上善兵衛が創業したワイナリーです。
川上善兵衛は、明治時代に、「マスカット・ベーリーA」を産み出した方です。
今年は、生誕150年ということ。1868年(明治元年)に生れています。
この葡萄づくりは、勝海舟から葡萄酒を振る舞われ、上越の荒れ果てた土地でも栽培ができ、田畑をつぶさずに済む、新しい産業になると確信され、
豪雪の地で、葡萄栽培、ワイン造りを始めたとのことです。
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第一号石蔵。
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第二号石蔵。
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氷室がありました。低温醸造を当時からおこなっていたとのことです。
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葡萄畑です。
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昼食を食べに、直江津駅前に行ってみました。
「かのか」のご主人に教えてもらった「軍ちゃん」というお店に行ってみました。
海鮮丼を注文しました。
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お腹が満たされました。
親鸞ゆかりの地を訪ねました。
居多ヶ浜(こたがはま)。「親鸞聖人御上陸の地」です。
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展望台です。ここから、親鸞も、浜、日本海を見たのです。
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居多ヶ浜記念堂です。
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親鸞が、上陸後、すぐに訪問した居多(こた)神社。
越後国一之宮。
浄土真宗ですが、地元の方とのつながりを大事にするお気持ちがあり、お参りをした、と教えてもらいました。
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本願寺国府別館。
最初の1年間を過ごした竹之内草庵から、ここに移り、妻の恵信尼と暮らし、子供に恵まれました。
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高田の浄興寺へ。
大きい!
親鸞の頂骨が本廟に納められていると、紹介記事に書かれていました。
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さあ、再度、鉄道モードに戻ります。
スイッチバックのある二本木駅に向かいました。
昔は、国鉄、JRの信越線。今は、越後ときめき鉄道。
行ってみたら、鉄道記念日にちなんでイベントが開催されていました。
イベントの駐車場に車を停めて、町が運行してくれた巡回バスで、二本木駅に行きました。
町のお祭りの感がありました。
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偶然、駅員さんが案内するツアーに参加できました。
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昔の駅員道具。
カンテラ。下に、油を入れて、火をつけたそうです。
駅員が、列車の運転士、車掌に合図を送るものです。
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ホームの下を見ると、斜めに筋が入っていました。
昔は、ここまでがホーム。乗客は、このスロープを下り、線路をまたいで改札口に来ていたと想像できます。
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コンクリートの地下階段。第二次世界大戦の昭和16年にできたと説明を受けました。
この駅の向こうには、日本曹達二本木工場があります。
大事な工場でした。
ここの地下道がひとつの防空壕になったようです。
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ホームに行くと、屋根を支える鉄骨は、レールです。輸入と八幡製作所の印が見えるそうです。
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越後ときめき鉄道のここの区間は単線。スイッチバックで電車が入り出て行くのを見させていただきました。
右、妙高から下り電車が降りてきました。
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左、直江津から上り電車が登ってきました。待避線に入ります。
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同時に、駅に入ってきました。待避線にはいった電車は、バックで入ってきました。運転士は前の運転席で電車を動かしていました。
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下り電車が、待避線に一度入り、直江津に向かい、坂を下っていきました。
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上り電車が、妙高に向かい、坂を上っていきました。
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現代の日本では、力強い電車、電気機関車牽引旅客です。スイッチバックはほとんど不要です。
ではなぜ?蒸気機関車の時代、昭和40年台までに必要だったのです。蒸気機関車は、上り坂で一度止まると、坂を上っていくことはできません。
一度、平らなところに戻り、再度、坂を登っていく動作が必要だったのです。
そのために、駅が、山の中の平らな所に設けられたのです。

明治時代に建てられたレンガ造りの油庫、木造の物置が残っています。
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油庫の中は、漆喰塗。
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物置は、西洋建築です。
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物置には、つらら落とし、貨車を人力で少し動かす鉄棒が残っていました。
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駅前に、桜がありました。
ホーム側に、桜はありません。ホーム側に桜があるといいですね、と、駅員さんとお話をしました。
新潟日報の新聞記者ともお話をしました。

地元のおばさんが開いていた駅中カフェ?で、珈琲を注文。珈琲カップは、駅のロゴ。なかなかです。
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挨拶をして、信州中野に戻りました。
去年購入した「物味湯産手形」がまだ有効です。中野市豊田温泉公園もみじ荘に行き、無料入浴しました。
湯量が少なくなったので、露天風呂は中止中でした。枯渇してきたんですね。

長野電鉄の信濃竹原駅に行きました。
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夕陽です。
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宿に戻り、のんびり。
ぽんぽこの湯に行き、露天風呂から夜景を見て、街の定食屋さんで夕食。
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宿で、常連客の方が、今日も、シャインマスカットを買ってきてくれました。
美味しかったです。

○2018/10/14日曜日
10時から、地元で、「認知症」、「徘徊見守り」の会合があるので、朝5時に起床。
気合いを入れて、横浜まで戻りました。

この記事へのコメント

ジョアンナ(Y.O)
2018年10月14日 23:24
昔、長岡から直江津まで歩いたことを思い出しました。
それと、親鸞といえば結城市内にも江戸時代に建てられたという恵信尼の石碑(恵信尼は結城出身だとか?)があります。
親鸞は新潟から下総(茨城県内)にやってきて、あちこちで活動していたようですね。
谷口伸夫
2018年10月15日 16:11
長岡から直江津まで歩かれたなんて、すごいです。
親鸞は、直江津に流刑になったあと、下総に行っていますね。まだ、下総の地は訪問していないので、行ってみたいです。
ジョアンナ(Y.O)
2018年10月15日 23:04
茨城県は昔の国で言うと茨城県は常陸、千葉県北部は下総といわれますが、実際は結城市も下総でした。ご参考まで。

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